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ざわっ、と今までの比ではない明らかな動揺が場を支配する。どういうことだ、何と言った、口々に呟かれる言葉は全て混乱を極めていた。けれどそんなことはどうでもいい。俺が進み出たと同時に、この会場と外を繋ぐ出入り口は全て塞がれた。
「まずは、先日捕縛されたカービネナ家の侯爵、侯爵夫人、次期当主、及び使用人達についてです」
声を張り上げる。その声に気圧されるように、彼らは押し黙った。自分の声だけが通ると理解し、話を続ける。
「まずはカービネナ侯爵。彼はこの国で禁じられている妾を持っていた。侯爵邸に囲い、不貞を働き続けた。貴族の手本であり民衆の手本とあるべき侯爵家当主にあるまじき行為です」
愛妻家であり、仲睦まじいと噂されていたカービネナ侯爵の裏切りは、皆に衝撃を齎した。
「続いて侯爵夫人、次期当主、使用人達。彼らの罪は個別に挙げるとキリがないが、まとめて言えば一言で済む。カービネナ侯爵家子女、リザベル嬢への虐待です」
群衆の視線が泳ぐ。知っていたかと周囲の人間に聞き、首を横に振り合っている。当然だ。悟らせないようにしていたリザベルに、不備など一つもなかった。
「最初にリザベル嬢を虐待したのは王妃教育のために雇われた家庭教師でした。当時6歳にもなっていなかった幼き彼女に対し、朝早くから夜遅くまで分刻みで勉強の予定を詰め、休憩も与えず延々と座学・実践を繰り返した。幼き子供に施す教育にしては、些かやり過ぎと指摘せざるを得ません」
一旦言葉を切り、次の罪人について話し出す。
「そんな苛烈な家庭教師に、母である侯爵夫人は否やを唱えなかった。それどころか加担した。一文字でも間違えば書き付けた紙を奪い取り、破り捨てたとの報告も聞いています。満足のいかない出来であれば食事を抜かせ、暴力まで振るっていた。これを虐待と言わずして何というか。そうして侯爵、侯爵夫人から見向きもされず、暴力を無言で受けていた娘に対し使用人は何を思うか。まともであればどうにか助け出そうとするでしょうが、そんな者があの家で生きていける筈がなかった。ベス!」
「はい」
会場内に待機していた使用人の中から、1人の少女が進み出る。ベスと呼ばれた彼女は、かつてカービネナ家に勤め友人を失った被害者だ。
「発言をお許しください。私はカービネナ侯爵家に勤めていた侍女の1人です。友人と共に勤めていました。友人と共に、見て来ました。リザベルお嬢様に手を上げる不埒な輩を。お嬢様の白い肌に青紫と黄の痣が出来る姿を、鞭を振り回し殴る・蹴るの暴行を加える姿を!ずっとずっと、見て来ました!」
段々と声が大きくなる。悲痛な叫びのように、涙を堪えながら主張する。時折息を詰まらせて、それでも喉を動かして、カービネナ家の腐敗を叫ぶ。
「友人は正義感が強く、優しい人でした。お嬢様付きの侍女になり、そんな惨状を目の当たりにした彼女が取る行動は一つです。奥様への、直談判。けれど、お嬢様を傷付けていたのは使用人だけではありませんでした…っ!だから奥様は、衛兵に命じ、彼女を殺したのです!!」
虐待、暴力、殺人。その証言が嘘であると唱える者はここにいない。唱えられる者はここにいない。けれど証拠くらいはいるだろう、と次に医師を呼んだ。
「1週間前、保護されたリザベル様を診察致しました。彼女の体は服で隠れる場所を境に、黄疸と青痣に染まっておりました。そのほとんどが打ち身で御座いましたが、医者として断言致しましょう。あの量、あの付き方、自然に付くものでは御座いません。リザベル様のように外へ駆けることが少なく、公務が多いのであれば尚更。あれは全て、人為的に付けられた傷で御座います」
医師はそう告げると王に書類を差し出した。一般化された人の正面・背中から見た図のほとんどが黒く塗り潰されている。細かな説明と共に書かれたそれは、全てが傷の在処だった。その黒は、手や首、顔など露出が必要な部分でぴたりと綺麗に途切れている。あまりにも浅ましく卑劣な行いだと、王は眉を顰めた。
「次期当主は?」
「彼は、積極的にリザベル嬢の元へ赴き暴力を振るっていたわけではなく、妹の優秀さと次期王妃という地位に嫉妬して、会う度に罵詈雑言を浴びせていたようです。それでも髪を掴んで振り落としたり、突き飛ばしたりといったことはしていたようですが。また、牢では口にするのも悍ましい言葉の数々をリザベル嬢に投げ捨てておりました。それらは同時に私への侮辱ともなり得ますので、不敬罪にも当たりましょう。以上がカービネナ侯爵家の持つ罪の、その一端で御座います。具体的な事柄とどの罪に値するかについては既に裁判長らが書き記しておりますので、後程ご覧ください」
俺の従者がそっと大量の書類を示す。膨大な量だ。当然である。13年前に婚約した日から今日に至るまでの年月のうち、どのくらいリザベルが彼らから虐待を受けていたと思っているのだ。王城でリザベルの教育係を引き受けていたディアンが虐待に気付いてからすぐに、リザベルの言と多少見えていた痣についての書類が作られていた。それらとベスの証言を合わせれば、膨大にもなるというもの。自白させられた使用人達の言葉も書類に起こせば、これだけの量になる。妥当な量だろう。これを喜んで纏めていた者がいるのは少々分からないが。
「続いてリザベル嬢の級友について。友と呼ぶのは憚られますが、便宜上級友と呼ぶことにします。彼らはリザベル嬢の地位の高さや優秀さに嫉妬し、度重なる嫌がらせを行なっていました。おや、誰かさんと一緒ですね。それはともかく、名前を伏せずともお分かりになられますよね。今、この会場にいらっしゃるのですから」
跪いたまま振り向く。ざっと視線で彼らを撫でれば、びくりと肩を震わせる者や慌てて視線を逸らす者、口を噤み俯く者などが見えた。
「…学園に入る前、11歳の頃。リザベル嬢のドレスに飲み物が掛けられる事件が起きました。それも嫌がらせの一環であったと記憶しています」
知っている。見て来たのだから。その汚れに怒り狂った侯爵夫人と使用人達に、長時間教育という名の折檻をされているリザベルの姿を見たのだから。
「学園内でも同様です。リザベル嬢を貶める噂が流された。彼女が平民や貴族に手を出しているだの、使用人に暴力を振るっているだのといった噂です。馬鹿馬鹿しい。リザベル嬢を見ていればそう分かる内容ばかりでしたが、多くの者が信じた。信じ、広めた。それこそ婚約者の地位を追われるほどに」
思わず目が鋭くなる。怒りで体が震える。落ち着け、と深呼吸を一つ挟んで立ち上がり、くるりと振り向いた。目の前にいるのは、リリィ・チャルファンだ。俺はリリィを一瞥した後、すぐに群衆に目を向けた。
「おかしいと思わなかったのか。王妃教育を受けている娘にそんな暇はないと、思い至らなかったのか。浅慮も甚だしい。お前達の無理解が、無知が、彼女を追い詰め、首を掻き切ろうとしたというのに」
物理的に、心理的に、社会的に。リザベルの命は、絶たれかけたのだ。
ぐるりと視線を回し、あの日リリィを助けてとリザベルに駆け寄って来た女子生徒を見つける。そしてあの日逃げるように場を去った、恐らくリリィをいじめていたとされる高位貴族の娘達も見つけた。
「噂が流れる前、リリィ・チャルファン男爵令嬢が誰かに転ばされたという話があったな」
びくり、と彼女たちの肩が動く。
「君はリザベル嬢に助けを求めた。どうしてだ?近くにいた誰かではなく、わざわざリザベル嬢を呼びに行ったと聞いている」
聞いているというよりは見たという表現が正しいが、俺はその場にいなかった筈なので、何故知っているかと追求されない為にさりげなく嘘を混ぜる。
「そ、れは…」
「──大方、チャルファン男爵令嬢に唆されたのだろう。リザベル様なら助けてくれるかもしれないわ、と」
彼女の目が驚愕に見開かれる。図星だったのもそうだろうが、俺がリリィを嘲るような言葉を使ったせいもあるのだろう。
「違うか?」
「…っ、なん、で…」
「何がだ?」
「違う、違うわ、リリィは唆したりなんかしない!リリィは優しくて良い子なの。あの時、突き飛ばされて、痛そうで。相手の人の身分が高かったから、同じくらいの高い人じゃないときっと話も聞いてもらえないって、頭が良いから、リリィはそう、気付いて──」
「他にも、いたんじゃないのか?」
「──え?」
「あの場には、俺が到着した時には、リザベル嬢と同じくらいに、そして彼女らと同じくらいに高位の令嬢はいた。野次馬というにはチャルファン男爵令嬢に近い距離で、立っていた。どうして彼女には話し掛けなかった?どうして彼女達に助けを求めなかった?どうしてわざわざ、遠くにいたリザベル嬢を引っ張り上げたんだ」
「それ、は」
「"リリィが言ったから"だろう?それ以外に君が、君達がリザベル嬢を呼ぶ理由などないからな」
「っち、が」
「違わない。だから君は今動揺している。そして、君に更なる動揺を与えよう」
俺は小さく息を吸って、彼女から群衆へ視線を向ける。大仰に、舞台の上の俳優のように、大袈裟に注目を向けさせてみせる。
「リザベル嬢の噂は何処から来たものだろうか。誰から流れ、どのように広まったものだろうか。誤解も、無知もある。けれど、それ以上に噂には必要なものがある」
俺は人差し指を立て、にこりと笑った。
「悪意ある煽動者の存在だ」




