動き出す二つの軍
季節は秋の終わりにさしかかろうとしていた。
久しく見ることのなかった木々の鮮やかな紅の装いも、『冬』に対する恐怖が未だに色濃く胸に残る人々には、どうしても次の冬の到来を連想させてしまう。
本来であれば収穫期を終え、冬支度までのわずかな時間、深まる秋を心から楽しむのだが、今年はどうにも難しかった。
国難を最小の被害で乗り切ったヴォオス人ですらこれだけの心的障害を受けている。さらに被害の大きかった近隣諸国の人々の恐怖はいかばかりか、推し量ることすら困難だ。
次の冬への備えが十分な国は、大陸でも数えるほどしか存在しない。
そして不十分な国は、座して冬の到来を待つことは出来ない。
大陸各地でわずかな食糧をめぐり争いが巻き起こり、終わらない冬に呑み込まれて減少した人口を、さらに減らしていった。
それはある意味自然なことであった。たった一人分の食料で、百人を生かすことは出来ない。供給可能な食糧に対し、余剰となる人間が倒れていくことは当たり前のことであった。
ここに人の性である『強欲』が加われば、死ななければならない人間の数は一気に倍増する。
食糧確保が大前提ではあるが、自身の権力維持のためにも、一定の武力的成功が必要であったルオ・リシタ国国王アレクザンドール四世は、信頼する将軍の一人であるヴォルク将軍に全権を託し、ヴォオス侵攻を命じた。同時に、国内の有力貴族たちにも出兵を命じる。
西の大陸隊商路が整備されたことで経済状況が飛躍的に向上し、そのおかげで国内情勢は長く安定していたが、ルオ・リシタという国は、元来繰り返される内乱により、短期間で国を治める王朝を幾度も変えてきた。
国力そのものが減少している状況下で、王家のみで今回の遠征をまかなうことは、国内における力関係の逆転を招きかねない。
ゲラルジーの失策により事実上滅んだルーシの地を国有地として取り込みこそしたが、現状では養わなければならない人口が増えただけで、アレクザンドールを利するには至っていない。
アレクザンドールの権力維持のためにも、出兵を命じ、各貴族の力を適度に削がなくてはならないのだ。
本来であれば貴族たちからそれなりの反発も出るのだが、今回に限っては、遠征に対する反対意見は出なかった。
ゲラルジーの独断によるヴォオス侵攻は、過分に当人の思惑が入り混じっていたが、その根本には『奪わなければ死ぬ』という、拒絶不可能な選択が突きつけられていた。
国内の有力貴族と言っても窮状に大差などない。現状の食糧備蓄量では次の冬を越せない貴族が大勢存在する。アレクザンドールの勅命がなくとも、独断で略奪を働きかねない状況にある。
それでも一部貴族からは、ヴォオスではなく、ゾンへ向けて侵攻するべきだという意見が出された。
ルオ・リシタとゾンは、ス・トラプ山脈によって大きく隔たれている。だが、『神の足跡』と称される、ルオ・リシタの南西部とゾンの北西部地点を繋ぐ不自然なまでに山脈が削り取られた地形により、両国はその一点でのみ境を接していた。
過去の歴史の中で、ゾンはルオ・リシタで奴隷狩りを行い、ルオ・リシタはゾンで略奪行為を繰り返していた。
国民性も正反対で、陽気で残酷な性質のゾン人に対し、ルオ・リシタ人は陰気で残酷な性質であった。
それでも何度か両国は、『神の足跡』というこの特別な地形を生かし、西と南の大陸隊商路をつなげ、新たな経済網を構築しようと国交の正常化を図ろうとしてきた。
だが、そもそも根本的な気質が合わず、性根の底に横たわる残酷な面がぶつかり合うため、努力に反して何の成果も上がらないどころか、互いを知ることにより、より相手に対する憎悪を高める結果となってしまった。
そんな根の深い確執もあり、強敵であるヴォオスではなく、自分たちが終わらない冬の猛威にさらされている最中、その終わらない冬の恩恵で国力を伸ばしたゾンこそ叩くべきだと考えるのは自然の成り行きであった。
アレクザンドールの中にもその考えはあった。
だが、根本的な地形の問題で、大兵力を差し向けるには、ルオ・リシタとゾンをつなぐ『神の足跡』という特異な地形を持つ場所は不向きだった。
隊列は細く長くならざるを得ず、必然的に移動にかかる日数が増えてしまう。
そうなれば当然増えた日数分の糧食がさらに必要になる。そんな余裕はとてもではないが今のルオ・リシタにはない。
一気に攻め込めなければせっかくの大兵力も生かすことが出来ず、略奪に成功し、いざ退却となったときには、撤退にも時間がかかってしまう。
兵力が分断されやすく、大兵力の利を生かせないまま、各個撃破される危険性があるのだ。
対してヴォオスは、ス・トラプ山脈の東の終わりと、北の魔境との境に広がる平野部でつながっている。西の大陸隊商路を整備する都合で国境周辺も整備されており、大軍を動かすのにも向いている。
征服戦争を仕掛けるわけではない。風のように進軍に、嵐のごとく略奪し、吹雪きの到来前には去る。
ゲラルジーの因縁もあり、どのみちヴォオスとの一戦は避けようがない。どうせ叩きのめすのであれば、ついでに奪えるだけ奪ってやろうという単純な計算であった。
だがそれは、ヴォオス側にも言えることで、避けられない戦いであると考えたから、リードリットの名をもって挑発的な書簡を送りつけてきたのだ。
指揮権を任されたヴォルクは、周りが考えているほど今回の遠征は容易ではないと考えていた。
だが、王命が下った以上従うしかない。ヴォルクは遠征計画を立てると物資を整え、ルオ・リシタでは短い秋の日に、王都ザシャログラードを出立したのであった。
率いるはルオ・リシタ正規軍二万。これに各貴族が私兵を引きつれ、総勢五万の大軍勢になる。これだけの兵士が動員されるのは近年では稀で、それだけにアレクザンドールの本気度がうかがわれた。
歩兵が中心ではあるが、2メートル級の大男がゴロゴロ見られるルオ・リシタ軍の進軍速度は驚くほど速かった。終わらない冬の間に溜め込んだ鬱屈を、さっさと吐き出してしまいたいという思いも、その長い脚を前に進ませたのかもしれない。
ヴォオスとの国境に最も近いメレウスゴルスク砦に到着すると、ヴォルクは休むことなく偵察兵を呼び出した。
出兵に先立ち、ヴォルクはメレウスゴルスク砦に対し、ヴォオスの偵察を指示していた。ヴォオス偵察のために、この砦にはルオ・リシタ生まれのヴォオス人が配置されている。
偵察をしようにも、一般的なルオ・リシタ兵では一目で見抜かれてしまうからだ。
「国境付近の村落はすでに住民の避難が終了しているとみられ、人っ子一人見つかりませんでした。さらにその先にまで偵察の足を延ばしましたが、ヴォオス軍の影はどこにも見つけられませんでした」
報告を受けたヴォルクは思わず唸った。
損害賠償と謝罪要求という名の挑発を行ってきたのに加え、新国王であるリードリットの性格を考え合わせれば、国境線付近で待ち構えているか、むしろ王都ザシャログラード目掛けて進軍して来てもよさそうなものだ。
「罠でしょうか?」
副官のファーツィが眉をしかめて尋ねてくる。その声は微妙にくぐもっている。
それはファーツィが上官であるヴォルクに質問をしておきながら、異様に高い鼻を引っ張っているからであった。その無礼と受け取られても仕方のない行動を、ヴォルクはまるで気にもかけない。それがファーツィの考え事をしているときのくせだと知っているからだ。
「そうではないと考えているのか?」
長年共に戦場を歩んだファーツィのことはよくわかっている。何かを尋ねてくるときは、決まって逆の可能性を考慮している。今回は特にあからさまに考え込んでいた。問いかけに対して自分自身が一番否定的な意見を持っているに違いない。
「我々は食料を奪うためにヴォオスに向けて進軍してまいりました」
「そうだな」
「それは、終わらない冬による被害を受けてなお、ヴォオスには十分な食料があると知っているからです」
「なければ、ヴォオスもルオ・リシタも共倒れだ」
ファーツィの言葉にヴォルクが肩をすくめて答える。
「それは我が国だけでなく、ヴォオスと国境を接するすべての国が承知している事実です」
「ヴォオスの不幸の一つ。国を潤すその富こそが、敵を引きつけてしまうという矛盾だな」
「そして、食糧不足が深刻な国は、我がルオ・リシタだけではありません」
「どちらかと言うと、大陸規模で見渡しても、食糧難に頭を抱えていない国はごく少数だ」
「この場にヴォオス軍がいないということは、罠である可能性も高いですが、同時に我が国以外の敵国から侵略を受けている可能性も高いと言えます」
ファーツィの考えに、ヴォルクは大きくうなずいた。
「冬が近い。兵を動かせる時間的限界は各国とも同じだ。我が国同様冬を前にヴォオスに攻め入ることを考えた国が他にあってもおかしくはない」
「国力に余裕があると言っても、ヴォオスはこの終わらない冬の間に、劇的な政変が起こるほどの内乱が発生しております。経済の要であったクロクスはすでになく、強力な指導力でヴォオス軍をまとめていた王弟ロンドウェイクも、すでにこの世にはありません。加えて新王リードリットは、即位と同時に相当数の貴族の血を流しました。元々ヴォオスの王族のみならず、貴族も含めた上流社会ではその異相が原因で嫌悪されてきました。リードリットは民衆には受け入れられているようですが、貴族社会には未だに根強い恨みを抱える者が多数存在しているはずです。内外に敵を抱えた状態とも言えるでしょう。そのため、兵を身辺から離せない可能性もあります」
「その可能性も高そうだな。だが、リードリット自身が親征すれば済む問題とは言えまいか?」
「いかに好戦的なリードリットといえども、政権が安定を見ないこの時期に、安易に王都を空けるとは思えません。我が軍を迎撃している間にベルフィストを陥とされては、即位して早々に帰る家を失うことになります」
「そこまで愚かではないか」
「運だけで大国の玉座は得られないかと」
「そうだな。それなりの参謀がついていると見るべきだな」
「……あの、実はこのような物を発見したのですが」
息の合った二人のやり取り、言葉を挟む隙が見つからなかった偵察兵の一人が、一枚の紙片を差し出した。
受け取ったヴォルクは目を通すと大きく顔をしかめ、紙片をファーツィに回す。同じく目を通したファーツィも、頭痛を覚えたかのように頭を振った。
「この時期に女を新兵として募集するとは……。うつけと聞いてはおりましたが、どうやら大うつけの間違いですな」
ファーツィが呆れ返って紙片をヴォルクに返す。
「ヴォオスには、女性ばかりを集めた騎士団があると聞いたことがある。しかもその騎士団が、ゲラルジー王子率いるルーシの民を撃破したという噂もだ」
「くだらない妄言ですな。女ごときがいくら鍛えようと、ルオ・リシタの戦士に敵うわけがありません。大方リードリットの実績作りのための大法螺でしょう」
ヴォルクの言葉をファーツィは鼻で笑い飛ばした。
「この愚かとしか言いようのない布告を見て確信いたしました。リードリットはただ祭り上げられた傀儡の王であり、政変を成し遂げた者たちも、このような愚かしい布告を出すことを許しているということは、リードリットの顔色をうかがう小物ばかりなのでしょう。仮に罠があるとしても、たかが知れております。ルオ・リシタの戦士が恐れるようなものではありません」
「ライドバッハがリードリットについたという噂を聞いたが?」
「ヴォルク様は反乱を起こした人物を、ご自身の幕僚に加えますか?」
ヴォルクの問いに、ファーツィは同じく問いで返した。
「なるほど。加えんな。その男が有能であればある程な」
「あの男の実力は大陸中に知れ渡っております。正直ライドバッハが何故反乱を諦めたのか今でも不思議に思っております。あの男ならば、ヴォオスの玉座に手が届いたでしょうに……」
他人事ながらどうにも納得のいかないファーツィが唸る。
「そうならなくて良かったと考えるべきだろうな。ライドバッハに支配されたヴォオスを攻めるのは容易なことではないからな」
ヴォルクがルオ・リシタ人らしからぬいたずらな笑みを浮かべて言った。
「まったくでございます」
応えるファーツィも不敵な笑みを口の端にのせる。
「よし。しばし兵を休ませた後、ヴォオスへと進軍を開始する。メレウスゴルスク砦は補給基地とし、全軍の支援にあたれ。以上だ」
ヴォルクは悩むことなく今後の方針を決定した。
ルオ・リシタの常識で測っていては、今のヴォオス軍は理解出来ないという大きな落とし穴が存在していることに、ヴォルクもファーツィも気づくことは出来なかった――。
◆
ヴォオス西部地方に、ス・トラプ山脈の地下を無数に走る地下通路の入り口が存在していることを、ヴォオスのごく少数の者だけが知っていた。
そして、迷宮と化した古代遺跡の地下通路の詳細な地図を持つただ一人の男は、暗い地下通路を先頭に立って馬を進めていた。
白髪を後ろになでつけ、真っ白な口ひげをはやしたその人物は、ヴォオス軍軍師主席であるライドバッハその人であった。
<フールメント会戦>のおり、胴体だけとなったゲラルジーの懐からしれっと回収された古代地図は、カーシュナーの手を経て、元の持ち主であるライドバッハの手に返っていた。
「本当に道当ってんでしょうね?」
ヴォオス最高の知将に対し、平気で憎まれ口を叩くのは、ライドバッハが手にした地図を無遠慮に覗き込んだシヴァだった。
「この地図が理解出来るのは私だけだ。私が間違えても気がつける人間は一人もおらん。つまり間違えていても間違えているということがわからんのだ。無駄な心配をするな。兵士が動揺する」
「へい、へい。わかりました」
代わりに貴様が先導するのかと言わんばかりに地図を突き出してきたライドバッハに対して、シヴァは両手を胸の前で小さく振って拒絶する。
誰が相手でも恐れを知らないシヴァも、さすがにライドバッハを向こうに回すと分が悪い。以前に比べてはるかに接しやすくなったライドバッハではあるが、下手なことを言えば正論で粉砕されてしまう。
もっとも、今の言葉はどちらかというと屁理屈の類ではあったが――。
「しっかし、すごいとしか言いようがないっすね」
話題を逸らす意味もあったが、シヴァは素直に感嘆のため息をつく。今自分が馬を進めている地下通路は、まるで達人が振るった剣で断たれたかのように平滑な路面をしている、それでいて表面が特にざらついているというわけでもないのに、馬の蹄や兵士の足が滑るということもない。
それは通路を形成する壁や天井も同様で、大部分は地下空洞をそのまま活用しているためあまり見られないが、場所によっては見事に四角くくり貫かれた通路が現れる。
正直シヴァにはどうやって作られたのか想像することも出来ない。
「古代帝国ベルデの遺産だ。現代の技術では再現はおろか、どうやってこの地下通路を作り上げたのか、その方法すら解明することは出来ない。我らはただその恩恵にあずかるだけだ」
シヴァの言葉にライドバッハも素直にうなずいて答える。
「罠とかないっすよね?」
「ない。この地下通路の遺跡は、元来巨大なス・トラプ山脈に埋蔵されていた<魔石>を採掘するために掘られたものなのだ。採掘が奥へと進むにつれ、掘り出された<魔石>の運び出しが作業全体の中でかなりの比重を占めるようになったため、運搬作業の効率を改善するために、網の目のように走る坑道を、このように整備したのだ。そこに罠を仕掛けるということは、騎士が自ら馬を進める道の先に、罠を仕掛けるよなものだ。仕掛ける意味がない」
「なるほど。そもそもこの通路は通路であることが目的で造られたわけじゃないってことすか。ところで<魔石>ってなんすか?」
その、人を食ったような態度から、シヴァを軽く見る者は多いが、シヴァの理解力はヴォオス軍の軍師十席に匹敵するほど高い。戦術理解度の低い者では数万という単位の兵士を指揮することは出来ない。先の内乱でカーシュナーが唯一無条件で頼ることが出来たのも、事前に準備するのではなく、その場で対応しなければならない状況下で、当たり前のようにカーシュナーの思考についていけたからだ。
本人に言うといい気になってむかつくので絶対に言わないが、ライドバッハはシヴァの強さ以上にその知性を評価していた。
「<魔石>というのは神話時代の折に神々の力をたくわえた石のことだ」
「そんなもんがあるんすか!」
初めて耳にした話にシヴァが驚きの声を上げる。
人間の感覚で言えば、千三百年という歳月は途方もないの時の流れではあるが、それでもそれ以前には、確かに地上に神々が存在し、地上に在るすべての存在が、その恩恵に浴していたのだ。
現在でも人が近寄らない辺境や、魔物の領域である魔境の奥地などには、神々に由来する聖なる遺物が存在している。
シヴァが<魔石>の存在を否定せず、あっさりと受け入れたのも、人々の中で神話時代が未だにおとぎ話として風化せず、確かな過去の歴史として残っているからだ。
「驚くことはない。魔石は今も大陸各地に存在している。もっとも、魔力を失ってしまった現代の我々では、<魔石>に封じられた力を引き出すことは出来ないから、ただの石ころに過ぎん」
「なんとももったいない話っすね」
「いや、古代帝国のように魔術の使用を徹底的に管理・制限が出来なければ、魔術は非常に危険な存在でしかない。現代に生きる我らが魔術を行使するということは、徹底的に甘やかされたわがままな子供に刃物を持たせるようなものだ」
「そいつはぞっとしませんな」
ライドバッハのたとえを聞いたシヴァが、大きく顔をしかめる。
王族や貴族のわがままもたいがいだが、甘ったれたガキのわがままも、それに匹敵するほど質が悪い。
「まあ、今は使えなくても、<魔石>があったおかげで俺たちはこんなに簡単にルオ・リシタ軍の背後を衝けるわけですから、<魔石>様様ってところっすね」
「ああ、変に欲をかかず、受けられる恩恵に感謝すればいいのだ。それが出来ん愚か者は、いつまでも自分の物でもない力に対して執着して、無駄な時間を過ごす」
「もてない男の執着に似ていますね」
「醜いという意味では同質だろうな」
シヴァも言葉に毒を含む人間であるが、ライドバッハも一歩も引けを取らない有毒人種だ。二人から少し離れて従う千騎長たちは、とてもではないが二人の会話に加わる気にはなれなかった。
「よし。ここで一旦休憩としよう。ここから先は道がかなり複雑になる。その辺りを兵士たちに周知徹底し、好奇心から隊列を離れるようなことがないよう言い含めておいてくれ」
ライドバッハの指示にうなずくと、シヴァは背後を振り返り、身振り手振りで千騎長たちに伝える。大声を出さないのは、閉塞空間に敏感になっている兵士がいるからだ。
「迷子になっても絶対に探さんと言っておけ」
「伝えておきます。まあ、改めて言われなくても勝手な行動はせんでしょう。愚痴は多いですが、珍しく聞き分けはいいですから」
「それはそうだろう。脱走したくても逃げ道がわからんからな」
千騎長が言葉を濁して放った皮肉に、シヴァはニヤリと笑って答えた――。
◆
ヴォオス北西部。ルオ・リシタとの国境地帯及びその周辺部は、立ち上る黒煙で、暗く煤けていた。
進軍を開始したルオ・リシタ軍は、途中さしかかった村々で略奪を働き、ことごとく空振りに終わると、腹いせに村の建物に次々と火をつけて回ったのだ。
今回は腹いせとして火を放ったが、略奪が上々の成果を上げたとしても、やはり火を放っただろう。ルオ・リシタの戦士と放火はもはや一体であり、本能的な行動であるため、切り離して考えることが出来ないのだ。
その外見からだけではなく、その行動が、ルオ・リシタ人を蛮族たらしめていた。
空に立ち上る黒煙を見上げて、ヴォルクは大きなため息をついた。
これではルオ・リシタ軍の所在がまるわかりである。
それを指摘ところで、「だからどうした」と返されるだけなので、あえて言葉にはしない。だが、全軍をあずかる将軍としては、統率や命令の徹底に対する甘さは頭の痛い問題だ。
戦士として個々の能力が高いルオ・リシタの戦士たちは、個人の武勇に走りがちで、集団での作戦行動には不向きなのだ。
ルオ・リシタ軍の戦い方は、正面突破。
それ以外はないと言ってもいい。
ルオ・リシタ人はどこまで行っても略奪者でしかなく、征服者ではないのだ。
欲しいもの目指して一直線で突き進み、何もかも奪って故郷に帰る。ただそれだけなのだ。
ヴォオス軍はルオ・リシタとの国境近くに、ヘルヴェン城塞を構えている。
規模では南のミデンブルク城塞に譲るが、堅牢さでは引けを取らないヴォオスの北の守りの要だ。現在マティウス将軍麾下、騎兵五千、歩兵一万が詰めている。
ルオ・リシタ軍は、用兵の常道から言えば真っ先にこのヘルヴェン城塞の攻略を行うべきなのだが、完全に無視して西の隊商路沿いに南下を続けていた。
ルオ・リシタ軍は昔から攻城戦を苦手としてきた。ことにヴォオスの城塞を苦手としている。城塞の堅牢さもさることながら、守りに徹することの出来るヴォオス軍の将軍を苦手としているのだ。
自国が侵略されても野戦に打って出るのがルオ・リシタ軍である。
そもそも守りに徹するという発想自体ない。それ故、持ち前の突破力を上回る防御力を前にすると、途端に進軍が止まってしまうのだ。
このまま南下を続ければ、背後をヘルヴェン城塞の隊に襲撃されることになる。場合によっては前方に待ち構えているであろうヴォオス軍と連動し、挟撃に合う可能性すらある。
それでもルオ・リシタ軍は進軍を選んだ。多少不利な状況であろうと、苦手な攻城戦で時間を無駄にするよりも、野戦に持ち込んでしまう方がはるかにルオ・リシタ軍としては戦いやすいのだ。
ヴォルクは大陸水準で見ても優れた将軍だ。だが、その能力が十全に発揮出来るかといえば、そうでもない。全軍の指揮権を有していてもだ。
これだけで、ルオ・リシタ軍の扱いにくさがよくわかるというものである。
ヴォルクの役目は、その用兵術や戦術眼などではなく、一人の戦士としての武勇により、全体を導くことなのだ。
ルオ・リシタ国の王子であり、部族の長でもあるゲラルジーですら、自らが治めるルーシの民の戦士たちを完全に掌握することは出来なかった。勝ち戦の連続で規律が緩み、部隊単位で脱落者を出した。これが撤退の時期を誤らせ、ゲラルジーをフールメントの野にてリードリットと向かい合わせてしまうことになりり、結果としてゲラルジーは野望だけでなく、命をも失うことになった。
ルオ・リシタ人は強い者にしか従わない。ことに今回のように部族間の垣根を超えた国家規模の大軍ではなおさらだ。
ヴォルクはその存在だけでルオ・リシタ軍を束ね、前進を続けなくてはならないのであった。
多少の遅滞には目をつぶるが、これ以上必要のない馬鹿騒ぎで進軍の足を止めるわけにはいかない。
ヴォルクはため息をつきたくなる気持ちを何とか抑え込むと、馬鹿騒ぎを続けている戦士たちの中へと馬を飛ばした。
そしておもむろに剣を抜くと、一瞬で三人の首を斬り飛ばしてみせる。
「行くぞ」
ただそれだけ言い捨てて、さっさと馬首を返す。
血の冷水を浴びせかけられた戦士たちが黙り込み、憎悪に満ちた視線をヴォルクの背中に突き刺していく。
だが、ヴォルクがくるりと振り向き、突き刺してきた視線に真っ向から応えると、戦士たちは手にしていた松明を投げ捨て、進軍の列へと戻っていった。
再び背を向けたヴォルクの背中へ、もう一度視線が突き刺さることない。次に目が合えば、ヴォルクが容赦なく斬って捨てることを知っているからだ。
「毎度毎度、同じことの繰り返しですな」
ファーツィが上官の心中を察し、代わりにため息をつく。
「敵兵の前に自軍の兵士を先に斬らねばならんのだから、まったく度し難い」
全軍の目があるので厳しい態度を保ち続けなくてはならないため、ヴォルクはため息すらつけないのだ。
「斥候は戻ったか?」
こんな話題を続けたくないヴォルクは、現実的な質問をする。
「戻りましたが、成果のほどはまったく……」
ファーツィの報告に、ヴォルクは進路を変更しようかと本気で悩んだ。
ここまですでに五つの村を焼き払ったが、麦の一粒、芋一個も手に入れられたわけではない。ルオ・リシタからかき集められた糧食などたかが知れた量だ。戦士たちは全員ギリギリの食事でここにいる。早く明確な成果を上げ、戦士たちの空腹を満たしてやらなければ、いかにヴォルクといえども、いつまでも軍容を維持することか不可能だ。このままでは軍が瓦解するのもそう先の話ではない。
戦士たちが家々に火を放つのも、それが習いであると同時に、気を紛らす唯一の方法だからだ。
「このままではヘルヴェン城塞に取って返さなくてはならなくなるな」
ファーツィにだけ聞こえる声でヴォルクが軽口を叩く。
上官の軽口に、ファーツィはそっと胸をなでおろした。状況は一向に進展しない。日が一日過ぎるごとに糧食は目に見えて減少していく。今は苛立ちが先行しているが、苛立ちが不安に取って代わるのも時間の問題だ。焦りがヴォルクの余裕を奪ってはいまいかと懸念していたのだ。
「さすがにそれだけは勘弁してほしいですな。陥落させる前にこちらの糧食の方が先に尽きてしまいます」
ヴォルクの軽口に、ファーツィも軽口で返す。もっとも、言葉の内容はまぎれもない事実だ。
「ヴォオスのこの状況をどう考える?」
現実から逃避してばかりもいられないので、話題を本筋に戻す。
「かなり前に村を捨てたことは間違いないと思われます。新しい簡易墓地の規模から考えても、村を維持できないほどの人死にが出たようですし」
「全滅したということか?」
「すべてがそうとは言えませんが、少人数が広範囲にわたって点在していると、救済するにも余分な人手がかかります。避難という形を取り、国境付近の住民を一か所に集めたのかもしれません」
ファーツィの答えにヴォルクはしばし考え込む。
「一気に都市ヘルヴェンまで進軍する。ヴォオス軍の連中は大陸規模の食糧難を逆手に取り、我々を兵糧攻めにする腹積もりなのだろう。目につく村をすべてを調べていてはヴォオス軍の思うつぼだ」
「これまでに調べた五つの村の状況から見ても、それは間違いないかと思われます。ですが、補給の目途もたたない現状で、ヘルヴェンまで攻め入るのは、敵地に深入りし過ぎではないでしょうか?」
ファーツィが副官として懸念を口にする。
「待ったところで本国から補給が来ることはない。我々は不足している食料を奪いに来たのだからな」
ファーツィの懸念にヴォルクは自虐的な笑みを浮かべた。
「……手ぶらで帰るわけにはいきませんしな」
「そんなことをしてみろ。陛下から、せめて口減らしをしてこんかと御叱りを受けるだろう」
「退いて地獄ならば、進むしかありませんな。ルオ・リシタ戦士五万の大軍であれば、どれほど不利な状況でも覆すことが出来るでしょう」
自分を納得させるように、ファーツィは大きくうなずいた。
「あるだけの糧食を戦士たちに分配してくれ。都市ヘルヴェンを陥とせなければ、全員飢えて死ぬ。退路はない」
視線を合わせずに下された非常な命令を、ファーツィは猛々しい笑みで受け取った。他の戦士たちのように短絡的な性格はしていないが、それでもファーツィもルオ・リシタの戦士である。死戦を前にして高ぶらずにはおれなかった。
命令が全軍に伝わると、どこか苛立ちささくれ立っていた気配が一気に引き締まる。
蛮族と蔑まされようと、ルオ・リシタの戦士に臆病者はただの一人もいなかった。
「ついてこられない戦士はその場で死ね!」
単純にして苛烈な号令が、ヴォオス北部の空気を震わせたのであった――。
◆
「ようやくまともに動き出したか」
斥候からルオ・リシタ軍の状況報告を受けたレオフリードが、ニヤリと笑う。
「相変わらず統制も何もあったものではありませんな」
ヴォオス軍の常識では考えられない進軍速度に呆れ返っていたミヒュールが、レオフリードの皮肉に対し、正直過ぎる感想を口にする。
「だが、強い」
レオフリードの言葉に、ミヒュールもうなずく。
「小手先の戦術など力ずくで突破してしまいます。軍師泣かせの嫌な相手です」
「おいおい。泣かされっぱなしでは困るぞ」
「すでに終わらない冬の最中の急襲で、多くのヴォオスの民が泣かされたのです。今回は我らがルオ・リシタ軍を泣かせる番です」
自信に満ちた軍師の言葉に、大将軍は不敵に微笑んだ。
「しかし、北部の民を思い切って移住させておいたのは正解だったな」
「……それがどうやら、あの男の差し金だったようです」
呆れつつ、それでいてどこか感心しながら、忌々しげにミヒュールは答えた。
ずいぶんと器用な真似をするものだなと思いつつ、レオフリードは話の先を促す。
「終わらない冬の最中、ヴォオス各地の小村はクロクスによって見捨てられました。多くの貴族がクロクスに倣い、庇護すべき領民を見限った。そんな中、独自に動き、ヴォオスの民を救済して回っていたのが、カーシュナー卿なのです。その多くをクライツベルヘン領へと逃がすと同時に、食料を求めていずれ侵略して来るであろうルオ・リシタ軍に対し、空白地帯を設けていたというのですから、恐れ入るより他ありません」
そう言うとミヒュールは、肩をすくめて首を振った。
当代において、ミヒュールは間違いなく屈指の天才である。だが、そのミヒュールをもってしても、カーシュナーの先見の明には感心を通り越して恐怖に近い感情を覚える。
ミヒュールの内心を察したレオフリードも、感謝と同時に背筋が寒くなるのを感じる。ただ、両者に言えることは、その後に敵でなくて良かったという安堵感もあったということだ。
「本来ならばヴォオス軍が主導して行わなければならなかったことだ。カーシュナー卿のおかげで多くの命が救われたようだが、それでもなお多くの命が失われた。悔やんでも取り戻すことの出来ない命だ。当時の私はミデンブルク城塞にこもる以外何もしていなかった。これ以上後悔を積み重ねたくはない。それに、カーシュナー卿がヴォオス軍が優位に戦えるように手を尽くしてくれた後で無様をさらすなどまっぴら御免だ」
気持ちを切り替えたのであろう。レオフリードの表情が戦場に立ったかのように引き締まる。
それ以上に表情を厳しくしたのは、ミヒュールであった。
カーシュナーの実力は認める。だが、いつまでもその下風に甘んじるつもりも毛頭ない。
共に戦う軍師の心意気に、レオフリードは満足そうにうなずいた。
「それに、今回はヴォオス軍のみで戦場に立つわけではない」
「そうですね。陛下には、今や多くの心強い御味方がいらっしゃいます」
「まさかこんな日が来るとは思いませんでした。ヘルダロイダ様」
大将軍とヴォオス軍軍師第二席の視線を受けたのは、<五大家>が一家、シュタッツベーレン家の女当主ヘルダロイダであった――。
祝! アルスラーン戦記完結!
ヴォオス戦記を書きたいという衝動の半分は、間違いなくアルスラーン戦記があったからこそ!
また1巻から読み返します。
やばい! ヴォオス戦記を書く時間が……。
本編とは全く関係ない話になってしまいました(笑)
次回は12月30日投稿予定です。年末ということで何かとお忙しいとは思いますが、出来ればのぞいてやってください。




