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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
89/152

手の平の上で踊る阿呆

 過去においてカーシュナーは、ゾンの奴隷狩りに対抗するために、南方民族の各部族に対し、大同盟の結成を呼び掛けたことがある。

 広大な大地に点在して暮らす彼らは、単体で見れば少数でも、全体で見ればゾンの一軍に十分対抗し得るだけの戦力を備えていた。


 これだけの戦力があれば、連絡手段やゾンによる奴隷狩りの襲撃を受けた際の協力体制を確立しさえすれば、この地から奴隷狩りを放逐し、ひいてはゾンの奴隷市場に壊滅的打撃を与えることが出来る。

 そう考えて灼熱の大地を奔走したが、カーシュナーの考えは、助けようとした南方民族を支配する<長老>たちによって拒まれ、潰されてしまった。


 価値観が、精神構造そのものが、決定的に違ったのだ。


 カーシュナーはこの時、驚きと同時に失望を味わった。

 虐げられる立場にある者が、虐げる者たちと同じように考え、より小さな者、弱い立場にある者を虐げ、ゾンという国を縮小したかのような醜い集団を形成していたからだ。


 彼らは自分たちが味わった痛みから、何も学ばなかったのだ。

 いや、痛みを知り、その痛みでもって他人の痛みを理解するということは学ばず、その痛みでもって、他人を支配するという傲慢さを学んでしまったのだ。


 理解し合うことは不可能だ。

 

 それがカーシュナーが下した判断だった。

 見切りをつければカーシュナーは早い。

 そもそもカーシュナーの主要目的は、ゾンの奴隷市場を破壊するために、南方民族の捕獲を阻止することであり、南方民族との友好や融和、保護が目的ではない。

 南方民族が、南方民族の奴隷狩りの邪魔をしようというのなら、カーシュナーは南方民族を打倒するだけだ。


 本末転倒のようであって、けしてそうではない。

 無知で頑迷な者は、それが自分自身を助けるために差し伸べれられている手だと理解出来ずに振り払う。

 理解を待っていたら救える者も救えなくなってしまう。


 カーシュナーは己が絶対的な正義などではなく、むしろ、ここ南方民族の地においては、秩序の破壊者に他ならないと理解している。

 カーシュナーがもたらす破壊によって、罪もない者たちが傷つき、苦しみ、命を落とす者も出るだろう。

 直接手を下すことがなくても、その罪のすべてが、自分がもたらす不幸なのだ。


 もしカーシュナーが行動のすべてを正義の旗の下に行おうとしていたら、カーシュナーは今よりもはるか以前に、世界の理不尽な秩序ではなく、自分自身の精神を破壊していただろう。

 世界は不完全だ。

 そして、カーシュナー自身も不完全だ。

 不完全な者が不完全な世界に挑んで、真の正義を実現することなど出来はしない。

 では、自分のしていることが無意味なことなのかと問われれば、カーシュナーは違うと即答することが出来る。

 

 今、世界に常識として蔓延している現状を、一人の人間ごときに変えることなど不可能だ。

 肉体を失い、天へと還っていった神々が、再び地上に帰還したとしても、たった一柱では、神ですら世界の在り様を変えることは出来ないはずだ。


 カーシュナーがしようとしていることは、人々と世界に考えるきっかけを与えようとしているに過ぎない。

 たったそれだけ――。

 だが、たったそれだけのことが、今、この世界には必要なのだ。


 神話時代の終わりから約千三百年――。


 これだけの時間をかけて冷え固まった世界の常識は、並大抵のことでは破壊することはおろか、ひび一つ入れることさえ出来はしない。

 カーシュナーに出来ることは、暗愚の壁に閉ざされた世界に、僅かなりとも思考の光を入れ、人々に疑問をもたらし、その疑問と向き合い行動する姿を見せることだけだ。


 自分が生きている内にどれだけの変化をもたらすことが出来るかわからない。

 すべて無駄に終わるかもしれない。

 だとしたら、それが世界の、人々の答えなのだと納得するだけだ。

 だがそれらは、すべて行動したその先にしか見い出すことの出来ない答えだ。


 だからカーシュナーは行動することをためらわない。

 たとえ南方民族たちの生活と秩序を破壊することになろうとも――。


 迷いなど微塵も見せないカーシュナーの策略が、南方民族の支配層に襲い掛かろうとしていた――。









 南方民族たちは、奴隷こそ持たないが、男たちは<戦士>になると戦いに関すること以外の全てが免除され、生活に関わる労働は、基本女子供を中心に賄われることになる。

 そして、無事<戦士>としての務めを果たし終えると、部族の権力集団である<長老>となり、部族の管理運営に携わることになる。


 南方民族の特性として、部族は氏族単位に分かれて一定の距離を置いて生活する。

 同じ部族であっても、一つ所に固まって生活しているわけではない。

 これは農耕技術がいまだ未熟で、牛の牧畜と豊かな野生動物を追う狩猟が主な食糧源であるため定住が難しく、新たな牧草と、狩場を狩り尽さないためという二つの事情により、彼らは広大な大地を移動しながら生活をしている。


 南方民族の間に通貨は存在せず、原則物々交換となる。

 氏族内であれば等価と認められればどんな物でも交換することが出来るが、同族でも氏族が違えば交換に用いられる物は牛と決まっている。

 当然他の部族との取引にも牛が用いられ、大陸経済における通貨の役割を果たしている。

 牛は生きていくうえで欠かすことの出来ない存在であり、その価値に対しては、まとまりに欠ける南方民族たちも、共通認識を持っている。


 そのため、旱魃かんばつや病気などにより多くの牛が失われると、部族間で、場合によっては同族の氏族間でさえ、牧草地や牛そのものを奪い合う戦いが起こることがある。

 <戦士>たちはまさにこの時のために、部族を守るために存在している。

 それは、侵略に対する守りだけでなく、自分たちから仕掛ける侵略でさえ、部族を守るための行動になる。


 食料が安定供給されない状況下で、出生率は著しく高く、新生児の死亡率が非常に高いにもかかわらず、人口は常に過密状態にある。

 生活は常にギリギリの状態で保たれているため、天候不順や病気など、些細なことでも即生き死にに関わってしまう。


 常に淘汰が繰り返される厳しい環境の下では、<戦士>の存在は必要不可欠であり、力の象徴でもある彼らが部族の中で大きな権力を有するのは、必然とも言えた。


 また、奪い合いは牛だけではなく、牛に次いで略奪の対象となるのが女性であった。

 南方民族の間では、男女格差がゾン同様大きく、一夫多妻制で、女性には結婚相手を選ぶ権利はない。

 また、女性の死亡率は、自身の不注意や不幸な事故による怪我や病気が原因の死亡率よりも、夫からの暴力が原因での死亡率の方が高い。


 ちなみに、一夫多妻制でも部族が共同体として成立しているのは、男性の結婚資格が<戦士>としての務めを終えた<長老>の資格を持つ者に限られているからである。

 たとえどれほど互いに好き合っていても、<長老>の資格を持たない男性は、女性の父親に結婚を申し込むことは出来ない。


 そもそも<戦士>の資格を持たない男性は、女性に話しかけること自体許されない。

 女性も<戦士>の資格を持たない男性を<男>と認めないため、恋愛に発展することは滅多にない。

 ただし、美男子に限り、間違いは起こるが、その恋が成就することはない。

 土地は広くとも、共同体を離れては生活していくことが出来ないからだ。

 正規の手続きもなく他の氏族へ移ることなど出来ず、他部族に至っては、見つかった瞬間男は殺され、女は連れ去られるだけなのだ。


 結婚資格を持つ男性数を大幅に女性の数が上回るため、一夫多妻制は当然の帰結となる。


 南方民族の指導者たちは、<戦士>として多くの戦いを潜り抜け、部族を守り抜いたのちに<長老>となるため、非常に自尊心が高く、頑迷で自分たちの在り方を絶対としている。

 以前カーシュナーが南方民族同士を協力させ、ゾンの奴隷狩り部隊に対抗するための連合軍を組織しようとしたが、カーシュナーの提案が受け入れられることなく頓挫したのは、南方民族の特性上やむを得ない結果と言えた。


 南方民族の一部族、ガマンナ族の氏族の一つに、他部族の男たちが訪れていた。

 皆天を衝くような大男ばかりで、氏族の間に緊張が走ったが、男たちは氏族の<長老>たちに対し最上級の礼を持って接し、緊張を解いた。


「何ようじゃ?」

 氏族の中では絶対的な権力を有するが、部族全体から見れば、どちらかといえば格下となる<長老>が、自分たちの前に膝を折る屈強な男たちを見下ろしながら、内心の不安を押し殺しつつ問いを発する。

 男たちがその気になれば、自分たちの氏族などひとたまりもないことを、かつて<戦士>であった経験から、<長老>は悟っていた。


「偉大なる知恵者よ。我らははるか南の地より、新たなえにしを求めてこの地に辿り着いた者でございます」

「ほう。縁とな」

 同族ですらここまで自分に対して礼を尽くすことはない。

 本来他部族との対話は優位の取り合いであり、相手を尊重するようなことはしない。他部族の人間に対して敬意を表に出すのは、その人物がその土地でも二人といない重要人物である場合などに限られる。

 <長老>は日頃満たされることのない自尊心をくすぐられ、男たちに対する態度を軟化させた。


「縁を求めるのはわかるが、どうしてこれほど遠方まで足を運んだのだ?」

 縁とはつまり、結婚相手を探しに来たということだ。

 徒歩が基本の移動手段である南方民族は、生活のために移動を繰り返しこそするが、その範囲は限定されており、縄張りなどの問題もあって遠出することはない。

 隣接する部族との間で交易を行う程度が最大の移動となる。

 そのため、いくつもの部族の土地を超えて旅をするのは非常に珍しいことなのだ。


「我らの地を病が襲いました。それは近隣の部族が次々と滅ぶほどの威力で、我らの部族も女子供を中心に、大勢失いました」

 長老の問いに、屈強な男はその表情を曇らせて答えた。

 それだけで事態の深刻さが<長老>だけでなく、集まった氏族全体に伝わっていく。


 それはけして他人事ではない。

 この地域でも、過去に幾度となく病が蔓延し、多くの部族が滅んだ。

 <長老>自身も幼少期に病の蔓延による大量死を経験している。

 そこから現在までの復興の過程をすべて知る<長老>は、男たちが現在どのような状況にあるかを察した。


 これはいい儲け話が転がり込んできた。


 男たちの悲劇を知り、<長老>が最初に思ったことがそれだった。

 目の前の男たちは、部族復興のため、是が非でも女が必要なのだ。

 通常の婚姻などよりはるかにふっかける(、、、、、)ことが出来る。 


「まず牛が見たい」

 欲に目をギラつかせながら、<長老>は男たちからの申し出を待たずに交渉に踏み切った。

 代表の男が相好を崩すと首から下げた笛を口にくわれ、独特の旋律で吹き鳴らした。

 すると視界の彼方に一つの点が現れ、こちらに近づいて来た。


 交渉の際、牛の品質に自信がある場合、始めからその姿を見せず、交渉に入っていからその姿を交渉相手に披露する。

 基本中の基本で、駆け引きとすら呼べない手法ではあるのだが、娯楽と呼べるようなものがほとんどない南方民族の間では、好んで使われる交渉上の手段の一つだ。


 点が近づいてくるのだが、その様子がどこか違う。

 普段の牛の歩みと何かが違う。


「……土煙?」

 誰かが呟いた。

 そして、その一言で全員が違和感の正体を悟る。

 次の瞬間、彼らの優れた聴覚が地響きを捉え、自分たちの推測の正しさを裏付ける。


 牛が走って近づいているのだ。


 過酷な環境であるため、この近辺では野生の牛でさえ危険が迫らなければ走ることはない。

 ましてや飼い慣らされた牛では、少々尻を叩いたくらいでは早歩きすら難しい。

 目の良い彼らはすでに捉えていた。

 牛を走らせるどころか、その背に人が乗っていることを――。


 あっという間に距離が縮まり、それ(、、)は彼らの目の前に現れた。

 彼らが飼育する牛の倍はあろうかという偉容に、<長老>を始めとした氏族全員が呆気にとられて声も出せずに見つめる。

 そして、その立派な牛の背から降りた男に、さらに度肝を抜かれた。

 先に訪れた大男たちをさらに上回る、並んだ牛すら小さく見えるほどの偉丈夫だったからだ。


「お初にお目に掛かります。偉大なる導き手、<大長老>様」

 そう言うと男は、自分よりもはるかに小さく、貧相な<長老>の前に膝をついた。

 男に圧倒されていた<長老>は、大口を開けたまま、返す言葉が出て来ず、ただ突っ立ったまま男を見下ろすばかりだった。


 無言の中、男がじっと<長老>の言葉を待つ。

 なんとか自分を取り戻した<長老>は、今さらではあるが威厳を取り繕い、男に言葉を返した。


「<大長老>様。我らの牛はいかがでしょうか?」

 男が活力に満ちている牛の首筋をなでながら尋ねる。

「……ま、まあまあじゃな」

 自分たちの牛が急にみすぼらしく思え、悔し紛れにつまらない強がりを返す。

「ありがとうございます」

 男は長老の言葉に、嫌な顔一つ見せずに礼を述べた。


「先に遣わした者たちから我が部族の現状はお聞き及びと思います。どうか我らと縁を結び、滅びかけている我らが部族を、偉大なる賢者の英知とその尊き血によってお導きください」

 男はそう言うと、再び<長老>の足元にひざまずき、深々とこうべを垂れた。

 先に氏族を訪れていた男たちもそれに倣い、<長老>の前に一斉にひざまずく。


 並の<戦士>ではない。

 自分の氏族には一人も存在しない<大戦士>と呼ぶにふさわしい男たちが、全員自分に救いと導きを求めて膝を折っている。

 加えて、男たちは先程から自分を、まるで部族の最高指導者である<大長老>として敬い接している。

 それこそ病が大流行し、自分以上の格を持つ<長老>たちが全員死に絶えでもしない限り、自分には絶対に巡ってくることのない地位だ。


 称えられ、敬われることに酔いしれいていた<長老>であったが、不意に怖さを覚えた。

 この者たちがもし他の氏族と接触し、真相を知ったら、自分が彼らの誤解を解かず、あたかも部族を代表する<大長老>であるかのように振る舞ったことが部族中に知れ渡ってしまう。

 そんなことになれば、自分は部族中の笑い者になるだろう。

 それだけで済めばいいが、下手をすれば氏族ごと部族から追い出されかねない。

 そうなればもはや氏族は滅んだも同然だ。

 新しい移住地を見つける前に、氏族は他部族や、これまで同族だった者たちから襲撃を受け、牛と女を奪われ、自分を含めたそれ以外の者たちは全員殺されてしまうだろう。


「お、お主らは一つ勘違いをしておる。わしはこの氏族の<長老>であって、ガマンナ族の<大長老>ではない」

 陶酔感から一転、現実の恐怖に捉われた<長老>は、慌てて真実を口にした。

 言ってしまってから、男たちが騙されたと考え、怒り狂う可能性があることに気づき、<長老>はさらに青ざめた。

 だが、男たちの反応は<長老>の予想とは全く違うものだった。


「ご安心ください。我らは聖者様がこの氏族の<長老>であり、今はまだ部族の<大長老>ではないことは存じ上げております」

 青ざめる長老を見上げながら、男は邪気のない笑みを浮かべた。

「我々は新たな縁を求め、まずは優れた指導者が率いる部族を探しました」

 男は<長老>に口を挟む暇を与えず言葉を続けた。


「我らがはるか中原まで旅を続けたのには訳があります。それは優れた血を求めたからです」

 頭の回転が追いつかない<長老>は、男の言葉にとりあえずうなずいてみせる。

 それを理解の印と受け取った男は、説明を続けた。


「恐れ多き賢人よ。我らの部族が病の脅威に耐えられなかったのは、我らの血が濃くなり過ぎてしまったことが原因なのです」

 人の交流が少なく、<長老>の資格を持つ者だけが結婚の権利を有する南方民族では、どうしても近親婚が繰り返されることになる。

 結果、先天的な病気や障害を持つ者が生まれることがあり、南方民族たちは血縁が濃くなり過ぎることを恐れる。


「部族の再興と同時に、血の浄化も求めた我らは、優れた血を求め、多くの情報を集めました。そして我々は知ったのです。この地に我らが求める神聖なる聖人様に導かれる奇跡の氏族が存在することを」

 男たちは<長老>を、まるで地上に再臨した神であるかのように崇めた。

 男たちの言葉と態度に、<長老>も次第に自分の存在がこの地上で唯一無二のものであるかのように感じ始める。


「我らはガマンナの現<大長老>の血を求めようとは思いません。我らが部族の再興のために求めるのは、ただ一人。未来の<大長老>であらせられるあなた様なのです」

 勘違いを疑い、部族からの制裁を恐れて一度はしぼんだ自尊心が、再び大きく膨らむ。

 ガマンナのすべての<長老>の中から、自分が選ばれたのだ。それも部族の最高指導者である<大長老>を差し置いてだ。 


「良かろう。この牛であれば、女一人に対し二十頭で縁を結んでやろうっ!」

 先程まで青ざめていた<長老>であったが、すっかり大人物になりきって宣言する。

「ありがとうございますっ!!」

 <長老>の言葉に、男たちは焼けた地面にひれ伏し感謝を捧げた。


 婚礼に際し送られる牛の相場は、実は女一人に対し五頭が相場だ。

 部族でも評判の器量良しでも、十頭いけば部族の語り草になる。

 <長老>は気を良くしつつも、かなりがめつく男たちの足元を見たのだ。

 にもかかわらず男たちが地面にひれ伏してまで感謝を表したので、<長老>は男たちの自分に対する評価が真実揺るぎないものなのだと確信し、自分自身も男たちの言葉を信じ込んだ。


 男は再び笛を吹き鳴らす。

 すると今度はそれに答える笛の根が鳴り響き、続いて大地を揺らす地響きが湧き起る。

 先程の土煙など比ではない、まるで竜巻でも発生したかと思わせるほどの土砂が地平を覆い、鼓膜を弄せんばかりの轟音が、音の洪水となって迫って来た。


 あまりの出来事に女子供が悲鳴を上げ、氏族の<戦士>たちが慌てて武器に手を伸ばす。

 氏族が混乱に陥る中、男たちは<長老>の前で、日常の光景でも見るよう落ち着き払っていた。

 事実男たちにとってそれは日常的なことなのだろう。その様子に、<長老>は男たちの部族の強大さを感じ取る。

 二十頭はふっか掛け過ぎただろうかと後悔し始めた時、長老の視界は目を見張るほど立派な牛の群れで覆いつくされた。


「全部で三千頭おります」

「なあっ!!」

 <長老>は驚愕の叫びをあげたきり、固まってしまった。

 これだけの牛がいれば、間違いなく自分は部族の<大長老>になれる。

 いや、近隣の部族をも吸収し、ここ百年実現されることのなかった、中原の大部族を作り上げることも不可能ではない。

 膨れ上がっていた自尊心の前に、現実的な資産が並んだことで、<長老>の野心も一挙に膨れ上がる。


 何としても手に入れたい。

 いや、これはすべて自分の牛だ。

 絶対に、誰にも渡すものか。


 自尊心をくすぐられ、野心にも火をつけられた<長老>の思考は、すでに正常に機能しなくなっていた。


 まさか、これほどの群れを率いておったとは……。

 これでは氏族の女をすべて合わせても、まだ足りん。

 だが、ここで交換出来なければ、こやつらは他の氏族を探して他の女と交換しようとするに決まっておる。

 何とか上手く騙し、まだ子を産めないような少女や、子を産むには歳を取り過ぎた女たちで、この牛を一頭でも多く手に入れらんものか……。


 固まったまま<長老>は、頭の中で目まぐるしく思考を働かせていた。

 そこに女たちの人権は存在しない。

 欲しい物を得るために提供出来る資産にすぎない。


 今からでも女一人に対し、牛百頭に交換条件を変更しようかと考えた時、この三千頭もの牛を守り、率いて来た男たちがこの場に集まって来た。

 全員が南方民族とは思えないほどの屈強な大男たちであり、その数は氏族の<戦士>たちをはるかに上回っている。


 下手なことは言えない。

 そもそもこれだけの戦力を有しているのなら、縁などと言わず、力ずくで女たちを奪っていける。

 もし交渉が決裂し、彼らを怒らせるようなことになれば、自分はすべてを失うことになるだろう。

 命も含めて――。


 どうしてもこの牛が欲しい。

 一頭でも多くなどと考えたが、やはりすべて欲しい。

 だが、すべてを差し出したとしても、それでもまだ足りない。

 気が狂うのではないかと思うほど思考を巡らせても、<長老>の頭には何一つ浮かぶことはなかった。


「この牛すべてと、氏族の女性全員を交換していただけませんか?」

「はっ?」

 まったく予想外の言葉が耳に飛び込む。


「駄目でしょうか?」

 あんぐりと口を開けたまま返答出来ないでいる<長老>に、男が残念そうに尋ねる。

 <長老>が答えられないでいると、それまでの熱意が嘘のように、「残念です」と言ってあっさりと諦めようとした。

 

「ま、待てっ! 待ってくれっ!」

 <長老>が慌てて男にすがりつく。

 男が<長老>に対して丁寧な姿勢をまったく崩さないため氏族の者たちは誰も気が付いていないが、この時点で両者の関係は逆転していた。 

 

「女たちを全員持って行かれたら、それこそわしらの氏族が滅んでしまうっ!」

 牛は欲しい。だが、さすがに女すべてはまずい。

 こちらから言い出せなかった条件を、男の方から提示してもらったにもかかわらず、<長老>はなお欲深く、気に入りの女たちを手元に残せないかと駆け引きを駆使しようとする。


「何を言っておられるのですか」

 これに対し、男は軽い冗談でも言われたかのような反応を返した。

 怒らせないようにと注意していた<長老>は、男のまったく敵意を感じさせない反応に、逆に驚かされる。

 

「あなた様はこの地に新たなガマンナ族を築き上げられる御方。我らはそのお手伝いをしたいのです」

 まったく予想外の言葉が、再び<長老>の自尊心をくすぐる。

「この地を統べるガマンナの血は、あなた様に連なる者たちで占められるべきなのです」

 ここで男は<長老>の耳に口を寄せ、小声でささやいた。


「ガマンナ族のすべての美女を、あなた様の妻となさいませ。我々はそのためにこそ牛を提供させていただくのです」

 男の提案に、<長老>は思わず目を剥いた。


 可能だ。

 これだけの財があれば、いとも容易く実現出来るはずだ。

 上手く立ち回れば、たいした美女のいない氏族相手には、この立派な牛を馴染みの牛数頭と交換し、そうやって増やした牛で部族の美女たちを娶れば、たいして財を減らすことなく部族中の美女たちを手に入れることが出来る。

 

 食糧事情も大きく改善され、<戦士>たちも増やすことも出来る。

 そうなれば、本当に自分がガマンナ族の<大長老>になるのも夢ではない。

 そして、部族を治めたら、今度は他部族からさらに美女を娶り、自分の血に連なる者たちを増やし、さらに部族を拡大することが出来る。

 中原の大部族への道が、今、目の前に開かれたのだ。


「あなた様は中原の<大長老>となられ、我らはあなた様に連なる女たちと縁を結び、部族を復興する。それはあなた様の血が中原に留まらず、南部にまで広がることを意味します。部族の復興が叶いましたら、我らはあなた様のことを未来永劫現人神(あらひとがみ)として語り継ぎましょう。そして、いずれは中原に留まらず、この地に住まう者すべてが、あなた様の血に連なる者たちで占められることでしょう」

 そう言うと男は仲間に目で合図を送り、<長老>を担ぎ上げさせた。


「皆の者っ! 崇めよっ! そして称えよっ!」

 大音声を張り上げる。

「神聖なる神人の導きのもと、我らは永遠に栄えるであろう。ガマンナと我らが部族に繁栄をもたらす偉大なる<大長老>に、今一度、伏して感謝を捧げるのだっ!」

 男は叫ぶと同時に大地にひざまずき、身を投げ出すように平伏したのであった。

 それに他の男たちが続き、牛の大軍に度肝を抜かれていた氏族の者たちが、興奮と混乱の内に続いた。


 <長老>の自尊心は満たされ、精神の高揚は最高潮に達したのであった。


 もはや部族の女などどうでもよくなった<長老>は、女たちを追い出すように引き渡し、牛の世話を部族の者に押しつけると、自分は壮大な計画を実行するために、他氏族の美女の一覧を作るべく、自身の住居へと向かった。  


 見送りは一人もいない。

 労働力の主力であった女たちが一時的にせよいなくなってしまったため、<戦士>以外の男たちは、まだ口も上手く利けない幼子まで全員牛の世話に奔走していた。

 母を失うことを本能的に意理解した子供たちが涙を流すが、<戦士>たちに殴られると泣きながら働き始める。

 男の子の乳飲み子は、置いて行っても面倒を見る者がいないため、母と共に氏族を離れることになった。

 

 ちなみに南方民族に老婆は存在しない。

 子を産めなくなり、労働力としても役に立たなくなると、移動の際、置き去りにされるのだ。

 そして置き去りにされた女は、飢えと渇きで苦しんで死ぬか、野生動物に襲われ、恐怖の内に死ぬかのどちらかとなる。


 女たちは置いて行かれまいと、うつむき、足を引きずるように男たちに従う。

 そこにどんな感情が存在しようと、それが表に出ることはない。

 女に生まれた。

 ただそれだけの理由で、すべてをこらえ、呑み込まなくてはならないのだ。


 足を怪我しているのだろう。

 子を抱えたまだ幼い母が、皆について行こうと必死に足を前に出すが、痛みで足がもつれ、ついには倒れる。

 女たちが咄嗟に手を伸ばそうとしたとき、周囲を守るように歩いていた男たちが素早く助け、母も子も地面ではなくたくましい腕の中に倒れ込んだ。


 男たちを率いる男が近づき、女の足を見る。

「殴られた傷だな」

 そう言うと男は子供を受け取り、仲間の男たちの一人に女を背負わせた。

 女たちが呆気に取られる。


「辛いだろうが、もうしばらくの辛抱だ。頑張ってついて来てくれ」

 幼子を母親の隣でやさしく抱きながら歩く男が、女たちにやさしく声を掛けた。

 女たちは、暑さで自分たちの頭がおかしくなったのだろうかと互いの顔を見回した。

 そこには、自分同様驚きを隠せないでいる女たちの顔があった。


 抱く手が変わって不安になったのだろう。

 幼子が泣き出す。

 男は少し慌てつつも、慣れた手つきで子供をあやし、小刻みに身体を揺さぶった。

 それでもなかなか機嫌が直らない我が子に、母親が手を伸ばす。

 その手の優しさに触れ、幼子が機嫌を直し、泣き止む。


 安心したのか、少し情けなさそうに男が笑う。

 それにつられたのか、たくましい腕の中で、幼子も小さく笑った。

 男の笑みが満面に広がる。

 それは、誰が見ても幸せを連想させる、底抜けに明るい笑顔だった。


 その笑顔はまず男たちに伝播し、次いで幼い少女たちに伝わり、最後には大人の女たちにも伝わった。

 女たちが怯えつつもわずかに笑う。

 その笑みが、男たちの笑みをさらに深くしたことで、女たちは何かが変わったのだと理解した。

 足取りが軽くなり、女たちは導かれるまま、故郷の部族を振り返ることなく前へと進む。


(まったく、恐ろしいことを考える人だ)


 男たちを率いていたのは、カーシュナーによってトカッド城塞から助け出された元奴隷のモランであった。 

 モランが大袈裟に語り、演じたことは、すべてカーシュナーが筋書きを描いた芝居であった。

 そしてこの芝居は、ここだけではなく、中原に広がる各部族のすべての氏族のもとで行われた。


 この日、この中原から南方民族の女たちが姿を消した。

 代わりに見事な体躯の牛が中原にあふれ、中原の<大長老>を気取る愚か者を大量に生産した。


 カーシュナーが南方民族の<長老>たちに対して仕掛けたのは、未来を奪う戦いだったのだ。


 女たちを失って数日後、南方民族の男たちは真実を知り愕然とした。

 女とは、戦い、奪うものだ。

 詐術によって騙し取るなど、<戦士>の行いではない。

 激怒した南方民族の男たちは、血眼になって中原を走り回り、女たちをさらった連中を探し回った。

 そして、中原北西部にて発見する。


 そこには、南方民族の男たちの想像を絶する、城壁に囲まれた街が出現していたのであった――。

 ちびカーシュからでかカーシュに戻ったおかげで、ようやくヴォオス戦記らしいお話になりました(笑)

 書いている本人は楽しかったのですが、読んでくださった皆様も愉しんでいただけたのなら幸いです。

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