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魂の器  作者: 菅 承太郎
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人外なる者

 美紀は、スタッフに成りすましてテレビ局のスタジオに来ていた。現在朝の連続ドラマの撮影中で、役で出演中の石原美里の様子を見ていた。

 撮影終わりで美里を捕まえ、事務所からの迎えと称して沖中美紀の車に乗せた。予め本人には渡辺から連絡をしており、美里は特に疑う様子も無く、車に乗り込んだのだった。

「お疲れ様です」美里は明るく屈託の無い笑顔で美紀に挨拶した。

 美紀は無言で応え、車は高速に乗って走った。暫くして美紀が切り出した。

「あなたのお父さん、肺がんらしいわね」

「え?」少し美里は驚いた。

「手術の費用五千万、私が用立てましょう。その代わりあなたにやってもらいたいことがあるわ」

「どういうことです!あなたは事務所の人じゃないわね」

「詮索はしないで。あなたはYESかNOを答えればいいわ」

「…」美里は美紀の持つ迫力に気おされて押し黙った。

「私の見たところ、あなたのお父さんは持ってあと一年ね。早く手術を受けないと、他に転移して手遅れになるわ」

「……」美里にもそれは医師から聞いて分かっていた。

「はい、五千万」美紀は足元からアタッシュケースを取り出して開け、現金を美里に見せた。

 美里にとっては喉から手の出るほど欲しい金だった。

「何をすればいいんですか」

「ストラトキャスターの桜野翔、彼を色仕掛けで陥落して、こっちの事務所に移籍するように仕向けて頂戴。大まかだけどシナリオはこっちで用意するわ」

「そんなこと…。私できません」

「ならこの話無かったことにするのね。そうそう、離婚なさったあなたのお母さん、付き合ってた男に捨てられて借金に苦しんでるそうよ。どうやら悪い男だったみたいね。じきにあなたのところにお金の普請に来るんじゃないかな。三百万」

「ど、どうしてそんなことまで…」

「どうする?」美紀はニヤリと笑い決断を迫った。

 美里は、事務所にも明らかにしていなかったが、実は桜野翔と同じ事務所の宮田一也みやたかずやと恋人関係だった。仕事で共演することも多いため、一也に知れてしまう可能性が高い。そう思った美里は逡巡したが、父源二の手術は一刻も早く行なわなければならない状況を考えると、悪魔の囁きに耳を傾けるしかなかった。

「分かりました…」

「そう。賢明ね。じゃあ週明けの映画の共演を使って、早速やってね。はい、これ」

 美紀は携帯電話を一台、美里に渡した。

「連絡用。五千万はこのまま持ってく?」

「口座に振り込んでください」

「分かった。じゃあこのまま事務所に送るわね」

 黒塗りのセダンは、南青山の事務所に乗りつけ、美里を下ろして走り去っていった。


映画のクランクイン以降、石原美里は桜野翔を何度か食事に誘って、次第に親しくなっていた。現段階は仲の良い友達というレベルか。

「ねえ、翔君。私たち、付き合わない?」

「え?」翔は驚いた。

「でも翔君にも彼女いるよね」

「いや、いなけど…」

「それとも、私じゃ駄目かな…」可愛さと美しさの同居する美里の上目遣いに、世の中でメロメロにならない男はいないと思われた。

「でも美里ちゃんは、彼氏いるみたいなこと週刊誌に書いてあったよ」

「あれは…。単なる噂」美里の脳裏には宮田一也の顔が浮かんだが、辛うじて押し殺して笑顔で答えた。

「分かった。じゃあ、友達から…」翔の脳裏にも濱崎綾子の顔が浮かんだが、所詮は高嶺の花だと割り切って美里との交際を始めることに決めた。

「うれしい」美里の目に光ったのは、喜びの涙ではなく、一也との間が終わった事ことへの悲しみの涙だったことを桜野翔は知らない。

 以来、二人の仲は親密になっていったが、会うのは休みの日だけで、お互いどちらかのマンションに限り、二人で外出すらしなかった。事務所にも知られないように厳重に警戒して連絡するのにも気を使い、自宅に帰るまではメールすらしない徹底振りだ。

 ある日、桜野翔のマンションに沖中美紀が現れた。部屋には当然石原美里もいる。

「話があるの、セキュリティ解除してくれない?」テレビモニターに映った美紀を確認して、追い返そうと思って居留守を使った。

「美里もそこにいるでしょう。彼女にも関係のある話よ」

 桜野翔は美里の名前を出されて焦ったが、美里の顔色が真っ青になったのを見て、仕方なくセキュリティを解除した。

「話って何ですか。移籍の話なら断った筈です」

 翔は、単独で来た美紀を部屋に招き入れてそう言った。

「実はね、美里には肺がんにかかって命が危ないお父さんがいるわ」

 翔は美里の父のことは聞かされていなかった。

「早く手術しなければ手遅れになる。そこで今すぐ手術費用に五千万必要よ」

「ご、五千万円!」

「そう、可哀相に思った黒田社長は、五千万用立ててもいいと言っているわ。でもそれには条件がある。美里がさる大物政治家にその身を差し出すことよ。事務所には興行に大きな利益がもたらされることになる。簡単に言えば、色ボケ政治家のじじいに抱かれろってことよ」

「何だって!本当なのか美里?」

 美里は下を向いて黙っている。その様子を見た翔は、本当のことだと理解した。

「そこで、桜野翔。黒田社長はあなたが移籍することによって、五千万美里に出してもいいと言っているわ」

「あんたが言ってた移籍の話はレスポールエンターテイメントの話だったのか。卑怯な…」

「あなたの恋人が困っているわよ。さあどうするの?」

「く、くそ」

 翔は葛藤した。まさに究極の選択を迫られている。長い時間が流れた。

  もう、おちるわね…。チョロいわ 美紀がほくそ笑んだ。

「わ、分かっ…」翔がそう返事をし掛けたとき、誰もいない筈の隣の部屋から声がした。

「駄目よ。翔」

 三人が声の方を見、ドアがゆっくりと開いていく。

「綾子さん」翔がそう呼んだとき、もう綾子はこっちへ近づいてきた。

「誰?」美紀は訊いた。

「私はこの翔のマネージャー、濱崎綾子。しばらく成り行きを見守ってたけど、なかなかの小悪党ぶりじゃない。沖中美紀さん」

 美しきマネージャーは、黒いスーツ姿で微笑を絶やすことなく美紀に言った。

「何故私の名前を」

「どうでもいいじゃない。ところで翔、あなたはこの二人に騙されているわ。肺がんのお父様の話も、五千万必要なことも本当だけど、目的はあくまであなたを引き抜くこと。そのために石原美里はあなたに近づいたのよ」

「本当なのか美里!」

「……ごめんなさい」美里は観念した。

 美里がそう言ったとき、綾子が手を前にかざした。

 それをきっかけに部屋の照明が全て消え去り、四人は暗闇に包まれた。

「何!どうしたの?」美紀が叫んだ。

 次に美紀と美里の耳元で聞こえたのは、綾子の囁きだった。

「あなたたち、邪魔。こっちに来てもらいましょう」

 美紀と美里の身体が黒い風に包まれて、一瞬のうちにその場から消えた。

「翔…。可哀想に。記憶を消すからゆっくり休みなさい」とんっと指で翔の額を突いて、その場に昏倒させた。

 次の瞬間、綾子の姿も黒い風に包まれて消えた。

 黒い風によって工事現場に運ばれた三人は、その場に対峙した。

「お前は一体…」美紀は人ならぬ者と遭遇した驚きと恐怖に、ようやく声を出した。

「私はあなたたち人間が悪魔と呼ぶ存在。ここ五百年は人間の世界にいて、人とのしがらみを楽しんでいるの。地元での魂の管理に飽きてね。休憩がてらこっちに来てるのよ。彼らは私の楽しみの一つなの。ちょっかいを出す者は消えてもらうわ」

「あ、悪魔って、嘘でしょ。そんなの漫画の中の話よ」美里も気が動転している。

「そう、みんな嘘って言うのよ。だって見た者はそれを誰にも語ることはできないから」

 次の瞬間、美紀と美里は心臓を握られ一瞬で絶命した。

「ベリアル」

 綾子の後ろから声がした。松木潤一がそこに立っていた。

「フォルネウス、いや潤一。その名前で呼ぶな」

「そうだったな、姉貴。悪魔が人間を殺すことは禁じられている。二人の魂はその寿命まで隠しておけ」

「分かっている」

 そう言うと、二柱の悪魔はまたしても黒い風を纏ってその場から姿を消した。


「畦地。ちょっと」

 沖中美紀刺殺殺人事件の捜査に行き詰っていた畦地は自席で、直近でヘッドハンティングによって移籍したと目される人物の検索に当っていた。畦地を呼んだのは同期の巡査だ。

「なんだ。今忙しいんだ」

「捜査行き詰ってるんだろう。いい話をもってきたぞ」

「だから今忙しいんだって」

「石原美里、お前ファンだったろ?」

「え!石原美里?」畦地は里美のデビュー当事からの大ファンだった。

「そうだ。実は所轄の同期から聞いたんだが、彼女行方不明で捜索願いが出てるって」

「何だって?」慌ててヤホーニュースを見た畦地は、ガセネタでないことを確認した。

「俺も捜索に加わる」

「え?だってお前忙しいって言ってたろ」

「何にでも例外はある」

「警部の許可はいいのか」

「秘密、秘密ー」畦地は鉄砲玉のように本庁を出た。

 南青山にある、レスポールエンターテイメントに到着した畦地は、警察手帳を見せてフリーパスで事務所に入った。刑事になった畦地が向山の下で働いているのは、このKYとも呼べる行動力にその理由があった。

 畦地は、事務所の事務員などに聞き込みをしても、無駄であることを予想して、直接社長室の前に抜き足差し足で行き、ドアに耳を当てて話を盗み聞いた。

聞こえてきたのは二人の男の声だった。

「失敗したのか」黒田は渡辺に訊いた。

「分かりません。依頼したヘッドハンターに連絡が取れないんです」

「利用した石原美里はどこに消えた」

「沖中美紀ともに行方不明です」

「うーむ」

 畦地は驚いた「沖中美紀だと」彼女は死亡したじゃないか。

「とにかくお前は、引き続き桜野翔の引抜を継続しろ。いいな」

「分かりました」そういうと渡辺は部屋を後にした。

 ドアの影に隠れた畦地は、暫く身を潜めていたが、来たときと同じようにしれっと事務所を後にした。

「警部に報告しなければ…」畦地はいつもの飄々(ひょうひょう)とした雰囲気を引っ込めて警視庁に帰った。


「何ですって!」

「はい、間違いなくこの耳で聞きました」畦地は向山に立ち聞きした一部始終を報告した。

「双子の姉妹じゃなければ、その沖中美紀は何者?」

「例の事務所のヘッドハントの依頼の話しは時系列から推測して、昨日今日の話です。三つ子とか…」

「三つ子か…。イタリアの沖中直美の死亡記録は確かなの。どうも外国の情報はこの目で確認できないため、確信が持てないわ」

「そう思って、当時のイタリアの新聞のコピーを取り寄せてます」

「畦地にしては仕事が早いわ」

「にしてはって何ですか。これでもこの事件を真剣に追っているんです」畦地が珍しく憤慨した。

 向山は無視して、新聞のコピーを見た。向山はイタリア語が読めるらしい。

「なるほど。死亡記事は本物のようね。やっぱり三つ子説が有力か…」

「で警部。石原美里の行方不明の件、絡んでるのはストラトキャスタープロダクションのようでして」

「え!桜野翔君の事務所なの?それを早く言え!」

 向山は意外とミーハーだということを畦地は熟知していた。

「行くわよ」

 二人は、スーツの上着を手にとって二つの鉄砲玉となった。

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