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 綺麗に俺達と同じタイミングで食べ終えた従者達の分も合わせて払い終え、「ありがとぉございましたぁ~」という気の抜けた挨拶を背中に受けて店を出る。てこてこと俺の後ろをついて来るリザベルに手を差し出して、腹ごなしに路地裏を歩くことにした。表通りほど派手には展開していないが、一つ一つ拘って作られたと分かる細工屋、焼き立ての香ばしい香りを漂わせている季節のパイ屋、小銭稼ぎか石段に座って靴磨きをしている少年など、穏やかな時間が流れている。表通りから外れるほどに喧騒は遠くなり、王城に似ているが緊張感のない緩やかな静けさが辺りを包んでいた。散歩というには結構歩いたところで、俺はリザベルの方を向いて声を掛ける。

「そろそろ大通りに戻るか。こちらは静かで居心地が良いが、あまり人から離れるのも──」

 良くないだろうから。そう続けようとした言葉が、何かが割れる音によって掻き消される。反射的にリザベルを庇って視線を向けると、表通りとは反対側の薄暗い路地で、大きな男が子供達に向かって怒鳴り散らしているのが見えた。


 何処にでもある光景だ。


 国があればそこに必ず貧富の差は生まれる。日銭を稼がなければ生きていけない身では、不安から感情が揺れやすくなるのか暴力沙汰に繋がりやすい。何かに当たることでしか不満を解消出来ない者は何処にでもいる。更に治安の悪いところに行けば、死体さえ生きるために使う者がほとんどだ。他者の為に祈る時間では腹は膨れず、他者に分け与えていれば飢えるのは自分であるから。生きていくのが精一杯な身において、他者の生を気遣う余裕なんてない。

 そういう者を掬い上げるのが、国の仕事だ。

 少しでもそういった者を減らし、手の届く範囲を広げるのが王の仕事だ。

 だからここで動くのは、俺の仕事なのだ。

「行け」

「御意」

 隠れて尾行していたであろう影に命じる。子と、同時に大人も保護する。暴力の理由が国が背負うべき問題か個人によるものか、それらの判断は警邏(けいら)が行うものだ。影がするのは現場への突入と、今現在確定的に被害者である少年の保護である。影によって制圧された大人が無力化されたタイミングで、別の従者が少年に近寄る。先程食事処で見事に軟派な男を演じてみせたあの者だ。今度は優しいお兄さんとして振る舞っているようで、見た目も16、7歳に見える。いつの間に着替えたのかと思えばそんなことはなく、態度と仕草でそう見せているだけだった。

 少年はかなりの警戒心を見せていたものの口手八丁で丸め込まれ、あれよあれよという内に警邏の元へと連れて行かれた。本物の身分証も持っている筈なので邪険には扱われないだろうが、やはりああいった場面を目の前で見るのは心に来るものがある。

 リザベルの時も、そうだった。

 憑依して見ていた時も、それが過去のものだと分かっていても目を逸らしたくなるほどに凄惨(せいさん)な現場は幾度(いくど)となくあった。それを実際に経験していたのだと思う度、気付けなかった自分が情けなく、悔しさに胸が張り裂けそうだった。

 ぎゅっと無意識に握り拳へ力を入れていたところで、ハッと我に返る。リザベルは大丈夫だろうか。トラウマが刺激されて、傷は痛んでないだろうか。それにそもそも抱き寄せた時に傷に(さわ)らなかっただろうか。色々な疑問と不安が押し寄せ、そっとリザベルを腕の中から離す。リザベルの瞳には何の感情も浮かんでおらず、ただぼーっと誰もいなくなった現場を見ていた。

「ベル?」

「…どうして」

「え?」

「どうして、影と従者を、」

 それは、無意識に(こぼ)れてしまったかのような言葉だった。そうだ。リザベルはまだ、暴力を否定しきれていない。長いこと蓄積された痛みと歪んだ認識は、簡単には戻せない。リザベルの困惑は、きっと俺が子供を庇ったことにあるのだろう。影と従者を介入させた理由が、よく分からなかったから。

 俺はリザベルの腕を優しく掴んで、目線を合わせ(さと)すように告げる。

「彼らの事情は分からない。けれど一方的な暴力は"良くないこと"だ。それも、無抵抗の相手なら尚更。それは(しつけ)や教育じゃない。ただ自身の不平不満を解消したいが為の、利己的で身勝手で、傲慢(ごうまん)な行いだ」

「教育、じゃ、ない…?」

()()()()。君が受けていた暴力に理由なんてない。君のためを思って行われたものでもない。そんな理由で振るわれる暴力は、この世に存在しない。痛いのも苦しいのも、本当は君が受け取らなくて良かったものだ」

 呆然とするリザベルに、罪悪感が込み上げる。

 知らなかった筈だ。認めたくなかった筈だ。自分が幼い頃から大切にして来た家族が、自分を(ないがし)ろにしていただなんて理解したくなかった筈だ。正しいと信じていたこと全てを壊されるなんて、身を斬られるように痛いだろう。何もかもがぐちゃぐちゃになって、分からなくて、苦しくて、でも変えられなくて、何度も何度も問い掛けて葛藤する筈だ。


 自分を形作って来た「嘘」を「真実」で塗り替えるのは、非常に苦しいことだから。


「リザベル」

 動揺に巡る瞳が、俺を捉えることはない。名を呼ぶ声は届かない。ずっと無関心で接して来なかった俺が、それが例え暴力という卑劣な行為を介してでも幼い頃から接して来た相手に勝てないというのは、わかっている。けれど彼女を死の(ふち)まで追いやった彼奴(あいつ)らに、リザベルからの信用という点で負けるのは、何よりも(しゃく)だった。

「リザベル」

 リザベルの中の常識は、簡単には変えられない。この歳まで形作られて来たそれは、リザベルの根本を担うもので。けれどそれを覆さなければ、リザベルの幸せを迎え入れるなんて出来ない。リザベルを心の底から笑わせるためなら、俺は地獄にだって落ちてやるし、恨まれたって構わない。だからここでリザベルに前を向かせるのは、俺の役目だ。

「リザベル!」

 俺はリザベルの腕を強く掴んで、こちらを向かせた。ビクッと震えるリザベルの細い肩が、大きな瞳が、彼奴らのせいで絶望に染められるなんて我慢ならない。真っ直ぐにその瞳を覗けば、独りぼっちで何処(どこ)かに置いて行かれた迷い子のように、酷く幼い目をしていた。

 反射的に言葉が、喉から滑り落ちる。



「俺を見ろ、リザベル!」



 絶望の淵に沈み行くその手が、闇の中に落ちる前に。迷い子の手を取るのは、先を行く、帰り道を知っている者の役目だから。わからないと言うのなら、こちらから迎えに行くだけだ。俺が道標(みちしるべ)となる、そう叫ぶだけだ。

 目を見開くリザベルの手を握り、真っ直ぐに目を合わせる。本当は親がこうすべきだった。彼女に教える立場の者が、幼い彼女に目線を合わせて諭すべきだった。けれどそんな"もしも"は叶わないから。

「君も、救われるべき人間だ」

「…え」

「あの子供と同じように保護され、守られ、慈しまれるべき人間だ。間違っても、必要のない痛みを与えられるべき人じゃない。君は、大切にされることを知るべき、優しく強い人だ。家族を、大切な人を悪人にしたくないと願える優しい人で、そのために自分を犠牲に出来る強い人だ。けれどその犠牲になるべきでない人でもある。君は、リザベルは、皆に、大切にされるべき存在なんだよ」

 リザベルの若草色の瞳が大きく見開かれて、滲むように光が揺らいだ。

 嗚呼、泣きたい。大粒の涙を流して、泣いて、縋ってしまいたい。こんな当たり前のことを受け取ることが出来ず、困惑してしまう君が悲しい。そんな君にした世界が憎い。怒りなんてとうに沸点を超えていて、何かに没頭していなければ既にこの身を焼き焦がしていただろう。苦しい。辛い。痛い。この感情は全て、リザベルが押さえ込み自身の中で殺したものだ。だからこそ、この感情を感じられなくなった君が苦しい。そうせざるを得なかった環境が、社会が、この世界の全てが憎い。


 君の手をもっと早く掴めなかった、俺が、憎い。


「リザベル」


 震える声が、唇から零れ落ちる。


「…フィ、ル」


 小さく呟かれたのは、まだ婚約を結ぶ前に使っていた呼び名。年も位も近いからと幼馴染のように育った俺たちの、幼少期に置いて来た思い出。光が落ちるように空に置かれたその名は、空気を切り裂くように鋭く、そして辺りを包み込むように優しかった。

「フィル、フィ…ル…」

 何かを確認するように繰り返し呟かれる。何度目かで、リザベルの瞳から透明な雫が落ちた。白い頬を伝うそれは、憑依していた幼少期でさえほとんど見なかったもの。それが(せき)を切ったように溢れ出し、リザベルは脱力したように俺にもたれかかって来た。

「フィル、フィル……」

 俺はそれを優しく受け止めて、リザベルの背に腕を回す。あやすような一定のリズムで、背中を優しく叩く。押し殺すような泣き声が、肩に押し付けられていく。

 初めて吐き出されたリザベルの苦痛は、透明なまま俺の肩へと溶けていった。

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