97:格の違い
いいことを教えてやろう。
そう告げたワイルは自身の傷も気にせず両手を広げてストレインに余裕を見せると、ニイィ──……と黒い笑みを浮かべた。
「ちょっとした昔話だ。コルダ王国のな」
「……ほう」
「あの頃……そう、あの頃だ。新たな英雄の誕生に国が希望に満ち溢れていた……あの頃!」
「英雄、か」
「ああそうだ! 懐かしいよなァ! テメエが一番キラキラ輝いていた頃じゃねェか!?」
それはストレインがウェムラ・アキュラと出会う前の時代。
コルダ王国騎士団の白兵隊隊長として活躍し、ヴァレンティン王国との戦争において最前線でのめざましい戦果を挙げ続けていた在りし日のこと。
異名は『魔喰らい』。
当時のストレインは若き英雄として国に祭り上げられ、人々の期待を一身に背負っていた。
だが、
「パーティーで飲む初めての酒は美味かったか? 酔って浮かれて……」
そして謎の刺客の襲撃に深手を負わされて。
そこからの騎士時代のストレインの境遇がどうなったかは知っての通りだろう。
「テメエの目を潰せと密かに命じたのはオレだ」
ふいにワイルは告げた。
「お前を慕っていた後輩のシャルティエも、お前を息子のように思っていた騎士団長ダストールも、なぜか手を差し伸べてはくれなかったよなァ? おかしいと思わなかったか?」
目を失ったストレインを騎士団は見放した。
二年の月日をリハビリに費やしたストレインに、帰る場所は無かった。
だがそんなことは普通ありえない。
知れば誰もがそう思うだろう。当時のストレインの人望を知れば──。
「テメエを勝手に襲ったこと、親父殿にはさんざん絞られたがな……。オレが代わりの英雄として戦場に立つのを条件に許しを得たってとこだ」
アルカダ大陸の英雄、魔喰らいのストレインを失った直後に現れた男。
射殺す暴威のワイルは劣勢に立たされた自国をその力によって持ち直すと、敵国との戦争において驚異的な活躍を見せた。
「昔っから惹かれちまうんだァ、眩しい光に。そんで、どうしても穢したくなる」
当時から秘密組織シモンズの研究による洗脳技術の実験は秘密裏に行われていた。
ワイルにとって王国内部の人間を自分の都合の良いように使うのは容易かったのである。
全て仕組まれたことだった。
ストレインが感じた痛みも、孤独も、絶望も。
「いつだって裏から糸を引いてたのはオレだ。つまりィ、お前の悲惨で可哀想な人生は全部このオレ様のせいだったってわけだ! ヒャッヒャッヒャ!!」
ワイルは笑う。
語られた過去の真実。
ワイルという男が画策し成就させたこの企みは、悪だくみというにはあまりにも酷いものだったと言えよう。
剣を下ろしたまま何も言わず話を聞いていたストレインは、ややあって口を開いた。
「……お前が。そうか」
「憎いかァ? 憎いだろうストレイン!? リュミエの町だけじゃねえ、お前の生涯における全ての敵が目の前にいるんだ! さあ怒れ! 」
分かりやすい挑発だった。
だがワイルが知らせた真実は、挑発だろうと容易く看過できるものではない。
今に至るまでの人生、そのほとんどを一人の男に弄ばれたのだ。
策に嵌められたストレインが受ける精神的な苦痛、憎しみは計り知れない。
魔人の代償は理性。魔刃は感情。
だというのに、感情がないはずのストレインの纏う空気は険しい。
(いいぞォ……いけ、ストレイン。全部壊しちまえ)
ワイルの口元には邪悪な笑みが貼り付いている。
今にも爆発しそうな緊張感。徐々に高まっていく物々しい空気。
期待通りの展開にワイルの心は踊り狂い、黙ったまま立ちつくすストレインは己の拳をキツく握りしめていた。
そして──。
ついに──!
──パッ、と。
ストレインは唐突に握り込んでいた拳を開いた。
「駄目だな。何も感じん」
「……あ?」
「この程度ではな」
「あァ~~??」
思わずワイルは間の抜けた声を出した。
「それにな、ワイル。もはや貴様などどうでもいいんだ」
ストレインはそう吐き捨てると、ゆっくりと空を見上げた。
「本当に……アキュラ殿だけなんだ僕は。あの御方の側に仕えている間だけは、僕は何も考えなくていい。ただ導いてくれる。僕の眼にはすでにアキュラ殿しか映ってはいない」
感情が欠落しているストレインだが、その言葉には確かな心が混じっていた。
視線を再び前へと戻したストレインはしっかりと前を見据える。
「アキュラ殿が貴様らを憎いと呪った。滅ぼせと嘆いた」
告げる。
自身の為ではなく、全てはあの人の為に、と。
「だから殺す。理由はそれでいい」
「テメエ、ストレイン……。このオレ様を……どうでもいい、だと」
「興味もない。過去も、今も。あるのはアキュラ殿が思い描いている未来だけ」
そこまで言ってストレインは剣を構えた。
その表情は相変わらず無感情とも言える冷めたものだったが、どこか晴れ晴れとした面持ちであったとも言える。
少なくとも、対峙する者の目にはそう映っていた。
ワイルは目を見開いたままストレインの言葉に身を震わせている。
「なん……だよ、クソガキ……テメエ、ふざけんじゃねえ!!」
突然ストレインに突撃し剣を振り下ろしたワイル。
かつてないほどに激昂したワイルの剣をストレインが難なく受けると、剣と剣が音を立てて激しい火花を散らす。
「……せっかくテメエが闇に落ちたっつうから楽しみにしてたのによォ! 面白くねェ、残念だ! まったくつまんねえよ、テメエは!!」
「フッ、アテが外れたなワイル。今の僕になる前だったらもっと激しく取り乱していたかもしれないが」
「くっそがァ……もういい、全部メチャクチャにしてやる……!」
激怒の感情が限界まで振れたワイルは、あらんかぎりの瘴気を撒き散らしながらストレインに向けて荒々しく剣を振り回す。
さらに力を増してゆく限界を超えたワイルの攻撃。
そんなワイルの剣撃を静かに受けつつ、だがストレインは斬り合いの中で淡々と、
「右足」
「がっ……ア!!」
ストレインの呟きとともに血しぶきが飛び跳ねた。
まだくっついているのが不思議なほどにざっくりと斬り裂かれたワイルの右足。
急に踏ん張りのきかなくなったワイルは体勢を崩し、その場でたたらを踏んだ。
そして、
「ワイル」
「──!?」
短いストレインのかけ声にワイルの全身が総毛立った。
死ぬ。
咄嗟に上体をひねったワイルはすんでのところでストレインの振るった剣を避ける。
だが──、
「ぐっ……!? ああああアアァァァ!!!」
かわしきれず、ストレインの剣はワイルの左目を斬りつけた。
「首ごと切り離すつもりで撃ったのだがな。存外しぶとい。まだ多少の力は残っているようだな」
「ががああァ……かはっ、ぐっ……!」
「だがもう十分だ。いい加減に終わらせよう」
ワイルは斬られた左目を押さえながら、ギリリッと音が鳴るほどに歯を食いしばり表情を歪めた。
遊ばれてるってのか。このオレが。
そんなことがあっていいのか。そんなことが……!!
血に塗れたワイルは目の前に立つ存在、ストレインという男をこれでもかというほどに睨んだ。
そこでようやく、ワイルの思考に閃きがあった。
いや、気付いてしまったのだ。
待て。待てよ。
なぜ気づかなかった。オレはいったい何を見ていた。
オレたちシモンズに抗う人間、ウェムラ・アキュラ。
またの名を、名もなき名匠。
その先生の代名詞たるは──なんだったのか。
コイツは。ストレインは。
この戦い、いまだその力を使っては──!
「何も知らなかった。知ろうともしなかった愚かな僕の過去。過ち」
我に返ったワイルが目の前にいる存在に再び焦点を合わせた。
見ると、ストレインが左眼の眼帯に手をかけているところだった。
「教えてくれた礼だよワイル。我が主より賜りし左右の眼をそれぞれ一つ貴様に使ってやる。ありがたく思え」
そう告げたストレインの両眼が、カッと強い輝きを放った。
そして──、
「魔眼──『龍焔』」
赤茶色に輝く右眼の魔眼。
赤銅色とも呼ぶその眼がもたらす竜法によって、ストレインの肌の表面が竜の鱗のようにひび割れてゆく。それと同時、ストレインの体からは竜種特有の煌めく光が膨大な力となって勢いよく放たれ始める。
「邪眼──『煉獄』」
鉛色に輝く左眼の邪眼。
抑えられていたその力が解き放たれた瞬間、辺り一面の森は一瞬にして灰燼と化した。
地獄のような黒い炎はあらゆるものを燃やし尽くしてなお消えることはない。
変わり果てたストレインがゆっくりと口を開く。
「覚悟はいいか? ワイル」
この日はワイルにとって初めての経験ばかりとなった。
これまで他者を弄び陥れることに快楽を見いだしていた男が直面した圧倒的な実力差。
本気ですらない相手に、負ける。
そんなワイルの胸の内には一瞬にして様々な感情が押し寄せた。
屈辱、羞恥、苦痛、敗北感。
そして──恐怖。
「このオレが……こんな……!」
「そこらの伝説級の魔物よりは多少できたようだが、所詮こんなものか」
竜化の焔を身に纏い、黒炎を無造作に撒き散らすストレイン。
尋常ではない量の炎に囲まれたワイルに逃げ場など存在しなかった。
「次の目的は災厄級と呼ばれし魔物達」
じゃり、と焦げた大地を踏みしめながらストレインは言った。
その眼はもはやワイルの方を見てはいない。
「今までの魔物とはさらに別次元の存在。そう簡単にはいかないだろう。だが手に入るその力もまた別次元」
「……ど、どこを見てやがる……ストレインッ……」
「その力を以て完璧に貴様らを叩き潰す。それが我が主、アキュラ殿の願いだ」
「ストレイン! このオレを見ろォオオオオ!!」
吼えるワイルを横目に、ストレインは手にした破砕剣の周囲に炎を収束させてゆく。
焔竜の竜法がもつ独自の特性『龍焔』の赤い炎と、魔力すら焼き消すことができる黒い炎『煉獄』が渦を巻いて絡み合い、一つの巨大な炎の剣を作り出した。
そのまま剣を振りかざしたストレインは、そこでようやくワイルを正面に捉える。
「我らは今よりさらに先へ進む。貴様のような雑魚にかまっている暇はない」
「アアアアァァァアア!! ストレインンン!!!」
「消えろ。ゴミ屑」
とっさにグングニールを構えて矢を放ったワイルに向かってストレインは剣を振り下ろした。
龍焔と煉獄の入り混じった炎の渦はあっさりとグングニールの矢を焼き滅ぼすと、破砕の力をも乗せて一直線にワイルの元へと伸びていく。
奇しくもワイルの使うグングニールと同じ赤と黒のコントラスト。
圧倒的な熱量を前にして、為す術もなくワイルの姿は炎に飲み込まれていった。
「ストレインッッ! ストレイン・アスガルドッッ!! テメエだけは、テメエだけは……!! 必ず──!!」
「さらばだ。死ね。ワイル・D・ロビン」
断末魔の叫び声をあげて消えてゆくワイル。
炎の渦は留まることを知らず奥へ奥へと突き進んでいき、そのまま森の大半を焼き尽くし消えていった。
あとに残ったのは炎の渦が通っていった抉れた大地と、いまだ燃え続ける炎。
長きに渡る因縁、そして殺し合いに終止符が打たれたのである。
決着が、ついた。
ストレインは両眼を止め一度剣を振ると、その風圧で残っていた火を全て掻き消した。そして剣をゆっくりと鞘に収め背を向けると、何も言わず街に向かって歩き始める。
だが、しばらくしてふと足を止めたストレイン。
最後にもう一度だけ後ろを振り返ると、ぼそりとつぶやいた。
「……さらばだ」
更地となった森の向こうに見えるのは、青空の下に広がる美しい豊かな海。
ザザン……──と波の音だけが焼けた大地に虚しく響き渡っていた。
ーーーー
ーーーー




