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今回の話には、生理的嫌悪をもたらす可能性のある文章が含まれます。苦手な方はご注意ください。
「今宵は卒業パーティというめでたき夜にも関わらず、暗い話題で場を騒がせてしまったこと、誠に申し訳なく思います」
小さく微笑み、安心させるように視線を向ける。これで終わりかと、他の貴族はまともかと安堵の息を吐く彼らに、俺はまた声を張り上げた。
「このようなめでたい出来事をふいにするため、作り上げられて来た計画があったからです」
ぴたりと、ある男の動きが一瞬止まる。それを視界の端で留めながら、仰々しく話を続ける。
「カービネナ侯爵家に走った亀裂、第一王位継承者に近付くチャルファン男爵家の娘、彼女を養子にと名乗りを上げるブランフェル侯爵。スレラト侯爵家やその周辺の話は、その流れで出て来た膿のようなものでしたが」
人差し指を立て、首を傾げる。
「おかしいと思いませんか?あまりにも出来すぎている。私が婚約を解消し、ある少女が王妃の座に就くための流れが。
───ある少女が孤立するための流れが」
13年前、カービネナ侯爵家の娘が第一王位継承者の婚約者に決まった。元々国内屈指の有力貴族だ。当然、他家の隆盛を疎んじる者がいても不思議ではない。だからこそ、この計画は長年に渡って形作られた。
まずはカービネナ侯爵家の崩壊。侯爵も侯爵夫人も自身の評判をよく分かっている人物であったから、途中で仲が拗れても決して表には出さないと理解していただろう。だから内側に手を入れた。カービネナ侯爵はスレラト侯爵家の手引きで用意された場所にて誰かから妾を紹介され、思惑通り心を傾けた。それこそ、侯爵夫人が壊れるくらいに。それと同時に、カービネナ家の子息に声を掛けた。誰かに競合貴族の褒め言葉を吹き込まれたブランフェル侯爵達は、憂さ晴らしにカービネナ家の子息を追い詰めた。
"こんな話を聞いたのですが"
"貴方の妹君は、見目の麗しさと女という性別を存分に利用し、見事婚約者の地位に収まったのだとか"
"貴方が血反吐を吐いて努力を重ねても、たったそれだけの違いで生まれた貴方と彼女の決定的な差は埋まらないのですね"
"羨ましいことです"
"自身の体を利用すれば、どれだけ上の地位にも手を伸ばせるのですから"
最初は信じていなかった彼も、すれ違う度に同じ言葉を吹き込まれれば疑念へと変わる。大人という権威は、子供にとって絶対であり世界を決める全てだ。そうして、少しずつ歪んでいった。盲目的なまでにその言を信じるようになってしまった。妹は何の努力もなく出世した女だと。卑しくも、生まれ持った幸運を利用してのし上がっただけの売女であると。貴族の女が純潔を簡単に失えるかという話なのだが、ましてやその相手に世継ぎ問題が関わる王位継承者を選べるはずがないのだが、そんな理性はとうに"大人"という権力に握り潰されてしまった。彼は妹を責めるという愚行に走り、使用人達の前で彼女を粗雑に扱うようになった。
両親は見向きもせず、兄からは暴力を振るわれる。誰からも大切にされない少女に、使用人達は何を思ったか。誰にも庇われることのない孤独な少女は、誰にも助けを求めなかったから。求めることが出来なかったから。何をしたところで自身が脅かされることなどないと気付いた人間は、その多くが自身の醜いところを曝け出す。使用人達は、リザベルに暴力を振るうようになった。そうして誰も味方がいなくなり、リザベルはカービネナ家で孤立した。
パーティに出れば、嫉妬を向けられた。王太子の婚約者である、そのたった一つの理由で。嫌がらせにジュースを掛けるなんて、他の者に比べればまだ可愛いものだったかもしれない。けれどリザベルは家で虐待を受けている少女だった。余計な仕事を増やしたとなれば、受ける処遇は想像に難くない。そうして周囲と関わればまた家で怒られるのだから、自身を守るために距離を置くことは自然なことだった。そうしてリザベルは、同年代から孤立した。この嫉妬が煽動されたものかどうかは、今となっては分からないけれど。
学園に入学した後も、それは続いた。遠巻きにされるか、身分や地位のおこぼれを狙って近付いてくるかの2択。リザベルはもはや気に留めていなかったが、そんな矢先にリリィ・チャルファンが現れた。リザベルに近付き、評判が傷付くような出来事を起こし、それを庇う健気な令嬢を演じながら自身はフィルマと仲睦まじいとアピールする。婚約者がいるから結ばれることはない、悲しいけれど仕方ないと零せば、周囲がどう動くかなど分かりきっている。リリィはそれを利用した。そしてリザベルの評判は地に落ち、いつの間にか城下にまで届くようになっていた。男遊びの噂や暴力的であるという噂は、誤解と悪意のもとに成り立つものだ。けれどそれを精査するべき王城は動かない。分かりきった嘘だと相手にしなかったから、いつの間にか止められないほどに大きくなっていた。
そしてそんな少女が王妃になるなどあり得ない、と世論が大きくなる度にリザベルは窮地に立たされていった。噂を否定しようにも、そもそもの出所が分からない。何が目的か分かっていたとしても、もうどうすることも出来ない。リザベルは既に何にも関心を抱けなくなっていたから、否定することすらしなかった。そこで動くべき王城もその噂を鵜呑みにしてしまったのだから、余計に否定出来なかった。信じてくれない者に信じてくれと掛け合うことほど、不毛なことはない。何せ最初から疑ってかかって来ているのだ。いくら声を上げたところで、それすら嘘なのだろうと切り捨てられるのが目に見えている。少しでも理解してもらおうと努力することすら相手の態度を頑なにする。そんな経験を何度もしていれば、声を掛けることすら諦める。そうやってリザベルは、世論に押し出されるようにしてその地位を投げた。投げさせられた。1週間前、フィルマとリザベルの婚約は白紙にされたのだ。そして、世間からも孤立させられたのである。
「さて、ここで問題です」
群衆に視線を向け、穏やかに微笑む。氷のように冷たい怒りを胸のうちに抱えながら、口角を上げ笑って見せる。
「孤立した少女は、一体、何処に行くのでしょうか」
もしも、この計画が計画通りに進んでいたのなら。1週間前のあの日に命を断つ決断を下すことなく、今日まで生きて、ここで婚約解消を宣言されたのなら。
リザベルの居場所は、一体何処になったのだろう。
ざわざわと悩む声が聞こえる。いきなりこんな謎掛けを渡されても、知るわけがない。推測するには情報が足りない。
そう、足りなかった。
だから、彼の目的に辿り着けなかった。
彼の秘密を、暴くまでは。
俺は懐から、1冊の紙束を取り出した。
それを見た男の目が、一瞬険しく歪められる。
俺はその視線を嘲笑うように、宰相の前にそれを投げた。
「読み上げください、高らかに!不可思議な程に少女が、リザベル嬢が貶められた理由が、その計画の全てが、そこに記されております」
拾い上げ、パラパラと捲った彼は怪訝な顔をする。全てを見通せる位置からその様子を見下ろす王が、眉を顰めて首を傾げた。
「それは日記、か?」
「はい。ある家に隠されていたもので御座います」
王の問いに短く答える。その隣で見ていた宰相は眉を顰め、頬を引き攣らせた。
「お読みください」
もう一度伝えれば、宰相はごくりと喉を鳴らして震えた唇を開いた。渇いているだろう。舌が回りにくいだろう。反射的に人体がそうなる程に悍ましい事柄が、そこに書かれていた。
「"今日は、第二王子の生誕祭であった。そこで見た彼女は実に美しい。煌びやかなシャンデリアの下で、白粉のはたかれた真っ白な肌が輝いていた。近付けば香ったあの芳しさは薔薇だろうか。寒色に彩られながら真っ赤な薔薇の香りを纏うとは、やはり彼女は素晴らしい。アイツと共に軽食を摘んでいたが、あまり体調が良くないのか自ら手を付けることはなかった。アイツに気遣って多少は食べていたようだが、その顔はいつもより頬が2ミリほど引き攣っていて、口角は1ミリほど下がっていた。王家の挨拶の間は目を伏せ、静かに立ち尽くしていた。その姿の何と麗しいことか。触れれば折れてしまいそうな程に細いが、物怖じしない堂々とした態度に惚れ惚れする。潤んだ唇に何度吸い付きたいと思ったことか。身に纏う色は今日も今日とてアイツの色なのが気に食わないが、髪と瞳の色にはよく似合っていた。今日の姿絵は、一体誰に描かせようか。そうそう、逸る気持ちを抑えて父と挨拶に向かった。そろそろ当主交代を考えている、という父の言に、彼女が俺へ視線を向けてくれた。その瞬間、世界が鮮やかに色付いた。彼女を中心に、全てが。陶磁器のように滑らかで美しい肌。青の中に隠されたまだ慎ましい胸。レースの中に包まれた愛らしい両手。輝きを放っているかのような美しさに思わずうっとりと見惚れれば、彼女はその視線に気付いたようだった。咄嗟に繕ったが、挨拶を終えた後に一瞬振り向けば、アイツに重なって視線が切れてしまった。その瞬間、世界は急激に色を失っていく。あぁ、やはり彼女が。あの人を手に入れられるその日が、楽しみだ。"」
1ページ1ページびっしりと書かれた内容。出会った日から事細かに、容姿、一挙手一投足、発言の全てが書き記されている。ディアンのように必要に駆られたが故でなく、欲求のままに。大の大人が、齡一桁の少女に向けた劣情が記されている。
宰相も憚られると思ったのか、成長の記録についても目視とは思えないほどの具体的な数値とそれに対する欲望の部分では口を噤み、誤魔化しながら文章を読み続けた。しかし悍ましい記録の数々は、口に出さずとも目で読むだけで吐き気を催すものばかり。成長につれて欲望は明確に体への興味が綴られ、宰相の読めるスペースが小さくなっていく。文脈から飛ばされたであろう部分を察し、王は目を瞑り、王妃は青褪めた。
他人様の趣味・嗜好に何か言いたいわけではない。けれど、その対象に累が及ぶなら別だろう。脳内で、個人で楽しむ分なら止めることも出来ないが、その為に他者を犠牲にするのは許されない。
「一体こんな悍ましい日記、誰が書いたんでしょうね」
あまりの内容に群衆が言葉を失った中、ただ1人既にそれを知っていた俺が言葉で切る。それ以上の情報は精神に異常を来すと判断し、視線の矛先をこちらに変えた。既に宰相は顔を青白く染め、医者に付き添われて一旦部屋を出て行っている。彼は白だと思っているが、廊下に出るならばと恐らく憲兵が付いている筈だ。護衛にもなるだろう。
「誰が誰に向けたもの、なんでしょうね」
歪に持ち上がった口角が、それを知った絶望時のように哀しげに揺らいだ。




