錬金術師と教会の噂
「こんにちは、マチルドさん」
「あら。レティちゃん、こんにちは。今日も買って行ってくれるのかい?」
いつものように午前中をお店で過ごし、午後になってから街へと買い物に来ていた私は、少なくなってきた牛乳を購入しにボダン夫妻のお店へやって来ていた。
夏の暑さも徐々に落ち着きつつあるが、いまだ日中は日差しが強く、軒だしテントの影に立っているはずのマチルドさんも半袖姿だ。
「はい、ここの牛乳は美味しいですから。いつもの本数でお願いします」
「嬉しいこと言ってくれるねえ! おばさん、もう一本おまけしちゃうよ!」
「わあ、ありがとうございます!」
マチルドさんは豪快に笑いながら近くの箱から牛乳のビンを取り出し、私が手渡した手提げカバンに丁寧に詰めていってくれる。
ちなみに、何かと理由を付けておまけをしてくれるのはいつものことであり、それだけ『ミネランフィード』のことが感謝されているんだなと嬉しく思う。
お礼を言いつつ代金を渡してからカバンを受け取ったタイミングで、マチルドさんがふと思い出したように「そういえば」と口を開いた。
「レティちゃん、教会の噂知っているかい?」
「教会の噂……ですか?」
首を捻ってしばらく考えてみるが、思い当たるような話は思い浮かばない。
クッキーの一件からここしばらく特に何かが起こる訳でもなく平和な生活を送っているし、それ以前も教会については聞いた覚えがない。
「いえ、特に聞いたことはないです」
「そうかい。実はね……」
私が首を横に振ると、マチルドさんは声を低くしてそう前置きをする。
「この街の北の大通りを真っ直ぐ行ったところに、もう使われなくなった教会があるんだけどね。……一月ほど前からそこで出るらしいんだよ」
「……出る、ですか? 一体何が?」
「もちろん決まっているだろう?」
嫌な予感がしつつも思わず反射的に聞き返してしまう。
いつもの優しい笑みを消し、のっぺりとした石のような表情を浮かべたマチルドさんに、私はごくりと唾を飲み込んだ。
「幽霊、だよ」
◇◇
「――という話を聞いたんだけど。ロザリー、何か知ってる?」
「ふーん。教会、ねえ」
その日の夕方。
お店へと戻った私は夕食を食べながら教会の噂のことを話すと、ロザリーは顎に人差し指を当てて思案し始めた。
もしかして、何か思い当たるふしがあるのだろうか。
「多分その教会、知ってるよ」
「あ、知ってるんだ」
「まあね。もう長いことこの街に住んでるし。で、昔その教会に一時お世話になっていたことがあってね」
確かロザリーは二十年ほど前にこのお店を開いたはずなので、それよりも前の話なのだろうか。
そもそもロザリーは一体いつからこの街にいるんだろう、少し気になる。
「昔からあの教会は古くてね。ただ、十年以上前に新しい教会が建てられたって聞いてからは一度も行ってないんだけど」
「なるほど……。幽霊の方は心当たりない?」
「そっちはないねー」
手を広げて首を横に振るロザリー。
幽霊と同じくらい未知の存在である妖精のロザリーのことだ。
雨女ちゃんの件もあるし、何か知っているのではと思ったのだが、当てが外れたようだ。
「まー、行ってみれば分かるでしょ?」
「……うん? ちょっと待って。もしかして、行くつもりなの?」
「え、だって実際に見た方が早いじゃん」
さも当たり前のように話すロザリーに私は目を丸くした。
別にその幽霊が悪さをして誰かが困っている訳でもないし、ただ興味本位で聞いただけなのだが……。
そんな躊躇する私に、ロザリーは仕方がないなあという表情を浮かべる。
「昔住んでたからちょっと気になるだけだし、アタシ一人で行ってくるよ?」
「ううっ……。ううん、私も一緒に行く」
「怖いならそんな無理しなくても……」
ロザリーの言葉に私は小さく首を左右に振る。
怖いことに変わりはないのだが、噂の真相を知って安心したいという気持ちがわずかに勝ったのだ。
怖いもの見たさ、とも言う。
「ま、レティがそう言うのならいいけど。じゃ、食べ終わったらさっそく行ってみよっか」
「うん、そうだね」
それから雑談しつつ夕食を食べ、片付けを終えた後。
私はいつものローブを羽織ってから、窓際の一番日当たりの良い場所に置いてある道具を手に取った。
それは懐中時計の入れ物に錬金術で作成した緑色の水晶を嵌め込んだ道具――『懐中石灯』。
以前からこつこつと作っており、一月ほど前にようやく完成した物だ。
石の大きさと性質上、灯りは一時間程度しか持たないが、教会を探索するくらいの時間は十分あるだろう。
石に光が溜まっているのを確認してから蓋を閉めてローブのポケットに入れておく。
念のためにローブの右側に括り付けてある『元素石』の袋も確認し、私は階段を下りた。
◇◇
リガロの街は、中央にある広場から東西南北に伸びた大通りに沿って大まかに区分けされている。
飛行船の停泊場がある西は商業区、東は家々が建ち並ぶ住宅街。
そして北は狩猟師組合や商業組合などの主要施設、他に領主様のお屋敷が存在する、言わば公共組合区である。
そんな公共組合区の最北端、すぐ東隣に森林が広がる場所に、噂の教会は建っていた。
月明かりに照らされた教会は、聖堂らしき建物に小さな尖塔一つあるだけの簡素な造りで、その壁は雨風でかなり劣化しているようだ。
また、伸び放題になっている雑草が建物を取り囲んでおり、伸びた蔦が壁を覆っている。
教会の敷地に入る手前、最後の街灯から数メートル進んだところで、私はそんな古びた建物を見上げつつポケットから『懐中石灯』を取り出した。
ロザリーはもう少し先まで行っており、右へ左へとふらふらと飛んで教会を眺めている。
「うわ、懐かしいなー」
「前に住んでいたって言ってたね」
「うん、半年くらいだけどね。今のお店ができるまでの間、置いて貰ってたんだ」
戻ってきたロザリーと話しながら『懐中石灯』の蓋を開けた途端、嵌め込んである緑色の石から光が漏れ出した。
明かりが教会の大きな両開きのドアと、そこへ続く半分ほど雑草に隠れた石畳を照らす。
「おー! 思ってたよりも明るいね!」
「ふふ、ありがとう。でも、私的にはもっと明るくても良いかな」
帰ったらもう少し風の元素を加えてみようと頭の片隅に留めておく。
雑草を避けながら石畳を進むと、すぐに私の身長の倍ほどありそうなドアの前に辿り着いた。
薄暗い中に浮かび上がる教会の雰囲気に気圧されるようにごくりを喉を鳴らし、近くの窓――劣化のためか少し割れている――から中を覗いているロザリーへちらりと視線を向けた。
「中はどう?」
「見た感じ誰も、何もいなさそうだねー」
「そっか……。一応、中も調べてみる?」
「もちろん!」
「だよねー……」
予想通りの返事が返ってきてうなだれつつも、仕方がないかと気を引き締めて両開きのドアのうち片方の取っ手を握る。
大きさに比べて意外と軽いドアをおもむろに引くと、ギギギッと軋む音が暗闇に木霊した。
「お、お邪魔しまーす……」
聖堂の中はステンドグラスから差し込む月明かりで薄く照らされており、手前には長椅子、最奥には祭壇が見える。
『懐中石灯』を持った手を掲げると舞い上がる埃がキラキラと反射する。
まるでこの教会が長らく使われていないことを物語っているかのようだ。
高い天井や聖堂の端の方へ『懐中石灯』を向けてみるが、古びた石造りの天井や壁、柱が見えるだけで特に何もない。
そうやってしばらく辺りを見回していると、ロザリーが私の隣からひょこっと顔を出した。
「やっぱり誰もいないねー」
「うん。この聖堂以外に別の部屋とかあるの?」
「右奥に一部屋だけあるよー。着いて来て」
ロザリーに案内されるがまま教会へ立ち入り奥へと進んでいく。
石造りの床を行くコツコツという足音だけが静かな教会に響き渡る。
突き当たりの祭壇を右へ曲がると、開きっぱなしのドアと、その奥に部屋が見えた。
私は『懐中石灯』を持つ手に力を込めつつ、ロザリーの後を追い掛けてドアを潜り抜ける。
物置程度の大きさのその部屋には、中央に小さなテーブルと、壁に備え付けであろう棚のみが残っており、他はもぬけの殻であった。
もちろん先に部屋に入っていたロザリー以外、誰の姿も見当たらない。
「ふう……」
一気に緊張が抜けたのか、思わず安堵の吐息が漏れる。
ロザリーが言うには部屋はここだけ――実際外から見た教会の大きさ的にも他に部屋はなさそう――なので、結局街で噂になっている幽霊はいなかったことになる。
恐らく遊びで忍び込んだ子どもとか、野良の動物か何かを見間違えただけなのだろう。
私はそう結論付けると、気を取り直して部屋の中を『懐中石灯』で照らして見渡してみる。
部屋には小さな窓が一つだけあり、そこから僅かに月明かりが差し込んできているようだ。
また、棚には薄く埃が積もっているのが分かる。
そんな部屋の中心で一人、ロザリーが物憂げな横顔を覗かせていた。
「どうしたの、ロザリー?」
「んー……ちょっと懐かしくてね。昔、ここは物置代わりになっていて、あの棚とかには教会で使う道具とかが入っていたんだ」
ロザリーは棚を指差した後、微かな笑いを浮かべる。
「まあ、大きな物は床に置いてあったし、小物も棚に入らなくなった分が木箱とかに詰めて置いてあったから、結構汚かったんだけどね」
「もしかして、この部屋に住んでたの?」
「そうだよ。このテーブルの隣にソファがあって、そこで寝起きしてたねー」
たまに私のベッドに潜り込んで来るが、ロザリーは基本的にソファで寝ていることが多い。
それを考えると、今も昔も大して変わらない生活をしていたようだ。
「あ、言っておくけど、もちろん当時いたシスターには許可を貰ってたよ?」
「あはは、さすがにそれは心配してないよ。……うん、心配してないよ」
「なぜ二回言ったし」
ジトッとした目を向けてくるロザリーから逃げるように私はすっと視線を逸らす。
一瞬、ちゃんと許可貰ってたんだと思ってしまったことは胸の中にしまっておこう。
ロザリーは「まーいいや」と小さく嘆息すると、改めて部屋の中を見渡すようにゆっくりとその場で回った。
「結局何もいなかったねー」
「そうだね。噂は噂ってことかな」
「ま、レティが怖がるところが見れたし、アタシは満足かな」
そう言ってからかうようにニヤニヤと笑うロザリーに、私は軽く頬を膨らます。
「もうっ! そういうこと言うと、置いて帰っちゃうよ?」
「わーっ、ごめんごめん!」
「しーらないっ!」
口角に出る笑みを隠すようにドアの方へ向き直り歩き出す。
ロザリーは私のすぐ後ろを飛びながら「冗談だって!」と必死に弁明している。
ドアを潜ったところで、さすがに可哀そうだし、冗談だよと言おうと顔だけ振り返り。
「……あれ?」
私たちの背後、部屋の中央にあるテーブルの上に、一匹のネコがちょこんと腰掛けていた。
しかし、窓は開いていないし、部屋の中には何もいなかったはずだが……。
疑問に思いつつも、隅にでも隠れていたのを見落としていたのだろうか、と納得しかけた時。
「お主たち、ここで何をしているのだ?」
――そうネコが喋ったのだった。




