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 見方を変えて学園生活を見てみれば、全てが明らかになった。リリィがリザベルに不躾に近付いて、(はた)から見ればリザベルが何かしたように見えるよう事を起こしていた。リリィの熱狂的とも言えるファンが騒げば、それをしばらく眺め、騒ぎが大きくなったところでようやくリザベルを擁護する。表面上はリザベルを庇っているように見えるように健気を演じて。けれど、その口から出るのはいつも誹謗だった。優しく聖母のようなリリィ・チャルファンは、いつだって庇うふりをしてリザベルを(そし)っていた。何故誰も気付かないのだろう。失礼にも程があるその口を、どうして無理矢理にでも閉ざす者がいないのだろう。

 分かっている。リザベルの代わりにリリィが国母になると皆が信じて疑っていないことは。それが全て俺の振る舞いのせいであることも、自覚している。リザベルの不幸の原因は俺にあると理解している。当時の俺はリザベルの"王太子殿下"呼びに困惑しそれどころではなかったのだが、今ならその原因が自分であると理解出来ている。自分が先にリザベルを見限ったようなものなのに、よく言えたものだと自分でも思う。


 俺はリリィと結ばれるつもりはなかった。


 言い訳がましいが、リリィは男爵家の娘であるし王妃教育も受けていない。王妃というのは一朝一夕でなれるようなものではないのだ。だからどれだけリザベルに悪評が付こうとも、リザベルと結婚する事実は変わらないと思っていた。気にするだけ無駄だと考え、対処しなかった。噂の出所を調査することも、リザベルを庇い慰めることもしなかった。そんな姿を見ていれば、彼女を見限ったと周りに思われるのも当然である。リザベルが婚約解消、それどころか婚約破棄される前提で接する者も増えて来た。腫れ物に触るような態度、見下すような態度、あからさまに馬鹿にするような態度。見るのも憚られるような醜悪なものも多かった。けれどリザベルは凛とした態度を貫いていた。話し掛けられれば優しく返し、礼まで丁寧に行う。相手がどれだけ自分を口汚く罵って来ても、絶対に言い返さず流すだけ。それはそう教えられて来たからなのかもしれないけれど。

 その対応が面白くないのか更に腹を立てる者も多かったが、俺はその姿を格好良いと思った。憑依しているせいで体の動きはある程度分かっても、その姿は鏡越しでなければわからない。けれど声はいつだって聞こえて来る。折れず、腐らず、ただひたすらに俺の婚約者としての役割を果たしてくれるその姿は、いっそ清々しい程に格好良かった。


 それが例え、強迫的な教育の成果だったとしても。


 言い返すことすら諦めた末の態度だったとしても。


 それはただ1人で戦う、美しい少女の姿に見えた。


 俺は、こんな格好良い女性の手を離そうとしたのか。分かり合うことをやめ、忌避したのか。自分が傷付くのが怖くて、ずっと傷付け続けていたのか。リザベルは俺が噂について聞くまで、僅かでも他と違う感情を俺に向けていてくれていたというのに。


 リザベルがボロボロになった体で、鏡の前に立つ。よく手入れされた銀の髪と、光を失った若草色の瞳が埃だらけの姿見に映る。それに触れる手の平はおおよそ人間のしていい肌色ではなかった。リザベルは珍しくもその痛々しい痣を鏡越しに確認して、そのまま手の平を自身に向けた。指の腹まで青い。平には爪痕が赤く残っており、その色の違いは隠しにくい手首からパッタリとなくなっていた。リザベルは(おもむろ)にネグリジェをたくし上げると、白く細い太腿を晒す。その肌の色はある所を境に真っ青に染まっていた。赤く走ったミミズ腫れも見られる。襟を引っ張ると肩の辺りから胸にかけて、ちょうど服で隠れる位置に大量の傷が出来ていた。痣と、火傷と、切り傷と、引っ掻き傷と。いろんな手段で与えられたであろう傷が、生々しくリザベルの肌を彩る。本来なら知るべきでない痛みを、その身に余す所なく刻み付けられている。

 それを一つ一つ確認したリザベルは、何も言わずに自分の肌を撫でた。境目に優しく触れると、目の前の鏡を見つめる。疲れ切った少女と鏡越しに額をくっつけると、深く息を吐いた。

 今日も遅くまで授業や折檻があった。日付は知らぬ内に変わり、部屋の外にいる衛兵もやる気なくだらけている。使用人のほとんどは寝静まり、父も母も父の妾も兄も、誰も起きていないそんな真夜中。リザベルは自分しかこの世にいないような錯覚を覚えながら、その感覚に身を任せて鏡の中に話し掛けた。


「私は、殿下の婚約者に相応しくないんだって」


 扉から離れた鏡の前で、リザベルは声を潜めて呟く。

「知ってるわ。出来損ないで愚図の私は何も出来ないことくらい。笑っているだけで婚約者になった女であることくらい、分かってるわ」

 いつか母に言われたこと。いつか教育係に言われたこと。そして兄に言われたこと。いつまでも突き刺さったまま離れない言葉の(やいば)を、思い出すようになぞる。

「殿下はそんなことないって言ってくださったけど、結局信じてくれなかった。噂なんてくだらないって言っていたのに、結局疑った」

 フィルマは、リザベルに関する噂を聞かれて一蹴したことがある。馬鹿馬鹿しいと返したのを、リザベルは見ていた。それが唯一の希望だった。フィルマが噂について聞いた時、俺を期待した目で見たのはそういうことだったのだ。

 あの時まで見限られていなかった理由を知り、思わず目頭が熱くなる。それなのに、俺はリザベルの目の前で貶すような噂を並べ立てた。愚図は俺の方だ。最低で最悪なのはフィルマの方なのだ。リザベルは何も悪くない。リザベルは誰よりも理知的で優しく、周りを慮れる温かい人だ。あんなに厳しい王妃修行に耐えながらもそれを隠せる、強い人だ。言いたいことが、喉の奥に募っていく。

「ならどうすれば良かったの?答えは何処にあったの?教えてもらわなきゃ分からない。何も分からない。全部、ぜんぶわからない」

 リザベルの声が、段々と小さくなる。押し殺した声は泣いているようにも聞こえるが、涙腺が緩むことはない。泣くことが、出来ないのだ。いつの間にかリザベルは、涙を失っていた。


「食べ物って美味しいの?」


「ダンスって楽しいの?」


「人と関わるって面白いの?」


「婚約者を盗られたら悲しいの?」


「悪口を言われたら苦しいの?」


「殴られたら痛いの?」


「生きるって幸せなの?」


「幸せって、何?」


 募り募った疑問が、一気に吐き出される。この時ようやく、リザベルの感覚が失われていたことに気が付いた。リザベルはそのことを誰にも相談しなかったし、そんな素振りも見せなかった。味覚を感じない。痛覚もない。感情も心も全部不明瞭の中に置き去りにして、体だけが歪に成長した状態。振る舞いも容姿も大人そのものなのに、何処か欠けたように見えるのは知らない内に周囲に殺されていたから。リザベルという"個"を、最初からなかったもののように押し潰されていたからで。

 リザベルは鏡を見つめ、優しく微笑んだ。いつも1人の時は光のない目をして口を横に結んでいたのに、初めて自分に笑い掛けた。

 それは、自分自身に対してさえ偽っているようで。酷く嫌な予感に、心が揺さぶられた。


「おやすみなさい。また、今日に」


 そう呟いたリザベルが一瞬目を向けたカレンダーは、俺が婚約解消を申し入れるその日を指していた。

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