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 見た目だけは豪華な屋敷が見えて来る。窓から見える表面上の部分はきちんと整えられ貴族然としているが、じっくりと見れば多くの傷跡が残りガタが来ているのが分かる。目を凝らして奥の方を観察すれば、取り繕うことすら間に合わないのであろう荒廃の跡が見られた。財政の逼迫(ひっぱく)により、屋敷の管理が疎かになっているのだろう。それでも他者に悟られないよう、表面的な見栄えだけは整えている。見るものが見れば分かるが、一時凌ぎには良いのだろう。

 一時であれば。

 考え事をしていると、ガタンと馬車が停止した。堂々とした王家の馬車は、忍ぶことなくチャルファン邸の玄関に停められる。道程も顔を隠すことなく自身の存在をアピールしたので、噂に聡い家ならば今頃大騒ぎだろう。数日前にカービネナ侯爵家が一家浪党捕えられたことと繋ぎ合わせて、好き勝手憶測を事実のように並び立てているかもしれない。それが目的で、その通り行動した自分が掌の上だと気付くのは、一体いつになるのだろうか。

 そんな思考を切り替えるように、馬車から身を滑らせチャルファン邸に降り立つ。真っ直ぐ前を向けば、男爵を真ん中に、その両隣に夫人と一人娘のリリィが立っているのが見えた。

「…あぁ」

 演じようと思わずとも、自然と笑みが零れる。それは愛しい者を見つけたが故でなく、獲物を見つけた捕食者のように。

「フィルマ様!」

 馬車を降りると同時に、リリィが俺に駆け寄って抱きついて来る。1週間前までは素直に受け止めていたそれも、今となってはその行動にも裏の顔が透けて見えて、嫌悪感に(さいな)まれる。けれどそんな考えを悟られるわけにはいかないから、優しく抱き留めてやった。

 きっとリリィは気付いていないのだろう。王家嫡男として、婚約者の居る身として、今まで一度もリリィの抱擁を受け入れたことがなかったことなど知る(よし)もない。腕に手を絡められそうになったり、側に寄られたりした時にはいつもさりげなく身体接触を(かわ)していた。一度だけ、学園の裏庭でリザベルとリリィを中心に騒ぎが起こっていた時だけ、それを躱せなかったことがある。あの時だけは、リザベルの"殿下"呼びに意識が向いていて何も出来なかった。それ以外では立場上の問題もあったし、何よりリザベルとリリィの双方に不誠実なことはしたくなかった為徹底的に躱して来た。王族が身を滅ぼすのは多くの場合欲が原因だと、学んで来たからだ。欲の引き金となりそうな事案は、避けるが吉と教わって来たからだ。

 そのため、リリィをリリィとして認識した上で、誰にでも差し伸べる訳でなく"リリィ"に対して行った受容の姿勢は、これが初めてである。けれどリリィはそれに気付いた様子もない。本来望み続けた一方的な思慕が返されれば、それが行動で示されれば、どれだけ取り繕おうとも態度に滲むものだ。けれどリリィの顔色は変わることなく、当然のようにそれを受け入れている。

 つまりリリィは、こちらの心の変わりようもそもそもの好意的感情も、どうでもいいのだ。

 だから関心がなく、変化に気付かない。相手のことを想う気がないから、些細な行動の変化に一喜一憂することもなく、微かな違和感が隠せない。その積み重なった微かな違和感によって、彼らの欲に(まみ)れた計画は破綻する。

 記憶によって補正され、情に近く、切り落とすのに覚悟が必要だと感じていた彼女への想いは、いとも簡単に砂粒となって消えた。

「やぁ、リリィ。来るのが遅くなってすまない」

「いえ!仕方ないです…リザベル様のお家が、あんなに大変なことになってしまったのですから…」

 悲しそうな表情で俯くリリィ。ふわりと編み込みにされたボブヘアが揺れ、伺うようにこちらを見つめて来る。

 そのカービネナ邸を押さえたのは俺であるし、その目的と言えばリザベルを守る為なのだが、この様子だとリザベルだけは勾留されていないことを知らないのだろう。確かに情報統制をして「カービネナ侯爵家の者を捕らえた」とだけ世間に伝わるよう細工したが、リザベルだけは俺と共に馬車に乗ったから、情報が漏れている可能性も考慮していたのに嬉しい誤算だ。その誤情報もありがたく利用させてもらう。

「あぁ。詳しいことは言えないが、あの家は大分貴族として相応しくない行いが多くてな。()()()()との婚約なんてごめんだ」

 吐き捨てるように告げれば、リリィがぱっと顔を明るくする。不謹慎だと捉えられかねないその行動も、彼女を信奉する者によって良い方に解釈されるだろう。例えば、王太子殿下がそんな悪い女に引っ掛からなくて良かったと喜ぶ健気な娘、なんて。

「フィルマ様がそんな大変なお家と繋がりを持たなくて良かったですわ。そんなことになったら、私、心配ですもの」

 自然と口角が緩まる。そんなに分かりやすかったんだな、と心の中で呟いた。その俺の笑みを見てうっとりと表情を緩めるリリィ。物理的距離が縮まりそうな様子を見て、チャルファン男爵がゴホンと咳払いをした。

「邪魔をして申し訳ありませんが、ここは往来の場ですから」

「あっ、ご、ごめんなさいフィルマ様…っ」

「いいや、私こそすまない。リリィも夫人も立ちっぱなしでは冷えてしまいますね」

「お気遣いありがとうございます。それではこちらへどうぞ」

 チャルファン男爵が手揉みをしながら屋敷内へ案内する。本来であれば執事か何かに命じるところだろうが、彼らにそんな余裕はないらしい。遠くの方でバタバタと走り回る音がする。その足音は応接室に近付くほど大きくなり、扉が開いた瞬間ピタリと止まった。慌ただしく走り回っていたであろうメイドや執事は服装が僅かに乱れ、肩が大きく揺れている。それらにチャルファン男爵が視線を(すが)めると、そそくさとはけていった。

 チャルファン男爵家と現王太子殿下、その従者だけが部屋に残される。促されたので、後ろに従者を立たせながら彼らの真正面にある革張りのソファに腰掛けようとすれば、するりとリリィがやって来て隣に座った。流石(さすが)に驚いてそちらを向けば、表情を緩めたリリィが悪戯(いたずら)っ娘のように微笑む。話し合いの関係上(あなが)ち間違いでもなく、けれど貴族からしたら非常識な対面状態となった。それを許してしまう程惚れ込んでいるのだと見せつけて、対面に座るチャルファン男爵・男爵夫人に真剣な顔を向けた。

「単刀直入に言います。先触れにも出した通り、リリィを婚約者として迎えたい」

「まぁっ!」

「なんと、手紙で聞いてはおりましたが、本当に。リザベル様は、どうなさるおつもりで?」

 白々しく驚いて、わざとらしく現婚約者について聞いて来る。先程リリィが口にしたのだから、カービネナ侯爵家が家ごと差し押さえられたことなどとうに知っているだろうに、男爵も男爵夫人も三文芝居を続けている。

「もう噂になっていると思いますが、カービネナ侯爵家は少々貴族の責務と権利を勘違いしており、王家としてその存在を看過出来なくなりました。そのため彼の家と婚約を続けることは出来ないと判断致しました。けれどこの時期に第一王位継承者の婚約者の不在は前代未聞であり、王家としても心苦しい。そこで私は、父にリリィを推薦したのです」

 我ながらよくスラスラと出て来ると思う。男爵と男爵夫人が頷くのを確認し、そのまま続けた。

「彼女は学園でもよく私を支え、その発想力と民への思いやりで多くのことを進言してくれました。私にはない視点を持ち、新たな角度からの切り口を教えてくれる。これはリリィの才です。得難く、今の王家に必要なものであると考えています」

 俺はリリィの肩を引き寄せて、まるで恋愛結婚を申し込む男のように真剣な面持ちで告げた。

「だから、どうか。どうかリリィとの結婚を認めていただきたい」

 リリィは顔を赤らめて、潤んだ瞳のまま自分の両親を見つめている。それを確認したチャルファン男爵は愛娘に優しい笑みを向けた後で、ゆっくりと深く頷いた。

「…フィルマ様程の方に申し込まれて、こちらが否と言える筈が御座(ござ)いません」

「それに、可愛い娘も望んでいる様子だもの。わたくし達が口を出すことではないわ」

「嗚呼、ありがとうございます」

「…けれど、リリィは我が男爵家の娘。フィルマ様とは身分差がありすぎて、そのままでは多くの方の反感を買うでしょう」

 それは確かにそうだ。男爵、子爵家が王家と結ばれるなんて基本的には認められない。何処(どこ)かの国では例外的に認められることがあるらしいが、それは当人が類稀(たぐいまれ)なる才を(まつりごと)の場面で発揮したり、国で信仰されている聖女その人であると認められたりした場合が多い。けれどリリィは政に顔を出したこともなければ、新たな視点を教えてくれるだけで実際に法改正に乗り出したことはない。つまり民衆や貴族連中に認めさせるには、実力が足りないのである。

「…我々は、以前からフィルマ様との様子をリリィから聞いていました。烏滸(おこ)がましい前提では御座いますが、いつかフィルマ様がリリィとの婚約を望む日が来れば、身分差を懸念材料に入れないで済むようにと考えておりました」

 チャルファン男爵の合図に合わせ、すっと真ん中のローテーブルに1枚の紙が置かれる。

「これは…」

「ブランフェル侯爵家とリリィの、養子縁組書類です」

「なんと!」

「寂しいけれど、それがリリィの幸せの為になるのなら」

 ざっと目を通して、それがブランフェル侯爵家で見たものと違いはないと確認する。知っていたが、ここでそのことを話すのは野暮(やぼ)というものだ。

「私達のことを考えてくださり、心から感謝致します」

「えぇ。リリィを宜しくお願い致します」

 そうしてまとまった俺とリリィの婚約について、法的証拠が欲しいと持参した婚約書類を差し出す。そこにチャルファン男爵とリリィのサインが入る。


 あぁ、何故気付かないのだろう。

 リリィの後継人はブランフェル侯爵になるのだから、チャルファン男爵のサインなんて必要ある筈ないのに。


 透かしの入っていない偽物の婚約書類にサインして、未来の王妃の実家という立場を夢想する彼らに笑みを向ける。

「どうも、最近私の書類が破られたり紛失したりといったケースも少なくなく。出来れば保管をお願いしたいのですが」

「えぇ、えぇ、構いませんよ」

「良かった。こんな大事な書類に何かあったら絶望してしまうかもしれないのでね。明日、正式にリザベル嬢のことを発表した後に、皆に話がしたいので持参してくださると助かります」

「お任せください」

 話がひと段落したのを感じ取ったのか、メイドがお茶を持って来た。汚れないよう書類を片付けた後に持って来たため有能かと思えば、客が来た時点で出さない辺り高が知れている。

「そういえば、最近領地の治安があまり良くないと言う噂を聞きましたが」

 婚約を(まと)めたらすぐに帰ると思っていたのか、切り出された話にチャルファン男爵が目を丸くする。

「未来の妻の実家ですし、遠慮なさらないでください。何か、問題でも?」

 声を(ひそ)めて問い掛ける。男爵は目を泳がせ、戸惑ったように「そうですねぇ」だの「えぇ、まぁ」などと誤魔化すばかりだ。ここで上手く立ち回れば馬鹿から資金援助をぶんどれるのに、予想外の出来事には弱いらしい。それもそうか。予想外の不作に金策が足りず、表面上を取り繕うのに躍起になっているのだから、それを見破られること自体が恥なのだ。

「…もしや、税の徴収が上手くいっていないのですか?」

 だから助け舟を出すように、言い訳しやすいように誘導してやる。すると侯爵は簡単に乗り、「えぇそうなのです!」とわかりやすく顔を明るくした。頭の弱い者は、扱いやすくてありがたい。視線の回し方から、きっと今考え付いた言い訳なのだろう。

「ここ最近、日照りが続いて農作物の収穫が上手くいっていないとかで、定めた税をきっちり納めていない者が多いのです。納税の義務を怠るなど国民の恥で御座います」

 それをどうにかするのが領主の役割なのだが、とは言わない。

「そうなのですね。しかし税を納めるにしても治安が悪いと更に難しくなり、けれど治安維持には税が必要。悪循環でしょう。ならばその解決のために、王家から融資を致しましょうか」

「それはそれは、助かります。民も安心して暮らせるでしょう」

「いいえ、構いませんよ。未来の王妃のためですから」

 茶番も良いところな話し合いを終えて、立ち上がる。その意図を汲み取って立ち上がった男爵と握手を交わし、微笑む。この件については口約束で、書類を取らないことを不思議がる者はいない。

「貴重な時間を使わせてすみませんでした。明日、王宮で会えることを楽しみにしています」

「こちらこそ。わざわざ我が屋敷までありがとうございます」

「構いません。話があるのはこちらなのですから、こちらから出向くのは当然でしょう」

 指摘されて気付いたが、確かに王族が出向くのは変だなと感じた。まぁ屋敷の様子や使用人達についても情報収集がしたかったので仕方ない。そんな本心は悟らせないよう笑顔で誤魔化しながら、挨拶を交わした。

「フィルマ様!」

 馬車に乗る直前で、パタパタとリリィが駆け寄って来る。振り向けば、リリィがはにかんで花の精のような可憐な笑みを浮かべた。

「また、明日」

「…あぁ、また明日」

 恋人と別れる寂しさを堪えるように、互いに切ない表情で笑い合ってその場を後にした。

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