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まだ青白い顔をしたままの宰相が、医者に付き添われながら戻って来る。要人が再び揃ったのを確認して、深く息を吸った。
「この日記が見つかった屋敷で、もう一つ不可思議なものが発見されました」
それだけで察したのか、ディアンが布の掛けられた物を持って来る。視線が集まったと同時に、ばさりと布が剥ぎ取られた。現れたものに、会場中の人が息を呑む。
それは、年若い少女の肖像画だった。
その右下に記入されたサインの名を読む。
「"イディ・レージルコン"」
それはかつてこの国で、最も腕の良い画家と騒がれた者の名前である。
「他にもありました。"ルートヴィッヒ・クカルセニー"」
同じく画家の名前だ。行方不明である。
「"リーベル・ツァイダ"」
画家だった。今は活動していない。行方不明だ。
「"セブロ・ツァイダ"」
リーベルの弟であり、兄弟で画家をやっていた。行方不明である。
「"カイト・ピーコック"」
皆、行方不明になった画家である。未解決事件として、今も警備隊が行方を追っている。
たくさんの名が、あの部屋にあったものと一致した。あの日、弟の生誕祭の日に噂になっていた画家は、皆悉く行方不明のまま迷宮入りしている。その名前が入ったものが何故、あの部屋にあったのか。答えは彼らが描いたものにある。
「イディ・レージルコンは、サインの中に依頼人の名と依頼完了日を入れる癖がある。芸術というのは模倣や盗作、金儲けに使われることが多々あるからな。多少美術に関心があれば知っていることだ」
そう、貴族なら多くの者が知っていることだ。だから彼らは、この絵画を見た瞬間に息を呑んだ。描かれたものとそのサインが、全く結び付かなかったから。結び付く筈のない、組み合わせだったから。
銀色の髪に、若草色の瞳を持った乙女の絵画。そのモデルは、何の関わりもない貴族が勝手に描かせることは許されないものだ。
だからここに、罪の在処がある。
「では何故、この絵画にネーガルー公爵の名と、行方不明になってから捜査が開始するまでの間の日付が、書かれているんだろうな」
それが、答えだった。
「───何の、話でしょう」
突き刺さるような衆人環視の中、未だに惚ける精神には素直に感服する。けれどそれに付き合ってやるほど、お人好しではない。
「遺体は山にでも捨てたか?灰にでもしたか?口封じはしたんだろう。あんな絵画、許されない」
呆れたように言えば、薄い笑みを浮かべる裏でその拳が強く握られるのが見えた。
「許されぬと、理解はしていたのだろう。そうでなければわざわざ絵画を隠す真似はしまい。この絵画が置かれた部屋は、ちょっとした絡繰で封じられていたようだからな」
その言葉に、一瞬険しい目が向けられる。表情が崩れたのを察知して、俺は薄ら笑いを浮かべた。
「どうした。心当たりでもあったか?例えば、暗号が解かれていた、なんて」
彼にとって、ここ数日最も頭を悩ませた種だったのだろう。だから簡単に表情が崩れた。彼は13年もの間、この計画の為だけに暗躍して来たのだから。その露呈のリスクを簡単に許す筈がない。そもそも露呈のリスクなど無いに等しい筈だった。
それなのに、一昨日。あの部屋に侵入者が出た。
気付かれたのは初めてだったのだろう。壊れた家具ばかりが置かれた部屋に財宝があるとは思わないし、そもそも廃棄処分待ちの家具の成れの果てなんか気にも留めないだろう。執務机の絡繰に気付いたとして、その1番上に置かれた各貴族の汚職の証拠が目に入れば、それに気を取られてそれ以上の調査まで思考を向けるのは難しい。そうやって何重にも罠を張り、先に行かせないようにしていた。万が一隣の部屋に入られたとしても、出入り口を一つに設定し、追い詰められるように。
それなのに彼は逃げられた。膝下の高さ程度しかない回転扉にしたのは、開いている瞬間を僅かでも他人に見られない為だろう。ドアノブを設置すると露呈リスクが格段に上がり、かといって部屋の方がにだけドアノブを設置したら、戻る際に逆側に人がいた時などに音でバレるかもしれない。向こう側の様子を伺いやすく、音を出さずに隠れる為、彼は回転扉を設置した。しかしそれを利用され、逃げられてしまった。普通は相手が目の前に来るかもしれないと分かっていて扉の目の前に立ち、開くと同時に飛び込むなどしないから。
部屋に入ると同時に大きな音が鳴ったのだから、人がいたことには気付いただろう。だが彼はそのことを屋敷の人間に周知出来なかった筈だ。ガラクタを置いているように見せたあの部屋に当主が立ち寄る理由などない筈であるし、それによって万が一隠し部屋が露呈したらそれこそ終わりである。あの部屋は使用人の部屋からも遠く、生活スペースからも遠い場所にぽつんと設置されていた。誰も使わない忘れ去られた場所のように、気に留めないよう置かれていた。今更あのスペースの存在を他者に思い起こさせるようなことなどしたくなかったのだろう。
成功は目の前だったのだから。
だから彼は侵入者を追うことも出来ず、しかし侵入者に情報が割れていることは確かなのだから見逃すことも出来ず、ひたすら探していたに違いない。その相手がまさか王太子だとは思わなかっただろうが、気付いて焦りが出ない訳がない。
だって俺は、王太子殿下は、婚約解消の旨をカービネナ家に申し入れ、リリィを婚約者に据えるつもりだと打診した。パーティ会場に共に入って来たリザベルは青の色を纏わず、ファーストダンスも彼女を放ってリリィの手を取った。
リザベルが最後の孤立をする、計画の最終段階。
成功を確信し、心の底で笑みを浮かべていた筈だ。
それが狂い、手駒の断罪劇が始まった時、彼は一体何を考えていただろう。原因を探ったか、保身を考えたか、あるいは未だ諦めきれずに成功報酬を手に入れる算段をつけていたか。どれが正しいかは知らぬ。興味もない。あるのはそれ故にまろびでた彼の焦燥と本性を引き摺り出す、その目的だけだ。
「あの絡繰も粗末なものだった。よく考えれば分かること。この絵画を見れば、簡単に分かること。分かりたくはなかったが」
目を伏せる。ちらりと横目でネーガルー公爵を見れば、崩れた表情のまま唇を噛んで、握り締めた拳を震わせていた。
「数字のような凹みだった。8.8と読めるから、きっと何が数字に関わる暗号だろうと。そんな単純なわけ、ないのに」
これは数字ではなかった。当てはめるには酷く限られる、文字列を模したもの。書類などに使われるサインの最初3文字を、ピリオド含めて示したもの。
「あの部屋に入るための文字列は"L.K"。おかしいな、貴方の名字はネーガルーで"N"だ。ファーストネームも"L"じゃない」
Kを示す並びはHにも見えるから、もしかしたら「L.H」の可能性もあったかもしれない。けれどそれは絵画を見れば、その前に絡繰を置いていたあの物置部屋を見れば、Kでしかあり得ないと理解出来る。
「思えばあの部屋に入るための物置部屋も変だった。脚が折れた机や穴の空いた収納棚。壊れたガラクタしかないのに、埃一つない。これは矛盾だ。廃棄を待つための物なら、掃除なんてする必要はない。あれはフェイクだろう」
脚が折れた机も、穴の空いた収納棚も、丁寧に磨き上げられていた。あの部屋に入れたのがネーガルー公爵だけだというのなら、余程心を込めて掃除したに違いない。
「なぁ。お前は何を想ってあの家具を設置した?銀の細工が施された白の家具を。文字列を飾るペリドットの宝石を。何を模して作り出したんだ」
追い詰めるような口調になる。無意識に眉間に皺が寄る。拳に力が入る。
「白い肌を、銀の髪を、ペリドットのような黄緑の瞳を。誰を思い浮かべて作り出したんだ、なぁ!」
怒鳴るような声が響く。詰るように、非難するように、俺はありったけの感情を込めて俺はネーガルー公爵を睨みつけた。感情に肩を揺らし、地を這うような低い声で呟く。
「Lizabell Karbinena」
その、名前を。目的を、口にする。
「お前の目的は、リザベル。そうだろう?」




