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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・序
8/152

潜入、トカッド城塞

「ここだよ」

 少年の案内でカーシュナーたちは、<悦楽の樹>の攻撃圏ギリギリに口を開けた洞窟の入口を目の前にしていた。 すぐ近くにつたこけに覆われた、人や動物の白骨体が大量に転がっている。

「ここに<悦楽の樹>が根を張っているのは偶然じゃないな。ここを効率のいい狩場と判断したに違いない」

 洞窟の入り口は地表にぽっかりと口を開き、ゆるい傾斜を描きながら地中へと続いている。大の大人でも苦も無く通り抜けられる広さがある。

「昔はこの危ない木の近くで倒れている動物をもらったり、川向こうでしか採れない薬草を取りに行くときなんかにこの洞窟を使ってたんだよ」

 少年が人里から遠く離れた深い森の地理に精通していたのは、この近辺で生活の糧を得て生活する<森の守護者>の一族だったからだ。


 <守護者>とは、かつて英雄王ウィレアム一世により、<神にして全世界の王>を名乗った魔神ラタトスの残党を狩りだすために任命された狩人の集団である。

 その多くが北の魔境へと逃げ去ったが、目の前に存在する<悦楽の樹>のように、ヴォオスの辺境に姿を隠した魔物も存在した。

 ヴォオスは比較的肥沃で平な土地が多く、民は国土に広く生活圏を開いている。そのため、人が近づきにくい辺境は国境近くにみられる深い森林部が多く、<守護者>の多くが<森林>に特化した者が多い。他にも<峡谷>、<沼地>、<荒野>、そして<地下空間>に特化した<守護者>がいるが、その多くが三百年の歴史の中でその役目を終え、辺境から姿を消した。


 少年の一族もその役目を終え、以降はただの狩人として人里へは帰らず、森の奥で暮らしていたという。

 魔物であるはずの<悦楽の樹>が焼かれも切り倒されもせずに今も存在しているのは、<一樹一種いちじゅいっしゅ>という特殊な繁殖能力により、根絶がひどく困難なためだった。

 <悦楽の樹>は絶える時に種子を一つだけ放つ。これがあまりにも極小であるため捕らえることが難しく、たとえ目の前の<悦楽の樹>を伐採するなどして討伐しても、風に運ばれた種子が適当な地を見つけて再び根を張るため、下手に倒さず、人が攻撃圏内に誤って入らないように管理する方が、安全面を考慮した場合確実なのだ。何といっても根を張って以降は移動しないのだから――。


「これだけこの森に精通していて、何故お主はゾンの連中に捕らえられたのだ?」

 リードリットが素直な疑問を口にする。

「理由まではわからないけど、君は人里に下りているときにゾンの侵攻に巻き込まれたんだろう?」

「何故わかる?」

 カーシュナーの推測に、リードリットが再度疑問を口にする。

「ゾンの人狩り部隊が、こんな人里離れた森の奥まで入るとは考えられないですから。国境であるヘルデ河から王都までの間には、いくつもの村落や小都市があり、襲撃を受けて焼き払われています。被害を受けた村落、都市を合わせれば、数万のヴォオス国民がいましたからね」


「騎士様は本当に何でも分かるんだね。その通りだよ。母さんが病気になって、医者に見せるために人里に下りていたんだ。そしたらすごい数のゾンの兵隊が町を襲ってきたんだ。俺と母さんを守ろうとした父さんは、何人も兵隊をやっつけたんだけど、最後には後ろから槍を投げつけられて殺された。母さんは病気なのに俺を逃がそうとして、追ってきた兵隊に殺された……」

 両親の最後を思い出したのだろう。少年はうつむくと強くこぶしを握りしめた。その肩にダーンがやさしく手を置く。


 不意に空気がひび割れたかと思うような音が響く。リードリットが喰いしばった奥歯が鳴らした歯ぎしりの音だ。

「カーシュよ。あの時お主が何故あれほど私の態度に失望し、怒りを露わにしたのか、今さらながらに思い知った。当時私は敵将の首を取ったことで、己の力を天下に示したと思い、浮かれ、頭の中は小さな功でいっぱいになっていた。ゾンの侵攻の陰で犠牲になった多くの民のことになど、少しも思い致ってなかった。何と情けないことか……」

「今そう思えることから始めましょう。後悔を打ち消す術は過去にはありません。あるとすれば自分に都合のいい言い訳だけです。同じ後悔をしないために、これから先の殿下の在り様の糧となさってください」


 リードリットは両頬を思い切り叩くとうなずいた。


「姫さん、いい女になってきたな」

 シヴァが面白そうに褒める。

「なぁっ!」


「確かに、好きになったッス!」

「俺も!」

「わしもです!」

「さすが若が見込んだわしらの姫様だ!」


 周囲にいた兵士たちが口々に続く。

 これを聞いた赤玲騎士団員たちが、負けてなるものかと後に続く。


「私は初めてお会いした時から敬愛しておりました」

「あら、私はお会いする前から耳にしたお噂だけで敬愛しておりましたわ」

「わ、私も!」

「私たちだけでなく、全赤玲騎士団の者たちがお慕い申し上げております!」


 とどめのようにアナベルが、真剣な表情でリードリットの前にひざまずき、金色の瞳を見上げる。

「殿下は私が存在する理由のすべてでございます」


 この一言に赤玲騎士団の面々から興奮の悲鳴が上がる。それは、見上げるアナベルが、女性には決して褒め言葉にはならないが、かなりの男前・・なため、実に絵になる光景だからだ。姫君に永遠の愛と忠誠を誓う麗しの騎士の、理想的な絵になる。


「な、なんなのだ! お前たち! 恥ずかしいだろ! やめんか!」

 リードリットが真っ赤になりながら逃げ出す。


「殿下、皆の忠誠からお逃げになるなど、主君のなさることではありませんぞ!」

 カーシュナーがニヤニヤとしながらからかう。

「そのニヤニヤ笑いのどこに忠誠心があるというのだ! 私は真剣なのだ! からかうでない!」

 恥ずかしさから思わずカーシュナーを突き飛ばす。これが一般的な女性のものであれば、カーシュナーも甘んじて受けただろう。だが、うなりをあげて突き出されてくるその手は、武術の達人の掌底しょうていと何ら変わらない威力を持っている。

 カーシュナーは先程の仕合いの時以上の必死さで身をかわした。

「避けるな!」

「御冗談を! 受けたらあばらが折れます!」

「こうなったら意地でも折ってやる!」

「ご乱心! 皆の者! 殿下がご乱心だ!」


 次々と掌打を繰り出すリードリットに、逃げ回るカーシュナーを見て、少年は笑った。そして、

「俺も、姫様と騎士様のこと好きになった」

 何気なくつぶやく。


 追いかけっこをしていた(かなり緊迫感のある)二人が、この言葉を聞きつけ、少年に迫る。

「そうか! では、そなたの身柄は私が責任をもってあずかろう!」

「よし! 君のことは俺が責任をもって受け入れよう!」

 リードリットとカーシュナーの意見がぶつかる。

「貴様は引っ込んでおれ!」

「殿下こそ、こういうことは下の者にお任せくださればいいのです!」

 そう言って二人がにらみ合っている隙に、シヴァが少年に問いかける。


「坊主、お前はこれからどうしたい? 自分の力で自由を勝ち取ったんだ。好きにしていいんだぜ」

「……みんなを、助けたい」

 シヴァの問いに、少年はうつむきつつもはっきりと答える。その声からは、意思は明確だが、そのための方法がわからず、途方に暮れていることわかる。 

「みんなっていうのは、五年前に連れ去られた人たちのことか?」

 少年はうなずいて答える。

「川向こうのお城にいるんだ。数は多くないけど、五年前に連れていかれた他の人たちがさ。みんなつらいのに子供の俺を励ましてくれた。父さんも母さんももういない。一人だけ助かるなんて、俺は嫌だ……」


「どうする?」

 シヴァがリードリットとカーシュナーに話を振る。

「むろん助けるとも!」

「どうやって?」

 鼻息荒く答えるリードリットに、シヴァが重ねて問いかける。リードリットは「ぐうっ!」と言ったきり答えられない。視線は自然とカーシュナーへと流れる。

「方法ならここにある」

 そういうとカーシュナーは頭をつついた。


「だそうだ。トカッド城塞を攻略しようなんて考える馬鹿と、本気で行動するような馬鹿は、ヴォオス全域を見渡してもこの二人しかいねえ。危険だがついてこい。俺の槍が届く範囲にいる限り、死なせねえからよ」

 そう言ってシヴァはニカッと笑った。少年の瞳に尊敬の輝きが宿る。

「俺はシヴァ。お前は?」

「ミラン!」

「みんな! ミランが一緒に来てくれるってよ! よろしくな!」

 シヴァの声に、赤玲騎士団もカーシュナー配下の兵も、等しく歓迎の声を上げる。どちらも平民出の人間が多く、ミランの苦難は決して他人事と切り捨てられる話ではないのだ。

 

「殿下。最後にいいとこだけ持っていくっていうのは、どういうものでしょうか?」

「いただけんな!」

 つい先ほどまでにらみ合っていた二人が、そろってむくれる。

 そんな二人に、シヴァはニヤリとしつつ片目を閉じて見せた。片目を布で覆っているので、もしかしたら両眼を閉じたかもしれない。


「頼りにしてるぜ。二人とも!」

 この言葉に、二人はニヤリと悪い笑顔を返した。そんなリードリットを見て、アナベルは額を押さえる。そして、その肩を何とも言えない顔で叩いたのがダーンであった。









 リードリットと赤玲騎士団は、カーシュナーの指示を受けるとミデンブルク城塞へと取って返した。ダーンも、城塞に残した兵を指揮するために同行する。

 カーシュナーはミランに案内され、シヴァと少数の兵を引き連れて、ゾン国がミデンブルク城塞の背後を突くために調べていた道を逆にたどり、頭の中にある策が実現可能であるかを確認するためにゾン国へと潜入することにした。 

 カーシュナーの指示に対して、ゾン国へと同行したいリードリットとダーンが異議と唱えたが、そこは強く説き伏せられ、渋々ながら従った。リードリットはこの五年間戦い続けたゾン国に対するこだわりから、ダーンはカーシュナーの従者としてそばを離れたくないという使命感からであった。


 カーシュナーはミランをすぐ後ろに従えつつ、<悦楽の樹>の攻撃圏ぎりぎりに口を開けている洞窟へと足を踏み入れた。

 どうやら何らかの地殻変動の影響により起こった地滑りの結果生じた空間のようだが、ミランの先祖たちが整備してくれていたおかげでかなり楽に移動できる。場所によっては枝分かれしている場所もあったが、迷い込まないように封鎖してあるなど、かなり頻繁に利用していたことがわかる工夫が凝らしてある。

 出口は驚いたことに滝の裏側へと通じており、ゾン国側からは崖が張り出していることから出入りの様子をうかがうことが出来ないようになっている。

 崖上に上がるにも、岩肌がさりげなく加工してあるおかげで、苦も無く登ることが出来る。


「ミランの一族は、本当にいい仕事をしてくれている」

 カーシュナーが心から賞賛する。一族を褒められたミランは嬉しそうに笑った。


 ここからの行動は慎重を要する。カーシュナーはヴォオス国内で活動する際は、クライツベルヘン領内にあるプレタという町を拠点に商いを行っているフロリスという架空の商人に変装することが多いが、今回はプレタのフロリスとはまた違う商人に姿を変えた。配下の兵士たちも使用人に姿を変える。

 ミランはカーシュナーのあまりの用意周到さに驚いたが、それ以上に、その変装技術に驚かされた。そこにはもはや、金髪翠瞳の長身貴族の姿はなく、どこか媚びた表情を浮かべた細目の商人がいた。声すらも違って聞こえる。


「ミラン、手伝ってくれ。この辺で採取できる限りの薬草の類を集めたい」

「けがしたの?」

「いや、商人が手ぶらでうろつくわけにはいかないだろう? チャルルのヨゼフは事業に失敗して、一族の男たちと元手のかからない山野草や薬草の商いからやり直すのさ」

「チャル……、ヨゼ……? えっ? 何それ?」

「チャルルはゾン国の西の方にある都市だよ。ヨゼフはそのチャルルで商売をしているヴォオス人の商人なのさ」

「勝手に名乗ったりしてばれないの?」

「ばれない。というか、チャルルのヨゼフは俺だからな」

「ごめん。俺狩りのこと以外はさっぱりだからよくわかんないよ」


「そう複雑な話でもないのさ。ミランは俺の正体を知っているからカーシュナーもヨゼフも同じ人間だってわかるけれど、チャルルのヨゼフしか知らない人にとっては、俺はカーシュナーではなくヨゼフ以外の何者でもないのさ」

「俺、なんだかすごい世界に来ちゃったみたいだな。へましないかな?」

 ミランが不安気にたずねる。

「大丈夫。ミランは人里に入ったら、口の中に綿を詰めて、恨めし気に黙っていればいい」

「何か聞かれたら?」

「ミランは舌を切り取られた奴隷ってことにするから、誰も何も聞いてきやしないさ」

 カーシュナーの言葉に、ミランは思わずギョッとなる。


「チャルルのヨゼフは奴隷商で財を成した人物で、普段はおしゃべりで暴力なんて振るわない陽気な人物なんだけど、奴隷に対してはひどく残酷なんだ。だから、口答えしたミランは舌を切られてしまったことにする。最近ではゾンの奴隷商人でさえそんなひどいことはしないから、大抵の人間は気持ち悪がって深く係わろうとはしないはずだ」

 ミランはカーシュナーの細かい人物設定に唖然とした。


「他人になりきるには、細かいところまで人物像を作り上げ、それを徹底する。そうしないと行動や言動が一致しなくて不信感を相手に与えることになる。ヨゼフは奴隷にひどい扱いをすることで知られているから、ミランがひどい目にあっている方が、ゾン国の人間にとっては自然なんだ。むしろミランがいい扱いを受けていたりすると、何か特別なことでもあったのかと、無用な関心を引くことになる」

 説明を受けたミランは納得した。数日前までは五年間も奴隷として酷使されてきた。五年の間に幾人かの主人の元を歩いたが、奴隷を物として大事に扱う者はいたが、奴隷を人として扱うような主人や商人は一人もいなかった。


「じゃあ、とっとと準備しちゃおうか。早ければ早いほど、仲間たちを助けるのが早くなる」

 ミランは、カーシュナーの 仲間・・ という言葉に思わず涙ぐんだ。奴隷に身を落とした人々を、高貴な身分であるカーシュナーが仲間だと言う。ゾン国に捕らえられてからは毎日のように、奴隷制度を廃止した解放王ウィレアム三世のことを考えていた。いつの日にか、この境遇から解放されたいと願いながら……。

 ミランは思う。解放王とは、カーシュナーのような人物であったのかもしれないと。とにかく今は、この人を信じてついていこう。そして、もしこの人が仲間たちを解放してくれるのなら、自分は一生この人について行こうと決意したのであった――。









 大量の薬草を背負ったカーシュナーたちは、人目を忍んで山間部を移動し、トカッド城塞に最も近い街道筋の町に、トカッド城塞とは逆方向から入って行った。

 積年の対立関係にあるヴォオスとゾンだが、大陸の経済動脈である隊商路が閉ざされることはなく、国境に最も近いこの町は、商人にとっては重要な宿場町の一つとなっていた。商品取引の拠点となるには中途半端な位置にあるが、ヴォオスとゾンの情報が一番早く交差するという利点は侮りがたいものがあった。


 いかにも落ちぶれた風情のカーシュナーたちをカモと思ったのか、地元の商人が声をかけてくる。

「そこのあんた! もしかして薬草を扱っているのかい? 一足遅かったな!」

 何がどう遅いのかまでは言わない。会話を成立させるための撒き餌だ。

「ありゃ~! 遅かったか~!」

 訳も分からずカーシュナーが額を押さえて大袈裟にのけぞる。思った以上にノリの良い反応に気を良くした商人は、ひまを持て余していたこともあり、カモにすることはやめ、単純に会話を楽しむことにした。

 男はトカッド城塞に食料関係の商品を卸す商売をしており、トカッド城塞の食糧庫とも呼ばれる周辺の農村とトカッド城塞を行き来する以外町を離れることが滅多にない。なので、カーシュナーのような足で稼ぐ商人との会話は、世情に明るくいるためには必要なことなのだ。


「あんたどこから来なすった?」

「チャルルから来ました。ヨゼフと申します。旦那様」

 カーシュナーは明るさの中に、どこかへりくだった空気を漂わせ、会話の主導権が男にあるように仕向ける。

「ほう! それは結構な遠方から来なすったな! その割には扱っている商品が薬草とはずいぶんと変わっているな?」

「聞くも涙。語るも涙の長~い長~い物語。お聞きになります?」

 その語り口は、商人というよりも旅芸人か吟遊詩人といった感じだ。

「よ~し! 俺も腹を括ろう。どんなに長くても、最後まで聞こうじゃないか!」

「後悔しませんね?」

「おうよ!」

「破産しちゃいました!」

 カーシュナーはそう言うと、ぺろりと舌を出し、後頭部を叩いてみせた。


「全然長くないじゃないか! っていうか、破産したのかい!」

「ええっ! 五年前にヴォオス人奴隷で荒稼ぎして儲けた金を、今度は南方奴隷につぎ込んだんですけどねぇ。これがいけなかった! あたしの全財産を乗せた新造したての奴隷船と一緒に、嵐に飲まれて海の藻屑となっちまったんですよ!」

「……あんた、よく明るく言えるね」

「商売人たる者、下を向いちゃあいけません! それじゃあ小銭拾う程度の運しか転がっちゃいませんからね!」

「おっ! あんたいいこと言うね! 気に入ったよ!」

「ありがとうございます。何かおいしい話はありませんか?」


「そうだねぇ。さっきも言ったけど、この町じゃあ薬草をさばくのは難しいね。実はつい最近までトカッド城塞に大勢の兵士がやって来てたもんだから、やれいくさかって騒ぎになってね。トカッド城塞からも食料と薬や薬草の類の注文が大量に舞い込んだんだ。おかげでこの町だけじゃなく、近くの村なんかからも大量の薬草が持ち込まれたんだけど、見込んだほどトカッド城塞が買い上げてくれなくてね。おかげでどこも在庫があふれちまっている状況なのさ」

 男の説明に、カーシュナーが手を打って納得する。


「あたしも戦があるんじゃないかって聞きつけましてね。それで元手がただなんで薬草集めて再起を賭けて来たんですが、遅かったか~」

「いや、早かったとしても大した儲けにはならなかったんじゃないかな? とにかく量が集まっちまったからねえ」

 男はそう言うと不意に声を潜めて確認してくる。


「それよりあんた。その薬草の中に、葉裏が赤いのが混じっていないかね?」

「混じっております~」

「その口調からすると、知ってるね?」

「はい~」

「だったらここで捌かないで、トカッド城塞まで持って行きな。ここで薬草捌く何倍も稼げるよ」

「不足しているんですね?」

 男はうなずいて答える。

「ビジって役人に何とか話を通せれば、一儲け出来るよ」

 カーシュナーはにんまり笑うと、懐から葉裏の赤い薬草の束を男に渡した。


「なんと! 根まで赤い極上品じゃあないか! いいのかい?」

「もちろんでございます。ご存知ということは、お好きなんでしょう? 貴重な情報に対する心ばかりのお礼でございます」

「これじゃあ、つりが必要だな」

「いつかまた、お互いの利益になるような取引が出来れば……」

「ああっ! あんたのことは覚えておくよ!」

 二人はそういうとにんまりと笑いあった。人好きのする笑顔の底に、黒いものがよどむような笑みだった。





 その後もカーシュナーは数か所で別々の手口を用いて情報を集めた。そして、王都では戦が近いとうわさされていること、ヴォオス貴族がゾンに寝返り、ミデンブルク城塞を挟撃することになっているなどの偽情報をばら撒いていった。

 カーシュナー一行は少しでも早くトカッド城塞にたどり着きたいと、その町では宿を取らずにった。この町での本来の目的は、可能な限りの情報収集と馬の入手である。それ以外の目的はないため、留まる理由がないのだ。ヨゼフが商売に失敗したという設定は、足早に町を抜けていく姿を、利益を上げようと焦っている商人にみせかけるためのものであり、今後も利用するチャルルのヨゼフに不審な印象を残さないための方便でもあったのだ。


「本当にいろいろ考えているんだね」

 口の中の綿を取り、強張ったあごをほぐしながらミランが感心する。

「ミランだって狩猟用の罠を仕掛けるときに、むき出しのまま適当な場所に置いたりはしないだろう? 獲物の通り道を見極めて、見つからないように仕掛けるはずだ」

 ミランがそれなら理解出来るとうなずく。

「それと一緒さ。ただ、俺がしているのは、人間を相手に、何年っていう長い期間を考えて、何か所にも罠を仕掛けるって作業なんだよ」

 その作業の複雑さを想像して、ミランは身震いした。


「チャルルのヨゼフって、結構怖がられているんだね。知っている人は俺が黙り込んでいると、勝手に舌を切られていると思っていたもん。おかげで何も聞かれなかったよ」

 ミランが話題を変えて話を続ける。奴隷の荷運び役をしていた時のことが強く印象に残っているのだろう。すべてがカーシュナーの言葉通りになっているのだから、正直に生きてきたミランにしてみれば、魔法でも見ているような気分だったに違いない。


「本当に舌を切ったりしたの?」

「まさか! 舌を切られた奴隷を買い取って、自分が切ったみたいに演出していただけさ」

「カーシュ様はそんなことしないよね?」

「いや、必要とあらばやるよ?」

 さらりと返ってきた答えにミランは息を呑んだ。そこには覚悟の深さが口を開けていた。のぞき込んでも底が見えない暗い覚悟が――。


 奴隷に身をやつし、人間のどす黒い面を見てきたミランには、カーシュナーの覚悟の暗さが理解出来た。 けがれのない、善意だけの力で世の中を正すことは出来ない。出来るのなら、自分は家族も人生も失ったりはしていない。だが、汚い言葉で、汚いことをして正せる事など何もない。


 カーシュナーの覚悟は、正しい言葉で正しい行いを成すために、その下に隠れて基礎となる、血で練り上げられた泥をこね、埋め込み、ならして固めるという汚れ仕事を、必要とあらばためらわないという覚悟だ。

 それは正しいことが成されたあと、賞賛ではなく非難すら受けかねない役割だ。それでもカーシュナーはためらう素振りすら見せない。


 ミランは思った。人々がカーシュナーを非難する時が訪れたら、自分は味方をしようと。

 そしてこうも思う。その時、カーシュナーのかたわらに立つ人間の数は、案外多いのではないかと――。









 トカッド城塞へと向かう道中、カーシュナーは一度足を止め、商人の男にも渡していた葉裏や根まで赤い薬草の精製を行った。

 これは厳密には薬草ではなく、魔神ラタトスの影響を受けた魔草まそうの類であった。カーシュナーたちがミランと出会った森の中に生息していた<悦楽の樹>のもっとも下位に属する存在で、毒草とも区分が異なり、この魔草の存在を知る人の大半が、習慣性のない貴重な幻覚剤の原料と考えている。

 乾燥させた物を香のように焚き、その煙を吸うというのが一般的な使用方法だ。全身を快感が満たし、精神が高揚する作用がある。それでいて使用中に剣を振り回して暴れまわるなどの錯乱状態を引き起こすわけでもなく、その効果が切れるまで快感のゆりかごで眠っているような時間を過ごすことが出来る。

 

 自然の薬草がラタトスの影響を受けて変異するため栽培することは出来ず、より強い効果を持つ麻薬が魔草と比べて手軽に入手できることもあり、あまり広く知れ渡ってはいない。

 そのためゾンではより南方から簡単に輸入できる煙草たばこや、芥子けしから精製された麻薬が広く出回っている。だが、麻薬がもたらす影響の強さを知る者は魔草を求め、麻薬には手を出さない。


 カーシュナーが行ったのは、知る者が限られている魔草の精製であった。

 魔草は一定量以上使用しても効果が増大するようなことはなく、使用量が多すぎて錯乱するなどということもない。この安全性が、野心を持つ上流階級者に好まれるのだが、精製された魔草は安全性はそのままに、快楽の度合いと、効果時間の長さが増し、液体へと精製されることから、必要量を服用するだけで効果が得られるという利便性の向上もある。加えて、希少性がより増すことから、所持しているということが、上流階級にあっては一つの象徴にもなる逸品へと姿を変えるのであった。


 この話を聞いたシヴァが、

「全部が失敗して、それでも命があったら、ゾンで一財産稼ごうぜ」

 と、ニヤリと笑った。

 この余裕がカーシュナーにはありがたかった。




 

 すべての準備が整うと、カーシュナーはトカッド城塞の通用門をくぐった。ヴォオス側からの侵攻などないと高を括っているだろうが、さすがに正門を解放するようなまねはしない。

 大量の食糧が運び込まれた時はこれ見よがしに開放していたが、今は固く閉ざされている。


 通用門に立っていた見張りは、町で知り合った商人の名前と、赤い薬草をちらつかせ、手垢で汚れたヴォオス銀貨を握らせることであっさりと懐柔してみせた。

 町でカーシュナー扮するチャルルのヨゼフと意気投合した商人は、ヨゼフのことは知らなかっただろうが、カーシュナーの頭の中には町の主要な人物はすべて入っており、今も勝手に名前を拝借していた。別のもっと有力な人物の名前を使わなかったのは、万が一その人物の耳に入った場合を考慮してのことであった。また、ゾン国にも独自の貨幣が存在するのだが、ヴォオス硬貨よりも不純物が多く、わずかではあるがヴォオス硬貨よりも価値が下がるので、同じ額の賄賂わいろを贈るのならば、ヴォオス硬貨で買収する方が、印象が良くなる。わざわざ手垢だらけの硬貨を用意したのは、それが今のチャルルのヨゼフの境遇にそくしているからだ。

 些細なことから嘘というものは崩れていく。カーシュナーは万事にぬかりなく準備していた。


「お役人様のビジ様はどちらにおいででしょうか?」

 薬草なら十分間に合っていると、カーシュナーを追い払おうとした下級役人が、カーシュナーの問いかけに口を閉ざす。

「赤いものをご用意いたしましたとお伝え願えませんでしょうか?」

 そう言いつつ、通用門の見張りに渡した銀貨の倍の額をさりげなく握らせる。今度は新品の硬貨だ。

 身なりと扱っている商品から相手を侮っていた役人は、思わず目を見張る。そして勝手に只者ではないと判断し、予想外の臨時収入を懐深くにしまい込むと、急に愛想良くビジを探しに行ってくれた。

 金には魔力がある。カーシュナーはその魔力を巧みに操り、はったりを利かせて見せたのである。


 額の広い小柄な男が、先程の役人に案内されてやってくる。どうやらこの男がビジという男らしい。役人特有の、人を見下すような尊大な態度で歩いてくる。

「赤があるそうだな?」

 態度こそもったいぶっているが、目が物欲しそうにカーシュナーの荷物にチラチラと流れる。

 その視線が逸れた隙に、カーシュナーは袖口から精製された赤の小瓶を取り出し、戻ってくる視線の真ん前で振ってみせた。

「このような掘り出し物もございます」

 尊大な態度が一気に吹き飛ぶ。思わず驚きの声を上げてしまったため、白々しくも咳払いで取り繕い、下級役人に別の仕事を申しつけて追い払う。そして、物欲しそうにじっと小瓶を見つめた。

 上級役人といえど、手の届かない逸品なのである。


「ほ、本物であろうな?」

「赤の精製水の偽物を売りさばいて磔になった連中の死体を目の当たりにしておりますので、そのような危ない橋を渡る気はございません」

「い、いくらだ?」

 とても手の届かない値段と分かっていつつも、たずねてしまう。

「実はもう一瓶、これより少々大きめの物がございまして、こちらの城主様に献上出来ればと考えております」


 カーシュナーのこの言葉に、ビジは途端に警戒心で身を包む。

「ご配慮いただけましたら、こちらをビジ様に献上致したいと考えているのですが……」

 思わぬ申し出に、包んだばかりのビジの警戒心があっさりゆるむ。仮に代金が支払えるとしても、ビジの身分で所持していると要らぬ妬心を招くことになるほどの代物だ。正直な話、一生に一度でいいから使用してみたいと願っていたものの一つである。そんな風に思っている物が他にもたくさんあるのだが……。


「そんなことをしたら、お主は大損ではないか! 何を考えている?」

 あまりにも話が上手すぎるため、さすがに強欲な男でも二つ返事で手を伸ばしたりはしない。

「私、五年前の大勝利のおり、奴隷商で大きく稼がせていただきました。その時の儲けを、今度は南方奴隷に注ぎ込んだのですが、奴隷船が嵐に呑まれてしまいまして、ご覧の有様でございます。

 そのようなおり、近々また大きな戦があると耳にしまして、ヴォオスの国内情勢を考え合わせれば、これは前回以上の大勝利、大収穫になると愚考いたしました。そこで、戦利品のその後の処理に、私めの名前を付け加えていただきたく、参上した次第でございます」

 カーシュナーの説明を受け、ビジは頭の中で五年前の略奪によるおおよその利益を計算してみた。これに一枚噛むことが出来れば、確かにカーシュナーが言う通り、赤の精製水を献上しても十分な利益を得ることが出来る。


 欲の深い人間には欲を見せてやればよい。彼らの目には、無欲は下手な嘘でしかなく、美徳などという概念はない。カーシュナーは自分が赤の精製水以上の儲けを狙っていることを明確にすることで、ビジの警戒心を完全に解いてみせたのだ。

 一度疑い、それを自分で解いたと思い込んでいる人間は、その後は自分で勝手に都合のいい言い訳を見つけてこちらを信用してくれるものである。


「では……」

 そう言って伸ばしかけたビジの手の先で、カーシュナーは赤の精製水の小瓶をしまい込む。

「私も商売人でございますので……」

 つまりは成功報酬ということである。

 ビジはひどく顔をしかめたが、手に入ることが確定した時点で、手に入れたいという欲求は抑えようもないほど強くなってしまっている。今さら断るという選択肢はビジにはなかった。

「ではついてまいれ。閣下にお伺いを立ててこよう」

 カーシュナーはひどく腰をかがめ、小男よりも身長を低くするとその後について行った。





「お主が赤の精製水を献上したいと申す商人か?」

 トカッド城塞をあずかるザバッシュ将軍が、尊大な態度で問いかけてくる。ゾン国でも随一と謳われる実力者の一人だ。

 先程のビジ同様、目に飢えに近い渇望が見られる。麻薬のような習慣性がないとはいえ、一度その快楽を味わってしまうと、手に入る状況下でこれを拒むのは非常に困難だった。ことにザバッシュ将軍は赤の薬草や赤の精製水を性行為と合わせて用いる事を好む。しかも、赤の精製水は、以外にも男性以上に女性に好まれるため、美女を口説き落とす霊薬としてゾンでは古くから珍重されていた。欲しくないわけがないのだ。


 ヴォオスとの国境線を望む、ゾンにおいて最も重要な拠点の一つであるトカッド城塞の城主を任されるということは、当然実力を評価されてのものであり、名誉でもある。だが、いかんせんいつ戦が起こるかわからないような城塞では、満足のいく夜の相手など見つけようがなかった。王都から気に入りの奴隷を幾人も連れ込んではいるが、王宮で行う貴婦人たちとの駆け引きの上での情事とでは、得られる刺激が比べ物にならない。

 いっそのこと戦が起きてくれればいい憂さ晴らしになるのだが、ミデンブルクとただ顔を突き合わせているだけの今の状況では、欲求不満は溜まる一方だった。


 ザバッシュ将軍は、あらゆる意味で、溜まりに溜まっていた。


 ザバッシュ将軍はゾンでも指折りの人物である。カーシュナーだけでなく、ヴォオス国としても可能な限りその能力、人品、弱味などを調査している。

 詳細な調査結果により、カーシュナーは本人以上にザバッシュという男のことを理解していた。

 すべての流れはザバッシュという人間を理解したうえで、確実に接触し、信頼を得るためにあったのだ。


 カーシュナーは勿体つけずに持参した小箱のふたを取り、中から美しい小瓶を取り出して見せた。箱や小瓶だけでも相当な価値を持つ見事な造りであるが、それ以上に燭台の光を受け、紅玉を液体にでもしたかのように輝くその中身が、ザバッシュとビジを魅了した。

 物欲しげに喉を鳴らしたビジを、ザバッシュがぎろりとにらみつける。

「もう下がってよいぞ」

 ザバッシュの言葉を受け、ビジはそそくさと退出した。下手な欲を見せて自分が受け取ることになっている小瓶まで取り上げられたのではたまったものではない。強欲ではあるが、身分ある人々の顔色をうかがう術にぬかりはないのだ。


 ビジが部屋を去ると、カーシュナーは小瓶と共に厳重に封印された書簡を恭しく捧げ持ち、ザバッシュに献上した。

 ザバッシュの伸ばした手がかすかに震えている。

「見事だ……」

 恍惚の表情で見つめたきり、ザバッシュは固まる。間違いなくそれは最上級品の輝きであった。下手をすれば、国内でも最上級品の可能性がある。以前国王への献上品を目にしたことがあるが、赤の輝きがはるかに優っている。


「この書簡は何だ?」

「封蝋をご確認ください」

 言われて書簡を裏返したザバッシュの目が見開かれる。

「……こ、これは、ヴォオス五大家筆頭クライツベルヘンの紋章ではないか!」

「はい」

「貴様! いったい何者か!」

 主人の怒声に奴隷たちが悲鳴を上げ、部屋の外で待機していた衛兵が飛び込んでくる。


「私はただの使いに過ぎません。出来れば先に書簡の方のご確認をお願いいたします」

 ザバッシュと二人の衛兵から突きつけられた剣に、素直に両手を上げて無抵抗の意思表示をしつつ、カーシュナーは言った。

 ザバッシュは手にしていた書簡を奴隷に差し出し開封させる。毒を塗られた鋭い金属片などが仕込まれている可能性があるからだ。

 開封され、奴隷が差し出した書面に目を通す。


 読み進めていく内に、表情が怒気から驚愕へと変わっていく。

「なるほど、この極上品はクライツベルヘン家からのものだったか。確かに、一介いっかいの商人が幸運に恵まれたからといって手に入れることが出来るような代物ではないな」

「おっしゃる通りでございます。正直このまま持ち逃げしようかという誘惑に抗うのが大変でございました」

 そう言うとカーシュナーは満面の笑みを浮かべて見せた。

 どうにも調子の狂うやつだと呆れたザバッシュは、衛兵たちに手を振り、一歩下がらせた。

 カーシュナーは大げさに肩が凝ったという動作をしてから、ホッとため息をつく。


「どこまで知っている?」

 ザバッシュは書簡を振りながらたずねた。

「中身に関しては何も。特殊な薬液を使って封がしてあるので、手前ではどうにもなりませんでした」

「つまり開けようとしたということだな?」

「そこはそれ。普通中身に興味を持つものでしょう?」

「ふざけおって! だが面白い奴だ! クライツベルヘンが貴様を使者に選んだ理由がわかったわ!」


 ゾン国人は奴隷売買を主な産業としていることから残虐な性質と思われがちだが、冗談や笑いを多く含んだ芝居を非常に好む国民性を持っている。カーシュナー自身も奴隷制度さえなければ同国人であるヴォオス人よりも、ゾン人の方が好ましいと思うことすらある。


「よもや、クライツベルヘンが裏切るとはな……」

 ザバッシュは手の中で小瓶を弄びつつ、半信半疑のつぶやきを漏らしたのであった――。  

6/6 誤字脱字等修正

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