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「フィル、は、言ってくれた、よね」


 リザベルは、何度も口の開閉を繰り返した後で、けれど自分の言葉を紡ごうと懸命に声を出す。

「私に幸せになってほしいって。今までの分も、幸せになるべきだって」

「うん、言ったよ」

 リザベルの言葉を、微笑んで肯定する。その様子を見たリザベルは、一つ一つ確認しながら言いたいことをまとめていく。

「昔、教えてくれた。"幸せになりたいのなら、君を幸せにしたいと思っている人と一緒に居れば良いんだよ"って。フィルが、教えてくれた」

 リザベルが上目遣いにこちらの様子を確認しながら、そう呟く。それを聞いて、俺の中で幼き日の記憶がフラッシュバックした。




〜*〜*〜*〜





「幸せになりたいのなら、君を幸せにしたいと思っている人と一緒に居れば良いんだよ」


 大きな木の根元に腰掛けている少女に、向かい合わせで座った少年が笑って言った。


 晴天の下、ほとんど互いが婚約者に決定した状態で、恒例の交流会が行われる。

 最初に会った時、彼女はまだ幼い子だと思った。侯爵令嬢とはいえ4歳の彼女は、両親から可愛がられて育ったのかまだ甘えたい盛りで、淑女の礼(カーテシー)も辿々しかった。それでも他の令嬢に比べると落ち着きも教養も備わっており、身分を考えても彼女が婚約者として最も有力候補であると理解していた。だから自分でも見極めるべきだと話し掛け、そして少しずつ仲を深めていった。

 そんな交流がそろそろ終止符を打つ頃、ぽつりと少女が呟く。

「わたし、お嫁さんになれるかなぁ」

 名目上は2人きりのピクニックの場で、リザベルは俯きながら呟いた。どうやら王家から婚約の打診が行ったらしく、その不安が彼女の心に小さな影を落としているようだった。初対面から1年近くが経ったとはいえ、まだ5歳。生まれた時から王家たれと制限が課せられる者とは違い、幼い子を可愛がる家は貴族であれど多い。リザベルもその1人だったようで、次期王妃の立場も未だ理解出来ず「お嫁さん」と呼称した。それは相手が分からないだとか、王妃教育が(こな)せるかだとかそういった具体的なものでなく、漠然とした「幸せ」が掴めるかどうかへの不安なのだろう。そうはっきりと理解したのかは記憶にないが、恐らく子供特有の以心伝心のような純粋さ故の説明出来ない事象で、彼女の心を受け取ったのだと思う。だから俺は、ちょうど少し前に母と交わした会話を思い出した。



 "お母様、ひとを幸せにするってどうするんですか?"



 婚約者の決定を聞いて、純粋な倫理観で相手を幸せにするのが義務だと思考した故の発言だった。王家の責務を既に負わされていた分、その大変さはこれからも(まと)わりつくと無意識に理解していた。だからこそ、その大変さを負いながら父と幸せそうに過ごす母が不思議だった。書類を前に頭を抱えることも、忙しいからと子との対話を中断することも多いのに、決して不幸に苦しむような顔を見せなかったから。

 だからその答えを求めて、俺は母に問いを投げ掛けた。

 母はぱちぱちと目を瞬いて、ふわりと微笑んだ。


 "幸せはね、他人があげるものではないの"


 "そうなの?"


 "えぇ。そうやって幸せにしてあげたいとか、幸せになってほしいとか、そう思って相手のことを考えられる人がただ側にいるだけで、その人は幸せになれるのよ"


 "…?"


 "簡単に言えば、幸せにしたいと思ってくれる人と一緒に居れば、貴方は幸せになれるのよ"


 そう言って、母は俺の頭を優しく撫でた。その瞳は慈しみに細められており、俺を見ながら誰かの面影を追っているようだった。それが嫌でなかったのは、きっと俺のことを真っ直ぐ見つめながら思い浮かべている人が、俺にとって母と同じくらい大切な人だったからだろう。



 "おーい、2人とも"



 遠くから声が聞こえた。ぱっと振り向けばそこには父がいて、横目で見た母は少女のように顔を(ほころ)ばせていた。その瞬間、幸せを願って母が言った側に居てくれる人が父なのだと、2人の子だからこそ分かる直感で理解した。直前に聞いた母の言葉をきちんと理解出来たかと言えば怪しいが、何となく印象に残って記憶に残っていた。


 だから、将来の幸せに不安を(こぼ)す彼女の言葉にその言葉を返すべきだと思った。そうして記憶を探って発した言葉に、少女がぱちくりと目を瞬く。その若草色の瞳に世界の色が映り込んで、キラキラと光が反射した。その瞬間「この子だ」と直感的に思って、無意識に次の言葉を呟いていた。



「出来れば私が、その人になれたらいいな」



 言い終わると同時に春の柔らかな風が吹き、ふわりと銀の髪が舞い上がる。陽光を反射する煌びやかな銀糸が、美しく青空に(ひるがえ)って世界に透ける。あどけない頬が薄らと赤く染まって、黄緑色の瞳に映り込み、空の青と肌の赤、草原の緑に太陽の黄、ありとあらゆる光の粒が瞳の奥で煌めくのが見えた。そこに長い銀の睫毛が影を落とし、一瞬隠れた後で花が綻ぶように笑顔に変わった。


「うん、私も、フィルのその人になりたい」


 そう返してくれたリザベルの言葉が嬉しくて、胸の奥がホッと温かくなったのを思い出す。そう、あれは俺の言葉。母から聞いた言葉と、リザベルに向けて告げた俺自身の言葉。リザベルを幸せにするために、王太子として責任を負うと示した時の言葉。13年も昔に交わした、たった一言。

 それがリザベルの中にまだ残っていたことが嬉しくて、同時に自分の中でその記憶が曖昧になっていたことが切なかった。

 リザベルは胸の前でぎゅっと手を握り、辿々しくも自分の思いを並べていく。

「私、どうすれば幸せになれるのか分からない。だから、幸せにしてくれる人と一緒にいるべき、なんだと思う」

 リザベルは(すが)るように俺の服の裾を引いた。驚いて少し目を見開くと、リザベルの()い願うような必死な顔が視界いっぱいに映り込んだ。

「私、私を幸せにしてくれる人はフィルしか知らない。私を幸せにしたいと思ってる人、フィルしか分からない。だからお願い、一緒にいて」

 その言葉に一瞬驚くと同時に、迷う。それがリザベルの願いなら受け入れるのが役目だとは思うが、それでは婚約していた日々とほとんど変わらない日常になってしまう。つまりは王妃教育の辛い日々の延長線になってしまい、苦しい記憶を思い出させてしまうのではないかと不安になる。それは怖い。リザベルの痛みの象徴になってしまうのが怖い。




 だってその願いは、嬉しくて。



 嬉しいから、怖いのだ。




 俺だってリザベルの側に居たい。リザベルの幸せを願って、その隣に居ることを選びたい。けれどそう出来る筈だった未来は己の浅慮で壊してしまって、それ故にリザベルはたくさんのものを失った。リザベルの喪失は俺の責だ。そうやって(とが)を背負った身の癖に、被害者の側に居て良いものなのか。それは都合が良すぎないか。リザベルの側にいたい自分の作り出した幻聴か、それとも無意識に誘導した結果なのではないか。不安がぐるぐると渦巻いて、答えを探すことが出来ない。

 そんな気持ちを知らぬまま、リザベルは不安そうな表情を浮かべる。まるで小さな子供のような顔。咄嗟(とっさ)にリザベルの願いは叶えなければと良心が囁き、同時にお前のエゴは混ざっていないのかと懐疑的な理性が批判する。リザベルの願いの在処(ありか)に迷って、何を言うことも出来ずに硬直してしまう。

 それを見たせいか、それとも何か話そうとしたのか、眉尻を下げたリザベルは唇の開閉を繰り返す。小さく口を開いては、喉に何か詰まったかのように何も言葉を紡げず、また閉じる。何度かそれを繰り返した後に、下を向いて黙り込んでしまった。

 どう話せば良いのだろうと考え込んでいると、小さな声が耳に落ちて来る。リザベルの方を見れば、ぎゅっとスカートを両手で握り締めていた。

「……み」

「うん?」

 小さな声に聞き返せば、震えた声が今度ははっきりと言葉を紡いだ。




「海、に、行きたい」




「え?」

 脳裏を過ったのは、1日限りの恋人ごっこ。帰る前に歩いた川沿いのあの場所で、海について話をした。あの時リザベルは何かを言おうとして、結局言葉を取りやめていた。その言葉とはもしかして、今リザベルが口にしたものだったのだろうか。

「私、海に行きたい。フィルと一緒に、海に行きたいの。フィル、私が願うなら何でも叶えてくれるって言った。私は自由にしていいって、私、フィルと一緒に海へ行きたい」

 泣きそうな声だった。我儘(わがまま)を言う子供のような、初めて意思を持って意見を述べる幼子(おさなご)のような、そんな声だった。ここまでさせて、ここまで言わせて、これがリザベルの願いか分からないなどと世迷言(よまいごと)を吐けるわけがない。


 これは紛れもない、リザベルの願いだ。


 馬鹿馬鹿しい自身の葛藤のせいで不安にさせてしまったことも含め、贖罪の意も込めて優しく微笑む。

「分かった、リザベル。一緒に行こう。一緒に、海へ行こう。俺も行きたいと思っていたんだ」

 そう言ってリザベルの手を両手で包み込めば、安心したのかリザベルはくしゃりと顔を歪めて、大粒の涙をぼろぼろと(こぼ)し始めた。声の上がらぬその泣き方は、長い間感情の抑制を強いられて来た者の泣き方だ。そんなリザベルが零した全てを受け止めるように、細い彼女の体に手を伸ばして抱き締める。


 本当はあの日、言いたかった。


 共に海を見たいと、一緒に海に行こうと誘いたかった。けれどあの時は"いつか"の隣に居ていいと思っていなかったから。リザベルの隣を願う資格などないと分かっていたから、言葉にすることも(はばか)られた。


 けれどリザベルが望むなら、リザベルがいていいと言うのなら、俺だって側にいたい。


 泣きじゃくるリザベルの頬に手を伸ばして、涙を指先で拭いながら甘やかすような声音で囁く。


「一緒にいよう、リザベル」

「うん…っ…うん……!」


 リザベルが安心を求めるように両手を伸ばす。その中に自ら捕まりに行くようにして、リザベルからの抱擁(ほうよう)を受け止めた。胸元にしがみつくようにして、リザベルは泣きじゃくる。

 泣き疲れて眠るまで、リザベルの想いとなって溢れた透明な雫を、ただ受け止め続けていた。

次回、最終話です。

最終話までお付き合い、よろしくお願いします(*´꒳`*)

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