第一話 空き家に降ってきた六人
芝村航がその空き家の様子を見に行ったのは、十一月にしては底冷えのする、曇り空の午後だった。
島根県出雲市大社町。出雲大社の大鳥居から歩いて十五分ほど、稲佐の浜にもほど近い一角に、その空き家はあった。ちょうどこの時期、出雲は全国から八百万の神々が集うとされる「神在月」――ほかの土地では逆に「神無月」と呼ぶ、出雲だけの特別なひと月にあたる。表通りの神門通りは、神在祭の参拝客でまだそれなりの賑わいを見せていた。
管理を任されている物件の中でも、ここは特にいわく付きだった。築四十年、借り手のつかない木造二階建て。持ち主の老人が亡くなってからは誰も住んでおらず、庭は伸び放題の雑草に覆われている。会社からは「神在祭の客足も落ち着いてきた頃合いだ、そろそろ取り壊しの見積もりを取ってこい」とだけ言われていた。
鍵を開け、玄関に足を踏み入れた瞬間、航は違和感に気づいた。
埃をかぶっているはずの廊下に、真新しい足跡がついている。しかも、一人や二人の数ではない。
まさか、浮浪者でも住み着いたか。そう思いながら奥の座敷に進んだ航は、そこで言葉を失った。
畳の上に、六人の男女が倒れていた。
いや、倒れているというより、ちょうど今しがた放り出されたばかりのような格好で、あちこちに散らばっていた。全員、時代劇の衣装のような、それでいてどこか本物めいた重みのある装束を纏っている。傍らには、鏡だの刀だの、時代がかった道具がいくつも転がっていた。
「な……」
声を上げかけた航の前で、一番手前に倒れていた女がゆっくりと身を起こした。切れ長の目に、感情の読めない静かな表情。手には青銅の鏡を握りしめている。
「ここは、どこの国だ」
低く、しかしよく通る声だった。航が答えられずにいると、隣で長い黒髪の女がやはり身を起こし、あたりを見回して眉をひそめた。
「殿方、この畳の材質は妙に均一ですね。それに、この匂いは何です。木の匂いにしては、あまりに人工的だこと」
「あ、あの……」
航が口を挟む間もなく、部屋の隅で寝ていた大柄な男が飛び起き、いきなり素早い身のこなしで航との間合いを詰めた。腰の太刀に手をかけたまま、鋭い目で睨みつけてくる。
「貴様、何者だ。ここは我らを騙し討ちにするための座敷か」
「ち、違います、僕はただの不動産屋で……!」
悲鳴じみた声を上げた航に構わず、今度は白髪交じりの初老の男が、静かに、しかしどこか苛立たしげに呟いた。
「……この座敷、床の間の設えが無粋にすぎる。掛け軸もなく、花もなく、これのどこが人の住まう場所か」
そうかと思えば、人懐こい笑みを浮かべた快活そうな男が、倒れていた場所からむくりと起き上がり、まるで旅先で知り合いを見つけたかのような気安さで航の肩をぽんと叩いた。
「おんし、この土地の者か。すまんが、今がいつの年か、教えてもらえんかのう」
最後に、体の細い、線の薄い女がゆっくりと身を起こし、周囲の五人と、そして航の顔を順番に見つめてから、ぽつりと言った。
「……どうやら私たちは、また、とんでもないところに投げ出されたようですね」
航は、後にも先にもこの日ほど、目の前の現実を疑ったことはない。
だが幾つかの押し問答と、彼らの口にする名前を聞いて、航は理解せざるを得なかった。
卑弥呼。紫式部。源義経。千利休。坂本龍馬。樋口一葉。
教科書の中でしか出会ったことのない名前が、目の前で、埃っぽい畳の上に立ち、それぞれの時代の言葉で戸惑いを口にしている。
「ちなみに」と、龍馬を名乗った男が、寝乱れた着物の襟を直しながら航に尋ねた。
「今は、西暦で言うと何年じゃ」
「……千九百九十九年、ですけど」
その答えを聞いた瞬間、六人の間に、一様に重い沈黙が落ちた。
「千九百九十九年」と、一葉を名乗った女が繰り返す。「私が没したのが千八百九十六年ですから……百年以上、時を跳んだことになりますね」
「わたくしに至っては、九百年以上でしょう」
紫式部が溜息交じりに言うと、義経が「拙者はまだましか」と苦笑し、龍馬は逆に楽しそうに「こいつは愉快じゃ」と笑い出す始末だった。利休だけが、無言のまま部屋の隅の柱を指先でなぞり、何かを確かめるように目を閉じていた。
航は頭を抱えたくなった。会社に電話して、この状況をどう説明すればいい。
だが、混乱する頭の片隅で、航はもう一つの違和感に気づいていた。
――なぜ、よりによってこの年、この場所なのか。
テレビをつければ連日、世紀末だ、ノストラダムスの予言だと騒がれている、この千九百九十九年に。おまけにここは、全国の神々がわざわざ足を運ぶとされる出雲、それも神在祭のただ中だ。時代も身分もばらばらの六人が、まるで示し合わせたように、同じ日、同じ座敷に現れた。
それがただの偶然だとは、航にはどうしても思えなかった。
「……とりあえず」
航は、額の汗を拭いながら、絞り出すように言った。
「事情は後で聞きますから。まず、皆さんの持ち物、それ、売れるかもしれないので、大事にしまっておいてください」
六人が一斉に、意味がわからないという顔で航を見た。
こうして、世紀末の出雲で、偉人たちと冴えない不動産屋の、奇妙な共同生活が幕を開けることになる。




