錬金術師とキャラメリィ
ロザリーが私と少女――雨女ちゃん?――を残して二階へ行ってしまってから、十数秒の沈黙が流れる。
窓から覗く雨は激しさを増しており、まるでこの子の感情に呼応しているかのようだ。
心の中でロザリーに文句を言いつつ、どうしたものかと雨女ちゃんを見る。
残された雨女ちゃんはロザリーを掴んでいた手をきゅっと胸に抱き、私と目を合わせないように顔を下げて視線をさまよわせている。
いや、たまに横目でこちらを見ている気がするが、それにしては視線がもっと低い場所へ向いているような――。
そう思って顔を下げると、テーブルの上に広げたままのスクロールや器に入った『キャラメリィ』が目に映った。
もしかしてと思い器の中から『キャラメリィ』を一粒摘み上げ、雨女ちゃんへ差し出してみる。
「えっと……これ、気になる?」
私が声を掛けた途端ビクッと肩を震わせるが、『キャラメリィ』に興味があるのか視線が釘付けになっている。
内心でやっぱりと思いつつ私は表情を和らげ、できるだけ脅かさないように優しい声色で雨女ちゃんに話しかける。
「『キャラメリィ』ってお菓子だよ。食べてみる?」
雨女ちゃんは何度か私と『キャラメリィ』の間で綺麗な紫の目を行ったり来たりさせた後、意を決したように少し顔を上げて近寄ってくる。
やがてテーブルを挟んだ向こう側まで寄って来た雨女ちゃんは、おそるおそる陶器のような白い手を伸ばして、私が差し出していた『キャラメリィ』を受け取った。
その際一瞬だけ指が触れるが、まるで井戸水のように冷たい感触に少しだけ驚く。
「甘くて美味しいよ?」
不思議そうに『キャラメリィ』をじっと見つめる雨女ちゃんに苦笑しつつ、私は食べてみるように促す。
その言葉にまた一瞬だけ私に目を向けた後、おずおずと『キャラメリィ』を口へ運び――目を見張った。
そして先ほどまでの強張った表情が嘘のように笑顔を湛えながら小さな口を動かし始めたその姿に、まるで小動物を餌付けしているみたいだなと思わず微笑む。
「お待たせ―。はい、これ今日の分ね」
イスへ座り直してしばらく雨女ちゃんの様子を眺めること数分。
雨女ちゃんが二粒目の『キャラメリィ』を食べ終えたタイミングで二階から降りてきたロザリーは、両手に抱えるように持ったビンを私の前のテーブルへ置いた。
ビンの中には琥珀色の液体が入っており、置いた振動で中身が揺れ、それが粘り気のあるはちみつのようなものだと分かる。
雨女ちゃんがロザリーに微笑んで小さくお辞儀している間、私はそのビンに視線を注いでいた。
「ロザリー、それ何? はちみつじゃないよね?」
「ん? これは『紅仙樹』から採った樹液だよ? この子の大好物」
ロザリーの視線に合わせて私も雨女ちゃんを見ると、いきなり視線を向けられてびっくりしたのか目を丸くしつつも、同意するようにコクコク頷いていた。
その姿に頬を緩ませていると、私と雨女ちゃんを何度か交互に見たロザリーがきょとんとした表情を浮かべた。
「あれ、二人とももう仲良くなったんだ? この子、人見知りが激しいから、慣れるまでに時間が掛かるかなーって思ってたんだけど」
「うん。この『キャラメリィ』が気に入ったみたいでね。あげたら打ち解けてくれたよ」
「へえ。この子が『紅仙樹』のシロップ以外に興味を持つなんて思わなかった」
「そうなの?」
「そうなんだよ! この子、全然物に興味がなくてね。この『紅仙樹』のシロップも、半年くらいいろいろ見せてようやく気に入ってくれた一品なんだよ」
そう言って昔を思い出すように遠い目をするロザリー。
どうやらロザリーと雨女ちゃんの間で壮絶な戦いがあったようだ。
対して当の雨女ちゃんは、『紅仙樹』のシロップのビンを大事そうに抱えたまま、次の『キャラメリィ』に手を伸ばしていた。
二人の対照的な姿に私が苦笑いしていると、ロザリーがふと何かを思い付いたように突然「そうだ!」と大きな声を上げた。
「ねえレティ! この『紅仙樹』のシロップで『キャラメリィ』って作れない?」
「ええっ? ……うーん、どうだろう?」
パッと見た様子だとはちみつと同じような粘度を持ってそうではある。
すぐに頭の中に『キャラメリィ』のレシピを思い浮かべて、はちみつの部分を『紅仙樹』のシロップに置き換えてみる。
注ぎ込むエーテルの量を調整すればできそうな気がするが、こればかりは実際にやってみないと分からない。
「……やっぱり無理かな?」
「あ、ごめん。レシピを考えてただけ。ちょっとやってみないと分からないかな?」
私の無言を否定だと思ったのか、おずおずと尋ねてきたロザリーに、私は慌てて顔の前で両手を横に振る。
ロザリーはほっと安心したように息を吐くと、「それならすぐに持ってくるよ!」と金髪をひるがえして再び二階へ飛んで行ってしまう。
器の中の『キャラメリィ』を別の容器に移し替えたり、ずっと立ったままだった雨女ちゃんにイスを用意してあげたりしていると、やがて先ほどと同じ大きさのビンを持ったロザリーが降りてきた。
ロザリーにお礼を言って受け取ったビンの蓋を開けてみると、はちみつとはまた違った、けれど同じくらい甘い匂いが鼻をくすぐった。
スプーンで掬って舐めてみたところ、少しだけ甘さが控えめのため、はちみつよりは多めに入れた方が良いだろう。
「となると、エーテルも少しだけ長くすれば大丈夫かな……」
そう呟きながら『キャラメリィ』一粒分に相当する量の素材を器に入れていく。
そしてロザリーと雨女ちゃんが見つめる中、私はスクロールへ手を伸ばし、普段の『キャラメリィ』を作る時とエーテルと同じ量を、少しだけ長めに注ぎ込んでみる。
やがてスクロールからいつもの光が溢れ――収まった後に器の中にあったのは、『キャラメリィ』とは似ても似つかない黒い物体だった。
どちらかと言えば、料理で失敗した時の焦げに似ている気がする。
「できた……の?」
「いや、どう見ても失敗だね」
「だよねー」
ロザリーと短いやり取りをした後、黒い物体を別の容器に移し替え、再度同じ量の素材を入れていく。
「もう少し短くても良いのかな?」
スクロールへ手を伸ばし、今度は先ほどより早いタイミングでエーテルの流し込みを切り上げてみる。
再びスクロールから光が溢れ――しかし器の中にあったのは先ほどより柔らかそうな黒い物体だった。
「な、なんかドロッとしてるよ?」
「うーん……今度はエーテルの量が少なすぎたみたい。もう一回」
今度は普段と注ぎ込む時間は同じで量を多くしてみる。
しかしできあがったのは、一回目と同じ黒い塊だった。
「も、もう一回……!」
再度器へ素材を入れ、スクロールへ伸ばしかけた手の袖をくいくいと引っ張られる。
振り返ってみると、いつの間にか後ろへ回っていたのか、雨女ちゃんが悲しそうな顔をして首を横に振っていた。
相変わらず無言だが、その表情から何を言いたいのかは言葉にしなくても分かる。
「ふふっ、心配してくれてありがとう。でも大丈夫だよ。私も食べてみたいから――『紅仙樹』のシロップでできた『キャラメリィ』を、ね」
こんな小さな子に心配されているようではまだまだ一人前の錬金術師には遠そうだ。
私は一度心を落ち着かせるようにふうと息を吐き、おもむろに目を瞑る。
視界から入ってくる情報が遮断され、お店の窓にパラパラと打ち付ける雨の音だけが聞こえる。
はちみつの代わりに『紅仙樹』のシロップを、甘さや粘度を考えて少し多めに入れた。
そしてその分だけ注ぎ込むエーテルの量を増やすため、流す時間を長くした。
その結果が一回目の焦げにも似た黒い物体だ。
二回目はその結果を考慮し、流し込む時間を少しだけ短くしてみた。
しかし今度は注ぎ込むエーテルの量が少なくなってしまったようで、生っぽい黒い物体になった。
つまり、エーテルの量は一回目で合っているのだろう。
ということは、注ぎ込む時間は前と同じにして、量だけを調整すればいけるのではないだろうか。
私は深呼吸した後、目を開けて再度スクロールへ手を伸ばす。
ふと横を見ると、胸の前で小さく握りこぶしを作り、ふんすと鼻を鳴らしているロザリーの姿があった。
「頑張って、レティ!」
「ありがとう、ロザリー。――よしっ! 次こそ成功させるよ!」
ロザリーの応援のお陰で身体に入っていた余計な力が抜けるのが分かる。
身体の中のエーテルに意識を向け、ゆっくりとスクロールへ流し込み始める。
そして――。
「で、できた……!」
スクロールから溢れだした光が器の中の素材まで覆い隠し、それが収まった時。
器の中には黄金色に輝く『キャラメリィ』が一粒転がっていた。
ロザリーと雨女ちゃんの二人が固唾を飲んで見守る中、そっと摘み上げて匂いなどの状態を確認。
いつもの『キャラメリィ』よりも柔らかな甘い匂いに、今度こそ完成したと確信を得る。
「うん、状態は問題ないみたい。後は味だけど……雨女ちゃん、味見してみる?」
私の右隣から視線を送り続けている雨女ちゃんに差し出すと、顔を輝かせてコクコクと頷き受け取った。
ロザリーが「えーっ!」と口を尖らせているが、今回は彼女が気に入る物を、と作っているのだから我慢してもらう。
ロザリーもそれは分かっているようで、すぐに口を閉じて雨女ちゃんの一挙一動を逃すまいとじっと見つめる。
雨女ちゃんが新作『キャラメリィ』をその小さな口へ運び、何度か口の中で転がすように味わう。
数秒の間を置いてから雨女ちゃんは目を大きく見開くと、これまで見た中で一番の笑顔を咲かせた。
心なしか外の雨も景気良く窓ガラスを叩いているような気がする。
「良かったね、レティ。美味しいってさ」
「うん!」
そのままロザリーと一緒に雨女ちゃんの笑顔を見ていると、どうやら食べ終わったらしくとろんと満足そうな顔を広げる。
そして不意に何かを思い出したように、民族衣装のようなところどころに模様の入った白い服のポケットを漁り出した。
どうしたのだろうかと見つめていると、ポケットから何かを取り出して私に差し出してきた。
差し出された手のひらの上に乗っていたのは、透き通るような綺麗な水色をした雫型の宝石だった。
雨女ちゃんは今度はまっすぐ私を見て、宝石を持った手を何度も突き付けてくる。
困惑して雨女ちゃんの顔と宝石を交互に見る私に、ロザリーから声が掛かった。
「お菓子のお礼だってさ。早く貰ってあげなよ」
「えっと……うん、分かった。ありがとうね」
前へ視線を戻してお礼を言いながら、私は小さな手のひらに乗った宝石を受け取る。
雨女ちゃんは嬉しそうに顔をほころばせると、たたたっとお店のドアまで駆け寄っていった。
そしてドアの前で水色の髪をなびかせながらくるりと反転し、私たちに小さく頭を下げた後、ドアを開けてそのまま外へ出て行ってしまった。
「……行っちゃった」
伸ばかけた手を降ろして貰った宝石へ視線を落としていると、ロザリーがふわっと近くまで飛んできて宝石を覗いてきた。
「へえ、雨含石だね。相当珍しい物だよ、良かったね」
「やっぱり珍しい物なんだ。貰っちゃって良かったのかな?」
「あー、それは大丈夫。あの子にとっては珍しい物じゃないから。というより、あの子からしか貰えないからこそ珍しい物、かな?」
まるで謎掛けのようなロザリーの言葉に、混乱がより一層が深まる。
「あの子、一体何者なの?」
「あれ、さっき言わなかったっけ? あの子は『雨女』、アタシと似たような存在だよ」
「――えっ? ということは、あの子も妖精なの?」
「妖精族じゃないよ。うーん、説明が難しいなあ。まー、親戚みたいなものかな? 雨と一緒に各地を転々としているんだ」
パッと見はただの幼い女の子にしか見えなかったのにと宝石――確か『雨含石』と言っていたか――を見ながら思う。
結局最後まで一言も喋らなかったし、不思議な子だったなとぼんやりと考えていると、こほんというわざとらしい咳払いが聞こえてロザリーの方へ顔を向けた。
「あー。アタシも何か甘い物が食べたいなー。例えば新しい味の『キャラメリィ』とかー」
ほとんど抑揚のない声に思わず苦笑しつつ、私は「少し待ってて」とイスに座り直して器へ素材を入れていく。
そこでふと思い出したことがあり、再度ロザリーを見上げた。
「そういえば『キャラメリィ』のままだと紛らわしいから、何か名前を考えないとね」
「あっ、じゃあ『キャラレティ』でどう――」
「うん、却下」
私がにっこりと微笑んで一蹴すると、ロザリーは「えー」と口を尖らせる。
窓の外はいつの間にか雨が止み、木々の隙間から覗く空には綺麗な虹が架かっていた。




