~ 壱ノ刻 夜祭 ~
十月の異称は神無月という。年に一度、日本全国の神社に祭られる八百万の神が、出雲大社に集まって話し合いをするとされている月だ。そのため、十月の間は諸国の神社で社が空になり、故に神のいない月、神無月と呼ばれるようになったという。
ちなみに、出雲では十月の異称を神在月としている。年に一度、大勢の神が集まる月なのだから、この呼び方は正しいものと言えよう。
とにもかくにも、十月は神のいない月。実家が神社である九条照瑠にとっても、それは当り前の考え方だった。大抵の場合、秋祭りなどが九月に行われるのも、翌月は神が社にいないからである。
先月の秋祭りの際は忙しい思いをしたが、今月は参拝客も少なかった。もうじき十月も終わろうとしている今、改めて今月のことを振り返ってみる。
思えば、神社の境内を掃除する以外、特に家の仕事がなかった。家の周りがいつも以上に静かだったというのは、決して気のせいではない。
十月は、九月に比べて静かな月。本来であれば、そう考えるのが普通である。が、現代においては、必ずしもその考えは当てはまらないこともある。
家の仕事は少なかったが、十月は別の意味で祭事が多かった。照瑠の学校でも当然のように文化祭はあったし、今では外国の祭りが日本の文化に溶け込んで、新たな祭事を生み出している。
ハロウィン。本来はケルト人のサウィン祭と呼ばれるものが原型だったが、アメリカに渡ってから今のようなスタイルになったらしい。要するに、仮装して街を練り歩き、近所の家に菓子をねだるというものだ。ちなみに、カボチャのランタンを使うのもアメリカ式で、本来はカブだったらしい。
その日、照瑠は友人の嶋本亜衣に連れられて、町の公民館を訪れていた。いつもであれば老人会の寄合くらいにしか使われない場所だが、今日に限って公民館のホールは賑やかだった。
「それにしても、まったく凄い熱気ね……。子ども会のパーティーって言われてたから、甘く見てたわ……」
額の汗を拭きながら、照瑠がぼやく。その恰好は、家の仕事を手伝う際にまとう巫女の衣装そのままである。
「まあ、小学生はいつの時代も元気だからね。今日のハロウィンパーティーも、照瑠達が手伝ってくれなかったら、いくら私でも参ってたよ」
「手伝うっていうよりも、そっちが強引に参加させたんじゃない。それに、私は亜衣が青年ボランティアの会に所属していたなんて、初耳だったんだけど……」
「まあ、そこは≪人脈の亜衣ちゃん≫ですから。それに、私はまだ高校生だから、正式な会員じゃないよ。あくまで、大学生のお兄さんやお姉さんのお手伝いって感じ」
「その手伝いを、更に他の人間に手伝ってもらっているようじゃ、まだまだ威張れないわよ、亜衣……」
目の前で得意そうに胸を張る亜衣に、照瑠はあくまで冷静に返した。
お調子者で変わり者。おまけに都市伝説を主とする雑多な知識と趣味、それに幅広い人脈を持つ、火乃澤高校随一の変人女子高生。それが、照瑠の友人である嶋本亜衣である。その背丈は未だ小学生ほどしかなく、辺りでパーティーのゲームに興じている子供たちの中に混ざれば、瞬く間に見分けがつかなくなってしまうほどだ。
今回の青年ボランティアによる子ども会のパーティーも、亜衣が照瑠を強引に誘ったものだ。時にその押しの強さに辟易することもあるが、気がつけば、なぜか仕方なくつき合ってしまう自分がいる。亜衣曰く、これも仁徳の成せる技ということらしい。
「おい……。それよりも、嶋本。俺はいったい、いつまでこんな恰好をしていればいいんだ……」
気がつくと、照瑠と亜衣の後ろには、彼女たちよりも一回り背の高い少年が立っていた。その髪は白金色で、瞳は赤く肌は白い。吸血鬼のような格好をしていたが、洋服以外は決して仮装によるものではない。赤い瞳も色の抜けた髪の毛も、全て彼の自前である。
犬崎紅。今年の六月に、照瑠の学校に転入して来た謎の少年である。亜衣とは別の意味で変人の烙印を押されている彼であるが、照瑠はそんな彼の正体を知っている。
紅が火乃澤町にやって来たのは、そもそも現代に蘇った古の怪物を追ってのことだった。彼はこの現代において、闇の世界の住人と戦うための術を持った、数少ない人間の一人なのである。
自分の追ってきた怪物を倒した後、彼はこの町に留まった。理由はなぜだか知らない。紅に聞いても、それだけはいつも適当にはぐらかされてしまう。そして、照瑠や亜衣との奇妙な交流関係を続けながら、今に至るというわけだ。
「あっ、犬崎君! お菓子を配る準備、もうできた?」
紅の顔にはあからさまな苛立ちが見えていたにも関わらず、亜衣は何ら気にしていない様子だ。あの無愛想な紅を相手に、あくまで自分のペースで話を続けられるのは、やはりさすがと言うべきなのだろうか。
「菓子の準備なら、向こうの部屋で加藤と長瀬がやっている。俺は、ああいった作業はどうにも性に合わないんでな。適当に手伝って、後は抜けて来た」
「もう、それじゃあ駄目じゃん! せっかく呼んだんだから、ちゃんと手伝ってよ!!」
「呼んだというよりも、お前が強引に連れて来たんだろうが。俺はもともと、こういった人混みは好きじゃない」
「まあまあ……。そこは、今度の月曜日に購買のパンを好きなだけ奢るから……それで勘弁してよ」
まったく悪びれた様子もなく、亜衣は紅の前で手を合わせて言った。対する紅は、既に諦めているのか、何も言わずに亜衣から目をそらした。
購買のパンを奢ることを餌に、あの犬崎紅を買収する。そんな餌で釣られる紅もどうかとは思うが、照瑠はそれ以上に、亜衣のたくましさに感心した。
相手がどんな人間であれ、自分の持つ流れに巻き込んで事を運んでしまうバイタリティ。決して全てを真似したいとは思わないが、その積極性とポジティブな思考だけは、照瑠も認めざるを得ない。
「ところで、照瑠。巫女さんの衣装もいいけど、やっぱりそれだけじゃ、ちょっと寂しくない?」
紅に無視され、亜衣の話の矛先が再び照瑠に向いた。
「寂しいって……そう言われても、ねえ……。巫女の服なんかに、これ以上の飾りは必要ないわよ」
「いや、分かってませんなぁ、照瑠殿。ハロウィンと言えば、怪物。日本の怪物と言えば、それは妖怪」
「いったい、何が言いたいの……」
話し始めて数秒と絶たず、亜衣の口調が解説モードに入った。その様子を見て、早くも身構える照瑠。亜衣がこの話し方になった場合、その口から出るものは、大概がろくでもない内容の話ばかりだからだ。
「とりあえず、照瑠はもっと、妖怪チックな恰好をした方がいいと思うんだ。人外の存在の魅力っていうか……なんか、そんな感じのものが欲しいんだよね」
「人外って……。それじゃあ、私に河童とか天狗の恰好をしろって言うの!?」
「いや、そんなんじゃなくて、もっと見た目が可愛いやつだよ。例えば……これなんかどう?」
そう言って、亜衣は自分の被っている魔女の帽子を頭から外した。そして、帽子の中に手を突っ込むと、その中から何やら黄色い獣の尻尾のような物を取り出して見せる。
「はい、これ。とりあえず、狐の耳と尻尾だよ。これをつければ、照瑠の魅力も一気にグレードアップ間違いなし!!」
「いや、グレードアップって言われても……。それ以前に、その耳と尻尾、どうやって帽子にしまってたのよ……」
「それは、聞かないお約束ってことで……。まあ、こんなこともあろうかと、最初から仕込んでおいたんだけどね。巫女といえば狐耳。狐耳といえば巫女。これ、常識でしょ」
まったくもって、無茶苦茶な理論である。巫女の服だけならまだしも、高校生にもなって、狐の耳だの尻尾だのをつけてはしゃぎ回るのは勘弁願いたい。
「ごめん、亜衣。せっかく出してもらって悪いけど……やっぱり、私にはちょっと無理かな」
「むぅぅ……。相変わらず、肝心なところでノリが悪いなぁ……。狐耳の巫女の尻尾でモフモフしたいっていうのは、健全な婦女子と青少年に共通する夢なんだよ!!」
「いや……。むしろ、かなり特異な人種の趣味に限られると思うんだけど……」
右手に尻尾、左手に狐耳を持って熱弁を振るう亜衣に、照瑠は呆れた顔をして答えた。
そもそも、亜衣の話にある婦女子と青少年の価値観は、世間一般のそれとかなりずれている。どちらかと言えば、不健全な腐女子と性少年に共通する趣味と言った方が正しいのではないだろうか。
「とにかく、その耳と尻尾をつけるつもり、私にはないからね。いつまでも外に出してないで、さっさとしまいなさいよ」
「はぁ……。このモフモフ感を楽しめないなんて、照瑠は分かってないなぁ……。犬崎君も、そう思うよね?」
照瑠に耳と尻尾を受け取ってもらえず、亜衣が紅に同意を求めた。が、残念ながら、その答えが紅から返ってくることはない。
会場に用意されたパイプ椅子に座り、紅は腕を組んだまま豪快に眠っていた。恐らくは照瑠と亜衣が話し込んでいる間に眠ったのだろうが、その動きにまったく気づかなかった。亜衣とは別の意味で、紅も随分とたくましい人間だと照瑠は思う。
そういえば、紅は学校の授業中も、よく居眠りをしていた。なんでも、朝から昼にかけては力が出ないらしく、夜になるまで目と脳を休ませておきたいとのことである。先天的なアルビノである紅が紫外線に弱いのはわかるが、だからと言って授業中に居眠りをしてよいというわけではない。
赤い瞳と白い肌。その上、紫外線に弱く、昼間は居眠りばかり。今の紅の服装も相俟って、まるで本当の吸血鬼のように思えてならない。まあ、実際に吸血鬼以上に恐ろしい存在を自分の影に宿しているため、紅の存在が妖怪じみていることを否定はできないのだが。
「まったく……。照瑠も犬崎君も、パーティーの時くらいは少し羽目を外したっていいのに……」
狐耳と尻尾を帽子にしまいながら、亜衣がぶつぶつと文句を言っている。気合を入れて容姿してきただけに、受け取ってもらえなかったのが不満なようだ。
小道具をしまった帽子を頭に乗せ、亜衣の意識が一瞬だけそこに集中する。ああ見えて、いつもは隙のない亜衣だったが、この時ばかりは無防備になる。そんな彼女の隙をつき、軽快な少年の声が響き渡った。
「お菓子くれないと、悪戯するぞぉ!!」
パーティーの参加者と思しき小学生の一人が、突然、亜衣のスカートをまくり上げた。これには、さすがの亜衣もたまらない。慌てて両手で前を押さえると、目の前にいる小学生を睨みつけて叫んだ。
「ちょっと、なにすんのさ……って、お前、長瀬君ところのクソガキか!?」
「うるせえ、ロリババア! 俺とそんなに身長が変わんない奴に、クソガキなんて言われたくないね!!」
「いきなり女の子のスカートをめくるようなやつ、クソガキ以外のなんだってのさ! 長瀬君の弟だからって、場合によっては容赦しないよ!!」
「だから、クソガキじゃねえって言ってんだろ! 俺には長瀬晶っていう、立派な名前があるんだからな!!」
ああ言えばこう言う。典型的な悪ガキの代表である。なんとかして年長者の威厳を見せつけようとする亜衣だが、ここは完全に晶のペースだ。自分のテンポで場の空気を支配することが得意な亜衣にしては、珍しいことである。
「ま、確かに兄ちゃんと同じ歳の女からすれば、俺はガキかもしんないな。だけど……そうやってムキになって油断すると、また酷い目に合うぜ」
鼻の下を指でこすりながら、どこか余裕の表情を浮かべる晶。そんな晶の態度に我慢がならなかったのか、亜衣も更に前に出ようと足を踏み出す。が、その足はすぐに動きを止め、同時に亜衣の無様な悲鳴が辺りに響くこととなった。
「ひゃぁぁぁぁっ!!」
見ると、亜衣の胸元を、小さな二つの手がつかんでいた。すかさず手を振り払い、後ろを向く亜衣。そこにいたのは、先の晶と同じくらいの背丈の小学生。子供にしては整った顔立ちをしているが、その目は晶と同じく悪ガキのそれだ。
「へっ……。俺に後ろを取られるようじゃ、まだまだ甘いぜ、亜衣姉ちゃん」
亜衣の胸を後ろからつかんだ少年が、挑発するようにして笑っていた。ほとんどセクハラに等しい行為をしていながら、全く悪びれた様子がない。
「おのれぇ……。よくも、可憐な乙女の胸を弄んでくれたなぁ……。この恨み、晴らさでおくものかぁ……」
亜衣の頭に見る間に血が昇り、その顔が真っ赤に染まって行く。いつもは飄々としている分、亜衣がこのような姿を晒すのは珍しい。
だが、そんな怒りのボルテージを上げる亜衣を他所に、二人の悪ガキ達は言いたい放題に感想を述べていた。
「可憐な乙女の胸って……。ほとんど詰め物のくせに、よく言うよ……」
「詰め物? それって、偽物ってことか、藤宮?」
「ああ、そうだぜ。後ろからつかんでみたけど、綿みたいにパフパフでスカスカ。俺たちのクラスの女子の方が、まだ胸があると思うぜ」
正に、火に油を注ぐ一言。神をも恐れぬ行為とはこのことだ。もはや、完全に我慢の限界を越えた亜衣が、拳を振り上げて少年たちに襲いかかる。
「お前達、もう許さんぞ! その身体、八つ裂きにして黒魔術の実験材料にしてくれる!!」
「うわぁ、助けてくれぇ! ロリババアの魔女に殺されるぅ!!」
口では物騒なことを言いながらも、どこか楽しそうに会場を逃げ回る少年たち。そして、それを追う魔女の恰好をした亜衣。互いの身長が同じために、遠くから見ると、小学生同士が鬼ごっこをして遊んでいるようにしか見えない。
「まったく、なにやってんだか……。これじゃあ、どっちが保護者だかわかりゃしない……」
逃げ回る小学生を追いかける亜衣を見て、照瑠が心底呆れた顔をして呟いた。
確かに、亜衣の怒りも分からないではない。が、小学生の男子二人に、完全に遊ばれているようでは意味がない。こうなると、もはや微笑ましいを通り越して馬鹿馬鹿しくなってくる。
「おい……。あれ、放っておいていいのか?」
いつの間にか、照瑠の後ろでは紅が目を覚ましていた。ということは、先ほどのあれは、狸寝入りだったということか。
起きていたのであれば、騒ぎが大きくなる前に止めてくれればよかったのに。そう思った照瑠だったが、あえて口にすることはしなかった。
そんなことを紅に言ったところで、適当に流されるのがオチだ。紅が無愛想で口が悪いことは、照瑠も十分に承知している。
青年ボランティア主催のパーティーそっちのけで追いかけっこをする、亜衣と悪ガキ二人組。永遠に続くかと思われたそれは、程なくしてあっけなく終わりを告げた。
先ほどの悪ガキ二人の首元をつかみ、亜衣と同じく魔女の恰好をした少女がこちらへやってくる。年齢は、照瑠と同じくらいだろうか。少なくとも、青年ボランティアの会に所属している大学生には見えない。
「やれやれ……。ようやく捕まえたわ」
二人の悪ガキを照瑠の下に連行し、その少女が言った。後ろでは、満身創痍の亜衣が、肩で息をしながら立っている。目は血走り、顔は汗に濡れ、おまけに鼻の穴も大きく開いている。はっきり言って、お世辞にも可愛いと言えるものではない。プリクラシールを撮る際に、変顔として作る分には問題ないのだろうが。
「ほら、あなた達。早く、嶋本さんに謝りなさい」
落ち着いた中にも、どこか厳しさを感じさせる口調だった。もはや逃げられないと観念したのか、少年達も亜衣に頭を下げて謝罪の言葉を述べる。顔ではどこか不満そうにしていたが、それでも謝っただけマシというものか。
「なんだ、お前達。また怒られてんのか?」
ふと、後ろを見ると、そこには菓子袋を持った少年と少女が立っていた。少年の方は狼男の仮装、少女の方は、亜衣と同じく魔女の仮装をしている。
「あっ、長瀬君。それに詩織も……。お菓子の準備、終わったの?」
「ああ、一応はな。仕分けも済んでるから、いつでも配れるぜ」
菓子袋を豪快にテーブルの上に置き、得意そうに親指を立てる少年。茶色く染まった髪がいかにも遊び人といった印象を与えるが、不思議と軽薄そうな感じはしない。
長瀬浩二。照瑠の友人である加藤詩織の彼氏である。その馴れ初めは、犬崎紅が怪物を追ってやってきた事件に巻き込まれたことだ。
女遊びが激しそうな浩二と、照瑠と同じ文芸部に所属する、真面目を絵に描いたような詩織。一見して水と油の中に思えるが、なぜか二人の関係は上手くいっていた。
まあ、浩二は詩織に合わせて真面目に授業に出るようになったし、部活にも精を出している。まだ一年であるにも関わらず、ここ最近の試合には常にレギュラーで出場しているようだ。
詩織も浩二のことを考え、以前よりもファッションに気を使うようになった。メガネもコンタクトレンズに変え、髪も少し染めた。互いに両極端な性格と見られがちな二人だったが、意外と柔軟な思考の持ち主だったのかもしれない。
「それにしても……」
叱られて不満そうにしている晶に向かい、浩二が口を開いた。その名字からも分かる通り、浩二は晶の兄だ。
「お前、小六にもなって、まだスカートめくりなんかやってんのか? いいかげん、セクハラ遊びからは卒業しろよ」
「うっせえ! スカートめくりは男のロマンだ! 兄ちゃんには、それが分かんないだけだろ!?」
「ロマンって……。そんなんだから、≪パンチラハンター長瀬≫なんて、シケたあだ名をもらうんだろうが……」
小六にもなって、未だに女子のスカートをめくる。そんな弟の所業に、浩二も呆れ果てていた。
こんな遊びが許されるのも、せいぜい小学生の時までだ。中学に上がれば、間違いなく生活指導担当に説教された上、場合によっては親が呼び出される。同じ男として弟の気持ちが分からないでもないが、少しは大人になってもらいたい。
ちなみに、浩二の言っていた≪パンチラハンター長瀬≫とは、実際に晶が学校で呼ばれているあだ名である。彼の筆頭に、火乃澤小学校には合わせて四人の悪ガキがおり、その全員がクラスの女子から目の敵にされている。
例えば、晶と一緒に亜衣から逃げ回っていた少年、藤宮清。その上品そうな名前と、名に恥じぬ整った顔を持ちながら、彼のあだ名は≪パイタッチャー藤宮≫である。顔は良くても頭の中身はエロい妄想で溢れているため、当然のことながらまったく女子にモテない。
この二人に、今はこの場にいない≪浣腸マスター山本≫と≪縦笛リッカー横田≫を加えることで、火乃澤小学校変態四天王が勢揃いする。
晶と清の顔を見比べながら、浩二はつくづく、この場に残る四天王の二人がいなくてよかったと思った。なにしろ、二人いるだけでもこの騒ぎなのだ。こんな連中を、時には四人もまとめて相手にせねばならない、小学校の先生の苦労が思いやられる。我が弟のことながら、まったく恥ずかしい限りだ。
「とにかく……お前達、もういいかげんに、エロい悪戯からは卒業しろ。ガキの間はまだいいが、その内、マジで警察に捕まるぞ」
「へっ、よく言うぜ。そんなこと言って、兄ちゃんだって俺達と同じくらいか……それ以上にエロいことしてるくせにさ」
「なんだ、そりゃ? 言っておくが、ベッドの下のエロ本の類は、詩織とつき合うことになってから全部捨てちまったからな。そんな昔のことを引き合いに出したって、無意味なんだよ」
憎まれ口を叩くことを止めない弟の額を、浩二は軽く指で小突いた。これぞ年長者の余裕というもの。この辺りで黙らせておかないと、悪ガキ二人が再び調子に乗り出さないとも限らない。
だが、そんな浩二の余裕を他所に、晶も引き下がる様子は見せなかった。その口元をにやりと歪めると、畳み込むようにして浩二にまくし立てる。
「悪いけど、俺が知ってるのは、そんな昔の話じゃないぜ。この間、兄ちゃんの部屋をこっそり覗いた時に、見ちゃったんだよ」
「はぁっ!? お前……なに、勝手に人の部屋覗いてんだよ!!」
「ドアが少し開いてたんだから、仕方ないだろ。そこで俺、兄ちゃんがやってること、全部見ちゃったもんね」
形勢逆転。部屋を覗かれていたことに動揺する浩二を他所に、晶はさらに容赦なく秘密を暴露する。この辺り、悪ガキとしての才能は、兄よりも弟の方が上なのかもしれない。
「俺が部屋を覗いた時、兄ちゃん、詩織姉ちゃんとチューしてただろ! それも、詩織姉ちゃんのおっぱいに手を回しながら!!」
「な、なんだってぇぇぇぇっ!!」
叫んだのは、照瑠や亜衣ではなく清だった。
「なあ、晶……。それ、本当に本当の話なのか……」
「嘘ついてどうすんだよ。チューしてる間、兄ちゃん、ずっと詩織姉ちゃんのおっぱい揉んでたんだぜ。なんか二人とも、目がすっげえエロかった」
「う、うらやましい……。俺もロリバアアの偽物の胸なんかじゃなくて、詩織姉ちゃんみたいな、立派なボインにタッチしてえ……」
周りの人間そっちのけで、とんでもない会話を続ける悪ガキ二人組。照瑠や亜衣を初め、その場にいる女子全員が、完全に硬直している。その隣では浩二が額に青筋を立てて晶と清をにらみつけ、紅だけが、一人呆れた顔で額に手をやっていた。
「おい、お前ら……。いくらなんでも、ちょっと調子に乗り過ぎってやつじゃねえか……?」
口元をヒクヒクと震わせながら、浩二が晶と清の頭をつかんだ。部活でバスケットボールをやっているだけあって、その握力は決して弱くない。悪ガキ二人の頭をボールに見立て、ぎりぎりと指を食い込ませてゆく。
「い、痛てて! 兄ちゃん、ギブ、ギブ!!」
「ぼ、暴力反対! これは児童虐待だぁ!!」
「やかましい、この変態趣味のクソガキども……。お前ら、今からちょっと、便所につき合えや……」
頭をわしづかみにされたまま、二人の悪ガキが浩二に引きずられてゆく。照瑠も亜衣も、それを止めようとはしない。可哀想だが、あれは自業自得というものだ。それに、浩二も口ではああ言っているが、本当に怪我をするような暴力を振るうことはないだろう。
ふと、照瑠が横を見ると、詩織が唇を噛み締めて俯いているのが分かった。何やら気まずい雰囲気だったが放っておくわけにもいかず、照瑠は恐る恐る話しかけてみる。
「ねえ、詩織……。さっきの話だけど……まさか、あなた……」
「ご、ごめんね、九条さん。お願いだから、それ以上は聞かないで……」
詩織の顔が、一気に耳まで赤くなった。これがアニメならば、頭から湯気を出して卒倒しかねんばかりの勢いである。
両手を胸の前で合わせたまま、なにやら落ち着かない様子でその場を去る詩織。この反応からして、先ほどの晶の話は事実なのだろう。
「おお、熱い熱い。でも、らぶらぶなのもいいけど、ちゃんと避妊はするんだぞ~、お二人さ~ん」
去り行く詩織に手を振りながら、どさくさに紛れてとんでもないことを言う亜衣。そして、後に残されたのは、袋詰めにされた菓子の山。
単なるお菓子配りで終わるはずの手伝いが、結局は大騒動になってしまった。やはり、亜衣と関わる以上、こういう展開は最早お約束なのだろうか。
浩二と詩織の二人が消え、照瑠は仕事の負担が増えたことに思わず溜息をついた。仕方なく、側にいた紅に大袋の一つを強引に手渡す。紅が子供相手に愛想笑いできるとは思えないが、人出が足りない以上、贅沢は言っていられない。
「それじゃあ、悪いけど配るの手伝って。お菓子をもらいに来た子に、順番に配るだけだから」
「配るだけでいいなら構わない。だが、ガキのご機嫌とりなんぞ、俺にはできないからな」
「頼むから、睨みつけて泣かせたりしないでね……。とにかく、無事にお菓子が配り終われば、それでいいから……」
「了解した。まあ、その程度なら任せておけ」
口では簡単に言っている紅だったが、照瑠はその言葉を聞いても不安だった。
都市伝説オタクの亜衣。犬神使いの紅。そして、エロガキの弟を持つ浩二。どうして自分の周りには、こうも妙な人間ばかり集まるのだろうか。
唯一まともなのは詩織だが、彼女は既にこの場にいない。顔を赤くして去って行った詩織のことが、もう懐かしく思えてくる。
気がつくと、目の前では青年ボランティアの会員達が、仮装した子供たちを辺りに集めていた。袋詰めにされた菓子の入った大袋を抱え、照瑠も列の先頭に立つ。
たかが十数分の間に起きたことだというのに、なんだか物凄く体力を消耗したような気がした。亜衣を筆頭に、妙な人間が自分の周りにいる限り、騒動からは逃げられないということか。
何も知らない子供たちに菓子を配りながら、照瑠はぼんやりと、そんなことを考えていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
休日といえど、事件があれば出勤する。それは警察という職業に就いた者の宿命とでも言うべきだろう。
その日は日曜日であるにも関わらず、工藤健吾は先輩の岡田肇から呼び出しをくらった。理由は簡単。休日であることなど関係なしに、緊急出動を要する事件が起きたということだろう。
刑事という仕事に就いている以上、急な呼び出しや休日返上もやむを得ない。そう、頭では理解していても、やはり休みを潰されたという不満はどこかに残る。
公務員は、土日祝日が必ず休みの九時五時勤務。そんな神話は、警察官には通用しない。工藤は署内では比較的階級の高い刑事だったが、だからと言って自由に休みが貰えるわけでもない。
工藤を乗せたパトカーが、現場である山の中へと到着した。県道の脇には黄色いテープが張られ、関係者以外の立ち入りを拒んでいるのが車内からも分かる。
車を降りると、そこには既に岡田の姿があった。警部の階級にありながら、デスクワークよりも現場に足を運ぶことを基本とする。そんな岡田は、正に捜査のベテランを絵に描いたような刑事である。
「すいません、岡田さん。遅れました!!」
パトカーの助手席から飛び降りるようにして、工藤は岡田のところに駆け込んだ。その途中、自分で自分の足を踏んで、思わず転びそうになる。こういった辺り、自分はまだまだ小説に出て来るハードボイルドな刑事には程遠いと思ってしまう。
「おう、工藤か。すまなかったな、休みを返上させちまって」
「それは仕方ないですけど……いったい、何が起きたんですか?」
「この前の木曜に続いて、また女の子のホトケさんが見つかったんだよ。もっとも、今度はもう少し古いやつだがな」
岡田の顔が、苦々しい表情に変わる。
先日の木曜日、山中で発見された女子高生の変死体。顔の皮を剥がされた上で遺棄されたと思しきことから、火乃澤署の捜査本部では、猟奇殺人事件の線も疑っていた。
そして、遺体発見から三日後の今日、再び新たな遺体が山中から発見された。遺体は今度も女性のもので、殺されてから随分と日が経っているようだった。少なくとも、死後二カ月は軽く経過していると思われる。
黄色いテープをくぐり、岡田は工藤を遺体の発見現場に案内した。そこは県道から少し外れた林の中で、辺りを熊笹が隙間なく覆っている。こんな場所に遺棄されれば、今まで見つからなかったのも当然だ。
「ここが、ホトケさんが見つかった場所だ。この前の事件のことで、うちの署の連中がこの辺の山を捜査していたからな。その途中で見つけたんだ」
「なるほど。それじゃあ、遺体が見つかったのは、偶然なんですね?」
「ああ。この間の女子高生……名前は、佐藤美奈子とか言ったか? そいつを殺した凶器なんかが捨てられているんじゃないかってことで、山ん中を探していたら見つけたんだとよ」
殺人事件の凶器を探す過程で、別の変死体を見つけてしまう。まったくもって、奇妙な話である。しかも、死んでいたのは以前に発見されたものと同じ、女性の遺体。それも、同じ山で発見されたとなれば、二つの事件の関連性を疑わないのは嘘になる。
「ところで、岡田さん。そのホトケさん、前の事件と何か関係があるんですかね?」
「いや、まだ分からんが……まあ、そう考えるのが妥当だろうな。遺体にも、明らかに不自然な損傷があったしな」
「不自然って……例えば、どんな様子だったんですか?」
「そうだな……。とりあえず、目ん玉が無くて、腹の中身も丸出しだった。この前のホトケさんと同じように、身体の皮もなくなってる部分があったぜ。まあ、お前も自分の目で見りゃ分かるだろ」
「い、いや……。僕は遠慮させていただきます……」
岡田の話にあった死体の姿を思い浮かべ、工藤は思わずハンカチで口元を覆った。昼食に食べた、駅前の定食屋のカツカレーを早くも吐き戻しそうだ。
必要以上に死体に乱暴を働き、その姿を見るも無残なものに変えてしまう異常な殺人事件。猟奇殺人というと、工藤はどうしても、今年の六月にあった事件を思い出さずにはいられない。
あの日、犬崎紅に出会うまで、自分は神だの霊だのといった存在を信じてはいなかった。いや、正しくは、信じないようにしていたと言った方がよい。
刑事という仕事に就いているものの、工藤は妖怪や幽霊といった向こう側の世界の存在に免疫がなかった。変死体など未だに見慣れるものではないし、一人でホラー映画を見るのも気が引ける。凶悪犯相手であればいくらでも銃を構えて立ち向かってゆけるのに、これがお化けの類となると、てんで頼りなくなってしまう。
刑事であるのに幽霊が怖い。知らない者が聞いたならば、なんと情けない男かと思われるかもしれない。が、霊的な存在が引き起こした事件に関わった工藤からすれば、向こう側の世界の住人達など、できるだけ相手にしたくないというのが本音だった。
犬崎紅が、この火乃澤町に来るきっかけともなった≪八ツ頭事件≫。降霊術の才能を持った女子高生が、その力に溺れて恐るべき悪霊を呼び出してしまった≪ジョーカー様事件≫。そして、因習に囚われた骨肉の争いが、恐るべき鬼を現代に蘇らせた≪君島邸事件≫。どれも、事件の裏には思い出すのも恐ろしい、人ならざる者の存在があったのは記憶に新しい。
この数カ月の間に、既に三件もの奇妙な事件が火乃澤町で起きている。こうも奇妙な偶然が続くと、さすがに工藤も向こう側の世界の存在を信じざるを得ない。
今回の殺人事件に、霊的な存在が関わっているのか否か。それは、今の工藤には分からない。ましてや、今日になって見つかった遺体と先日の遺体の関連性でさえ、現時点では不明のままだ。
「岡田さん……。今回の事件も、やっぱり妙な連中が関わっているんですかね……」
「妙な連中だと? どういう意味だ、工藤」
工藤の言葉に、岡田が訝しげな表情になって言った。
「いや、ですから……。今回も、幽霊とか鬼みたいな、妖怪の類が関係しているのかって思いまして……」
「幽霊ねぇ……。そんなもん、今の時点で気にしても仕方ないだろうが。捜査に思い込みは禁物だってのを、いったい何時になったら覚えるんだ、お前は」
工藤の言いたいことは、岡田にも分かる。だが、ここは敢えて心を鬼にし、岡田は工藤の意見を突っぱねた。
工藤と共に事件に関わって来た岡田も、向こう側の世界の存在に対して否定的なわけではない。実際に目の前で怪物が暴れる様を見せつけられれば、信じない方が嘘になる。
しかし、だからと言って、全てを幽霊や妖怪の仕業にしてしまうほど、岡田は短絡的な男ではなかった。
捜査に思い込みは禁物である。かつて、自分の上司から言われ続けてきた言葉だ。今回の事件が人間によるものなのか、それとも怪物よるものなのか。それは、これから自分の足で調べて考えることだ。ここで余計な想像を膨らませたところで、捜査にはこれっぽっちの役にも立たない。
もっとも、岡田も願わくば、今回の事件が人によるものであって欲しいと思っていた。ハロウィンの日に発見された遺体が、狼男や吸血鬼の類に殺害されたものであっては洒落にならない。それこそ、B級ホラー映画の世界でしか通用しない、悪い冗談だ。
とにかく、今はあまりにも情報が少なすぎる。遺体の検案は他の人間に任せるとして、一通りの捜査が終わったら、一度署に戻った方がいいだろう。
そう、岡田と工藤が思った矢先、何やら県道の方で大きな声がした。辺りを封鎖している、鑑識課の人間の声だ。どうやら、現場で何か騒ぎがあったらしい。
今しがた歩いてきた道を引き返し、岡田と工藤は黄色いテープをくぐって県道に戻った。見ると、そこでは鑑識の男の一人が、私服姿の男ともめていた。
「だから、困りますよ。これ以上は、一般の方の立ち入りは禁止です」
「いやあ、そこをなんとかならんもんですかね。現場を見られないって言うんなら、せめて死体だけでも……」
「だから、駄目だと言っているじゃないですか! これ以上しつこいようですと、公務執行妨害で逮捕しますよ!!」
鑑識の男は強い口調で言っていたが、もう一人の男はまるで気にしていないようだった。できるものならやってみろ。そう言わんばかりの、不敵な態度を続けている。
「おい、どうした」
見るに見かねて、岡田が間に割って入った。
鑑識の男とは違い、岡田は前科何犯もある凶悪犯を相手にした経験を持つ男だ。知らない者が見たら、どちらが犯罪者か分からないような強面である。今まで鑑識の言葉を飄々とした態度で流していた男も、さすがにこれは一歩引いた。
「なんだ、お前は。ここは、一般人の立ち入りは禁止しているはずだぞ」
岡田が男を睨みつける。首から大きなカメラを提げているところを見ると、相手は報道関係者か。
「いや、これはすいませんでした。ですが、こいつも生業なんでねえ。私としても、特ダネが目の前に転がっているのに、そう易々と引き下がるわけにはいかないんですわ」
男が頭をかきながら、口だけの謝罪を述べる。なるべく岡田を刺激せず、隙あれば取材の許可を貰おうと考えているのが見え見えだった。
「お前、報道関係者か。テレビだか週刊誌だか知らんが……今は、まだマスコミに発表する段階じゃない」
「おや、そうですか。だったら、なおのこと好都合ですね。今、この現場には、私の他に同業者がいないってことですから」
そう言って、男は胸元から一枚の名刺を取り出し、岡田に手渡す。岡田は乱暴にそれを受け取ると、眉間に皺を寄らせながら目を通した。
「榛原直人……。仕事は、フリーのカメラマンか。すると、どこぞの出版社に所属しているわけじゃあないんだな?」
「いや、お恥ずかしい。まったくもって、その通りなんですよ。まあ、その分、特ダネを独り占めできるっていう利点もありますがね」
「なにが特ダネを独り占めだ。そもそも、今日の事件は、まだマスコミの連中に発表していないんだぞ。いったい、どこから嗅ぎつけてきやがった」
「残念ですが、そいつは企業秘密ってやつです。まあ、蛇の道は蛇って言いますからね。事件を追っかけるための鼻は、刑事さん達と比べても遜色ないってことですよ」
凄む岡田を前に、一定の距離を保ちつつも、決して隙を見せない榛原。一瞬、チンピラ紛いのパパラッチかと思ってしまったが、かなりのやり手である。少なくとも、三流芸人のスクープ写真や裸のお姉ちゃんを撮影して、小遣いを稼いでいるような人種ではない。
「とにかく……今は、まだ捜査の最中だ。これ以上、余計なことを嗅ぎ回ると、本当に公務執行妨害でブタ箱に放り込むぞ」
「おお、怖い怖い。まあ、今日のところは、私もこの辺で退散することにしますよ。ベテラン刑事さんの顔を立てるってことでね」
わざとらしく肩をすくめ、榛原は岡田の前から去って行った。最後の最後まで、その言葉の一つ一つがいちいち鼻につく。
自分の利益のためであれば、社会道徳も倫理も関係ない。岡田は榛原から、そんな考えを持った人種と同じ匂いを感じていた。実際に目の前で何かをしでかしたわけではないが、榛原の思考は犯罪者のそれと紙一重である。
「やれやれ……。ようやく行ってくれましたか……」
鑑識の男が、うんざりした様子で帽子のつばをつまみ、それを被り直した。
事件はまだ、死体を見つけたばかりの段階だ。これから先、他にも重要な証拠が見つかるかもしれない現場を、どこの馬の骨とも分からない男に荒らされてはたまらない。
「ったく……。これだから、報道関係者ってやつは好きになれねえ。こっちがネタをバラす前から、事件の匂いを嗅ぎつけて集まって来やがるんだからな。あいつら、前世はハゲタカか何かじゃねえのか?」
「いや……。でも、その表現は、ある意味で正解ですよ、岡田さん……」
先ほどの鑑識の男が岡田に向かって言った。単なる皮肉のつもりだったが、男には、何やら思い当たる節があるようだった。
「あの、榛原ってカメラマンですけどね。俺達の間では、ちょっとばかり有名人なんですよ」
「有名人? どうせ、悪い方の噂で有名なんだろうが」
「ええ、まあ、そうですね……。あの人、事故とか殺人事件が起きると、どこからともなく現れるんです。それこそ、死体の匂いを嗅ぎつけて集まる獣みたいに……」
「へっ、本当のハゲタカってわけか」
「いや、ハゲタカというよりは、ハイエナですね。業界でも、榛原直人じゃなくて、ハイエナオトって呼ばれているみたいですから」
「ハイエナねぇ……。そう言われてみりゃあ、確かにそんな顔してやがったなぁ……」
ひょろりと高いだけの背丈に、狐のような細面。直毛であるにも関わらず不揃いなまま放置された髪に、メガネの奥でずる賢そうに光る瞳。榛原がハイエナのような顔をしているというのも、あながち間違いではない。
「でも、いったい奴は、どこから事件のことを嗅ぎつけて来るんでしょうかね? 僕だって、今日の昼に岡田さんから連絡受けて、初めて事件が起きたのを知ったってのに……」
先ほどから二人の話を聞いていた工藤が、不思議そうな顔をして言った。それには岡田も答えあぐねていたが、鑑識の男が代わりに答えた。
「それがですね……。あいつの鼻は、本当に死体の匂いを嗅ぎわけることができるって噂なんですよ、工藤さん」
「死体の匂い? そんなもの、どうやって嗅ぎ分けるんだ?」
「さあ、それは私にも分かりません。ただ、奴が事故や殺人の現場に現れるのは、単に特ダネ写真を撮るためだけじゃないみたいですよ。どうも、本人の趣味が強く影響しているらしくて……」
「趣味だって? あいつ、単なるカメラマンじゃないのか?」
「ええ。噂によると……彼は、自他共に認める重度の死体愛好家みたいなんですよ。仕事で使う写真とは別に、自宅には今まで撮った死体の写真が大量にアルバムに収められているって話です」
露骨に嫌悪感を露わにした表情で、鑑識の男が吐き捨てるように言った。
死体愛好家のカメラマン。それ故に、事故や殺人の現場に必ず現れる。お世辞にも、良い趣味をしているとは言えない部類の人間だ。変死体の写真を集めるなど、ほとんどサイコ紛いの異常犯罪者と同義ではないか。
「なるほど。人を食った野郎だとは思っていたが……もしかすると、別の意味で、本当に人を食っていやがるかもしれんな」
「や、やめて下さいよ、岡田さん。それこそ、本当にホラー映画の世界じゃないですか!!」
「冗談だ、工藤。だが、単なる変態にしちゃあ、何かと動きがいい。この現場をどうやって嗅ぎつけやがったのか……その辺含め、奴の身辺も調査した方がよさそうだな」
鑑識の男の話など、単なる噂話に過ぎない。しかし、こうも都合よく現場に姿を見せたことを考えると、榛原の存在を全く無視してしまうわけにもいかない。
捜査に思い込みは禁物である。それは、思い込みで犯人を決めてはいけないということと同時に、怪しい者は全て疑えということでもある。
刑事として、勘だけに頼った捜査はしたくない。そんな方法で犯人を捕えられるなど、テレビドラマの中の話でしかない。
山中で相次いで発見された変死体。そして、まるで死体が見つかることを予見していたかのようにして現れたカメラマン。いかにも怪しい組み合わせではあるが、岡田はあくまで現実的に、今回の事件の捜査に当たることを心得ていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
入相の鐘が鳴り、夕刻の空が朱に染まる。
夕暮れ時の公民館では、青年ボランティア達によるパーティーの後片付けが進められていた。参加していた小学生たちは既に帰宅し、今は会場に残された飾り付けを外したり、椅子やテーブルを仕舞ったりする作業が残るばかりだ。
会場に置かれたパイプ椅子を折り畳みながら、照瑠はふと、今日の出来事を振り返った。
あの騒ぎの後、詩織と浩二が戻って来たのは、子ども達に菓子を配り終えた後だった。さすがに片付けは手伝ってくれているが、はっきり言って、肝心な時に役に立ってくれなかった。
亜衣も残って片付けを手伝っているが、その低い身長が災いし、高い場所に取り付けられた装飾を外すような仕事はまったく出来ない。仕方なく、照瑠と同様に椅子を運んだり、その辺に落ちているゴミを拾ったりしているのが精一杯である。
紅に関しては言わずもがな。菓子を配り終えたが最後、さっさと先に帰ってしまった。もとから期待などしていなかったが、こうも愛想なく帰られたのでは、やはりどこか納得のいかないものがある。
なんだかんだで、結局は自分が一番働いている気がするのは気のせいか。畳んだパイプ椅子を専用の台車に乗せ、それを倉庫に向かって押して行く。
「うっ……。見た目より、結構重たいわね、これ……」
台車の上に乗せられた椅子は、優に十五は超えている。抱えて運ぶよりは楽なのだが、それでも力を入れなければ、思うように動いてくれない。
せめて、後一人くらいは手伝ってくれる人間がいないものか。照瑠がそんなことを考えた時、ふっと台車が軽くなった。
不思議に思って前を見ると、そこには先ほど照瑠たちと一緒に菓子を配っていた少女が立っていた。晶と清の引き起こした騒動を静め、悪ガキ二人を照瑠達の前に引っ張り出していたのも彼女だ。
「ねえ、大丈夫? これ、一人で運ぶのは、ちょっと大変だよ」
「そうね。できれば、前の方を持っていてくれると助かるんだけど……」
「こっちは、もとからそのつもり。無理して怪我するのも馬鹿らしいし、一緒に運ぼうよ」
少女が照瑠に笑いながら言う。照瑠にとっては、まさに渡りに船だ。
一人ではバランスを取ることさえ難しかった台車も、二人で運べば苦労はしない。思わぬ協力者の登場で、後片付けは比較的早く終えることができた。ゴミ拾い以外で亜衣があまり役に立っていなかったような気がするが、きっと気のせいだ。
程なくして片付けが終わり、公民館は再び元の静けさを取り戻した。つい先ほどまでは子ども達の熱気で賑わっていたが、今はその名残さえ感じられない。
青年ボランティアの人から渡された差し入れのジュースを口にしながら、照瑠は備え付けのソファーに腰を下ろした。仕事をした後だからなのか、いつもは飲まないような缶ジュースでも、妙に美味しく感じられる。
「ふう……。ようやく終わったかな……」
照瑠の隣では、台車を押すのを手伝ってくれた少女が、やはり缶ジュースを口にしながら呟いた。こうして見ると、本当にどこにでもいそうな、至って普通の女の子である。
青年ボランティアの会を手伝っているところを見ると、大学生なのだろうか。だが、それにしては、どこかまだ幼い部分も残っているような気がする。
色々と気になることはあったが、照瑠はとりあえず、隣に座っている少女に話しかけてみることにした。ここで会えたのも何かの縁。人と人との縁は大切にしろと、家でも父によく言われていた。
「あの……さっきは、ありがとう。台車運ぶの、手伝ってくれて」
「えっ……!? ああ、あれね。あんなの、別に大したことじゃないわよ。お互いに協力した方が、仕事も早く終わるじゃない」
「まあね。それよりも……あなたも、ここの青年ボランティアの人なの?」
「ううん、違うよ。私はただ、見習いみたいな感じで手伝っているだけ。今日みたいなイベントの日に、裏方でちょっと仕事するだけよ」
「へえ……。亜衣みたいな物好きが言うと道楽に聞こえるけど、やっぱり、自分からボランティアに参加できる人、ちょっと尊敬するなぁ……」
今日の騒動のことを思い出しながら、照瑠は何気なく亜衣の名前を口にした。だが、単なる独り言のつもりだったそれを、目の前の少女は聞き逃さなかった。
「ねえ。亜衣って……もしかして、嶋本さんのこと?」
「えっ!? あなた、亜衣のこと知ってるの?」
「学校が同じだから、当然知ってるわよ。クラスは違うけど、学年も一緒だしね」
「それじゃあ、あなたも火乃澤高校の生徒なの?」
「そうよ。クラスはE組だけど……そういうあなたは?」
「私は、亜衣と同じC組よ。それにしても……あの子、やっぱり色んな場所で、色んな人に迷惑かけてるのね……」
同じクラスの友人として、亜衣のことを考えると頭が痛かった。彼女の交友関係には目を見張るものがあるが、その代償として、他人を様々な騒動に巻き込むことも少なくない。
半ば強引に参加させられたパーティーの手伝いで、同じ学校の生徒に出会う。面白いこともあるものだと思ったが、亜衣が強引に頼み込んでパーティーに参加したことを考えると、素直に喜べない。
「ホント、亜衣が馬鹿なことばっかり言ってゴメンね。友達として、代わりに謝っておくわ……」
他人の主催したパーティーに無理やりに参加し、手伝いという名目の下、学校の友人まで巻き込んで大騒ぎを引き起こす亜衣。自分が謝るのも妙な感じがしたが、ここで謝っておかないのは、なんだか物凄く申し訳ない気がした。
「別に、そんなこと気にしてないから。それに、嶋本さんが皆を呼んでくれなかったら、今日のパーティーだってもっと大騒ぎになっていたと思うし……。その点、あの娘には感謝してるわよ」
「そっか……。でも、あんまり煽てない方が、調子に乗らせなくていいと思うけど……」
「それ、言えてるわね。感謝してるのは事実だけど、私も気をつけよっと」
本人がその場にいないのをいいことに、互いに亜衣について思っていることを言い合った。気がつくと、二人して同時に笑っている。今日、出会ったばかりだというのに、どうにも気が合う部分があるようだ。
亜衣のことは、照瑠も決して嫌いなわけではない。だが、こういった会話のできる相手も、時には大切であると照瑠は思う。
「ふぅ……。それじゃあ、そろそろ帰ろっか。いつまでも話し込んでると、公民館が閉まる時間になっちゃうし」
「そうね。そう言えば、あなた名前は?」
「名前? 私、天倉癒月っていうの。そっちは?」
「九条照瑠よ。よろしくね、天倉さん」
「別に、名前で呼んでくれても構わないわよ。亜衣とも名前で呼び合ってるし、あまり他人行儀なの、私は好きじゃないから」
「だったら、私のことも照瑠でいいわよ。詩織とかは名字で呼ぶけど、あの娘はもともと、変に真面目なところがあるし……」
そう、照瑠が言った時、公民館の中に何やら哀愁の漂うメロディが流れ始めた。どうやら、今日はこの辺りでお開きにしないと、本当に閉め出されてしまいかねない。
「やばっ! そろそろ出ないと、係の人に怒られるかも……」
「仕方ないわね。それじゃあ、今日はこの辺で帰るとしますか」
「うん。照瑠も、また明日、学校でね」
互いに荷物をまとめ、いそいそとした様子で公民館を出る二人。扉を出たところで軽く手を振り、それぞれ反対の方向に去って行く。
亜衣の頼みで無理やりに参加させられたハロウィンパーティーだったが、終わってみれば、それなりに面白かったと思う。なによりも、自分と気の合いそうな友人ができたことは、照瑠にとって大きな収穫だった。
明日からは、またいつもの如く学校が始まる。翌日のことを考えると休日の夕方は憂鬱になりがちなものだが、今日の照瑠に限っては、その考えは当てはまらなかった。




