美紀の蠢動
沖中美紀は、南青山まで来るとスマホを取り出し、渡辺の番号を押した。すぐに出た。今から事務所前まで行くと告げ、黒塗りのセダンで渡辺を拾った。
車は、サングラスに黒スーツの男が運転しており、窓にはスモークが貼られて中は見えないようになっていた。美紀の「適当に流して」の指示に黙って応じた運転手は、そのまま車を走らせた。
「詳しく訊きましょうか」美紀は渡辺に切り出した。
「彼は平気か…」渡辺は運転手をちらっと見た。
「ああ、彼なら平気よ。私が雇った運転手兼、ボディーガード。最近物騒で…。口の堅さも契約の内だから」
「そうか。ターゲットは桜野翔。何としてもお願いしたい」
渡辺はカバンから、写真付の書類を取り出し美紀に渡す。
「今をときめく、アイドルね。可愛い顔しちゃって」
「ご希望の手段は?」
「特に無いが都合の悪いものはこちらから回答する」
「そう。……」美紀はモバイルパソコンを取り出し、二十秒ほど何かを確認した。
「ストラトキャスタープロダクション。年間売り上げ六十億円。メインバンク、東都第一銀行。これを見る限り完全な黒字ね。会社ごと買収するのは無理でしょう」
「どちらかと言うと、合併を仕掛ければわが社が飲み込まれそうな感じだ」
「後は、給与面で引き抜くか。でなければ本人の意思の問題ね。いくらまでならOK?」
「この業界の相場を基準として、五割増までだな」
「了解。金で動かなければ次の手ね。でも私に依頼する時点ですでに金の問題じゃないでしょう?」
「その通りだ。おそらく彼は金では動かない」
「一応、最初はセオリー通り当って見ましょう。ところで今後、御宅のところの女優と、彼が共演する映画かドラマの話はある?」
「映画の話が一つある。相手は石原美里だ」
「彼女に恋人は?」
「はっきりしたことは分からない。だが事務所から訊いても肯定も否定もしていないので、いると思う」
「映画のクランクインはいつ?」
「来週だ」
「それを使おう。彼女のデータを頂戴」
渡辺はカバンからノートパソコンを取り出すと、極秘資料を表示させた。自分のところの所属タレントの個人情報だ。
美紀は、SDカードを渡辺に渡すとデータを移して再び受け取った。
「何をする気だ」渡辺が不安な表情で訊いた。
「御宅のタレント一人、人身御供に出してもらうわ」
「…。やむをえん」
「期限は?」
「なるはやだ」
「了解」
車は、南青山に再び戻ると、事務所から少し離れたところに停車し、渡辺を下ろして走り去った。
渡辺は、さっきパソコンを開いた拍子に見えたヤホーニュースを再び確認し、中目黒の刺殺事件を読んだ。
「彼女は何者だ」そう呟くも、後ろ暗い事を依頼する相手の身の上など、どうでもよいと思った。
事務所に帰り、自分のデスクに戻った渡辺は、携帯を取り出して、濱崎綾子の番号を押す。
「はい。濱崎です」
「すみません。レスポールの渡辺です。この間のお話、いかがでしょうか」
「大変申し訳ありません。検討はしましたが、わが事務所の方針としまして、お断りいたします」
「…。そうですか。またご連絡します」
「失礼します」
渡辺は、そう言って電話を切ると、美紀の番号を押した。
「会社側での交渉は案の定決裂した」
「分かった。行動に移る」美紀の返事を待って電話を切り、渡辺は社長室へと向かうため踵を返した。
現場を数箇所廻ったRVの車両は、タレントの宮田一也、松木潤一、大崎諭、それに桜野翔と濱崎綾子を乗せて高速道路を走っていた。
「今日の現場の弁当くそ不味かったー」
「こっちも」
「ケータリングだったんだけど、俺の嫌いなもんばっか」
「俺はそうでもなかったけどな」
口々に不満を漏らすアイドルたちは、綾子を見た。
「ねえ、綾子さん。前にみんなに弁当作ってくれたじゃん。また作ってよ」諭が綾子に言った。
「そうそう!綾子さんの手料理最高!」翔が絶賛した。
「だめよ。用意してくれる現場のスタッフさんに悪いでしょ。それにそんなに暇じゃないの」
綾子は笑顔で嗜めた。
「松木はいいよな。毎日綾子さんの手料理が食べられるんだろ?」
「別に…」松木潤一はクールにキメめている。
綾子と松木潤一は、姉、弟の姉弟だ。同じ住まいに暮らしている。
「何気取ってんだよ、俺と綾子さんが結婚すりゃ、お前は弟だ。俺が教育してやる」
桜野翔が潤一のほっぺをつんつんと突きながら、とんでもない事を口にした。すかさず大崎諭が反論する。
「何言ってんだ!綾子さんをゲットするのは俺だ」
「バーカ。お前なんか相手にされねーよ」
あと一歩で掴み合いの喧嘩が始まろうとしている。
「こらー。喧嘩しないの。もうしようが無いわね。次だけお弁当作ってあげるから」
「やったー」二人は大喜びだ。
「いいの?」宮田一也は遠慮しながら訊いた。
「いいわよ」
「ありがとう。俺もうれしい」
濱崎綾子のアイドルたちを見守る目には、優しさが溢れていた。
「姉貴がこいつらの誰かと結婚?魔王の方がまだましだ」にやりとした松木潤一だけがそう呟いて、車は椎葉雅道を回収するため、次の現場へと向かった。
取調室から出てきた向山と畦地は、黒服の男たちの取調べを終えていた。
「警部。結局手がかり無かったですね。あの男たちは単にあのマンションに侵入するものを排除するだけの番犬でしたし」
「雇い主が死んだことも知らなかったようね」
取調べでは、男たちは日ごろ沖中美紀の部屋の隣の部屋に常駐し、何かあれば対応するために美紀に雇われた用心棒であったことが分かっている。身元は元用兵や武術家だった。「しっかし、あんな男たちを相手に、警部って、本当に強いですね」畦地が他人事のように賞賛する。
「あんたがアンパンなんか食ってるからでしょう」
「警部も食ったくせに…」
「…。畦地も鍛錬しなさい。いざとなったら暴漢に立ち向かうのは本来男子の役目でしょう」
「無理、無理、無理、無理、無理!」畦地は手を顔の前で高速で振って力の限り否定した。
「何で五回も言うのよ。とにかく捜査は振り出しね」
「どうします?」畦地が訊いた。
「イタリア大使館からの返事は?」
「まだです。でももうそろそろ…」
畦地がそういったとき、婦警から「畦地刑事、イタリアから国際電話です」と告げてきた。噂をすればシャドーだ。
畦地は少し電話で話していたが、驚きの表情をしたと思ったら、話を終えて戻ってきた。
「どうだったの?」向山が訊いた。
「警部。沖中直美は…。すでにイタリアで死亡したそうです」
「なんですって!死亡?」
「はい、もう二ヶ月も前に」
「今、イタリアからメールが来ます」
畦地は、自席のパソコンをカタカタと打ち、マウスをクリックした。
「メールに添付ファイルがあります」
そこには、沖中直美の顔写真が貼られていた。
「こ、これは!」二人は驚いた。
そこには、沖中美紀と同じ顔があった。
「双子?」
「らしいわ」
「死亡か…。死因は交通事故となっています」
「……。手がかりは完全に無くなったわ」
「警部。迷宮入りですかねぇ。どうする、警部向山!」畦地は右手の人差し指で、びしっと向山を差して訊いた。
どぼっ! 畦地は今度は反対側のわき腹に鈍い痛みを感じて悶絶した。
「さて、どうする…」向山は悶絶する畦地を横目に、天を仰いで呟いた。
夜十二時、事務所の送迎車両が、とあるマンション前に止まり、一つの人影を下ろした。桜野翔だった。
翔は、送迎車を見送ってマンションに入ろうとしたとき、マンションの柱の影からする声に呼び止められた。
「桜野翔さん」
「誰?」
柱の影から沖中美紀が出てきた。
「私は沖中美紀。あなたを某事務所へ移籍させたい」
「藪から棒に何を…」
「結論から言うわ。今の待遇の五割増で迎える用意があるわ」
「…。事務所を通してください」
「事務所との交渉は決裂。だからこうやって直接交渉しに来たわけ」
「……。その気はありません」
「お金じゃ動かない?」
「ええ。俺は今の事務所が好きなんです。どこにも移るつもりはありません」
「そう。分かったわ、また来る。ところであなた恋人はいるの?」
「ノーコメントです」
「ふん…。まあいいわ」
そう言うと美紀はあっさりと引き上げた。美紀の後には黒服の男が二人従っていた。
都内にある帝大中央病院に入院する、石原源二の部屋に沖中美紀は現れていた。
「そうですか、美里のお友達ですか」
「いえ。お友達というより、今付き人見習いとしてお世話させてもらってます」花束と果物の籠を抱えた美紀は、嘘をついて病室に入り込んだ。
「美里さんは、今度映画のヒロインに決まったんですよー」
「そうですか。うれしい限りです」
「忙しいので代わりにお見舞いに行って欲しいとの事でしたので、私が来ました」
「そうでしたか。いや、ありがとう。美里は元気でやってますか」
「はい。お父様こそお加減いかがですか?」
「どうやら手術をしなければならんようです。肺がんでしてね。医者が言うにはかなり難しい手術らしくて」
「そうでしたか。この病院の先生では難しいのですか?」
「ええ。アメリカから医者を呼び寄せればならんそうです。それにはだいぶ金がかかりましてね。だから美里は女優としてがんばって手術費用を稼ぐんだと言ってくれているんです。だが無理はして欲しくない…」
美紀はハンカチで目を押さえて話を聞いていた。
「因みに手術費用はいくらかかるのでしょう」
「五千万円です」
「そんなに…。わたしは何の力にもなれませんが、上手く行くように祈っています」
美紀は病室を後にして、目薬をポケットに仕舞った。
「五千万ね…」
不適な笑みを浮かべた美紀は、スマホを取り出してどこかに電話をかけた。




