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~ 逢魔ヶ刻  正夢 ~

我は汝に、私と同じ姿をした人間を泥から作り出すように言っただろうか。

我は汝に、暗闇から救い出すようそそのかしただろうか。


                          メアリー・シェリー著 『フランケンシュタイン』より

 暗い、光の届かない世界を、天倉癒月あまくらゆづきは走り続けていた。


 自分はなぜ、こんなところを走っているのだろう。それ以前に、この場所はどこで、自分はいったい何者なのだろう。


 疑問は次から次へと湧いてきたが、その答えを自分の中に見つけることはできなかった。自分の正体、目的、その全てを知るよりも先に、身体の方が動いている。まるで、自分の身体が自分のものではないかのように、彼女の足は勝手に走り続けることを止めなかった。


 ざく、ざく、という、何を踏みつけるような音が耳に響く。踏んでいるのは、木の葉だろうか。しかし、彼女の目にそれは映らない。


 足を前に出すたびに、自分の腕に何かが触れた。それは草の葉か、それとも何か得体の知れない別の物なのだろうか。腕に物が触れた感覚はあるのに、それが何なのかは分からない。


 走れども、走れども、目の前に広がるのは闇ばかり。右も左も分からないまま、癒月はひたすらに走り続ける。


 どれほど走ったのだろうか。気がつくと、目の前には自分と同じくらいの年齢の少女が立っていた。その目は何かに怯え、竦んだ足が小刻みに震えている。許しを乞うような言葉を口にしているようだが、何を言っているのか、はっきりと聞き取れない。


 自分は、この少女を追って来たのだ。なぜだか知らないが、そう思えた。永遠に闇の中を彷徨うものだと思っていたが、ここにきて、ようやく人間に出会えた。


 では、自分の中に渦巻く、この妙な不安感はなんなのだろう。目的の少女に出会えたというのに、今すぐ彼女の前から立ち去らねばならないという衝動に駆られる。まるで、二人が出会うのは罪であるかのように、自分はこの少女の前にいてはいけない気がしてならない。



――――逃げて!!



 自分でも、なぜそんなことを口走ったのかは分からなかった。ただ、そう言わねばならないと思ったからだ。だが、それでも少女は震えたまま、その場を立ち去ろうとはしない。


 次の瞬間、自分の手が大きく上に振りかぶられ、それが少女の頭に振り降ろされた。ゴスッ、という鈍い音がして、少女の身体が大きく後ろに倒れる。


 気がつくと、少女は既に死んでいた。自分の手に残る、生々しい感触。いつのまにか、その手には血の付いたハンマーが握られている。


 目の前の少女を、自分が殺した。なぜ、そんなことをせねばならなかったのか。なぜ、止めることができなかったのか。なにもかもが分からないまま、癒月は茫然とその場に立ちつくす。


 ここにいるのは自分ではない。この身体は、自分の物であって自分の物でない。


 矛盾した考えではあるが、今の癒月にはそう思えた。思えば、闇の中を走り続けていた時から、自分の意思で身体を動かせた試しがない。


 頭から血を流し、大きく白目を剥いて倒れている少女。これ以上、もう見ていたくはない。一刻も早く、この場から立ち去ってしまいたい。


 しかし、そんな癒月の考えとは反対に、闇の中の自分は、少女にゆっくりと近づいて行った。ハンマーを投げ捨て、その手を少女の頬にそっと伸ばす。


 今しがた亡くなったばかりだというのに、少女の身体は妙に冷たかった。闇の中の自分は、そのまま少女の皮膚をそっと摘まみ上げる。


 べりべりと、何かの剥げるような音がして、少女の皮膚が無残にも剥ぎ取られた。思ったよりも血は出なかったが、その向こう側から顔を出した筋肉を見ただけで、思わず卒倒しそうになる。



――――もう止めて!! どうして……どうして、こんなことをするの!?



 そう、口では叫んでいるつもりだったが、やはり声が出ない。自分の意思とは反対に、少女の皮を剥いでゆく自分がいる。


 見ているだけで、気が狂いそうだった。目を閉じることも、声を上げることもできず、目の前で行われる惨劇を見せつけられるという状況。胃の中の物を吐き戻したい衝動に駆られるが、それさえも叶わない。


 やがて、少女の顔の皮を剥ぎ終わると、闇の中の自分が満足そうに笑った。そして、剥いだ皮の中から形の良い一枚を選ぶと、それをべったりと自分の頬に貼り付けた。


 むせ返るような血の匂い。死体の皮膚が持つ生々しい感触。それらが実にリアルに伝わって、癒月は今度こそ悲鳴を上げた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「きゃぁぁぁぁっ!!」


 悲鳴と共に、癒月は勢いよく飛び起きた。


 気がつくと、そこは自分の部屋だった。思わず自分の頬に触れてみたが、当然のことながら死体の皮などついていなかった。


 安堵のため息をつき、ほっと肩を撫で下ろす癒月。随分と眠っていた気がするが、それにしては疲れが取れた気がしない。きっと、あの妙な夢のせいだ。


 殺人鬼となった自分が、顔も知らない少女を殺害して死体を切り刻む。最近になってから、癒月は頻繁にその夢を見るようになった。特にホラー映画や心霊番組の類を見た記憶もないというのに、まったく気味悪いことこの上ない。


 眠たい目を擦りながら、癒月は枕元にある目覚まし時計を手に取った。その途端、癒月の顔が先ほどの夢の内容とは別の意味で、みるみる青ざめてゆく。


「いけない! 今日、まだ金曜日じゃない!!」


 時計の針は、朝の七時を少し過ぎたところを指している。癒月の家から学校までは、歩いて三十分ほどの距離だ。急げば遅刻する心配はないが、そうのんびりもしていられない。


 慌ててベッドから飛び出すと、癒月はパジャマを脱ぎ棄ててクローゼットの中にある制服を引っ張り出した。タンスを開けて一番上にあった下着も引っ張り出し、手慣れた様子で身につける。上下で色もデザインもちぐはぐな組み合わせになったが、今は気にしている場合ではなかった。


 シャツのボタンを留め、ブレザーを羽織ながら、癒月は家の階段を駆け降りた。そのままリビングに飛び込むと、なにやら香ばしい匂いが漂ってくる。


「おや、癒月。ようやく起きたのかい?」


 見ると、そこにはコーヒーを入れている父の姿があった。テーブルの上には焼けたトーストも置かれている。どうやら、一足先に起きた父が、朝食の用意をしてくれていたようだった。


「もう、お父さんったら! どうして、起こしてくれなかったのよ!?」


「ごめん、ごめん。癒月があんまりよく寝ているようだったから、起こすのが可哀想になってね。でも、代わりに朝ごはんの準備はしておいたから、それで勘弁してくれよ」


 口ではそう言いながらも、癒月の父はなんら悪びれた様子もなく笑っていた。どうにも怒りのやり場がないが、これもいつものことである。


 気にしていても始まらないため、癒月はさっさと洗面台で顔を洗うことにした。早朝から、父と下らない痴話喧嘩をしても何の得もない。それに、癒月にとって家族と呼べる存在は、今は父くらいしかいないのだから。


 癒月の父、天倉啓輔あまくらけいすけは、今でも現役で活躍する優れた医者だ。本業は外科医だが、場合によっては内科もやる。こと最近は、年寄りの患者が増えたために、内科医として仕事をすることが多かった。父曰く、「腹痛の患者に薬を飲ませるくらいであれば、自分にもできる」とのことである。


 年齢問わず、常に患者のことを第一に思い、仕事一筋で生きて来た父。だが、それ故に、母親との関係は上手くゆかなかった。仕事ばかりで家庭を顧みない父に愛想を尽かし、癒月がまだ幼い頃、彼女の母は家を出て行った。自分以外には兄弟もいなかったため、以来、癒月は父と一緒に二人暮らしを続けている。


 一通り髪を梳かし終えたところで、癒月は小さな溜息をついた。


 先ほどは勢いに任せて怒鳴ってしまったが、癒月にとって、父はたった一人の家族である。妙な夢のせいで疲れていたとはいえ、朝から八つ当たりをするのはさすがに酷かったのではないか。


 気まずい空気のまま、癒月は再びリビングに戻った。父は機嫌を損ねているかと思ったが、その顔を見る限りでは、特に心配はないようだった。


「どうした、癒月。私の顔に、何かついているかい?」


「ううん、別に。それと……さっきはごめんなさい」


「なんだ、そんなことか。私は特に、気にはしていないよ」


 父の口から直接告げられて、癒月は改めて安心した。仕事に対しては厳格だが、癒月に対しては優しい顔しか見せることはない。


「それよりも、癒月も早く食べた方がいいんじゃないか? 今日は、まだ学校があるんだろう?」


「うん。それじゃ、いただきます」


 トーストをかじると、バターの味に混ざって、少しだけ焦げた匂いが口に広がった。父の焼いたトーストは、どうやら少し焼き過ぎだったらしい。


 焦げたパンを流し込もうと、癒月は近くにあったコーヒーカップを手に取った。そのまま中身を口にしたが、先のパンよりも強い苦みが舌を襲い、あやうく吹き出しそうになった。


「うっ……。苦っ……!!」


「おいおい。それは、まだ砂糖もミルクも入れていないやつだぞ」


「そ、それを早く言ってよ……。私がブラック苦手なの、お父さんだって知ってるでしょ……」


 口元を押さえて、なんとかコーヒーを飲み込んだ。自分で言うのもなんだが、癒月は大の付くほどの甘党だ。


 コーヒーは嫌いではなかったが、それでもミルクと砂糖をしっかり入れなければ口に合わない。ましてや、ブラックのコーヒーなど癒月にとっては毒物と同じである。


「はぁ……。寝坊はするし、コーヒーは苦いし……。今日は、朝からついてないなぁ……」


 父親から渡されたコーヒーミルクを注ぎ、癒月はカップの中身をスプーンでかきまわした。スティックシュガーは、既に三本は入れている。このくらい使わなければ、彼女にとってコーヒーは飲み物としての役割を果たしてくれない。


 項垂れたまま、コーヒーカップを口につける。ミルクの香りと砂糖の甘さが口に広がった。


 やはり、朝のコーヒーはこうでなくてはならない。焦げ目の強いトーストにも、側にあったブルーベリーのジャムを塗りたくる。塊を山のように盛っているのを見て父が目を丸くしていたが、癒月は別に気にしない。


 甘い物は、女子にとっては精神の栄養素だ。太るだの何だのと言って、あれこれと我慢する方が身体に悪い。


 ふと、テレビに目をやると、そこでは朝のニュースがやっていた。画面の向こう側では、相変わらず政治家達が互いに責任のなすり合いをやっている。報道陣に囲まれている時はのらりくらりとした返事で曖昧にかわすくせに、いざ国会で相手に意見を言う時は、ここぞとばかりに叩きまくる。


 まったくもって、情けないと癒月は思った。これならば、自分のクラスのホームルームの方が、まだ紳士的に話し合いをしているような気がする。高校生の学級活動よりも程度が低く見える国会というのは、一国の議会の在り方としてはどうなのだろうか。


「朝っぱらから、相変わらずくっだらないわねぇ……。もうちょっと、マシなニュースやってないのかしら」


 手元にあったリモコンを取り、癒月はうんざりした様子でチャンネルを変えた。他の局でもニュースをやっていたが、先の政治家の話とは違い、今度は何やら強盗や傷害、殺人などといった事件を扱っているようだった。


≪では、次のニュースです。昨晩、N県火乃澤町の山中で、女性のものと思しき遺体が発見されました≫


「やだ! 火乃澤町って言ったら、この町じゃない……」


 チャンネルを変えるなり飛び込んできたアナウンサーの声に、癒月は思わず反応して言った。死体が発見されるニュースなどは別に珍しい物でもないが、その発見現場が自分の住んでいる町となれば、話は別だ。


 死体が見つかる話など、どこか遠くの町で起こっている現実味のない話だと思っていた。それが、自分の町で起きたというだけで、こうも不気味なリアリティを持って迫って来るのだから不思議である。


≪遺体は今月の初めより行方不明になっていた県内の女子高生、佐藤美奈子さんのものと思われ、警察の調べでは、死後二週間ほどが経過しているとのことです≫


「女子高生って……。まさか、うちの高校の生徒じゃないわよね……」


 火乃澤町には、癒月の通う県立の火乃澤高校以外にも、いくつかの高校がある。この情報だけでは自分の高校の生徒が被害に遭ったとは言い難いが、それでも気味悪いことには変わりない。


 同年代の少女が、自分と同じ町で死んだのだ。これで平然とした顔をしていられる方が、よっぽどどうかしていると癒月は思った。


≪美奈子さんは、今月の初めから行方不明になっており、家族からは捜索願が出されていました。発見された際、美奈子さんの頭部に激しい損傷が見受けられたため、警察では美奈子さんが、何らかの事件に巻き込まれた可能性があると見て、捜査を続けています≫


 画面の向こう側では、アナウンサーが淡々とした口調で事件の詳細を語っている。人が死んだというのに、そこには追悼の意思のようなものは感じられない。まあ、実際に他人の訃報の記事を読むたびに感情的になっていては、とてもではないが、アナウンサーなどやっていられないのかもしれないが。


 画面が切り替わり、遺体の発見現場の様子から一転して、最後は被害者の名前と顔写真が映し出された。年齢を見ると、まだ十六歳。癒月と同じ歳であり、恐らく学年も一緒だろう。


 少女の顔は、火乃澤町の人間にしては少々派手な印象を受けた。都会派と言えば聞こえはいいのだろうが、要するに遊び人の顔である。もっとも、癒月の学年にも同じような恰好をした人間が全くいないわけではないため、あまり違和感は感じない。


 いつもであれば、「可哀想……」の一言で終わってしまうであろうニュース。しかし、今日に限って、癒月にとってそのニュースは、極めて特別なものだった。


「う、嘘……」


 画面に映し出された少女の顔写真を見た瞬間、コーヒーカップを持つ癒月の手が小刻みに震えた。慌ててカップをテーブルに置かなければ、辺りに中身を撒き散らしていたかもしれない。


 画面の向こう側で、生前に友人に見せていたであろう笑顔を振りまいている一人の少女。その少女の顔に、癒月ははっきりと覚えがあった。


 朝方、自分がうなされることになった、あの悪夢。殺人者となって少女を追い詰め、最後はその少女を殺して皮を剥ぐ。思い出すだけでもおぞましく、今しがた胃に入れた朝食を吐き戻しそうになる。


 自分の目の前で、頭部にハンマーを振り下ろされて絶命した少女。糸の切れた人形のように倒れ、最後は顔の皮を無残にも剥ぎ取られる。その少女の顔こそ、テレビ画面に映っている被害者、佐藤美奈子のものに他ならなかったのである。



挿絵(By みてみん)

 本作品は一部に暴力的な表現を含みますが、これは作中の暴力行為その他を推奨するものではありません。


 また、一部の人間が差別的な考え方に囚われて非道な行いを働いたり、それらの人間が法ではなく、個人の意思や超常的な存在によって裁かれる描写が存在します。

 これらの描写に対して政治的道徳観、及び宗教観から不快な思いをされる可能性がある方は、これより先の内容を読むことを控えるようお勧めいたします。

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