第17話 Story about C-683 3-1
セシリアのオカリナが揺れている。それを眺めながら、C-683は唸った。
複雑で濃厚な味が口に広がる。化学合成の食材しか知らなかった彼には、未経験の味覚だ。
生物の力を借りることで、作り出された味らしい。
遺伝情報を数百種類ほど、彼が彼の主から与えられた生産設備にインプットしたことで、こんな味わいが実現したという。
「ボルシチ・・・・・・と言ったか? 」
「ええ、美味しい? 」
蠱惑的な、愛くるしい笑顔が覗き込んでくる。
「お前の端末に入っていた遺伝情報だけで、化学合成では作れない材料を、生物工学的にこの住居船の設備に合成させて、この料理を作ったのか? 」
「まあね」
左腕に絡む、細いブレスレットを弄びながら、セシリアが応える。「ちゃんと生物由来の材料を使えば、もっと美味しいのが作れるのだけどね。
これに入っている情報をあなたの合成装置にインプットしただけじゃ、これが限界ね。
ビートサワーの爽やかな甘酸っぱい風味も牛骨の深い旨味も、充分には再現できなかったわ」
残念そうでなく、むしろ自慢気に、自分の料理への低評価を口にして、捕虜の女は微笑んでいる。
ブレスレットを弄ぶ右手の小指には、オカリナに結わえ付けられた紐も引っ掛けられている。
ブレスレットを弄ぶほどに、オカリナは揺れる。
捕虜は今や自由気ままに、彼の住居艇の全ての設備を操作できる。
そして、C-683をも。
もう一口ボルシチを流し込み、その味わいに低く唸ってから、彼はつぶやいた。
「それが、端末だったなんてな」
「すごいでしょ。宇宙系がもつ探知機くらいじゃ、これが端末だなんて見抜けないでしょうね。
こんなに細いから、あなたはこれの存在にすら、気づいていなかったのじゃない? 」
「うむ。ブレスレットを身に付けていたなんて、お前に言われて、初めて気が付いた。
怪しい物を全て見つけ出すはずの、この部屋の自動検査設備も、そのブレスレットはスルーしてしまったようだ」
胃袋を掴んだことで、警戒する必要を感じなくなった捕虜は、リラックスした得意満面を略奪者に見せつける。
「うふふ。それでも苦労はしたのよ。ここにある遺伝情報だけで、ボルシチに似せた味を作り出すのは」
「そのブレスレット型端末でここのシステムにアクセスして、生産設備に遺伝情報を利用した生物工学的合成を行わせることも、睡眠指導装置に細工することも、できたというわけか」
「私の記憶を電子データとして読み出すのには、私の体内の循環型微小端末も必要だったけどね。
それは地球系ならほとんどの人の体内にあるし、あなたの検査装置では、見つけられなかったでしょ」
「恐れ入ったな。こちらが見つけられない端末を使って、自分の記憶をここの装置に導入し、俺にあんな夢を見させるなんてな。
俺の内にあった欲望を目覚めさせ、ロードへの忠誠を、揺るがせてしまうなんて」
夢によって暴かれ、捕虜の色香に燃え上がらせられた欲望は、今また目の前の手料理によって、C-683に深く刻み込まれている。
食欲、性欲、自由や知識への欲と、異なるものに見えても、一つの炎から飛んだ火の粉だ。
それらは、もはや隠しようもない火傷を、彼の心に残した。
欲を抑え込んできたロードへの、不信と共に。
知らさないことで抑え込まれてきた、人の肌や愛情や官能や味覚への欲望は、知ってしまえば抑えなど効かない。
抑圧への憎しみが、激しく噴出する。
もっと多くを知りたい。行きたいところに行き、見たいものを見たい。
生まれながらに心の内にあったのに、ずっと気が付かずに来た。
だが、もうそれらは、今では止められない意志となった。
ボルシチの味わいが体にしみわたるにつけ、その思いは深まるばかりだ。
目を閉じて、C-683はそれを反芻していた。
不意に、聞きなれぬ音が聞こえた。
切ない音。透き通った音。心の深い部分に届く音。
自分の心に、そんな部分がある事すら知らなかった部分に、滔々と流れ込んでくる音。
セシリアの掌に隠れてしまいそうな、小さな楕円形の物体から聞こえる。
さっきから、手に紐でひっかけられ、C-683の前で揺れていたオカリナを、彼女は吹いた。
「こんなにも、心に染みる音色を出すのだな」
「オカリナの音色なんて、聞いたことも無かったでしょうね。たっぷり聞かせてあげる」
一旦手の中の物体から離れた唇は、そんな言葉を紡いだ直後に、またそれに触れた。
途切れた音も再開し、C-683に染みわたる。
(こんなに素晴らしい音があったのか。どれだけ多くを知らずに来たのだ、私は?
どれだけの感動に目を塞がれ、どれだけの欲望を抑え込まれて来たのだ? )
凍えた手を湯につけたような、温かさが隅々に行きわたる感触。
だが同時に、苛立ちのような焦りのような感情も、どこかに引っかかっている。
何も知らない自分を蔑む思いか。
目の前の捕虜との、決定的な経験値の差がもたらす、劣等感か。
与えられるばかりだった。
夢に見せられた愛情や自由。ボルシチの濃厚な味わい。オカリナの美しい音色。愛くるしい笑顔。
これだけ与えられて、与えるべきものが何も無い。
当然だ。略奪ばかりしてきたのだ。
奪うことだけが彼の人生だった。
奪って、ロードに献上する。そればかりを繰り返した。
捕虜に与えられるものなど、あるはずがない。
何かを与えたかった。何を?
笑顔か? 笑顔にさせたいのか?
2度目の行為が終わった際、彼女に蹂躙されたC-683が果てた直後、初めて見せた笑顔。
その後も、何度も見せてくれた。
(そうだ、笑顔は、セシリアが私に与えてくれるものだ。
私が与えるのは、与えたいのは、セシリアを笑顔にできる何か。
彼女をいつでも笑顔にさせられるものを、1つでも多く手にしたいのだ、私は)
今回の投稿は、ここまでです。 次回の投稿は、 2022/12/10 です。
生物工学的合成や化学的合成や生物由来物質という言葉は、「銀河戦國史」には頻繁に登場しています。
それの説明をした後書きも、何回も書いて来たと思うので、うんざりされている方もおられるかと危惧しております。
ですが、本文で登場したからには、「なんのこっちゃ」と思われている読者様がおられる可能性があるので、改めて説明させて頂きます。
後書きで説明するのを反則行為と認識しておきながら、発展途上を言い訳に、恥も外聞も無く。
生物工学的合成は、生物そのものは登場しませんが、生物が持っている遺伝情報(DNA配列)から酵素を合成し、それによって目的物質を作り出すなどの工程を指します。
現代でいうバイオテクノロジー(生物工学を英語にしただけですが)の延長と考えて頂いて結構です。
現実世界のビートという植物も、遺伝子から情報を読み出して酵素を作り、その酵素の作用で根(食べる部分)やそこに含まれる栄養味覚成分を合成しており、ビートの遺伝情報を完璧に駆使できれば、ビートと同様の味わいを人工的に再現できるはずなのです。
ビートサワーはテーブルビートの根を発酵させたものなので(ウィキペディアの情報です、作者はボルシチを食べたことも肉眼で見たこともなく調理なんて完全に無理です)、発酵にあずかる微生物の遺伝子も必要になります。
化学的合成は生物の力を借りず、完全に人工的な工程のみで目的物質を作り出すことを言います(人も生物だとかいうツッコミはご容赦願います)。
生物由来物質というのは、現代のわれわれが普通に「食材」と呼ぶもののことと考えてください(人工合成の調味料などは現代でもありますが)。
数千年もの未来なら、ボルシチを作るのに必要な全ての微生物を特定し、ビートも含めたそれらの遺伝子を完璧に駆使して、ビートサワーを作り出すことも可能になっているだろという作者なりの未来予測を、さりげなく(?)織り込んでみたというわけです。
ですが、ボルシチを作りだすのに必要な物質を、化学合成だけで(つまり生物の力を借りることなく)作り出すことは、この時代でもできていない設定になっています。
更には、生物そのものを使って(つまり本物のテーブルビートを本物の微生物に発酵させたビートサワーなどを使って)作ったボルシチと、全く同じ味わいを再現することもできてはいない、という設定でもあります。
数千年後の未来に置いて、この予測がどの程度当たっているのか。
生物工学でビートサワーを作るなんて、まだまだできていないのか。
化学合成だけで作れるようになっているのか。
そもそも人類がそこまで存続できていないのか。
こんな想像を膨らませるのが、作者は楽しくて仕方ありません(人類滅亡の予測ですら)。
こういう楽しみを共有して頂けない方には、「ボルシチ」作りにまつわるセシリアの話など、記憶にも残らないかもしれません。
しかし、セシリアとC-683がこれからどうなるのか、ロザリオはセシリアの件に関わって来るのか、などなど、楽しみにして頂ける要素は他にも沢山用意したつもりなので、興味のない所は適当に読み飛ばしつつ、読み続けて頂けるととても嬉しいです。
ですが、やはり、作者と同じ楽しみを共有して頂ける読者様がいて下さると、更に更に嬉しいのですが、いかがなものでしょうか?




