新しい部族
ゾン南西部。
帯状に広がる礫砂漠によってゾンの主要文化圏から切り離された未発達の地。
海と砂漠に挟まれた独特の地形により、ゾンでは極めて珍しい高温多湿の土地となっている。
雨が多く水不足の心配のない土地ということもあり、一度は王族によって開発が進められたが、灼熱の地ではあるが、湿気とは無縁のゾン内陸で育った王族たちは土地独特の湿気に嫌気がさし、以降この地はゾンという国そのものから捨て置かれた土地となった。
カーシュナーはこの地を経由し、南方民族の地に足を踏み入れるのだが、その際、一人の人物と出会った。
その人物はランタンの様な装置を使い、薄い布袋を宙に飛ばす芸を披露する大道芸人だった。
風で飛ばされるのではなく、まるで魔法でも見るかのように布袋がふわりと上空へと舞い上がる。
すぐに落下してしまうが、その人物は色とりどりの布袋を次々と舞い上げ、非日常の光景を演出してみせた。
未知への好奇心を抑えきれないカーシュナーは、芸が終わり、小銭を集めているその人物に声を掛けた。
始めはうさん臭そうにカーシュナーを見ていた人物であったが、カーシュナーが気前よく見物料をその手に落とすと、途端に愛想が良くなった。
「ヨーリーンってんだ。旦那」
年齢がわかりにくい容貌をしているその人物は、嘘くさい笑みを顔に張り付けると名乗った。
「チャルルのヨゼフだ」
カーシュナーもゾンで主に用いている偽名を答える。
好奇心丸出しで質問を重ねるカーシュナーに、始めは自分の芸を盗もうとしているのではと疑っていたヨーリーンであったが、カーシュナーが聞き上手な上に、理解力も高いことから会話が楽しくなり、次第に饒舌になっていった。
「科学的な話が好きなんて、旦那、変わり者だね。ほんとに商人かい?」
そう言ってヨーリーンが笑う。
「神々の時代に発展した魔法文明は、現代の技術に置き換えれば、文字通り神の奇蹟にも等しい水準に達していたけど、その技術は個人の魔法特性に依存する部分が大き過ぎて、先天的に特性を持たない者は自動的に弾かれる技術でもあった。豊かな社会がそういった者たちを支え、全員が豊かに暮らせたかもしれないけど、努力が意味を成さない技術であったことも確かだ。文明という視点から見ればはるかに劣ってはいるけれど、私は努力が意味を成す今の科学技術の方が好きだよ」
そう言ってカーシュナーも笑った。
ヨーリーンはあんぐりと口を開けてカーシュナーの顔を眺めた。
「あんた……」
そう声を発した直後に、ヨーリーンの目が飛び出さんばかりに見開かれ、口からは、
「はがああぁぁぁっっっ!!!!」
という奇声と悲鳴を混ぜ合わせたかのような声が飛び出した。
さすがのカーシュナーも驚きに目を剥く。
涙目になりながら、ヨーリーンはターバン越しに後頭部を押さえ、背後に向かって怒鳴り散らす。
「いてぇじゃねえかっ! このクソガキ共っ!」
その手には、土に汚れた玉のような物が握られている。
見ていなかったが、おそらくその玉のような物がヨーリーンの後頭部に直撃したのだろう。
怒鳴られている子供たちは腹を抱えて笑い転げている。
「ごめんなさ~い。ボール返して~」
反省の薄すぎる言葉と共に子供の一人が手を振る。
ヨーリーンは怒りでプルプルと震えながら、力いっぱい投げ返すことでその怒りを表現しようとした。
だが、怒りで力み過ぎたのか、それとも運動神経の方に問題があったのか、ヨーリーンはボールを前方にではなく、ほぼ真下に叩きつけてしまった。
叩きつけられたボールはものの見事に弾み、ヨーリーンに木陰を提供していた頭上のヤシの木目掛けて飛んでいった。
狙いはひどいが力だけは強かったようで、地面で弾けたボールは密集したヤシの枝葉を突き抜けた。
直後にカーシュナーが、ヨーリーンの襟首を掴んで引き寄せる。
喉を締め付けられる結果になったヨーリーンが文句を言おうとした次の瞬間、それまでヨーリーンの頭のあった場所に、ヤシの実が一つ落下した。
人間の頭部ほどもあるヤシの実だ。いくらターバンを巻いているからといって、直撃すれば命に係わる。
顔面スレスレを落下したヤシの実に青ざめるヨーリーンであったが、不幸はそれで終わりではなかった。
ヤシの実を叩き落として突き抜けていったボールが、まるでヤシの実を追いかけたかのようにきれいに落下し、ヤシの実に当たってヨーリーンの顔面に直撃したのだ。
まるで喜劇の様なその光景に、子供たちが再びゲラゲラと笑い転げる。
いつもなら一緒になって笑い転げるカーシュナーであったが、この時は興味がヨーリーンではなく、子供たちが「ボール」と呼んでいる球に向いていた。
カーシュナーの大きな手の平に丁度収まるくらいの球は、それなりの重さのある物だった。
鼻が折れてもおかしくない重量に、ちらりと視線をヨーリーンに向けたが、幸い鼻の骨は無事なようなので、関心を球に戻す。
ヴォオスでも球技は存在するが、布や綿を皮で覆ったものがほとんどで、今手の中にあるような、驚くほど弾む球は見たことがなかった。
軽く地面に叩きつけると、カーシュナーの身長をはるかに超えて跳ね上がる。
独特の弾力があり、変形してもすぐに元の形に戻る。
ボールを返してもらいに来た少年に、カーシュナーはボールを手渡しながら尋ねる。
「これは何で出来ているんだい?」
「ゴムだよ」
「ごむ?」
それは初めて聞く言葉だった。
「そいつはゴムの木と呼ばれる特殊な木の樹液を加工して作ったもんだよ」
鼻血をボタボタ垂らしながら、ヨーリーンがカーシュナーの疑問に答える。
識者の性か、説明せずにはいられないらしい。
「このあたりじゃあ、器や水筒なんかに加工されて使われている。防水性が高くなかなか珍しいものなんだが、加工の手間に比べて作れるものが、全部簡単に代用品が手にはいる物ばかりだから、地元の人間も滅多に採取したりしない。せいぜいが子供がおもちゃにするために集める程度の代物だよ」
ボロ布で鼻を押さえながら、ヨーリーンは肩をすくめた。
鼻血のおかげで頭に昇っていた血が抜けたわけではないだろうが、すでに落ち着きを取り戻している。
「そのゴムの木というのは、この辺りでもとても珍しいものなのかい?」
「いや、この辺りにはこの危なっかしいヤシの木以上にそこら中に生えているよ」
そう言うとヨーリーンはすぐ近くの木を指さす。
その木には樹皮に斜めの切れ込みが入れられており、そこから白い樹液が切れ込みを伝って流れ落ちている。その先には素焼きの壺が据えつけられ、したたり落ちる樹液を受け止めていた。
カーシュナーは一瞬だけ思考にふけると、ヨーリーンのよく陽に焼けた顔を凝視した。
これといった特徴はないが、逆にその特徴のなさが、顔のつくりが濃いゾン人との違いになっている。
鼻が違うな。
長く伸ばした髭と、頭に巻いたターバンで、顔などほとんど隠れてしまっているが、全体的につくりの小さいその鼻は、意識してみればゾン人の血が流れていないことは一目瞭然だった。
この場にヴォオス人であるカーシュナーがいる以上、ゾン人以外の人間がいても何の不思議もない。
ましてヨーリーンは芸を披露して生活する大道芸人だ。
一つ所に落ち着いて生活するような人間ではない。
飽きられる前に次の土地へと移る旅人でもある。
ゾン人ではなくても何の不思議もない。
だが、商人の顔も持つカーシュナーは、これまで多くの人種と顔を合わせて来た。
観察力と分析能力に優れるカーシュナーは、これまでの蓄積から、初対面の相手がどこの国の血を引いているか正確に見抜くことが出来る。
混血の人間なども、かなり複数の血が混ざり合っていても、本人すら知らないようなわずかな人種的特徴を見抜き、言い当てるほどだ。
そのカーシュナーの目をもってしても、ヨーリーンが何人なのか断言出来ない。
ゾン人ではないと断言出来るだけだ。
普通なら混乱するところだが、カーシュナーはヨーリーンの正体をあっさりと見抜いた。
蓄積された大陸中の膨大な人種の情報をもってしても明確な判断が下せないということは、大陸の人間ではないということだ。
つまり、ヨーリーンは上手く隠しているが渡来人なのである。
「ずいぶんと上手く化けていますね」
カーシュナーの一言に、ヨーリーンのこめかみが微かに引きつる。
それ以外の表情の変化は微塵も見られない。
先程までの計算ではない間の抜けた行動からは想像もつかない見事な感情の制御に、カーシュナーは改めてヨーリーンの持つ能力の高さを評価した。
「そりゃあそうでしょう。私みたいな流れ者は、いかにも害のない人間の皮を被っていないと、芸を披露する客を呼び込むことさえ出来ませんからね」
ヨーリーンは態度にも言葉にも一切の敵意も警戒心も見せずに、カーシュナーの言葉をわざと曲解して答えた。
知識量だけでなく、それを活かす知恵も優れている。
何より一瞬の遅滞もなく、まるで呼吸でもするかのように平然と嘘をついてみせるその胆力は、相当の修羅場を潜って来た証拠だ。
カーシュナーはそんなヨーリーンをも上回る胆力に裏打ちされた演技力を発揮し、まったく表情を変えることなく心の内で歓声を上げていた。
これは拾い物だっ!
クライツベルヘンの血が騒ぎ出す。
人材蒐集癖とでも言うべきか、優れた人材には目がないクライツベルヘン気質が全開になる。
密偵には不向きだな。
その資質は十分なのだが、やはり渡来人であることが足を引く。
市井の人々に紛れるには十分なのだが、目の確かな密偵の目には、その身体的特徴のなさが意識に引っかかってしまうのだ。
それに、カーシュナーでさえ知りえない科学的知識はまさに無形の宝の山と言える。
カーシュナーの頭の中に、これまでにない発想が、明確な形を取ることはないが、それでもはっきりとした光を放ち思考に根付く。
カーシュナーは何が何でも、ヨーリーンを自陣に引き入れようと決意した。
表面上はまったく警戒の色を見せずにこちらを見極めようと観察するヨーリーンの視線に対し、カーシュナーはもろに視線を合わせた。
これまで徹底して感情を抑えて来たヨーリーンの目が見開かれる。
ヨーリーンの目は、カーシュナーが露わにした、まるで翠玉をはめ込んだかのような美しい瞳に釘づけになっていた。
開いたのは一瞬。
それも、子供たちの側ではない片方だけ。
この抜け目のない秘密の告白は、ヨーリーンの心に見事に響いた。
愚か者など相手にしない。
警戒心の鈍い者には本音はさらさない。
注意力の足りない者はもはや敵だ。
カーシュナーは一言も説得の言葉を用いずに、ヨーリーンに対して自分が腹を割って語るに足るだけの人物であることを証明してみせたのだ。
「そちらこそ、ずいぶんと上手く化けていますな。正直見抜けませんでした」
見開いていた目を閉じると、普段通りの表情を再び纏ったヨーリーンが、驚きを素直に言葉にする。
「私が一声上げれば、あなたはたちまち奴隷の身だ」
そして、スッと目を細めると、鋭い言葉を投げつけた。
渡来人には珍しい黒髪黒目をしたヨーリーンと違い、金髪に翠玉の瞳を持つカーシュナーは、その変装が解ければたちまち窮地に陥ることになる。
ゾンでは渡来人に人権などなく、海を渡ってゾンに流れ着いたが最後、人生はそこで終わることになる。
そもそも身分を明かし立てるものがなければ、ゾン人でさえ簡単にその身を奴隷に陥とすことになる国だ。
ヨーリーンの言葉は嘘でも大袈裟でもない。
「それは少し困りますね。皆殺しとまでは言いませんが、かなりの数殺さなければならないでしょうからね」
恐ろしいことをこともなげに言うと、カーシュナーは細められた目をボールで遊ぶ子供たちに向けた。
そこには敵意も悪意も込められていない。
ただ、ごまかしようのない事実を残念に思っている、割り切りだけが存在している。
それは殺気などではない。
渡来人として新天地を求めてこの大陸へと渡ったヨーリーンは、大陸に関する知識が全くなかったため、黒髪黒目という大陸人の特徴を持つにもかかわらず、幾度も窮地に陥ることになった。
その当時はまだ若く、機転と海をも渡った行動力で何とか難を逃れて現在に至っているが、人の悪意と害意、何より激しく理不尽な殺意を、嫌というほどその身に浴びて来た。
だからわかる。
戦士ではないが、それでもヨーリーンは死の臭いに敏感だった。
目の前の男は、感情ではなく、理性で人を殺せる人間だ。
普通は逆だ。
怒りや欲望という、感情に任せて振るわれる暴力が、人の命を奪うのだ。
感情ではなく必要性でもって人を殺せる人間は、精神構造に欠陥を持った人間か、洗脳等によって理性自体を麻痺させられた人間だけだ。
それ以外でそんなことが出来る人間がいるとしたら、それはすべての罪を背負い、その上で己の道を信念と共に歩める、覚悟を持った者だけだ。
そんな人間はいない。
それがヨーリーンがこれまで人生の中で見て来た人間に対する答えだった。
そんな覚悟は他の誰でもなく、自分自身が一番苦しむことになる。
覚悟することは出来るかもしれない。
だが、その道程のあまりの過酷さに、誰もが決めたはずの覚悟を覆し、背負った罪をその背から捨て、楽になろうとする。
それは、無様ではあるかもしれないが、至極当然の結果とも言える。
そうしなければ、覚悟と罪。二つの重みで精神が押し潰されてしまうからだ。
だが、目の前の男は、狂っているのでもなければ正気を失っているわけでもなく、誰もが押し潰されてしまう重荷を背負いつつ、それでも笑みを浮かべられる男だった。
自分の頭脳が弾きだした答えに、ヨーリーンは全身に鳥肌が立つのを感じた。
その口からは、もはや先程の様な鋭い言葉は生まれてこない。
それは、ヨーリーン自身にも覚悟が必要となるからだ。
思わずごくりと喉を鳴らすが、乾ききった口からは、一滴の水分も流れ込んでくることはなかった。
「あなたの大道芸は素晴らしかった。それだけでも十分生活して行けるでしょう。ですが、あなたがこれまでの人生で積み上げた大量の知識は、今の現状を十分と納得し、満足出来るでしょうか?」
カーシュナーはヨーリーンの緊張など全く無視して問いかける。
それに対し、ヨーリーンは緊張を解いて肩をすくめてみせた。
「人生諦めも大事だ。世の中が自分を中心に回っていると思い込むには、俺は年を取り過ぎた」
「まだ五十を過ぎたばかりじゃないですか」
「四十も回ってねえよっ!!」
カーシュナーの天然ボケに、ヨーリーンが全力でツッコミを入れる。
「あんた、俺をどうしたいんだ?」
ヨーリーンがカーシュナーを睨むようにうかがいながら、核心に踏み込む。
「その知識を、迎え入れたい」
カーシュナーが満面に笑みを浮かべて答える。
それは子供のように純粋な欲望だった。
ヨーリーンは若くして学位を得て、未知を夢見て海を渡り、大陸へと辿り着いて絶望した。
生き延びることに精一杯で、抱いた夢などとうに失くしていた。
誰も信用出来ないこの大陸では、誰かを愛するどころか、友人を得ることすら望めなかった。
自分の正体を見抜いたうえで、自分を迎え入れたいと言ってくれる男が目の前に現れた。
自分を奴隷として、売り捌こうとしてるのならまだわかる。
百歩譲って大道芸人として招こうというのならわかる。
だが、自分の本質。学究の徒として迎え入れたいという言葉は、信じられなかった。
これまでの人生が、自分に幸福が訪れる可能性を受け入れてくれないのだ。
「……俺を騙して、奴隷にするつもりじゃないのか?」
だから、どうしてもひねくれた言葉が口をついて出る。
それに対し、カーシュナーは手を袖口に引っ込めると、まるで手品のような鮮やかさで一瞬にして両手の指に煌めく宝石で飾り立てられた指輪をはめてヨーリーンにだけ見えるように誇示してみせた。
「あんたの奴隷としての値段なんかに興味はないよ。労働力としても値段なんかつかないんじゃないかな?」
そう言ってカーシュナーはニヤリと笑った。
その圧倒的な財力に、今ではゾンの文化を理解しているヨーリーンは、言葉を返すどころか呼吸をすることすら忘れて呆気に取られる。
「あんたを活かすには、間違いなく金がかかる。そして私には金を稼ぐ才能がある。なのにどうしてわざわざあんたを二束三文にもならない奴隷にしなきゃならないんです?」
そう言うとカーシュナーは素早く手を袖口に戻し、指輪を外した。
目をくらませていた指輪の数々が視界から消え失せたことで正気に戻ったヨーリーンは、危うく窒息しかけていることに気づき、慌てて空気を吸い込み、溺れかけた犬のようにぜいぜいと喘いだ。
ヨーリーンが海を渡ったのには理由があった。
貪欲に学び、学問を究めても、ヨーリーンの身分では、望む未来はけして訪れないからだ。
一攫千金を夢見て、無事渡りきれるかもわからない海へとくり出したのも、希望のない未来から逃れるためでもあった。
結局夢見た資金など手に入れようもなく、今では身分を隠し続けるために、居場所を転々とする旅芸人に身をやつしている。
それでも、同郷の者たちが辿った過酷な運命を思えばはるかにマシだが、だからといってそれが人生の慰めになってくれるわけではない。
「あなたの知識と知恵が、私には必要だ。どうか私に力を貸してほしい」
そういうとカーシュナーはその大きな手をヨーリーンに差し出した。
長く孤独の内に生きることを強要されてきたヨーリーンにとって、それは最大級の殺し文句であった。
ヨーリーンは疲れたように肩を落とすと、自分を守るためにこれまで張り巡らしてきた心の壁を取り除いた。
「知識といってもだいぶ古臭くなっちまっているんだが、それでも俺の頭が役に立つって言うんなら、あんたに雇われてみるよ」
ヨーリーンはまるでこれから捕らえらるかのような表情でカーシュナーの差し出す手を握った。
大きいだけでなく、ぶ厚くたこの当たったその手が、ただの商人ではないことを雄弁に語る。
(皆殺しってのも、冗談で笑い飛ばせねえかもしれねえな)
その手が物語るカーシュナーの強さを、肌を通して感じ取ったヨーリーンは、心の中で冷汗を流す。
だが、握り返してきたカーシュナーのその手は、力強くもやさしさを感じさせる温かさに満ちていた。
ずっとこのままつないでいたい。そんなことをふと思ってしまってから、ヨーリーンはその考えの気持ち悪さと、早くも暑さで互いの手のひらに手汗がにじみ出すのを感じ、さっさとその手を引っ込めた。
「腹減ったな。なんかおごってくれよ」
早くも気持ちを切り替えたヨーリーンが、腹を押さえてニカッと笑う。
緊張で気力が激しく消耗したため、急に空腹を覚えたのだ。
「こっちの方は?」
そう言いながら、カーシュナーが盃を傾ける仕草をして見せる。
「おっ、いいねえっ! と言いたいところなんだが、この辺はヤシ酒しかないんだよ。別にまずくはないんだが、蒸留もしてないし、ひどくぬるいしで、俺はいまいち好きじゃないんだよな~」
答えるヨーリーンは残念そうに首を振った。
「だが、海産物は全部美味いっ!」
ちょっとよだれを垂らしながら、ヨーリーンが握り拳を作る。
「じゃあ、腹いっぱい食いますかっ!」
「食い倒れだっ!」
一口も口にしていないのに、まるで酔っぱらいのように肩を組んだ二人は、上手い料理を求めて歩き出した――。
◆
「あれからもう三年か。まさかこんなところに来ることになるとはねえ」
そう言って木の葉で作った団扇で顔を扇ぐヨーリーンは、高く上った太陽を恨めしそうに眺めた。
そこは南方民族の地、中原北西部。
まるで無限に広がるのではないかと思わせる広大な平地が終わりを迎える場所。
土地は緩やかな勾配を生み始め、やがて山脈へとつながっていく。
植生にも変化が見られ始めるようになり、乾燥に強い植物ばかりだった南方民族の地に、種類の異なる彩を添えはじめる。
放牧が主要な食料供給源である南方民族たちは、部族の壁は厚くとも、基本文化に違いはない。
定住地を定めず、それぞれの縄張り内で、家畜の餌である牧草を求めて常に移動を繰り返す。
だがこの地では、過去に何度か定住を試みた部族がいた。
その証拠に、粗末な造りではあるが、組み立てと解体が簡単に出来る移動式住居よりもはるかに頑丈な、土を固めて作られた固定式の住居跡が今も粗末な井戸と共に残っている。
だが、この地での定住が成功したことは一度もない。
一定期間過ごすと必ず部族内で病人が大量に発生し、次々と死んでいくからだ。
その原因が水であることに、南方民族が気づくのに時間はかからなかった。
平地と異なり、この地には豊富な水源が存在した。
だからこそ、定住地を持たないことがごく当たり前の南方民族が定住を試みたのだ。
一口、二口であれば何の問題もない。
それどころか短期の滞在であれば、体調を崩す者も滅多に出ない。
だが、長くこの地の水を飲み続けると、人は次第に衰弱し、バタバタと倒れていく。
最後の試みが失敗に終わった時、当時の部族の<長老>が、
「この地は人を喰らうのだ。水で誘い、我らを殺し、この地の糧とする。ここは悪霊が宿りし大地なのだ」
と語った。
迷信深い南方民族たちは震え上がり、以降この地は悪霊の地として人々から恐れられるようになった。
「アホかっ!!」
この地に来て南方民族の迷信を聞いたヨーリーンの第一声がこの一言であった。
植生の変化――。
すべてはそこに原因が存在した。
平原の果てに当たるこの地は、毒性を持つ植物の宝庫だった。
定住を目的にこの地に入植した南方民族たちは、畑を作るためにこれらの植物を刈り取り、伐採し、土地を広げた。
放牧に頼れない以上農耕を主要な食糧源としなければならないのだから当然の行動だ。
伐採した樹木は利用価値が高かったが、全く知識のない草葉たちは、そのまま開墾した畑に混ぜ込まれ、畑の養分とされた。
毒素の多くは土の中に溶け込み、表層の土は雨によって浄化された。
地中で分解されなかった毒素は水に溶け込み、そのまま大地を伝い下りながら、最後には真っ新な水となって溜まっていく。
だが、それは浅い井戸しか掘ることの出来ない南方民族たちの手が届く場所ではなかった。
無知と技術不足により、南方民族の入植者たちは、自らの手で毒水を作り出し、それらを集めて生活用水に使用していたのだ。
全貌を理解したヨーリーンが、深いため息とともに適当な迷信で自己正当化を図った<長老>に対して罵声を吐いたのは当然であった。
部族大連合の結成に失敗したカーシュナーは、<長老>たちに見切りをつけると同時に、この地でまったく新しい秩序によって統率された軍隊作りを画策した。
ゾンの奴隷狩り阻止のため、諦めるという選択肢はない。
だが、過酷な環境である南方民族の地に、ゾンの奴隷狩り部隊を退けられるような一軍を組織するのは容易なことではない。
軍を構成する人員の確保も大事だが、それ以上にその人員が平素生活するための軍事拠点も重要になる。
部族大同盟の成立を前提とし、その運用を効率化するべく、カーシュナーは南方民族の地をくわしく調査した。
その際悪霊の地の噂を聞き、何が起こったのかを詳しく調べ、現地に赴きことの真相を理解した。
直後に部族大同盟が拒絶され、すべてが一からのやり直しになった時点で、カーシュナーはこの地に拠点を構えることを決断したのであった。
そして、迎え入れられたばかりのヨーリーンは、不運にも灼熱の大地の下に呼び出され、途方もない計画を聞かされたのであった。
「まあ、暑いのはゾンで慣れっこだ。むしろこんな文明未発達の地で、俺の知識を最大限に発揮して、神でも降臨したんじゃないかって規模の要塞を作り上げてやるよ」
そう言ってヨーリーンは、冗談めかして笑った。
だが、カーシュナーは徹底的に本気だった。
ゾンにおける基本戦力として確保していた南方民族の奴隷一万人を、この地に連れて来たのだ。
チェルソーを筆頭としたカーシュナーの商業網を支える腕利きの密偵兼商人たちが厳選して買い集め、教育と訓練を施した精鋭たちである。
「ここに君たちの部族を興す」
連れて来られた元奴隷たちに、カーシュナーはニヤリ笑いと共に告げた。
惨めな境遇から救い出し、人間であることの意味を与えてくれたカーシュナーに、彼らは忠誠を誓っていた。
カーシュナーがやれと言うことは、どんなことでも文句ひとつ言わずにやる。
だが、カーシュナーはその考え方を良しとしない。
それでは奴隷と何も変わらないからだ。
カーシュナーは彼らのその奴隷根性を解放したいのだ。
「この地に堅固な要塞を築き上げたら、次は君たちの嫁取りだ」
この一言に、カーシュナーのニヤリ笑いにつられることなく生真面目な顔をしていた元奴隷たちの間に衝撃が広がる。
特にここ南方民族の地で生まれ育った者たちが受けた衝撃は計り知れない。
嫁を迎えるなど、自分たちの立場では、一生考えてはいけないことだからだ。
「ただし、これまでの<長老>ように、一人で複数の女性を独占することは許されない。妻は一人。浮気も、ましてや暴力など、絶対に許されないっ!」
「おおっ!!」
初めて触れる新しい価値観に、元奴隷たちはどよめいた。
「もし破ったら、どうなりますかっ!」
まだ少年の面影を残す一人の若者が元気良く手を上げて質問する。
これに対し、カーシュナーは一言の説明もせず、血の温度が一気に低下するような冷たい笑みを浮かべた。
「……わ、わかりました。絶対に破りません」
カーシュナーは公平でやさしい人間だと彼らは認識している。
だが、同時に敵と認めた者に対する冷徹さもよくわかっている。
ああいう笑い方をする時のカーシュナーの恐ろしさを、彼らは実体験で学んでいた。
「今日まで何を学んだ? 何を身につけた? 男なら、自分の腕と心を磨いて、惚れさせてみせろっ! わかったかっ!」
「おおおおおおっ!!」
家庭を持つ。
そんなことはこれまで想像することすら出来なかった彼らも、カーシュナーの煽り文句にようやく実感を覚える。
そして放たれた雄たけびは、みずからの意志でもってこの地に自分たちの新たな故郷を築くのだという希望を乗せ、未来へとこだました。
「せめんと?」
「そう。セメント」
カーシュナーの問いに、ヨーリーンがうなずく。
この地に要塞を築くと言ったが、カーシュナーとしては後々のことを考え、都市建設計画も同時進行していかなくてはならない。
南方民族たちの文化を破壊するのだ。それに代わる新たな文化と生活基盤を提示する義務が自分にはあると考えている。
都市建設といっても、いきなりすべてを築き上げることは出来ない。
カーシュナーは南方民族たちの間で定期的に発生する疫病の蔓延が、その不衛生な生活にあると見抜いていた。
彼らの放牧による移動は水源が基準になっている。
ゾンに劣らぬ灼熱の地である南方民族の地は、水の確保が最重要となる。
季節ごとの水源を知り尽くしている彼らは、灼熱の大地で的確に水源を見つけ出すが、その量はけして豊富とは言えない。
また、移動を繰り返す彼らに家畜や自分たちの糞尿の処理などという考えはない。
わずかばかりの水源の利用は、人間と家畜の共同であり、家畜が垂れ流す糞尿は、そのまま水源に流れ込んでしまう。
利用を分けられるほど豊富に水があればいいが、限られた水源ではどうすることも出来ない。
また、人間よりも主要な食糧源である家畜の方が優先順位が高いため、衛生管理などと言う言葉は彼らの間には存在しなかった。
汚染された水を利用しなければいけない彼らの健康状態は悪く、特に主要な労働力である女子供は、常に不健康な状態で過酷な労働を強いられるため衰弱した状態が続き、そこに疫病が持ち込まれるとバタバタと死んでいく。
豊富な水源の確保と、その水を利用した上下水道の配備を、カーシュナーは都市計画の主眼としていた。
その計画のために必要なものとしてヨーリーンが提案したのが、セメントだ。
これまでも水硬性の建材は存在したが、それらは積み上げる石材などを繋ぎ合わせる接着剤として存在していた。
一部地域でセメントに類似したものが開発されたが、使用に際しその成分の関係から、作業者の皮膚を焼き、目に入れば失明するなどの問題が発生したため、その有用性は評価されることなく廃れた。
「その辺は心配ご無用」
そう言ってヨーリーンはニヤリと笑った。
短い付き合いでカーシュナーのニヤリ笑いに感染してしまっている。
「ゴム手袋とゴム長靴を用意した」
ゴムの特性に目をつけたカーシュナーは、ゾン南西部の一地域を買収し、ゴムの木の栽培と、ゴムの元となるその樹液の採取を始めていた。
手袋と長靴の有用性を知っていたヨーリーンは、カーシュナーに内緒で試作品を準備をしていたのだ。
「なんじゃこりゃあっ!!」
ヨーリーンが用意したゴム手袋とゴム長靴を装備したカーシュナーが、驚きの声を上げる。
その反応に気を良くしたヨーリーンが、自慢気にその性能を語る。
「完全防水で、摩耗しやすい部分も補強済みの優れものだ」
「……売れる」
カーシュナーが商人の顔になって呟く。
「自信はある。だが、まだ待った方がいいだろうな。旦那の計画が本格始動するまで、ゴムの有用性を大陸に広めない方がいい。ゾンの強欲な王族たちが、またあの辺りに目をつけかねないからな」
ニヤリと笑いつつも、ヨーリーンの目は真剣だった。
カーシュナーは商人の顔のまま、残念そうに首を振る。
「ヨーリーン。これをみんなのために量産してくれ。まずは土木作業からだから、時間はある。よろしく頼むよ」
「旦那もセメントの手配を頼むよ。他にも砂と砂利もいる」
「了解した。現場監督を頼むよ」
「任せてくれ。皆所帯が持てるってなって張り切っているからな。すぐに生活基盤を整えてやるよ」
二人は役割を分担し、ヨーリーンが現場作業を監督し、カーシュナーが各種建材の準備などを担当した。
もっとも、カーシュナーにはヴォオスにおける計画も存在していたため、ゾン、南方民族の地方面の実質的な活動は、このころにはカーシュナーの商業分野における右腕的な存在と化していたチェルソーが取り仕切った。
加工済みの木材がルオ・リシタから運び込まれ、組まれた型枠の中に練り混ぜられたコンクリートが流し込まれていく。
まず初めに大地に浄化された水源まで井戸が掘られ、風車を使った汲み上げポンプが設置された。
そこに巨大な貯水池が作られ、清浄な水が溜められていく。
ここを起点に上水道と下水道が配備され、生活基盤が広がっていく。
食料をカーシュナーが供給してくれるおかげで、人員をすべて工事に回すことが出来るため作業に集中でき、熟練度が上がるにつれ、ヨーリーンの仕事は減っていった。
そして一年が過ぎたころ、世界は突如終わらない冬に閉じ込められることになった。
だが、終わらない冬が大陸の各国を極寒の地獄に閉じ込める中、南方民族の地はむしろその酷暑が和らぎ、作業効率を加速させる結果となった。
悪霊の地と、南方民族の間で恐れられた土地は、彼らの知らないところで恐ろしい速さで開拓され、大陸主要都市もかくやの最先端機能を備えた要塞が築き上げられたのであった――。
◆
熱波を取り戻した南方民族の地を、周辺部族のすべての女たちをかっさらった男たちが、乾いた土埃を上げながら導いてくる。
悪霊の地へと近づくにつれ、女たちは不安定になり始めたが、十分な食料と水、何よりカーシュナーに徹底的に仕込まれた男たちの献身が、迷信に由来する不安を上回る魅力となって女たちにその背を追わせた。
虐げられてきた彼女たちには、男たちのやさしさを知ってしまった今、引き返すという選択肢は存在しなかった。
高く連なる城壁に気圧されながらも、女たちは男たちに続いて城門を潜り、堅牢な城壁を抜け、要塞内へと入った。
次の瞬間、女たちは呆気に取られ、声も出せずに固まってしまう。
そこには見事な街並みが築かれていた。
地べたの上に木枠を組み、そこに草の屋根を葺いただけの、小屋とも呼べないような移動式簡易住居しか知らない彼女らには、ずらりと立ち並ぶ二階建ての家屋は、あまりにこれまでの日常からかけ離れ過ぎていて、夢でも見ているのではないかと錯覚させた。
上下水道が配備され、それとは別に、地表の熱を和らげる目的で、いたるところにきれいな水が流れる水路が走っている。
広く取られた道幅はコンクリートによって美しく舗装されており、彼女たちを迎えるために掃き清められた道には、木の葉一枚落ちてはいない。
奥に進むとまだ開発途中の開けた敷地に出た。
さすがにたった三年では地方都市並みの人員を収容出来るだけの都市建造は叶わない。
この後押し寄せて来るであろう怒り狂った南方民族の<長老>たちに対する防衛設備を優先させた結果だ。
だが、それでも整地され、真っ平になっている地面は、彼女たちには十分な驚きであり、圧倒的な人の力を感じさせる光景だった。
この広く開けた更地に、南方民族の地の中原に暮らす四十以上部族の女性が集められる。
その数約三万。
途方もない数だが、南方民族全体から見れば、それは地図上の点にも満たない僅かな人数だった。
他部族との交流はおろか、過酷な労働と<長老>たちの厳しい束縛のため、他者との交流が極端に制限される南方民族の女たちは、これまで見たこともない規模の集団に、自分もその集団を構成している一人であることも忘れ、不安と緊張を高める。
「どうも皆さんこんにちは。もしかすればこの中の何人かは覚えていてくださっているかもしれませんが、以前に皆さんの元部族を訪れ追い払われた異国人です」
全員が集まると、カーシュナーは軽い調子で挨拶した。
明らかに南方民族とは異なる男の出現に、女たちの不安が一気に高まる。
彼女たちにとって異国人とはゾン人を指し、ゾン人は南方民族をさらい奴隷の身に落とす悪そのものだ。
教育などとは無縁の彼女たちにとって、ゾン人とヴォオス人の違いなど分かりはしない。
そのことを理解しているカーシュナーは、自分への注目を、さっさと他へと移すことにする。
「私のことなどどうでもいい。さあ、みなさんご覧ください。この逞しい男たちをっ!!」
そう言うと、カーシュナーは並んだ男たちを大袈裟な動作で指し示した。
大々的に紹介され、いきなり女たちの視線が注がれることになった男たちは、一様に緊張し、姿勢を正して胸を張る。
事前にカーシュナーから、少しでも女性たちからよく見られたければ、男らしく毅然と振る舞えと教え込まれていたので、生真面目な彼らは教えを守っているのだ。
「これまであなたたちは、<長老>たちが決めた男に嫁ぎ、子を産むことを強制されてきました」
筋骨逞しく、これまでの道程でやさしく親身になって世話をしてくれた男たちをうっとりと見つめていた女たちが、カーシュナーの言葉に一斉に表情をこわばらせ、視線を向ける。
「好きでもない爺どもに凌辱され、子を産むことを強制される」
「その子供を背負い、朝から晩まで働き詰めで、身の休まる時間なんて一時たりとも存在しない」
「そして、子を産めなくなくなり、働きが悪くなると、野生の肉食獣がうろつく平原に置き去りにされる」
カーシュナーが並べ立てる自分たちの悲し過ぎる現実に、女たちは声を殺して涙を流した。
彼女たちには声を上げて泣くことすら許されないのだ。
そんなことをすれば、うるさいと怒鳴られ、ひどく殴りつけられだけだからだ。
「ふざけるなっ!!」
それは腹の底からの大絶叫だった。
もはや声という範疇を超え、爆音と表現出来るカーシュナーの大声の最大音量で放たれた怒りの咆哮でもあった。
「あなたたちは、家畜じゃないっ! 奴隷でもないっ! 一人一人が自分の考えを持ち、感情を持ち、嬉しければ笑い、悲しければ泣く、一人の人間だっ!」
カーシュナーが放った絶叫は、彼女たちの心の底に押し込めらて来た怒りの代弁でもあった。
眩暈を覚えるほどの叫びは、同時に彼女たちの閉ざされてきた心をも揺り動かした。
その上で続けられた言葉は、揺れて出来た隙間を通り、心の芯まで届いた。
「一人の人間として、あなたたちには、自分の生き方を選ぶ権利がある。<長老>たちに決めつけられるのではなく、あなたたちが、自分で考え、こう在りたいと選ぶ権利がっ!」
言葉以前に、異国人であるということに警戒心を抱いていた女たちの視線が、長年押し込め、けして表に出すことを許されなかった心の底に淀んだ本心を代弁するカーシュナーに注がれる。
「ここに、あなたたちを抑えつける<長老>は存在しないっ! あなたたちは抑圧の日々から解放されたのだっ!」
圧倒的声量で放たれた言葉が、ゆっくりと女たちの心に染みわたっていく。
これまで居座っていた冷え切った諦めが座を譲り、熱を帯びた希望が胸に広がり出す。
「……どうせ、私たちは連れ戻される」
熱が広がっていく中、ポツリとこぼされた年若い母親の言葉が、生まれたばかりの熱に冷水を浴びせかける。
顔を上げかけていた女たちも、現実を思い出し、再びうつむいていく。
「果たしてそうでしょうか?」
カーシュナーが歌うように問いかける。
「もう一度、よく見て頂きたいっ!」
そう言ってカーシュナーが男たちを指し示す。
「あなたが抱いているその子は、あなた自身の子供ですか?」
始めに声を上げた女に、カーシュナーが問いかける。
「……ええ、そうよ」
女は、何故そんなことを聞いてくるのかいぶかりながら素直に答える。
「あなたはお子さんを愛している?」
「……愛しているわ」
疲れ切った瞳の奥に、それでも我が子に対する愛情を浮かべて女は答えた。
「では、その子の父親も愛している?」
この問いに返って来たのは、一切の感情がこもらない悲しく冷え切った瞳だった。
「誰があんな人でなしを愛せるもんですか……」
そう言って女は無意識に脚をさすった。
「あなたが決して愛することが出来ない男は、彼らをはるかに上回る<戦士>ですか? あなたが潜り抜けたそびえ立つ城壁を乗り越え、屈強な彼らを一人残らず打ち倒し、あなたを奪いに来ることが出来るだけの男ですか?」
カーシュナーの問いに、のろのろと顔を上げた女は、モランを筆頭に、筋骨隆々とした深い褐色の肌をした男たちを見渡し、首を横に振った。
「あなたが恐れている男は、その程度の男なんです。ですが、あなたは戦い、自分の身を自分で守れるほどには強くない。恐れるのは当然だ」
カーシュナーは女が抱える恐怖に理解を示す。
「あなたがその恐怖を克服する必要はない。それはあなたの役目ではない」
その上でカーシュナーは女に対し、恐怖に立ち向かう必要はないと説く。
「あなたの恐怖は、彼らが拭いさるっ!」
高らかに宣言したカーシュナーは、モランたちに対し、百戦の気を叩きつける。
近くにいた女たちは、息を呑み、モランたちの表情も一気に引き締まる。
「そうだな、お前たちっ!」
「おおおっっ!!」
そして放たれた咆哮に対し、男たちは天を衝く勢いで応えた。
「我々は万全の準備を整えてあなたたちを迎え入れました。あなたたちは部族の<長老>たちが、<戦士>たちを率いてあなたたちを奪い返しに来ると考えているでしょう。だが、我々は違うっ!」
カーシュナーが拳を天に突き上げ吼える。
「我々は<長老>たちを殲滅するために、この地におびき寄せたのだっ!」
一旦言葉を切ると、カーシュナーは女たちをぐるりと見渡した。
「ここに宣言しましょうっ! あなたたちを縛る恐怖の鎖を、我々が断ち切るとっ!」
「おおおおっっ!!」
カーシュナーの宣言に、先程以上の勢いでモランたちが応える。
「あなたたちの先祖が迷信から恐れ、名づけた悪霊の地という名は、<長老>たちにとっては真実となり、悪霊はその腕を地獄の底から伸ばし、<長老>たちの魂を掴んで引きずり込むでしょうっ!」
そう言うとカーシュナーはニヤリと笑った。
実に悪い顔である。
その黒い笑みと、モランたちの勇ましい姿に、女たちはようやくカーシュナーの言葉を受け入れた。
「と、いうことで……」
散々煽るだけ煽っといて、カーシュナーはいきなり声の調子を明るく変えると、
「お見・合い・大・作・戦~~~~~~~~~っ!!」
本命の企画へ切り替えた。
そして、
ちゃっちゃっちゃ~らちゃらっちゃ。ちゃっちゃっちゃ~らちゃらっちゃ。ちゃ~らっちゃらっちゃら、ちゃっちゃっちゃらっちゃ!
本人だけがわかる音楽を、ご機嫌で口ずさんだ。
「ノリノリだな。旦那」
表情を一切変えずにため息をつくという器用な芸当を披露するダーンに、ヨーリーンが呆れ返りながら声を掛ける。
「楽しくてしょうがないんだと思います」
「それは見ただけでわかる」
ダーンの答えに、ヨーリーンは大きくうなずいた。
この地では目立つカーシュナーを筆頭に、ダーン、ミラン、イヴァン、ヨーリーンの異国人四人組は、更地に面する新築の建物の中から見守っていた。
ダーンの様な器用な芸は身につけていないミランとイヴァンは、カーシュナーの浮かれっ振りと、何よりその変わり身の早さに、露骨にため息をつきながら呆れていた。
「男にも女にも、選ぶ権利があるっ! さあ、主張しましょうっ! 自分自身をっ! そして見つけるのですっ! あなただけの人生の伴侶をっ!」
間違いなく誰よりも乗り気で騒ぎ立てながら、カーシュナーはお見合いを進めていった。
女性に対する免疫が子供並の元奴隷の男たちは、どう接していいかわからず右往左往してしまう。
そもそも民族としては同じ血を引いていても、今日までの人生経験が全く異なる。
共通の話題が何一つないのだ。
だが、そんなことはカーシュナーも十分承知している。
話題がないなら作ればいい。
女たちは今日初めて一堂に集められ、要塞に入っている。
都市機能や設備のことは何もわからない。
その説明を男たちにさせることにしていた。
少人数に分かれ、都市内へと散っていく。
説明に当たる男たちは固定せず、交代しながら出来るだけ多くの女たちと会話出来るようにする。
清潔な水に見たこともないほど立派な住居。
機能的な田畑に、共同倉庫にあふれんばかりの大量の食糧。
何より女たちの心を捉えたのは、この日のためにカーシュナーが用意した、女たちに贈られた原色が目に痛いくらい色鮮やかな衣服だった。
カーシュナーに徹底的に仕込まれていた男たちが不器用ながらに着飾った女たちを褒め称え、その言葉に女たちが頬を染めると、それ以上に真っ赤になって立ち尽くす。
女たちの中に、選ぶという感覚が染み込んでいくにつれ、積極的に動き出す者も出てくる。
一人が明確な好意を一人の男に示したことで、状況は一気に動き出した。
「皆さん。これまでのように一夫多妻制ではありません。良い男を射とめられるのは、たったの一人っ! のろのろしていたら、他の方に取られてしまいますよっ! さあ、積極的に良い男を捕まえちゃってくださいっ!」
要所でカーシュナーが女たちを煽り、競争を煽っていく。
各所で男たちに囲まれる女がいれば、逆に女に追い回される男もいる。
そんな中の一人となったモランが、心底困った顔で、逃げ回っていた。
「す、すみませんっ! 私はここに留まることが出来ない人間ですっ! どうか他の仲間たちと交流してくださいっ!」
今後もあくまでカーシュナーについて行くつもりのモランは、秋波を送ってくる女たちの思いに応えられず、必死で詫びていた。
そんな弟子を見て、カーシュナーがすべてわかったような顔をしてうんうんとうなずいている。
他人事だと思い、完全に面白がっている。
「皆さん。喧嘩は駄目ですよ。あくまでご自分の魅力で落としてくださいね。野郎共も、熱を上げ過ぎて喧嘩騒ぎ起こしたら、二度とたたないようにボッキ~ンってへし折るからそのつもりでっ!」
カーシュナーの警告に、意中の女性がかち合った男たちが及び腰になる。
ようやく活躍する場面が巡って来たというのに、ここでへし折られてはたまったものではない。
カーシュナーがさりげなく威圧を込めて目を光らせたおかげで、大きな騒ぎもなく一日が終了した。
この日だけでも互いの伴侶を見つけた者が多く、その日の夜、生まれたばかりの都市は、灼熱の地である南方民族の地にあって、最も熱い場所と化した。
翌日も、さらにその翌日もお見合いは続けられ、新しい夫婦が誕生していった。
そして一週間。
男たちはほぼ全員が結婚をし、結婚の適齢期に達していない少女や、過ぎてしまった女性たちもは、都市そのものから守られ暮らしていくことになった。
水がおいしい。
お腹いっぱい食事が出来る。
それだけで彼女たちは十分幸せであった。
そんな都市に、ようやくその足取りを探り当てた<長老>たちが率いる南方民族の男たちが姿を現した。
女たちを騙し取られた部族の男たちは、一様に怒り狂っている。
濁ったその目を見下すカーシュナーの翠玉の瞳は、おそらくこの灼熱の地で、ただ一つ氷点下の冷たさを放っていた。
「今その手の中にある幸せを、奪い取ろうとここまで押しかけて来たずうずうしい狂った猿共がいる」
これまでのように、聞く者の心を鼓舞させるような響きは、その声にはない。
「渡すのか、お前ら?」
その一言が引き出した怒りの熱量は、大地を焦がす焼け付く陽射しをも上回る。
守るべき者が出来た男たちは、真の意味で戦士をなっていた。
その表情はすでに憎悪に満ち、戦意は振り切れんばかりにみなぎっている。
全員妻にした女たちから、どんな仕打ちを受けて来たか打ち明けられ、復讐の鬼と化しいる。
奴隷として辛酸をなめて来た彼らの幸せを願う気持ちの方が大きかっただろうが、それと同時にここまで計算ずくでお見合いを半ば強引に推し進めたカーシュナーのしたたかさに、ただ楽しんでいるだけだと思っていたヨーリーンは、初めてカーシュナーという男の底の深さと、そこに潜む怖さを知った思いだった。
「ここはこれまで誰の土地でもなかった。だが、今はお前たちの土地だ。愛する妻を得て、来年の今頃には、お前たちの子供が生まれ、この地を故郷とするだろう」
語り掛けるカーシュナーの翠玉の瞳を、男たちは一心に見つめ、その言葉に聞き入る。
「俺たちは、生まれも育ちも異なる、本来部族などと呼べるような存在ではない。だが、バラバラな俺たちは今日、この地で共に戦い、共に血を流す。その血は大地に染みこみ、混ざり合い、やがて一つになる。それこそが、俺たちの絆の証であり、俺たちが一つとなった血に連なる者であることの証明となる。俺たちの血が染み込むこの大地は永遠に記憶するだろう。今日という日に、この地に新たな部族が生まれたことを」
男たちが大きくうなずく。
「奪わせるなっ! 踏みにじらせるなっ! 声を大にして叫べっ! ここは俺たちの土地だとっ! 俺たちは一つの部族なのだとっ!」
一つ一つの言葉が男たちの戦意を押し上げ、戦いの意志は、一つの大きなうねりとなっていく。
「開戦だっ!」
その号令は、男たちに向けると同時に、攻め寄せて来た<長老>たちに聞かせるための咆哮でもあった。
それに応える男たちの鬨の声は、カーシュナーの咆哮をも上回り、この地に住まうとされている悪霊を思わせる、危険な響きで、大気を震わせたのであった――。




