Operation14:シー・チェイス
都心にある高層ビル群の上空から姿を現した一機の攻撃ヘリ・アパッチは、その力を誇示するかのように激しいダウンウォッシュを残し、功一の駆る複合型ゴムボートの上を通過飛行していった。
アパッチは非常に高価な機体で、ダークスネークが一機を試験運用中だとは聞いていたが、こんなところで出てくるとは。
ボートの後方に抜けたアパッチは、一八〇度旋回して、再び距離を詰めてきた。今頃、アパッチの射撃手は舌舐めずりしているだろう。
アパッチは功一のボートの右舷、少し前方につけた。直後、機首下部に取り付けられたチェーンガンが火を噴いた。三十ミリ機関砲弾が連射される暴力的な轟音に、功一はハンドルから手を離して耳を塞ぎたい衝動に駆られる。さらに、斜め上から大量の空薬莢が降って来るのを見て、功一は両目を瞑ってハンドルを左に切った。
右腕に薬莢が触れ、功一は焼け火鉢に触れたような感覚を覚えた。再び両目を開いたとき、前方のペイヴホークはローターの根元から黒煙を噴いて高度を下げ、そして海面に墜落した。
「くそ!」
アパッチは、ちょうど功一の真横を低空飛行していた。そちらを見ると、タンデム式コクピットの前席に座るガンナーの顔と一緒に、チェーンガンの銃口がこちらに向いた。
ヤバい。ガンナーの口元がわずかに動いた瞬間、功一は少し緩めてあったスロットルを全開にした。複合型ボートは加速し、チェーンガンから放たれた三十ミリ機関砲弾が後方に着弾する。
功一は織田から借りたシグザウアーP226を取り出し、片手でトリガーを引いた。五発をアパッチに叩き込んだが、アルミ合金の装甲を施した機体に対して、九ミリ拳銃弾はあまりにも無力だった。
次は、フェイントは通用しないだろう。こんなゴムボート、三十ミリ弾を一発でも食らえばお陀仏だ。どうする……?
頰を殴るようなダウンウォッシュが軽くなり、功一は右を見た。アパッチはすでに旋回を始め、功一から見て斜め後ろに機首を向けた。その先に、別のヘリが見えた。ブラックオリオンのリトルバード攻撃ヘリ。松崎が増援を呼んだのか、作戦指揮課が必要と判断して寄越したのかのかは定かではない。功一にとっては九死に一生だが、このままアパッチとリトルバードの一騎討ちになれば、リトルバードに勝ち目はない。生まれつきの戦闘ヘリであるアパッチと、汎用ヘリに武器を搭載して無理矢理ガンシップに仕立てたリトルバードでは、性能の差が大き過ぎる。
アパッチがチェーンガンを発砲。リトルバードは急旋回で逃げる。
その戦闘の行く末を見届ける余裕は、功一にはなかった。
とにかく、いまは由貴が乗るボートの追跡に専念しなければならない。それがおれの仕事だ。チェーンガンとバルカンの発砲音が交錯する中、功一はボートのハンドルを握り直した。フルスロットルで、二隻の距離を詰める。
前方のボートで、マズルフラッシュが閃いた。直後、ヒュンという風切り音。拳銃の銃撃、と判断した功一は反射的にスロットルを緩めた。
波で揺れるボート上で、なおかつ射程の短い拳銃では、まともな照準は望めないが、遮蔽物のない海上で近づきすぎるのは危険だ。功一は前方のボートから百メートルほどの距離をとった。
海岸に近づいている。
そう思った刹那、ヘリの羽音がひときわ大きくなり、功一は空を仰いだ。エンジン付近から黒煙を噴くリトルバードが、高度を下げながら功一の頭上を追い越してゆく。その先にいるのは……。
「危ない!」
揚力を失ったリトルバードは、前方のボートの右手すれすれに墜落した。派手に水しぶきが上がり、モーターボートに乗っていた一人が海面に弾き飛ばされた。それは由貴ではなく、拳銃を撃ってきた男だったようだ。
相討ち、だったのだろう。テールローターから黒煙を吐き出しているアパッチが、一瞬風防に朝陽を反射させて輝き、遠くの海上に不時着するのが見えた。
前方のボートは砂浜に乗り上げた。残った男が由貴を連れて砂浜から逃げようとしているが、足を負傷しているらしく、その場から動かなかった。墜落したリトルバードの破片でも食らったのかもしれない。
功一は徐々に速度を落とし、浅瀬で複合型ボートから降りた。P226を片手に、砂浜に足を踏み入れる。
三十代に見える男は、立たせた由貴の首に左腕を回し、こめかみにベレッタM92FSを突き付けて立っていた。彼は足に深傷を負っているようだった。立っているのも相当辛いに違いない。
十メートルほど離れて足を止めた功一は、両手保持でP226を構えた。
由貴は疲労しきった表情で、こちらを見つめているように見える。
男は功一を睨み付けて、何も言おうとしない。
外す距離ではない。功一は濡れて目にかかった前髪の間から、P226の照準をつけ、トリガーを引いた。スライドが後退し、空薬莢が弾け飛ぶ。九ミリ弾はM92FSを持った男の右腕を抉り、呻きが上がると同時に、砂浜に鮮血を散らした。
男は砂浜に崩れ落ち、解放された由貴は数歩あとずさる。功一は男にP226の銃口を向けながら、由貴に駆け寄った。幸い、目立った外傷はなさそうだった。
「宇城さん、怪我は……」
功一の言葉は、いきなり抱き付いた由貴に遮られた。力が抜け、功一の手から離れたP226が砂浜に落下した。
今まで、怖かったんだろう。功一は由貴を軽く抱き返した。彼女の身体は温かく、柔らかかった。長い髪は海水で濡れていたが、わずかに甘い香りがした。
「ごめんなさい、つい」 我に返ったように由貴は功一から離れ、照れたような笑いを浮かべた。
「いや……」 と返した功一は何を言えばいいのかわからず、口を閉じる。
砂浜に落としたP226を拾い上げ、軽く砂を払った功一は、「あの……」 とかけられた声に、視線を上げた。
「ありがとう」
まっすぐこちらを見て、由貴は微笑んだ。屈託のない笑みが眩しく、視線を逸らしかけた功一は、バランスを失って倒れそうになった由貴を支えた。肩を抱き、「大丈夫か!?」 と声を掛ける。「ちょっと、疲れちゃったみたい……」 と返した由貴は、ぐったりとしていた。
無理もない。何の訓練も受けていない人間が、極度の緊張と疲労に耐えられる時間はそう長くない。そのまま眠りに落ちた由貴は、穏やかな寝顔をしていた。なぜか報われたような気分になった功一は、近づいてくるヘリの羽音に気づいた。
眩い朝陽に照らされながら、降下してくるペイヴホークの機影は、間違いなくブラックオリオンの機体だ。思いのほか早く到着した迎えに、功一は安堵の息をついた。
この警護任務は、この先さらに危険度を増すかもしれない。今回も、運がなければ死んでいただろう。次は死ぬかもしれない。だが、逃げ出す気分にはならなかった。自分がこの任務に従事することで、彼女の笑顔が守れるなら——。