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序章・きみのいちばん

 集落で一番大きな幕家。両翼を広げた鳥を彫刻した扉の前に、スオウとツムギは手を繋いで立っていた。幕家と扉は山のごとくそびえ立ち、小さなふたりを圧倒する。ここまでスオウの手を引いてずんずんと歩いてきたツムギの威勢はすっかり消え失せていた。


「い、いい? ここに入るのは、ないしょなんだからね」


 うわずった声に、スオウはこくりと頷いた。組紐でツムギに結わえてもらった髪が、頭の動きに合わせてぴょこと動く。

 スオウの母曰く、この幕家には、大切なものがたくさん置いてある。だから子供は踏み入ってはいけない——でもツムギが入りたいというのだから仕方がないし、付いてきてと(正しくは「付いてきてもいいわよ。くるでしょ?」だったが)請われては断る理由もない。大切なものを壊さないようにそっと入ってそっと出て来れば良いだろう。

 しかし、ツムギといえば固い表情で扉を睨み立ち尽くすばかりだ。なんともらしくない。


「入らんの?」

「は、入るわよ!」


 ツムギはつないでいた手を解くと、背伸びをして扉の金具を両手で掴んだ。足を踏ん張ってどうにか扉を引き開けはするものの、重みですぐに閉まろうとしてしまう。

 二人がかりでわずかな隙間を開け、慌てて幕家の中に飛び込んだ。土間と床の境の段差につまづき、そのまま勢いよく転倒する。大きな音も衝撃もなかったのは、柔らかい何かに受け止められたからだった。綿の詰まった、ふわふわとした、布。

(ざぶとん?)

 スオウが暮らす幕家に置かれているものとは似て非なるものだというのが、触れただけでわかった。薄い中綿の布袋にすぎない座布団とは違う。たっぷりの綿を手触りの良い布で包み込んだ、とても『よいもの』だった。あまりの気持ち良さに、顔を埋めて抱きしめてしまう。


「スオウ、見て!」


 一足先に身を起こしていたツムギが、スオウの背をばしばしと叩く。顔を上げる。驚きに見開かれた彼女の瞳、視線の先を、追って。

 そこにあったのは。

 幕家の天窓から差し込む陽光が照らし出す、視界いっぱいの、布。

 羊毛を細かく染分けて経糸(たていと)緯糸(よこいと)の組み合わせで花の模様を織り込んだ敷き布、光沢を持つ絹や金糸銀糸をふんだんに使った壁掛け。細やかで手抜きのない刺繍を施した木綿布の座布団。


「お母さんや、おばあちゃんや、とにかくね、ぜんぶの織鶴(おりづる)の民が、作ったんだって。ぜんぶ、ぜんぶだよ。すごいよね」


 ツムギは興奮を抑えられない様子で、瞳を輝かせてスオウに力説する。

 この幕家は、大切な客人を招く場所、あるいは重要な会議や儀式を行う場所で、飾られているのは織鶴(おりづる)の民が先祖代々手がけてきた選り抜きの品なのだと。つまりこの空間には織鶴の民の『れきし』が詰まっているのだと。


「見てみたくて。でもまだダメって言われて。でもでも、がまんできなくて」


 きちゃった、とツムギは歯を見せて屈託なく笑い、次々と作品を指差した。


「いろんな種類の布があるんだよ。あれは『きぬ』、これは『もめん』、あっちはたぶん『あさ』。布はね、糸からできるの。糸はね、草や花で染めたりもするんだって。刺繍はね、同じ織鶴の民でも少しずつ違って、自分で考えたりもするんだよ」


 あちこちに飛ぶツムギの話を、スオウはあまり理解できなかったけれど。それでも、ツムギの熱意はひしひしと伝わってきたし、生き生きと語る彼女はまぶしくて、幸せそうで。それだけで単純に「付いてきてよかった」と思った。


「あたしもいつか、すごくすてきなものをつくって、ここに置いてもらうんだ」

「なにを作るん?」

「まだ、まよいちゅう!」


 靴を脱いだツムギは、幕家のなかをぐるりと巡り、壁掛けから敷き布、小物に至るまでをつぶさに観察しはじめる。スオウがひょこひょこと後ろを付いて回ると「こっち!」と手を引かれた。

 二人揃って息を飲む。壁の一角を占める大きな大きな壁掛け。青い空、緑の草原、竜の山、集落に点在する幕家や放牧された獣たちが精緻な刺繍で表現されている。野をかける馬は今にもこちらに飛び出してきそうだ。


「織鶴の民は、すごいんやね。ツムギもきれいな『くみひも』作れるし、すごい」


 スオウのてらいのない言葉に、ツムギはぱっと頬を赤らめ、少し気まずそうな表情をした。スオウの髪を束ねる組紐は、つい先日ツムギが作ったものだった。


「スオウにあげたのは、ほんとうに簡単につくれるの。きそのきそ、だから。そんなにすごいものじゃないよ」

「すごいよ。ツムギは今でもすごいし、これから、もっとすごくなるんやね」

「すごくなんかないってば!」


 ツムギは顔を真っ赤にしつつも、つないだ手に力を込めた。


「……何か、つくってほしいものとかある?」

「んー」


 具体的なものは思い浮かばないけれど、するりと言葉がすべり出た。


「いちばんは、オレにちょうだい」

「いちばん?」

「ツムギがこれから作るものの。ここにあるどのやつよりもすごくてすてきな『いちばん』」


 ツムギが息を飲んだのがわかった。スオウがこともなげに口にした願いは、ツムギにとってあまりにも壮大で重大な注文だったのだ。

 けれどスオウにはわからなかった。信じていたから。信じて疑わなかったから。ツムギには『いちばん』がつくれるのだと、彼女にはその力があるのだと。

 赤茶の瞳と青黒の瞳が、まっすぐに互いを見つめ合う。


「……いいよ」


 繋いだ手に空いた手をさらに重ねて、ツムギはゆっくりと言葉を紡いだ。


「あたしのいちばんは、スオウにあげる。約束する」

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