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「そろそろお昼だな。何か食べたいものはあるか?」
リザベルの方を見て問い掛けると、悩む様子もなくふるふると首を横に振る。そういえばリザベルは今現在味覚障害を患っているのだ。リザベルに付けた医者から報告としては聞いているが、食事を共にしているわけではないので実感が湧かなかった。憑依している間も好き嫌いなくきちんと食べていたし、いつからそうなのかは分からない。定期的に行っていた茶会でも、リザベルはバランス良く控えめにお菓子を摘む程度で、あからさまに目の色を変えて好んでいる様子のものは見たことがなかった。だからリザベルの好みも分からない。昔からいるコックならわかるかと従者に牢獄へ向かわせたこともあるが、知らないと一言述べた後に金切り声で釈明を聞かされたとのことで、報告時には疲れ切った様子だった。温かいジンジャーティーを淹れて休ませたが、効果はあったのだろうか。
「そうか。ふむ、それなら普段はあまり食べないものを食べてみようか」
「?」
リザベルはきょとんと首を傾げながらも頷き、俺に手を引かれるまま歩いている。向かったのは表通りから少し裏に逸れた静かな店。開いた扉から中を伺えばちらほらと人が座っており、セットされた小さな鐘を鳴らせばパタパタと奥から給仕の女性が現れた。
「はぁい、何名様ですかぁ?」
「2人だ」
「では、こちらへどうぞぉ」
間伸びした口調の女性に案内されたのは、窓際の角席である。無意識にリザベルの椅子を引いて座るよう促した後で、向かいの椅子に腰掛ける。籐で編まれたような椅子だが、少し揺らしても柔らかく衝撃を逃すだけでびくともしない。久しぶりに城下町に来ると技術革新が凄まじいな、と感心しながら、備え付けられたメニュー表を開いた。見開きいっぱいに料理の名前が書かれている。
「パティをバンズで挟んだ食べ物らしい。海を越えた西の大国で人気なのだとか」
メニュー表に書かれた"ハンバーガー"という綴りを指しながら説明する。
「どんな味がするので…するの?」
「俺も食べたことがないから分からない。けれどチーズが入ったものや野菜が入ったものなどメニューが多彩で、ソースはオリジナルブレンドなんだとか。次に行こうと思って、長年来れてなかったんだよなぁ」
学園に入学してからは忙しくて、城下町に降りる時間が取れなかった。それでも多少の自由はあったのだからリザベルよりはマシだろうけれど。あんな雁字搦めの生活に耐えたリザベルは、これからの一生を自由に生きても許されると思う。
「どれか気になる名前はあるか?」
「…これ、かな」
しばらく悩んだリザベルは、ある名前を指差す。モッツァレラとチェダーのチーズ2種類が入った、薄く切り開かれた鶏肉を挟んだハンバーガーである。名前の横にある説明を読んで、口の中に涎が溜まった。
「チキンか。美味しそうだな」
「うん」
「それなら俺はこれにしよう」
俺が指差したのは、アボカドと海老がパティの上に乗ったハンバーガーである。海のないこの国では珍しい海産物と、名前だけしか聞いたことのない食材につい釣られてしまった。
「あと、これはじゃがいもの揚げ物か。試しに注文してみよう」
給仕を呼んで注文を終えると、談笑という談笑もないままあっという間に商品が運ばれてきた。
「お待たせしましたぁ~」
先程案内してくれた給仕が、盆に載せた2食を持って来てくれた。あまりの速さに目をぱちぱちと瞬いていると、「あ~」と納得顔で給仕がにこりと笑った。
「うちは速さが売りなんですよぉ、食べるのはゆっくりで大丈夫なので、どうぞごゆっくり~」
「そうだったのか。うん、ありがとう」
ぺこりとお辞儀をして、給仕は手を上げている他の客の元へ向かう。その後ろ姿を見送って、初めて見る食べ物に視線を落とした。バンズの間に挟まれた肉は熱々の肉汁を零し、その上には緑色をしたとろりとした何かと、赤と白の格子縞に彩られた小さな曲線の何かが乗っている。いつか本で見た記憶を顧みるに、前者がアボカドで、後者が海老だろう。初めて見るものに心躍るのはリザベルだけではないのだ。
そう考えたところではたと気付く。今はお忍びとはいえ、俺もリザベルも毒味が必要な立場である。今この状況が誰かに露見している可能性は極めて低いが、0ではない。むしろこのタイミングで毒を盛られたらかなりまずいことになる。困ったと今更ながら思い出すと、ふいに隣席が埋まった。ドサっと腰掛ける2人組の男は、どちらも見覚えのある変装をしている。ちらりと視線を不自然でない程度に向ければ、向こうもきょとんとした顔をすぐにぱっと明るくした。
「あっれぇ~、奇遇っすね!もしかしてデートっすかぁ!?」
普段の畏まった様子を微塵も感じさせない軽さで話しかけられ、安堵と「うわぁ」という本音が混じり合った溜め息を吐いてしまった。そう、彼らは俺の従者である。何とも絶妙なタイミングで入って来たものだ。それにしても演技と変装技術が凄い。俺も負けていられないが、本気を出したら怒るのはコイツらなのだ。人生ままならないものである。
「そうだよ。ベル、こいつらは俺の部下」
「あ、どうも!よろしくっす!」
リザベルは聡いため、今の紹介である程度伝わったらしい。勿論王族が護衛もなしで城下に出るわけがないという常識のもとに構成された考えなのだろうが、実際にそれをやった前科があるので誤りの特例については触れないでおく。
「うわ、美味しそう!オレたち腹ペコペコで~、今からだと時間掛かっちまいそうなんすよねぇ…一口、いただけませんか!?」
「こら。すみません、デート中なのに」
「構わん。…一口やったら他の連中には黙っておいてくれるか?」
「はい!むしろくれなかったら、お腹が空いて半開きになったこの口からポローっと出ちゃうかもしれないっすねぇ!」
「調子の良い奴め。一口だけだぞ」
「わぁい!ありがとうございますっすー!」
そう言って俺の隣にいる従者がハンバーガーに手を伸ばしたところで、もう1人の従者がそっと鞄の中から持ち歩き用に開発されたカトラリーを取り出した。わかりにくいよう、先端だけが銀製になっている。銀は毒に反応して色を変えるため、毒味の定番なのだ。
「これを使え」
「お、あざっす」
銀のナイフとフォークを、その雑な態度からは想像出来ない程器用に使い、じっくり検分しながら一口分切り分ける。バンズ、パティ、アボカド、それに海老もきちんと含めるよう切り分け、全ての食材に毒が入っていないかを見極める。匂いを嗅ぎ、怪しいところがないかを確認した上で口に含む。反対側では、もう1人の従者がさりげなくリザベルの分の毒味を始めていた。
沈黙の時間が訪れる。何かあったら即座に動けるよう、退路や近くの休憩所の場所などを頭の中で描きながら、従者の判断を待つ。そしてしばらくして、従者は互いに視線で会話をし合った後、大きく両手を上げて叫んだ。
「美味いっす~!!なんすかこれ、何入ってるんすか!?初めての味っす!先輩も早く食べた方が良いっすよ!」
馬鹿でかい声に店の視線が集まるが、引き受けているのは俺の隣の従者と差し出されたハンバーガーだけだ。銀食器の光が肉汁を反射してキラキラと輝かせている。
リザベルの方を確認すると、こっそりと「大丈夫です。毒は入っていません」と報告されているのが見えた。頷いて、やっと食事を始める。
「そうだな。これはアボカドと海老のハンバーガーというやつだ。好きに頼めば良い。ここは俺が奢ってやろう」
「マジっすか!?ありがとうございまーす!」
「すみません、ありがとうございます」
よくある上司と部下の会話を続けると、他の席も従者の喜びように影響されたのか、ポツポツと同じメニューを頼む声が聞こえて来た。
「あ、ついでにポテトも貰いますね」
「お前ってやつは…」
呆れた顔を浮かべるが、必要なことだ。他の客に怪しまれないよう演技を交えつつこちらも同じだけ待てば、大丈夫だという頷きを貰った。これで俺とリザベルは、晴れて食事が出来るというわけだ。
この店のハンバーガーはかなり大きめなようで、切り分けて食べるのがセオリーらしい。そのまま齧り付いたら顎が外れそうだ。周りの客に倣って一口分切り分け、口に運ぶ。タレの染みた肉と、バターのように濃厚であっさりとした後味の青い果肉、そして独特の香りに包まれたぷりぷりの剥き身が一気に口の中を包み込んだ。旨味の放流のような味の移り変わりが、どれか一点に偏ることなくバランスよく訪れる。バンズもふわふわで、パティとの相性が抜群である。挑戦した甲斐があるというものだ。芋の揚げ物、確かポテトと呼ばれるそれも、フォークで刺して口に運ぶ。噛んだ瞬間ほくほくのじゃがいもがパリッとした外側と塩味がハーモニーを奏で、熱さよりも美味さが勝る程病みつきになる。何度でも手を伸ばしたくなる美味しさだ。
「美味いな」
驚いて声を上げれば、リザベルは顔を上げて迷った後で小さく頷いた。
「…味がわからないか?」
問えば、リザベルはぴたりと動きを止めて、小さく首を横に振った。先程串焼きを食べていた時はとても嬉しそうだったから、完全に味覚がないわけではないらしい。けれど今は戸惑っている。やはり影響はまだまだ根深いらしい。
「お肉は、美味しいと、思いま、思うわ」
肉以外の味がわからないということか。串焼きが食べられたことで油断していた。先程は自ら進んで食べていたので、味覚が戻っていないことをすっかり失念していた。けれど今のリザベルは申し訳なさそうに戸惑うばかりで、食事が楽しそうな様子はない。先程との違いはなんだろうか。パンとチーズという他の食材が入っているが、それが原因だろうか。試しに肉だけを切り分けて食べてみてくれと言ってみたが、それでもリザベルの反応は芳しくない。俺のハンバーガーはどうだろうか、と一口分交換してみるが、やはり反応はイマイチだ。俺が食べた2種のチーズは濃厚で、パティの新たな面を見せてくれたと感じる味だったが、リザベルにとってはそうではないらしい。
「…美味しい?」
「あぁ。俺は美味いと思う」
「そう。ならやっぱり美味しいのね」
「…? 待て、リ……ベル。このハンバーガーの味はわかるか?」
「っ」
リザベルが目に見えて動揺する。先程「肉は美味しいと思う」と告げたのは、美味しいという概念が未だ確立されていないせいだと思っていた。違う。これは先程の串焼きには味を感じていたが、今目の前にあるハンバーガーにはそれを感じられていない反応だ。
何故。
何が違う。
さっきと今は、何が違う。
具材か、場所か。食べ方か、心の持ちようか。
「…っわか、りませ……」
思わず敬語に戻るリザベルに、責めていないと微笑みながら首を横に振る。不安げに瞳を揺らすリザベルに、俺は少し思考した。何が違う。視線を落とすと、先程従者にさりげなく差し出された銀食器が目に入る。それは庶民が使うことはなく、自分達が貴族であると嫌でも思い起こさせるもの。
もしかして、と俺はカトラリーを置いて、無作法ではあるもののハンバーガーを一部手でちぎって口の中に含む。それを見たリザベルが驚愕に目を見開くが、俺は気にせずリザベルにも同じ行動を促した。オロオロしながらも綺麗な指先で千切ったパンを食し、ぱっと目を見開く。
薔薇が咲いたかのように、その頬が色鮮やかに染まった。
「どうだ?」
リザベルはこくこくと頷き、嬉しそうに食べ始めた。こちらの様子を横目で伺っている従者達は首を傾げているが、俺はなんとなくリザベルの味覚についての絡繰がわかった気がする。
銀のカトラリーや礼儀正しい食事は、貴族社会を思い起こさせるものだ。そして貴族社会は、リザベルにとって脅迫的な教育の成果を出さなければならない場所であった。失敗など許されず、少しでも平均、いや優秀から落ちれば暴力が振るわれる緊張感。そんなプレッシャーを意識的にであれ無意識的にであれ感じていれば、味なんて気にしていられないだろう。そうして癖付いた、味よりも行儀を優先にした食事では、楽しさも美味しさも感じることなど出来る筈がない。
だからこそ今、行儀に対する緊張感を驚愕で上塗りし、わざと態度を崩させた。そして目論見通り、リザベルは串焼きと同じように味を感じることが出来るようになった。これはディナーについても改良を申し出ないといけない。
「ベル、こっちも美味しいぞ」
手掴みでポテトを食せば、リザベルも倣って同じように口に運ぶ。咀嚼した瞬間ふわっと表情を和らげるのだから、こちらも美味しいと感じられているようだ。
「もう1度こっちも食べてみるか?」
そう問い掛けて一口分、口を付けていないところから千切って差し出せば、リザベルはおずおずと受け取った。珍しい味と食感に驚くかと思ったがすんなりと受け止め、夢中でもぐもぐと食べ始めた。どうやら食事を楽しめているらしい。
ホッと小さく息を吐き、俺も食事を再開する。
向かいで一生懸命小さな口を開き、指先が汚れることも厭わず夢中で食べ進めているリザベルを見ていると、何故だか安心で泣きそうになった。




