強者たちの模範試合
「わっはっはっはっ! とんでもない歓声だな。だが、このくらい盛り上がった方がいい。誰が誰と戦おうと、おそらくこれが最初で最後になるだろうからな!」
観客席の最前列で、練兵場を囲む丈の高い柵の縁を、杖でガンガン叩きながらアペンドール伯爵が大笑いする。
「頼むから、わしも出るとか言い出さんでくれよ」
隣で顔をしかめるゴドフリートが、大はしゃぎする親友に釘を刺す。
「手足が足りてれば殴り込んでやったんだがな。さすがにこの有様では、勝負に水を差すことにしかならん。ここで大人しく見物させてもらうさ」
そう言って、今度は義足を手にした杖でガンガン叩き出すアペンドール伯爵を見て、ゴドフリートはどこが大人しいのだとため息をつく。
「わしの代わりにお前が出ろ」
「それこそ勝負に水を差すだけだ。年寄りの冷や水でな」
「上手いこと言いよる。確かに、そんな水を差されては、この興奮も一瞬で冷めるだろうな」
もはや躁状態に近い観客席を見回して、さすがのアペンドール伯爵もいささか呆れる。
すぐ近くでレオフリードに黄色い声援を送り、ドレスの縫合が裂けるのではないかと思わせるほどの勢いで手を振る貴婦人の大きく揺れる胸を、杖の先でつついて遊ぶ。
「やめんか!」
全く気がつかないので面白がってさらにつつこうとするアペンドール伯爵を、肘で小突いて注意する。
「それより、他の将軍たちはどうした? 千騎長たちも出たがっただろう?」
ゴドフリートがアペンドール伯爵の注意を引き戻すため、話題を変える。
ゴドフリートはかつてヴォオス軍の最高職である大将軍を務めていた。だが、リードリットに従い王宮に復帰すると同時に宰相職に就き、軍事ではなく内政の最高責任者として職務を全うしている。
現大将軍であるレオフリードとは、互いに国の重臣という繋がり以上に、レオフリードのゴドフリートに対する深い尊敬から、両者の間には個人的な繋がりが築かれている。
親しき仲にも礼儀ありと言うが、ゴドフリートは年若い友人に配慮し、ヴォオス軍に関することは、業務上必要なこと以外尋ねないようにしている。ヴォオスの歴史の中で英雄として語られるかつての大将軍の言葉は、本人の意図とは別に軍事に関する干渉と受け取られかねない。それは新任の大将軍であるレオフリードの面子を潰しかねない問題なので、ゴドフリートは意識的にヴォオス軍とは距離を取っているのだ。
対してヴォオス軍の特別顧問という立場にあるアペンドール伯爵は、ゴドフリートと双璧を成す知名度と、先の内乱で示した武人としての在り様が再評価され、その人好きのする人柄と相まって、すっかりヴォオス軍に溶け込んでいる。一般兵の下世話な話から、各将軍たちの家庭事情まで、あらゆる情報が集まるヴォオス軍きっての情報通だ。
「昔は将軍職に就くような奴らは、皆我の強い連中ばかりだったが、ここに宰相のお主がいて、練兵場の真ん中には陛下を始め、大将軍のレオフリード、将軍であるシヴァ、オリオンに、客将として現在ヴォオス軍に身を置くジィズベルトとブレンダン間で集まっておる。ルオ・リシタだけでなく、イェ・ソンやエストバもどう動くかわからんこの状況では、他の将軍や腕に覚えのある千騎長たちを遊ばせておくわけにはいかんということだ」
「なるほど。てっきりあそこに集まった者たちに対抗出来ないと諦めたのかと思ったぞ」
アペンドール伯爵の説明に、ゴドフリートが身もふたもないことを言う。
「人を遊ばせておく余裕もないが、それ以上に無駄なけが人を出してる余裕は今のヴォオス軍にはない。その辺を上手いことコンラットが処理してくれたということだ」
「相変わらずそつのない男だ。あれが先の内乱で死なんでくれて本当に助かったな」
「まったくだ」
ゴドフリートの言葉にアペンドール伯爵が素直にうなずく。
コンラット将軍は、先の内乱まで王弟ロンドウェイクの腹心としてヴォオス軍でも確固たる地位にあった。下級貴族の出身であったが、ロンドウェイクによって見い出され、良くて千騎長止まりであったはずのコンラットは、将軍職を得るまでに栄達する。
ロンドウェイクは晩節を汚しこそしたが、兄であり国王でもあったバールリウスに代わり、王族としての務めを果たし、名ばかりの王であったバールリウスを支えた文武に秀でた傑物であった。
仕えるに値する人物であったが、ロンドウェイクは終わらない冬の間に宰相クロクスと当時の盗賊ギルドのギルドマスター・ゼムが地下空間に造り上げた競売場で奴隷売買に手を染めてしまい、王族から除名され、最後にはケルクラ-デンの野にてカーシュナーに討たれた。
この時コンラットがロンドウェイクと共に戦場にあったとしたら、討たれた主の仇を取るために、死ぬまで抵抗をやめなかっただろう。
だが、コンラットは<ケルクラーデン会戦>の前に、当時ヴォオス軍に反旗をひるがえしていたアペンドール伯爵を討伐するため、ジィズベルトとブレンダンを伴い、独断で貴族連合軍を離れたエルフェニウスが、アペンドール伯爵を倒すことには成功したものの、最終的にミヒュールに敗れてしまったため、エルフェニウスの独断を許した責任を負い、将軍職を剥奪されて戦線を離脱していた。
そのおかげで<ケルクラーデン会戦>に参加出来ず、結果として戦死を免れたのであった。
コンラット自身は地下競売場には一切関わっていなかったため、リードリットの粛清の対象にはならなかったが、ヴォオス軍の軍人でありながら、当時の国王バールリウスにではなく、ロンドウェイク個人に対して忠義を尽くしてきたコンラットには、ロンドウェイクの行為そのものが、裏切りという名の厳し過ぎる罰となっていた。心に大き過ぎる穴を開けたコンラットは、ヴォオス軍における自分の存在意義を完全に見失うことになる。
だが、不運に見えた運が、実は自分が生きるために味方をしてくれていたことと、何より、自分よりもはるかにつらい立場にあるルートルーンの、いばらの道と知りつつも、それでも前に進もうとする姿がなければ、コンラットはむなしさに負け、ヴォオス軍を去っていたかもしれない。
迷いは今も心にあるが、それでも残る道を選んだ以上は、今までのように誰かのためではなく、国のために働こうとコンラットは強く決意した。
そして、シヴァが計画した今回の模範試合から、ヴォオス軍の主要人物たちの名誉と自尊心を守るために、一計を案じてこの場に参加出来ないように手を打ったのだ。
若き大将軍となったレオフリードはもとより、無名のころから目を掛けていたシヴァ。カーシュナーの推挙によりヴォオス軍に加入した元暗殺者のオリオン。この三者に匹敵するほどにまで実力を上げた国王リードリット。
この四人の強さは強兵揃いのヴォオス軍にあってさえ、他の追随を許さない程に傑出しており、ジィズベルトとブレンダンの二人だけが、何とか喰らいついている状況にある。
自分を含めた他の将軍や将軍候補でもある千騎長たちでは、もはや勝負にすらならないのだ。
意地や負けん気などというつまらない理由で挑んでも、ただけが人を量産することにしかならない。
観客席に陣取るヴォオス軍関係者の中には将軍職も、千騎長もいるが、全員血気盛んな時期を過ぎ、冷静に自分の実力を測れる者たちだけで占められている。
興奮のあまり飛び入りで参加しようなどと考えるような者は一人もいない。
コンラットの人選は完璧であり、各人の能力、性格を把握しきっているからこそできることで、こればかりは大将軍であるレオフリードや、ヴォオス軍一の情報通であるアペンドール伯爵にも出来ない事であった。
ある意味コンラットにより厳選された六人が中央で対峙していると、抽選箱を持ったアナベルが近づいて行く。このような雑事は本来であれば騎士団長であるアナベルが受け持つようなことではないのだが、模範試合だというのに早くも桁違いの百戦の気を六人が纏っているため、赤玲騎士団員に限らず、ヴォオス軍の兵士では、六人の気に気圧されてしまい、近づくことすらかなわないからだ。
「アナベル。腹は大丈夫か?」
リードリットがファティマとの一戦で、鎧の上からとはいえ肝臓に強力な一撃を二発も受けたばかりのアナベルの身を案じる。内臓を傷める攻撃は、表面的なものと違い、時間が経ってもなかなか回復してはくれない。場合によってむしろ時間が経てば経つほど痛みが増す場合もある。
「あの娘の体重があと五キロ重ければ、さすがに他の者に頼んでいました」
やや曲折的にリードリットの気遣いに答えたアナベルは、嬉しそうに笑った。
リードリットにはそれだけでアナベルのファティマに対する評価の高さが伝わった。
自分が相手をすれば良かったかな? と欲張りなことを考えつつ、リードリットもニヤリと笑って返す。
「今回は相手が女ばっかりだったからやらなかったが、ありゃあ、男が相手なら容赦なく金的蹴り上げて来るぞ」
シヴァがあえて下品な笑いを浮かべて口を挟む。
「カーシュナー卿の仕込みですからね。積極的に狙っていくと思いますよ」
それに対し、アナベルは意地の悪い視線をシヴァの下半身に向けながらやり返す。以前のアナベルでは考えられない返しである。
「それはいい。貴様今度あの娘と立ち合え。私が後ろから抑えつけておいてやるから」
「勘弁してくださいよ。蹴られ放題じゃないっすか。右曲りどころか、ジグザグに折れちまいますよ」
「そんなたいそうな代物ではあるまい?」
リードリットが小馬鹿にしたような視線をシヴァの下半身に向ける。
「曲がるのではなく、せいぜいちょっと縮むだけなのでは?」
スザンナたちが聞いたら卒倒しそうな追撃をアナベルが放つ。
「縮まないから! ちゃんとボッキリ、グッキリ折れるから! そこらの木剣なんかより、ずっと立派に木剣だから!」
剣戟以上に鋭い攻撃を二人から受けたシヴァが、むきになって言い返す。
「シヴァ。試合前からずいぶんと旗色が悪いようだな」
オリオンが不機嫌な顔のまま笑うという、ある意味極めて高度な芸当を見せながら、シヴァをからかう。
シヴァのあまりの緊張感のなさに、レオフリードは呆れ返り、ジィズベルトは憤然とし、ブレンダンはツボに入ったらしく腹を抱えて笑っている。以前は大きくつき出ていたその腹も、今ではだいぶすっきりとしている。
「このまま無駄話をしているといつまでも始まらん。お主らさっさとくじを引け」
シヴァをやり込めて大満足のリードリットが、アナベルが持つ抽選箱に目をやりながら指示を出す。
もともと人を食ったような性格であるシヴァは例外だが、カーシュナーの影響で冗談を言うようになったリードリットとアナベル以外、全員生真面目な性格だ。オリオンも以前とは比べ物にならないくらい性格が柔らかくなったが、相変わらず悪乗りはしない。ブレンダンも受けはいいが冗談を言うのは苦手な性格で、レオフリードとジィズベルトはまだ少しこの空気に抵抗がある。ジィズベルトの場合はかなり抵抗があると言えるかもしれない。
それでもこの面子が集まると、いつまでも話し込んでしまう。呆れつつもレオフリードは止めず、怒りだしてもジィズベルトは席を立ったりはしない。
そのこと自体はリードリットにとって心地良いことなのだが、何と言っても今回はそんな満足をはるかに上回る刺激が待っている。いつものやり取りは早々に切り上げたいのだ。
リードリットの心情をよく理解しているアナベルが抽選箱を持って進み出る。
これに対して前に進んだのがレオフリード、オリオン、ジィズベルト、ブレンダンの四人で、逆に一歩後退し、その輪から離れたのがリードリットとシヴァだった。
興奮していた観客たちが、六人の行動を怪訝に思い我に返る。
だが、輪から離れた二人が早くも鋭い視線を交わし合っている事に気がついた観客たちは、その意味することを理解し、再度感情を沸騰させる。
リードリット対シヴァは決定事項なのだ。
先程をはるかに上回る大歓声に、興奮に呑まれなかった人々は耳を押さえて顔をしかめた。
「こりゃかなわん」
さすがのアペンドール伯爵も、興奮する貴婦人たちにちょっかいを掛ける余裕もない。
「終わらない冬による抑圧の反動なのかもしれんが、これはさすがに興奮し過ぎだ」
ゴドフリートも両耳を押さえて呆れ返る。
「ああ? なんだって?」
「興奮し過ぎだと言ったのだ!」
「なんだ、お前もつんつんしたかったのか?」
上手く聞き取れなかったアペンドール伯爵が、何を勘違いしたのか自分の杖をゴドフリートに差し出す。
「誰がそんなことをするか!」
「直接か! いや、さすがに直接はいかんぞ。お前も立場のある……」
「直接も間接もない!」
「いや、そんなに興奮するな」
怒るゴドフリートを、アペンドール伯爵が勘違いしたままなだめる。
「興奮などしておらん!」
その勘違いが余計に腹立たしく、ゴドフリートはアペンドール伯爵を怒鳴りつけたが、周囲の喧騒に飲まれてしまった。
ヴォオスの二大英雄が、ずれた会話を交わしている間に抽選が始まる。
「なるほど。これはなかなかに興味深い組み合わせになったな」
こちらは事態を予期して耳栓を用意していたライドバッハの呟きだった。
対戦は第一試合が、
ジィズベルト対ブレンダン。
第二試合が、
レオフリード対オリオン。
第三試合が、
リードリット対シヴァ。
となった。
始めから申し合わせていたリードリットとシヴァの一戦は別として、第一試合と第二試合は実力伯仲の者同士の対戦となった。
レオフリードとオリオンに対するのが、ジィズベルトとブレンダンであれば、その戦いは挑戦という形となり、面白くはあるがとても見やすい戦いになっただろう。
だが、元々東西を代表する武人であり、アペンドール伯爵の指導を受け、その実力をさらに伸ばしたジィズベルトとブレンダンの勝負の行方は容易に予想がつかない。戦う者同士はもちろん、見る者も緊張を解くことの出来ない一戦になるだろう。
それ以上に予測がつかないのがレオフリードとオリオンの一戦だ。
対戦が決まったとき、自分たちの戦いがあるにもかかわらず、リードリットもシヴァも、ジィズベルトもブレンダンも、二人の勝負の行方を思いニヤリと笑ったほどである。
火花を散らし合うリードリットとシヴァに刺激され、大興奮していた観客たちも、興奮が突き抜けてしまい、身震いして座り込んでいった。
ライドバッハも、らしくもなく興奮し、呼吸を窮屈に感じている。
隣に座るミヒュールと、かつて自分の独断を信じ、共に戦ってくれた二人の戦友の戦いを見守ることになったエルフェニウスも、興奮に身震いしている。
唯一平然としているのは、反対隣に座るセインデルトだけである。
「よく平然としておれるな」
「いや、私も興奮していますよ。ただ、あの二人と向かい合うわけではありませんからね。気楽なものですよ」
興奮というより、楽しみで仕方がない様子のセインデルトが、崩していた姿勢を起こしつつ答える。これまでの一戦は、ライドバッハからすればどれも見ごたえ十分の戦いだったが、セインデルトは余興を楽しむかのように眺めていた。
唯一楽しむのではなく、厳しく見極めるかのように見つめていたのがアナベル対ファティマの一戦であったが、決着後、特に感想らしい言葉を口にはしなかった。まるですべてが予測の内であったかのように平然としていた。
これだけの戦いを前にしても、それが特別にはならないのだ。
ライドバッハは、セインデルトとというより、クライツベルヘン家の底知れなさを改めて感じた。
「お主はこれらの勝負、どう予想する?」
ライドバッハが問いかける。
「まったく予想もつきません。だからこそ、見る価値がある」
そう言うとセインデルトはニヤリと笑って見せた。そのどこかいたずらを企んでいそうな顔を見て、ライドバッハはカーシュナーを思い出さずにはいられなかった。
対戦が決まるとジィズベルトとブレンダンが中央に残り、少し離れた両者の中間地点にレオフリードが立つ。この試合の判定員はレオフリードが務めるからだ。
先程までは刃を潰した試合用のごく普通の長剣を使っていたが、ここからは真剣が用いられる。ジィズベルトやブレンダンほどの実力者になってしまうと、刃を潰した程度では殺傷能力を抑えきれなくなってしまう。であれば下手に試合用の剣など用いず、真剣を用いて寸止めで戦う方がはるかに事故が発生する確率が低くなる。
攻める方も守る方も、その集中力が実戦と何ら変わらないものになるからだ。
ブレンダンは以前はその巨体と怪力を生かし、本来両手で持って振るう大剣を、まるで長剣でも扱うかのように片手で振るっていたが、今は長剣に盾というもっとも一般的な装備を手にしている。
幼いころから体格と力に秀でていたブレンダンは、自分の長所を生かすため、大剣を手にして来た。と、本人はこれまで思っていた。だが、それが己の力に慢心した驕りからの選択であったと気がついたブレンダンは、基本に立ち返ることにしたのだ。
対するジィズベルトは、これまで通り盾を持たず、長剣のみ構えている。受けることを前提としない、攻めに特化した戦い方だ。ケルクラーデンの野でシヴァに敗れて以降、試行錯誤を繰り返したが、何かを変えるのではなく、一つのことを極めるべきだと判断し、速度を重視したこれまでの戦い方を選択した。
両者がわずかに工夫したことは、ブレンダンがリードリットの剣を参考に、自分の長剣の厚みを倍にしたことと、ジィズベルトがこれまでの両刃の長剣から、反りのある片刃の長剣に持ち替えたことくらいだ。
どちらも自分の長所を生かす工夫だ。
「かつて貴族連合の大会議の折には実現しなかったことが、まさかこんな形で叶うとはな」
ブレンダンがどこか苦みを感じさせる笑みを口元に浮かべる。
「言うな。あの時お主との立ち合いが実現していたら、どうしようもなくつまらなくてみっともない戦いで終わっていたはずだ」
応えるジィズベルトも、どこか恥をにじませるような表情で応える。
「そうだな」
「だからこそ、今日ここでお主と相対せることに、深い意義が見いだせるような戦いをしよう」
「そうだな。それが出来なければ、我ら二人とも明日からアペンドール伯爵の地獄の特訓行きだ」
「それは勘弁してもらいたいな」
ブレンダンの軽口に、珍しくジィズベルトがニヤリと笑う。
「始めっ!」
レオフリードの開始の合図とともに、二人はそれまでの会話がなかったかのように、百戦の気を一気に膨らませて激突した。
素早さで勝るジィズベルトに先手を取られることを受け入れているブレンダンは、横薙ぎに振るわれた一撃を、盾でもってしっかりと受け止める。アナベルが使用して破壊されてしまった盾と違い、金属製の盾はジィズベルトの鋭く重い一撃にもびくともしない。
即座に剣を返し上段からの一撃を放って来たジィズベルトに対し、ブレンダンは盾で受けるのではなく。長剣で受け止めてみせる。
ジィズベルトは体重を掛けて押し込もうとしたが、手の平に伝わってきた異様な手応えに、慌てて身を引き距離を取る。
ブレンダンが盾ではなく剣で受けたのは、厚みが通常の剣の倍もある自身の剣の頑丈さを生かし、ジィズベルトの剣を折りに行ったからだ。もしあのままジィズベルトが押し込んでいたら、勝負はあっけなくついていただろう。
距離を取ったジィズベルトに対し、ブレンダンはその巨体からは想像もつかない速さで間合いを潰していく。これまでであればバタバタと走り回っていたブレンダンであったが、アペンドール伯爵が徹底して足捌きを指導したことで、今では巨体が地面の上を滑るように移動していく。そんな何気ない技術の一つに、ヴォオス軍関係者たちは唸りを上げた。
速度に優れるからといって先手を許してばかりいては勝機を見出すことは出来ない。
ブレンダンは間合いを詰めると袈裟切りに剣を振り下ろす。
ジィズベルトはブレンダンの剣の強度が思いのほか高いことからこれを受けず、打ち落とすように払うと素早くかわしてみせた。
剣を横に構えて線で受け止めるのではなく、振り下ろされる剣を後から振って点で捕らえなければならないため、剣速はもちろん相手の太刀筋を見切る目も重要になってくる。単純に相手を剣を横薙ぎに払うのとは根本的に違うのだ。
ジィズベルトはブレンダンの剣を払いつつ、左に一歩踏み込むことで、ブレンダンの無防備な右側面を捕らえてみせた。
勝負あったかと思われたが、ジィズベルトが次の攻撃のために払った剣を引き上げたのに対し、ブレンダンは剣を払われたままの姿勢で、踏み込んで来たジィズベルトに体当たりをぶちかまし、形勢を逆転してみせる。
相手はブレンダンである。ただ体当たりを受けるだけでもたまったものではない上に、自身の踏み込みの力が上乗せされて返ってきたのだ。いかにジィズベルトといえどもその力には抗しきれず、派手に吹き飛ばされてしまう。並の兵士であればこの一撃で意識も吹き飛ばされてしまっただろう。
飛ばされつつもジィズベルトは剣を抱き込み、<黒豹>の異名に恥じないしなやかな身ごなしで、普通であれば背中から叩きつけられるところを、肘、肩と巧みに使って受け身を取り、飛ばされた勢いを利用してそのまま後方に回転し、一瞬で体勢を立て直してみせた。
ここで追撃出来ていたらブレンダンにとって絶対的な好機であったが、ぶちかますために全力で踏み込んだ直後であったため、瞬時にさらにもう一歩前に踏み出すことは出来なかった。
こうして戦いは振出しに戻ったが、すべてが元通りというわけではない。ぶちかましをもろに受けてしまったジィズベルトは、その分だけ不利な状況での振り出しであった。
(やはり、あれだけどっしり構えられると厄介だな)
かつては自分同様守りなど考慮せず、一気に攻め切る戦いを好んでいたブレンダンは、その破壊力こそ恐ろしくはあったが、その攻撃を捌ききれればいくらでもつけ入る余地があった。
だが、始めから守りに入るというわけではなく、これまで通り攻め中心の中で、しっかりと盾による守りをからめてくる。
先程も剣を払われたことを逆用し、裏拳の要領で盾で殴りつけて来るのではないかと考えていた。もしそうなっていれば、ジィズベルトは剣を上段にまで振り上げず、中断で留めて回転するブレンダンの死角に滑り込み、横薙ぎの一撃で勝負を決めてられていただろう。
ブレンダンはそこまでジィズベルトが読んで行動することを見越して始めの袈裟切りを放ったに違いない。まんまと誘い込まれというわけだ。
一見脳みそまで筋肉で出来ていそうなブレンダンであるが、その実冷静かつ狡猾な一面を隠し持っている。先の内乱でも激発し、感情に走った行動を取りがちな自分を諌めてくれたのもブレンダンであった。
「まったく。<猛牛>が聞いて呆れるわ」
ジィズベルトはそう呟くと、口の中ににじんだ血を吐き捨てる。それと同時に再び間合いと詰めるために飛び込んだ。
初撃と全く同じ軌道で横薙ぎの一撃をみまっていく。
これに対し、ブレンダンも始めの攻防と同じように盾で受け止めに出る。ブレンダンとしては、素早さで勝るジィズベルトの最初の一撃を確実に潰すことから自身の攻撃が始まるのだ。
ジィズベルトはブレンダンの盾の表面打ち、軽く跳ねさせただけで瞬時に剣を返す。
そして、即座に身体を反転させると逆方向から胴を薙いでいく。
この一撃も迎え撃ったブレンダンの剣の表面を弾いただけで、瞬時に逆回転の横薙ぎに変わる。だが、今度は先程よりもはるかに低い軌道で宙を薙いでいく。
盾では間に合わないとふんだブレンダンが、巨体を小さく浮かせてこの一撃をかわすが、ジィズベルトはさらにもう一回転身体を振り回した。
低空の横回転を軽業師並の身軽さで縦回転に変え、横、横、横と三度繰り返した斬撃から、不意に唐竹の軌道へと変えてみせた。
それは、離れた場所から見ている者でさえ、目で追うことが困難なほどの連続攻撃であった。これを目の前で繰り出されたブレンダンは、これまでの修練と経験からくる反射だけで対応しなくてはならない。
自分の脳天へと落ちてくるジィズベルトの剣先を、目で追うような余裕はない。感覚だけを頼りに後方へと身を反らし、鼻先をかすめた切っ先を、後は盾で受け流す。
間一髪で回避された一撃であったが、ジィズベルトの攻撃はそれで終わりではなかった。
回避された後も、ジィズベルトは剣を引くことなく、さらに振り下ろした。そして、剣を握った拳で地面を殴りつけるように手を着くと、殺さず加速させた回転の勢いを利用して、片手を軸にブレンダンの側頭部に強烈な蹴りをみまったのだ。
盾でジィズベルトの動きが死角となっていたブレンダンは、この一撃をもろに喰らってしまい、頭蓋の中で激しく脳が打ちつけられる。衝撃を受けたブレンダンの脳が、一瞬ではあるが、その巨体の制御を手放す。
ブレンダンの膝が崩れ、ストンと落ちる。
ジィズベルトにはこの一瞬だけで十分であった。
身を反転させ、蹴り上げた足を降ろす勢いを利用して一気に立ち上がる。
派手な動作の中で、手にした長剣だけが最短の軌道を走り、ブレンダンの首筋に達する。
この試合の勝利が確定した瞬間、ジィズベルトは背中に冷たい汗が噴き出るのを感じた。
ほんの一瞬の差で、ブレンダンが手にした剣の切っ先が自分の心臓に達していたからだ。
ブレンダンの脳はジィズベルトの前に屈したが、戦いの本能はブレンダンの前に剣を伸ばしていたのだ。
「勝負あり! それまでっ!」
レオフリードの声が響き渡り、歓声が爆発する。
まだ視界が揺れているのか、ブレンダンはしきりと頭を振りながら立ち上がる。
「くっそう~!! 負けたか!」
心底悔しそうにブレンダンが吼える。
その声には悔しさがあふれていたが、一欠けらの陰湿さも込められてはいない。この結果をある程度予測していたのだろう。
「初手はどうしてもお主に取られてしまう。これは止むを得ん。始めにしっかりと受けてから切り崩しに行ったのだが、どうだった?」
ようやく眩暈が収まったのだろう。ふらつきもなくなりしっかりと目線を合わせて問いかけてくる。
「実際あれはかなり嫌だったぞ。先手を取れる優位が意味を成さなくなる。かと言って先手を取らんわけにもいかん。先手を譲ればお主の流れで戦うことになる。攻めに重きを置いた俺の戦い方で、始めから後手に回るのは致命的だからな」
「基本戦術自体は間違ってはいなかったというわけか」
ジィズベルトの答えにブレンダンが唸る。
「最後の連撃、どうして守りに徹さなかった?」
ジィズベルトが疑問を素直に口にする。最後の一撃が決定打となったのは、ブレンダンの中に攻め気があり、間合いが詰まっていたからでもあるのだ。
「俺たちの力が求められているのは大兵力がぶつかり合う戦場であって、拳闘士たちが戦うような一対一の地上戦ではない。早々に持久戦狙いの戦いなどしてはおれん。これは模範試合だ。兵士を育てるのであって、闘技場の闘士を育てるわけではない。見て意味のある戦いをと思ってな」
ブレンダンの答えに、ジィズベルトは嘆息する。
「どうも俺は考えが浅くていかん。どう見せるかということに、まるで考えが至っておらなんだ」
「それを言うのならば、俺は見せるに値するほどの戦いを見せてやれなかったわ。最後もどう受けるかで一瞬迷った。剣と盾。一番基本的な戦い方が未だに身体に染みこんではいない証拠だ。不甲斐ない」
「これが終わったら、アペンドール伯爵に特訓を志願しなくてはならんな」
「明日からと言わんところがお主らしいな」
ジィズベルトの言葉にブレンダンが笑う。
勝ったジィズベルトが不機嫌で、負けたブレンダンが笑っている画は、どちらが勝者かわからなかった。
惜しみない拍手に送られて、両雄が退く。それに代わってシヴァが中央へ進み出る。
観客は一瞬、「あんた最期じゃないの?」と呆気に取られるが、続いてレオフリードとオリオンが進み出て来たことで状況を理解する。
「ややこしい真似をしおって!」
シヴァのちょっとした悪ふざけに、リードリットが舌打ちする。国王になってもこういうところは治らない。公式の場ではけしてやらないのでアナベルも見逃しているが、変わっても丸くならない部分はしっかりと残るというわけである。
「……ご両人。本当にそれでいいんですかい?」
判定員として中央に立つシヴァが、主にレオフリードに向かって尋ねる。両者共にブレンダンと同じく、長剣に盾という標準装備でこの場に立っている。手にした剣ももちろん名刀などではなく、ヴォオス軍兵士に支給されるごく標準的なものだ。
「大弓でも持って来いというのか? 模範試合にならんだろう」
レオフリードがニヤリと笑って答える。
大陸屈指の弓の名手として知られるレオフリードには、家伝の大弓がある。
<幻獣>斬鈴の角から削り出されたもので、驚異的な射程を誇る。
弓の性能と持ち主の技量から、レオフリードが弓を構えたが最後、射程圏内にいる者は、死神の手に心臓を掴まれたも同然と恐れられるほどだ。
そんなものを模範試合に持ち出したりしたら、勝負もなにもあったものではない。そもそも弓ではこの模範試合の大前提である寸止めが出来ない。
「見たかったんだけどな~。オリオンなら多分避けますぜ?」
「避けたその矢をお主が走って追いかけてくれるとでもいうのか? 射放った本数分の死人が出るぞ」
レオフリードの指摘に、シヴァが悪ふざけではなく本気で額を叩いて反省する。
「避けた後のことは考えてなかったっすわ」
「私もオリオンが相手でなければ、避けられた後のことなど考えもしなかったさ」
レオフリードはこれまで、戦場でただの一本もその狙いを外したことがない。前線にレオフリードが弓を手にして現れれば、相手方の大将が慌てて後方に逃げ出すほど、その腕前は恐れられている。
そのレオフリードをして、かわされるかもしれないと本気で思わせるほど、オリオンは強いのだ。
そのオリオンも、得意の二刀を封印してこの場にいる。
「大将軍閣下はわかるが、お前さんまで何でその装備なんだ?」
シヴァがオリオンに尋ねる。
「対等の条件の方が面白いだろう?」
「お前さんが面白いかどうかを基準に選んだって! カーシュに毒され過ぎだぜ!」
意外な答えに思わずシヴァはツッコんだ。
「何かするなら、ただこなすのではなく、より楽しめる工夫をする。あいつはいつもそうだった。それに、これは模範試合だ。あまり奇抜な戦いを見せても参考にならん」
「ったく、二人とも模範試合って言葉を真面目に捉え過ぎなんすよ。俺はただ、俺個人が面白い試合が見たかったから、この模範試合を企画したんすよ。やりたい放題やりゃあいいんすよ」
シヴァが無茶苦茶な文句を口にする。
「それはお前に任せる」
オリオンが、凄んだようにしか見えないニヤリ笑いを浮かべて言い返す。
「私としてはそれは困るのだがな」
レオフリードが二人のやり取りに苦笑を浮かべる。
シヴァが無茶をするとしたら、その相手はリードリットということになる。仮にも国王が相手である。手加減をしろなどとはリードリットが恐ろしくてとても口には出来ないが、無茶をされるのは大将軍としては非常に困るのだ。
「無駄口が多いぞ! さっさと始めろ!」
国王自らの野次が飛ぶ。
「いっけね。せっかく盛り上がってんのにしらけさせちまうとこだった。それじゃあ、お二人さん。後は任せたぜ。始めっ!」
最後の始めだけ大声で言い放ち、シヴァはサッと腕を振り上げた。
レオフリードとオリオンは、同時に放たれた矢のごとく、一直線に突進す。
互いに剣を後方に構えたまま、盾を押し出し前に進む。そしてそのまま真正面から激突した。
ぶつかり合った互いの盾が火花を散らし、とんでもない衝突音が場内に響き渡る。
そして二人はそのまま力比べに突入した。
「オリオンの力は侮れんぞっ!」
ブレンダンはケルクラーデンの野で、オリオンと一騎打ちを行っている。自分よりはるかに細身のオリオンに、<猛牛>と謳われたブレンダンは力でねじ伏せられた。
その剛力を嫌というほど思い知らされたブレンダンは、思わず声を上げていた。
事実身体の厚みで勝るはずのレオフリードが、わずかずつではあるが押されている。
レオフリードは力の軸をわずかにずらすと自身の盾をオリオンの盾の下に滑り込ませ、一気にかち上げ力を逃がす。
盾を払われたオリオンは、しかし微塵も慌てることなく、いなされた力を利用して身体を捻った。そして、いつの間にか逆手に構えていた剣を、かち上げで開いたレオフリードの胸に打ち込んでいく。半瞬の間もない。
胸元に伸びてきた剣先をレオフリードが払ったことで、ようやく見ていた者たちにも何が起きていたのかわかったほどだ。
(あの野郎。何が奇抜な試合は見せられねえだ。盾と身体で逆手に構えた剣を隠しておいて良く言うぜ。短剣じゃねえんだ。長剣を逆手に構えてあんな突き込み出来るかっつの!)
別角度から見ていたシヴァが、オリオンのしたたかさにツッコミを入れる。もっとも、そのしたたかさも、逆手に構えた長剣を完璧に操れるだけの技術があって始めて生きるのだ。
シヴァはリードリットを企画に引き込むために、くじ引きの権利を放棄したことを後悔する。
(カーシュの野郎は正規の剣術じゃあ俺の方が上とかぬかしていたが、こりゃあやってみねえことにはわからねえな)
シヴァがそんなことを考えている間にも、両雄は剣戟の応酬を重ねていた。
ジィズベルトが呆気に取られるほど、両者の剣の切り返しは速く、一つ一つの刃鳴りの音が聞き分けられないほどで、剣と剣が互いを喰い合う鋭い金属音が鳴りっぱなしに聞こえるという怪現象を引き起こした。
それは膠着状態などではなく、途切れることなく奏でられる戦いの序曲であった。
両者の技量は互角というよりその実力が高次元過ぎて、間近で目にしているシヴァにすら、両者の差を見極めることは不可能であった。
全くの互角ということはあり得ない。だが、試合形式の戦いでは、この二人の実力に優劣をつけることは不可能であった。
それを察したレオフリードがニヤリと笑い。オリオンは小さくうなずくと、二人同時に飛び退った。
そして同時に盾を捨てる。
その意味するところを理解した観客たちが、思わず息を止めて二人の戦いの決着にのめり込んだ。
静寂が大練兵場を支配する。
あまりの緊張感に、見ている側も口の中がからからに乾く。だが、唾を飲み下すことすらはばかれる緊張感に、静寂は破られることなく、なお居座り続けた。
両者が地を蹴る音が異様に大きく響き渡る。
次の瞬間、レオフリードとオリオンは、刀身が霞むほどの斬撃を放った。
シヴァの目が、僅差で先に振り下ろされたレオフリードの剣を捉える。
(やっぱ、正規の剣術じゃあ大将軍殿に一日の長があったってことか?)
そんな思いがシヴァの脳裏をかすめたが、遅れて振り下ろされたオリオンの剣の軌道を読み取ったシヴァは、その考えを改めた。
レオフリードの剣の軌道がオリオンに向かっているのに対し、オリオンの剣の軌道は、レオフリードの剣の側面へと向かっていたのだ。
レオフリードの剣を捌ければオリオンの勝ち。捌きに来た剣を逆に打ち落とせればレオフリードの勝ち。
勝負の行方はこの二択に絞られた。
――かに思われた。
だが、オリオンの真の狙いは別のところにあった。
斬鉄――。
それは剣術の一つの到達点であり、人の歩みではたどり着くことの出来ない領域に存在する、習得不可能な奥義。
だが、オリオンはこの業に、かつて一度到達したことがあった。
その後幾度か試みたが、その業を再現すること出来なかった。それはこの業が、オリオンの技量をもってしても、限界を超えた集中力が発揮されなければ繰り出すことが出来ない至高の一撃だったからだ。
今なら出来る。
この男が相手ならば、至ることが出来るはずだ。
オリオンの中に迷いはなく、レオフリードに対する信頼を核とした確信だけがあった。
レオフリードの剣を追い、オリオンの剣が喰らいつく。
互いに刃こぼれだらけになってしまっている剣の一欠けに、オリオンの無傷の刃の部分が滑り込む。
刃鳴りは生まれず、するりとオリオンの剣がレオフリードの剣に吸い込まれていく。
レオフリードはその手応えに戦慄し、シヴァは目の前で繰り出された神技に驚愕する。
剣と剣が交差するのではなく、通過する中、オリオンの表情には諦めがよぎった。
次の瞬間、鼓膜を突き刺すような金属音を発しながら、両者の剣は折れ飛んだ。ただし、レオフリードの剣は半ば以上を切り裂かれていたのに対し、オリオンの剣は完全に折れていた。
この二人が激しく剣戟を交わした後では、並の剣には斬鉄を成せるほどの余力は残されてはいなかったのだ。
「かぁ~っ! 惜しいっ! でもそこまでっ!」
微妙に締りのない合図で、両雄の戦いの幕が下りる。
「この勝負、引き分けっ!」
シヴァの判定に、息を止めて見守っていた観客たちが、安堵のため息を吐き出す。両雄の戦いからは、そのあまりの緊張感のために、『死』以外の結末がないのではないかと思わせられたからだ。
どちらが強いのか、知りたいという好奇心は今もある。だが、それ以上に知ってしまうことへの恐怖のようなものも確かに存在する。
折れた剣に対し、よくぞ折れてくれたと思った者たちは、意外に多かったのであった。
手の中に残された剣を見つめたレオフリードは、自分の顔が獅子のような笑みを浮かべていることに気がついていた。
この勝負は自分の負けである。
引き分けに見えたのは、単に試合に用いた剣の耐久性の低さに救われただけの話だ。
剣術を極めたなどとは思っていない。だが、今立つ場所に、その先があるとも思ってはいなかった。だが、その先は確実にあるのだ。そのことを、手の中に残った剣の残骸が証明してくれている。
レオフリードは飢えに似た強さへの渇望が、自分の中に生まれたことを自覚した。
この感覚は、剣術を始めた幼少のころ、生まれて初めての敗北を味わって以来だった。
「良いものを見せてもらった。見事だ。感謝する」
獅子の笑みから普段の落ち着きのあるに笑みに戻ると、レオフリードはオリオンに頭を下げた。
「いや、自分が手にしている剣の状態を見極め損ねた。つまらないものを見せてしまった。申し訳ない」
常に不機嫌にしか見えないその顔に、まぎれもない不満を浮かべながら、オリオンも頭を下げた。
レオフリードが相手だったのだ。完璧な技を見せられたはずだ。それが出来なかったのは、ひとえに自分の未熟さ故だ。
「せっかく剣と盾っていう基本装備でやり合ってくれたんだが、実力が違い過ぎて何の参考にもならなかったみたいですぜ」
現状で良しとしない二人が、自身への不満から暗い雰囲気を纏ってしまったので、シヴァは茶化しつつ二人に周囲を示した。
レオフリードとオリオンが周囲を見回すと、それに反応して試合を見守っていた人々が歓声を上げる。
「手ぐらい振ってやってくださいよ。連中にしたら、逆立ちしたって届かないような試合を見せられたんですから。ここで二人が不満顔でいたら、連中明日からの訓練を放棄しちまいますぜ。やるだけ無駄だってね」
シヴァにさりげなく諭され、レオフリードは大歓声に対し、手を振って答えた。大練兵場が一気に黄色い歓声で染め上げられる。
オリオンも一応は手を上げて応えたが、こちらは微笑んだところで獲物を前にした狼のようにしか見えないので、得に愛想は振り撒かない。不機嫌顔が標準仕様であることがだいぶ浸透していたおかげで、手を振るだけでみんな満足してくれる。
黙っているとすべてを拒絶しているようにしか見えないのだから、歓声に応えるだけでも特別に思えてしまうのだ。
「にしても、お前さんは不満なようだが、さっきの技、すごかったな」
シヴァが素直に感心してみせる。
「あれも暗殺者の業なのか?」
シヴァの言葉に大きくうなずきつつ、レオフリードも尋ねる。
「いや、どちらかというとミクニやさらにその東方にある国などに伝わる剣術の奥義のようなものだ。ヴォオスやその周辺国では、剣は叩きつけて切断する、どちらかというと力に頼った武器だが、東方の剣は引くことで肉も骨も断つ、技の武器だ。その性質上技の深みに大きな違いが生まれた。一概にどちらが優れているというものではないが、単なる人を殺す技術でしかないヴォオスの剣術に対し、精神修養に主眼が置かれ、礼儀や作法にも深いこだわり持つ東方の剣術は、終わりのない道を、ただひたすらに歩む、生き方そのものだという。その精神性の違いが、鉄をも断つ、『斬鉄』という業にまで人を押し上げたのではないかと俺は思っている」
オリオンにしては珍しい長文に、二人は改めて剣術とは何かと考えた。オリオンは自身の体験から、ちゃんと伝えようとがらにもなく多くの言葉を費やしてまで語ってくれたのだ。
真面目なレオフリードはもとより、人を食ったような性格のシヴァも、オリオンの言葉を真摯に受け止めた。
「さっさとはけろ! 次は私の番だろうが!」
そんな空気をリードリットがぶち壊してくる。相変わらずの空気の読めなさ振りに、シヴァは吹き出さずにはおれなかった。
「やっぱ天然は最強だわ」
「それは他の天然に失礼だ」
シヴァの言葉に、それ以上に失礼な言葉をオリオンがかぶせる。
十分不敬罪に値する二人の発言を聞かなかったことにして、レオフリードは戦いの舞台から退いていった。
オリオンは退かずにその場に残ると、シヴァと立ち位置を変えて中央に立つ。
そして、大将軍に変わって国王陛下が中央へと歩を進めていく。
戦いに装飾を持ち込むことを嫌うリードリットは、入団希望者たちと同じ防具を身に着けている。公式の場では当然王族にふさわしい装いに身を包むが、まるで戦いを軽視しているかのような、無駄に飾り立てた装備類を、リードリットは目の敵にしていた。
盾は手にせず、愛用の厚みが通常の三倍もある長剣を手にしている。
重さも当然三倍もある長剣を、リードリットは小枝でも振り回すかのように、手の馴染みを確かめていた。
対するシヴァも盾を持たず、それどころか防具すら身に着けずに待ち構える。こちらも銘こそないが長年ともに戦場を渡り歩いた長剣を手にしている。
防具を身に着けないのは、リードリットの愛剣の前では、金属鎧さえも意味を成さないからだ。
「なんだ。<神槍>ともあろう者が、飲み屋にでも自慢の槍を忘れて来たのか?」
リードリットがいきなり挑発する。
「陛下相手に槍は要らんでしょう。それに、こいつで負ける方がはるかに屈辱的なはずだ」
この国王を王とも思わない返しに、赤玲騎士団員がシヴァに対し、一斉に罵声を浴びせかける。
シヴァは今度は赤玲騎士団員たちを挑発するべく、周囲に対し馬鹿丁寧なお辞儀を繰り返した。
この挑発に対し、もっとも口汚い罵声を返したのは、貴族出身のフランシスカであった。
ヴォオス軍関係者たちは、一様に見て見ない振りをする。
将軍職にあろうと、その行動が不敬に値することにかわりはないのだ。それでも黙認するのは、これがシヴァと、リードリットを含めた赤玲騎士団のつながり方だからである。
内乱にあって、ヴォオス軍は新国王リードリットに対し、何ら貢献するところがなかった。
一部レオフリードの働きこそあったが、それはヴォオス軍としてではなく、あくまでレオフリード個人としての貢献だ。
必要な時に必要な場所で、必要以上の働きを見せ、絆を築き上げたシヴァとリードリットたちの在り方に、何の功績もない軍関係者たちは口を挟むことが出来ないのだ。
「両者、これは新兵たちに対する模範試合である。あまり口汚く罵り合い、試合の品位を下げる様であれば、判定員の権限により試合を没収するものとする。よろしいか」
そんな軍関係者たちの思いを酌み取ったわけではないだろうが、オリオンが絶妙な間で二人に釘を刺す。 オリオンの常識的な行動に、軍関係者たちは心の中で拍手喝采を送った。リードリットはかつて王宮にいたころと比べればはるかに分別のある人間に成長したが、その性格の根本にある無茶苦茶さはまったく変わってなどいない。暴走し出したリードリットを当たり前のように制御出来る人間は、間や空気に流されないオリオンだけかもしれなかった。
大将軍であるレオフリードも、小さく拍手している。
この二人の試合の判定員がオリオンに任されたのも、この三人の特殊な関係性の故であった。
「横暴だぞ! オリオン!」
国王が口にするような文句ではない。
オリオンはリードリットをぎろりと睨むと、小さく首を振った。そして、
「先程の警告に従い……」
「ちょっと待ったあ!」
容赦なく試合を没収しようとしたオリオンに、リードリットではなくシヴァが待ったをかける。
「わかった。これ以上無駄口は叩かねえから、もう始めちまってくれ!」
そう言うとシヴァは、余計なこと言うんじゃねえよという視線を君主に投げつけた。
リードリットのこめかみに青筋が浮かび上がるが、オリオンのどこまでも厳正な視線が自分を見つめているので、グッとこらえるしかなかった。
「開始後の挑発は戦術の一つとして認める。それまで両者控えるように」
リードリットの心情を察したわけではないが、オリオンはリードリットが激情をこらえるのを確認すると、情報を補足した。オリオンの言葉に、リードリットが猛々しく笑う。
実際の戦いでも計算された挑発は戦いを優位に進めるうえで重要だ。事実先程行われたロッテ対ユリアの模範試合も、ユリアがロッテを上手く挑発し、感情を煽ることで判断を急がせ、最後の一手で上回ってみせた。
「それでは、始めっ!」
滅多に聞くことの出来ないオリオンの大声で、リードリットとシヴァの戦いが始まる。
挑発が利いていたわけではないが、リードリットが恐ろしい速さで飛び込んでいくのに対し、シヴァは構えもせずにふらりと歩みだす。
先手必勝とばかりに、リードリットが渾身の一撃を大上段に振りかぶって打ち下ろす。
体格では二回りは下回るリードリットの一撃を、シヴァはリードリットの剣先から鍔元近くまでを滑らすように剣を払い、強烈な一撃を回避してみせる。
体格差を考えれば、シヴァが『剛』であり、リードリットが『柔』であるはずの戦いだが、実際に展開されたのは、リードリットの剛剣を、シヴァが柔らかくいなす始まりだった。
これまでの行いから、両者はともにその実力が正当に評価されることはなかった。
内乱を経たと言っても、その戦いを間近で確認出来たのは、赤玲騎士団員とクライツベルヘン家の一部の兵士のみである。
リードリットは剛力を突き抜けた『金剛力』の持ち主であり、その性格もあって戦いは『剛』に偏りがちだが、技術的には守りも捌きも一流の剛柔兼ね備えた剣士だ。
対するシヴァは、戦いに勝つために必要な要素をすべてあわせ持って生まれて来たような男である。『剛』『柔』自在の天才であった。
リードリットの『剛』に対し、シヴァも『剛』の戦いで対抗出来たはずだが、シヴァはそれをあえて避けた。憎まれ口ばかり叩きつつも、その意識の中には入団希望者たちに対し、戦いを見せるという意識があったからだ。
リードリットの一振りは、その刃が大気を切り裂く音の違いで、素人でもはっきりとその威力を理解出来る。シヴァはリードリットが奏でる暴力的な轟音を、刃鳴り一つ立てることなく次々と捌いていった。
リードリットが繰り出す直線的な攻撃が、最後には緩やかな軌道を描いてシヴァの身体から逸れていく。
両者の性格を知らない者がみれば、リードリットが手加減をし、わざと外しているように見えたかもしれない。
「ずいぶんと遊ぶではないか。さすがの貴様でも、国王相手では本気で打ち込めないか?」
欠片の焦りも見せずにリードリットが問いかける。
「陛下こそ動きが鈍いのではありませんか? それとも、公務が忙し過ぎて尻に余分な肉がつきすぎましたか?」
「ぬかせ。とりあえず貴様の調子を見てやったのだ。昨夜の深酒が残っているようであれば、加減が必要かもしれんからな」
「ご心配なく。二日酔いでもまだ負けやしませんよ」
「それは良かった。ではそろそろ本気で行かせてもらうとするか」
「その方がいいですよ。そろそろ退屈して来たんでね。勝負をつけちまおうかと思っていたところですよ」
シヴァの最後の一言に対するリードリットの答えは、神速の突きとなってシヴァに返っていく。
それまでも目で追うことが困難なほどの攻防であったにもかかわらず、その突きはそれまでよりも数段鋭かった。
さすがのシヴァも捌くような余裕はない。手にした剣を叩きつけ、必死で身を反らして突きをかわす。
そして、崩れた態勢のまま手首をひるがえし、リードリットの顔面目掛けて突きを返す。
並の相手であれば、この一撃で勝負は決まっていたが、リードリットの極厚の長剣を払うのに力を使い過ぎ、攻撃に転じるのがわずかに遅れたことで、リードリットはわずかな首の一振りでシヴァの突きをかわしてみせた。
そのあまりにもギリギリの見切りに、赤玲騎士団員だけでなく、観客席からも悲鳴が上がる。
過去の経緯がどうであれ、現在は押しも押されぬ国王なのだ。万が一のことがあってはならない身だ。
両者は踏み込んだ足を蹴ると後方に飛び、仕切り直す。
ここからはどちらも引かない剛剣同士のぶつかり合いとなった。
武器の強度からまともに打ち合っては不利なはずのシヴァだが、その振りを技術で補い互角の攻防を見せる。
離れた観客席にいる者たちはまだいいが、練兵場で両者を囲んで観戦している者たちは、耳がおかしくなるほどの轟音にさらされることになった。
その音だけで両者が繰り出す一撃の威力が想像され、全員鳥肌が立つのを抑えることが出来ないでいる。中には無意識の内に恐怖に支配されてしまい、膝を震わせる者もいた。
「陛下、俺の愛用の剣が折れちまうじゃないですか。ちったあ加減してくださいよ」
死に直結する剣戟の轟音の中、シヴァが息も切らさず軽口を叩く。
「先程から折る気満々だ。さっさと貴様も込みで折れてしまえ!」
シヴァの軽口を、こちらも乱れのない呼吸であしらい、言葉通り剣をへし折りかねない斬撃を放って行く。
これはさすがにまともに受けるわけにはいかないシヴァは、受けつつ手首と肘、腰、膝と連動させて力を吸収し、リードリットの重過ぎる一撃を見事に殺してみせた。そして、直後にたわめられた全身を一気に伸ばし、リードリットに頭突きをみまっていく。
これを読んでいたリードリットは、シヴァの頭突きに対して、自分も頭突きを合わせていく。
ドゴスッ!!
この世に存在するどんなものを使っても再現不可能な重く鈍い音が響き渡り、体格で劣るリードリットが吹き飛ばされていく。
だが、頭突き合戦で額を割ったのは、シヴァの方であった。
鮮血があふれ出し、一筋の血の流れが顎まで伝い落ちる。
シヴァは目隠し代わりに使用しているベルトを引き上げ、額の傷を縛りつけたが、布とは違い血を吸ってはくれないので、止血の効果は薄かった。
だが、代わりに視界が開ける。
これは剣闘士たちの命を賭けた戦いではない。出血の量があまり多いとそこで試合を止められてしまう。額の傷はさして深くはないが、場所的に派手に血を噴き出す。シヴァは試合がつまらない結末で終わることを懸念し、一気に勝負に出ることにした。
こんなお祭り企画の模範試合でも、リードリットに勝利を献上してやるつもりもない。
シヴァの思惑を察したリードリットに異論はない。はっきりと負かしてやるだけだ。
時間的制限が出来たことで、両者の頭から模範試合に対する意識が飛ぶ。
もはや見せることなど全く念頭にない戦いが始まる。
リードリットはかつて、カーシュナーと本気で仕合った事がある。
それまでは、騎士とはかくあるべし、と言わんばかりの正攻法にこだわっていた。個人としての武名にこだわっていたからだ。だが、カーシュナーはそんなリードリットに対し、命がけで勝ちをもぎ取るために何でもありの喧嘩剣術を仕掛けてきた。
リードリットはカーシュナーを殺せる状況であったが、カーシュナーはリードリットを改革の旗印として仰ぐために、絶対に殺せない不公平な状況下での仕合であった。
リードリットはこの時初めて本当の意味での命がけの戦いを経験した。戦いは常に命がけだ。剣の一振りは簡単に人の命を奪う。だが、この場合の命とは、その者の人生そのものであった。
人生の全てを懸けて望むものを得るための戦いに、負けは許されない。勝つためにはあらゆる手段を用いねばならない。
それを卑怯と思う者にとっての命を懸けた戦いとは、実は掛け金の低い博打でしかないのだ。
賭けるものは、己の命一つ――。
これでは安すぎるのだ。
自分の命を含めた大勢の命を、賭けの代価として差し出して初めて、それは命を懸けたことになるのだ。
そこにきれい事などという浮ついたものが入り込む余地などないのだ。
その意味を理解して以降、リードリットの戦いは変わった。
己の命一つで済む安い戦いであれば、名誉を振りかざすのもいいだろう。だが、王位を望んだその日より、リードリットに名誉を対価とした安い敗北は許されなくなった。
自分の死。自分の敗北。失われるものは国家規模となるのだ。
そして、その支払いのツケが裕福な権力者たちに回されることはない。身を削る支払いを求められるのは、常に弱い立場の者だ。
負けられなくなったリードリットの剣術は、いつしかカーシュナーによく似た喧嘩剣術となっていた。
攻撃へと転じたシヴァの攻撃は苛烈を極めた。
負けず嫌いのリードリットをして、自分よりも上と認めさせるその真価が発揮される。
ただ単純に、その攻撃が速く、重いのだ。
誰よりも――。
『金剛力』の持ち主であるリードリットを、攻撃時のただ一点において、上回ってくる。
速さに至っては体格的に小回りが利くはずのリードリットと互角の動きを見せる。
まともに打ち合っていてはいずれ防戦一方に追い込まれることがわかっているリードリットは、剣戟重視の立ち回りに見切りをつけ、隙を衝いてはシヴァの膝に蹴りを飛ばし、脚を破壊しにかかった。
どれほど筋力に優れていても関節を鍛え上げることは出来ない。さすがのシヴァも、この攻撃には手を焼いた。
基本的な力では、恐ろしいことだがリードリットの方がシヴァを上回っている。ただ剣を振り回しているだけでは打ち負けてしまう。
技術と経験の差でリードリットの力を上手く減じて互角以上に打ち合っているが、手をゆるめてリードリットの足癖の悪さに対処しようとすると、剣戟の打ち合いで後手に回ってしまうのだ。
(厄介な癖が増えていきやがるぜ)
シヴァは内心で舌打ちしつつ、打ち込むと見せかけてリードリットの蹴りを誘い、それに合わせて一気に懐に飛び込むと、強烈な肘をリードリットに叩き込んだ。
剣の打ち合いの間合いから、不意に組打ちの間合いに飛び込まれたリードリットは対応に遅れ、シヴァの肘をもろに首筋に受けてしまう。
一瞬ぐらつくも、リードリットは反射的に膝蹴りを放っていく。
これを逆の肘で迎撃しようとしたシヴァであったが、がちがちの筋肉の塊のようでいながら、女性らしいしなやかさもあわせ持つリードリットの肉体性能を読み誤り、予測よりの鋭い位置にねじ込まれた膝を前腕に受けてしまった。
骨までは砕けなかったが、強烈な痺れが手を襲い、剣の柄から離れてしまう。
そこへすかさずリードリットが逆足を小さく回して蹴りを放つ。蹴り足は運良くシヴァのもう一方の手を捉え、シヴァは剣を蹴り飛ばされてしまった。
ニヤリと見上げたリードリットであったが、無理に連続蹴りを放ったため、態勢を大きく崩していた。そこへシヴァの頭突きを受けてしまい、そのまま地面に叩きつけられてしまう。
踏み固められた地面は思いのほか固く、後頭部から叩きつけられたリードリットは、目に火花が散るのを見た。
すかさずシヴァはリードリットの剣を持った手を踏みつけ武器を奪う。
その剣を蹴り飛ばそうとしてシヴァがさらにもう一歩踏み込んだところを、リードリットが下からシヴァの襟首に飛びつき、倒れ込みながら見事な功を描く巴投げで後方に投げ捨てる。
一瞬の攻防で剣を失った両者は、瞬時に反転して起き上がり、無手の状態で向き合う。
この時点で両者は完全にキレていた。
「さっさと負けんか、この馬鹿たれがっ!!」
吠えながらリードリットが拳を繰り出す。
「負けてやりたくても弱過ぎて負けられねえんだよ!!」
言い返しながらシヴァも容赦なくリードリットの顔面を殴りつけていく。
この時点でオリオンは適切な判断を下した。
大きな身振りで周囲へと手招きすると、自分は二人の間へ飛び込んで行く。
「この勝負、ここまでっ!! 皆の者、陛下を御止めするのだっ!!」
オリオンの合図に真っ先に反応したレオフリードが、兵士たちに指示を出しつつ飛び出していく。
「皆、続けっ!!」
アナベルも必死の形相で飛び出していく。
スザンナたちも血相を変えて後に続く。ぶち切れたリードリットの厄介さは骨身に染みこんでいる。
「あの馬鹿っ!!」
「やり過ぎだっ!!」
ジィズベルトとブレンダンも、呆れ返りつつも飛び出していく。
ヴォオス軍の主だった者たちが飛びかかり、必死になって二人を引き離そうとするが、ブチ切れてしまった二人はそれでも止まらない。
特にリードリットが手に負えない。
こういう時の『金剛力』は、もはや台風などの災害と大差がない。
赤玲騎士団員たちが次々と投げ飛ばされていくのを遠目に眺めていた入団希望者たちだったが、人手が足りないと、目の周りに見事な痣を作ったスザンナによって駆り出された。
「へ、陛下! 落ち着いてください!」
アナベルが背後から羽交い絞めにして叫ぶも、一瞬の隙を衝かれて羽交い絞めにしたまま背負い投げの要領で投げ飛ばされる。叩きつけられたところにリードリットの身体が落ちてきたのでたまったものではない。
「邪魔だ貴様らっ! そこをどけっ!」
さらにロッテが薙ぎ払われ、飛び出したリードリットに慌ててフランシスカとユリアがしがみつく。
「と、とにかくこの場から連れ出せ! こいつがいては陛下が収まらん」
オリオン、ジィズベルト、ブレンダンとともに、なんとかシヴァを押さえ付けているレオフリードが、顔を真っ赤に染めながら、絞り出すように指示を出す。他の三人は返事を返す余裕もない。
さすがのシヴァもこの四人が相手では振り解くことは出来ないが、完全に切れてしまっているため、うっかり解放しようものなら即座にリードリットに殴りかかるはずだ。
口が達者なため、とんでもない罵詈雑言を口にするヴァを、オリオンはシヴァが額に巻いていたベルトを使って猿轡代わりにして黙らせている。もしそうしていなければ、今頃は怒り心頭に達したリードリットの大暴れで大練兵場全体が大混乱に陥っていたに違いない。
入団希望者たちもリードリットを取り囲むが、もはや暴れ狂う猛獣を前にするのも同然で、誰も近寄ることが出来ない。
フランシスカとユリアが投げ飛ばされ、いよいよ猛獣が解き放たれた時、意を決したマルファがリードリット後ろから抱きすくめ、持ち上げる。
地面から足が離れてしまえばさすがのリードリットも投げ飛ばすことが出来ない。
無茶苦茶に暴れるリードリットの肘がマルファのこめかみに襲い掛かったとき、その腕にアナベルが飛びついた。続いて四人の赤玲騎士団幹部たちがリードリットの四肢に取り付いていく。
「今だ、お前たち!」
アナベルの悲鳴のような指示でようやく動き出した入門希望者たちが、続いて飛びついたことでようやく動きを封じることに成功した。だが、未だに気が収まらない両者はなおも暴れ続けるので、手を離すことが出来ない。
そのとき不意に、それまで呆れ顔で眺めていたファティマが、腰ひもから小さな小袋を取り外すと前に進み出た。まずは歯をガチガチと鳴らして威嚇するリードリットに近づいていく。
ファティマは小袋に指を入れると小指の爪ほどの小さくて丸い赤い玉を一つつまみ出し、無造作にリードリットの口に放り込んだ。
直後にリードリットは悲鳴を上げ、鋼の束の様だった手足から力が抜けていった。
「おい、お前! 陛下に内を飲ませた!」
アナベルが血相を変えてファティマに詰め寄る。
「唐辛子と小麦粉を練ったもの」
激しく咳き込むリードリットを、見慣れたものでも眺めるように見つめながら、ファティマが淡々と答える。ヴォオスの公用語である簡易ベルデ語にまだ馴染んでいないためだ。
「貴様、自分が何をしたかわかっているのか! 不敬罪で打ち首になっても文句は言えんのだぞ!」
アナベルが顔を真っ赤にして怒鳴りつける。実際に不敬罪で捕らえようとしないのは、ファティマの行動が実に効果的だったからだ。
「カーシュが、ヴォオスの国王がもし手のつけられない状態になったら、これを口に放り込めって持たせてくれた。たぶんその時はシヴァという人が原因のはずだとも言っていた」
「…………」
ファティマの答えに、アナベルも赤玲騎士団の幹部たちも一言も返せなかった。
「水を上げた方がいい」
ファティマの助言に慌てて水を取りに走らせる。
「もしかして、あの人がシヴァ?」
ファティマがレオフリードたちに取り押さえられているシヴァを指さして尋ねる。
アナベルが大きくうなずくと、ファティマは今度はシヴァに向かって歩き出した。
状況の激変に、リードリットよりはるかに理性的であるシヴァは、正気を取り戻していた。すでに暴れることをやめ、率先してその場から引き上げようとしている。
安心したレオフリードたちが手を離そうとすると、それをファティマが止めた。
「離ししちゃダメ」
咄嗟に再度締め上げてくる同僚たちに、シヴァは身振りで必死に懇願するが、猿轡をされているため上手く伝えられない。
もっとも、これから何が起こるか察しているのは、押さえ付けている四人も一緒だ。シヴァの口が利けても手を緩めたりはしなかっただろう。
もはや逃げ隠れ出来ないと悟ったシヴァは、逆にしっかりと猿轡を噛み、防御を固める。
「外すか?」
オリオンの問いかけに、ファティマは首を横に振った。
そして、真っ赤な丸薬をもう一粒小袋から取り出した。
口を塞がれているのにどうするのだろうか? そう思って見つめる四人の前で、ファティマは一言宣言する。
「お仕置き」
ファティマは迷わず手にした丸薬を、シヴァの鼻の穴に押し込んだのである。
直後に猿轡に邪魔されて声にならない悲鳴をシヴァが上げる。
涙が吹き出すようにあふれ出し、鼻水も水袋に穴が開いたかのような勢いで流れ出して来る。
先に口に放り込まれたリードリットも涙と鼻水と、大量にあふれ出るよだれでひどい有様になっていた。
悲劇に至りかけていた事態は、急転直下で喜劇へと転じ、その幕を下ろした。
「すごい威力だな」
のたうつ二人を痛ましげに眺めながら、レオフリードがポツリと漏らす。
「大丈夫。割とすぐ収まる。後を引かないのがこれの良いところ」
自分に対して言われたと勘違いしたファティマが説明する。
「さすがは香辛料でも知られるゾンといったところか」
説明を受けたレオフリードが素直に感心する。
「それは本来どういった用途で使用するのだ?」
オリオンが問いかける。
「あなたがオリオン?」
ファティマが逆に問いかける。
「そうだ」
「カーシュが言った通りだ」
「あいつは何と言っていたのだ」
「ヴォオス人で一番不機嫌そうな顔をしている人がいたら、それがオリオンだって言ってた」
「…………」
ファティマの答えに、レオフリードとジィズベルトは必死に笑いを堪えたが、ゲラであるブレンダンは大きく吹き出してしまった。
「……それで、それはどういう使い道があるのだ?」
オリオンが重ねて尋ねる。
「いたずら。これはゾンの子供のおもちゃ。私もよくカーシュにやられた」
「それは災難だったな」
いかにもあの男のやりそうなことだと、オリオンは頭痛を感じつつファティマに同情した。
「それは本当に危険ではないのだな?」
「一度に一粒。食べた後に水を沢山飲めば問題ない。ゾンだと水が貴重だから、やられるとすごく大変。でも一つだけ言いたい」
「なんだ?」
「これ、味は意外と美味しい」
「ほ、本当かっ!」
あまりに意外な一言に、オリオンではなく、レオフリードまで驚きの声を上げる。
「ゾン人はヴォオス人に負けないくらい食いしん坊。美味しいものに目がない。唐辛子もただ辛いだけの物なんて、平民の市場にも置いてない。これ、料理にもよく使われる人気の唐辛子で作ったから、食べ物がなくなったら食べても大丈夫。食べる?」
ファティマの恐ろしい質問に、レオフリードもジィズベルトもブレンダンも、慌てて首を横に振る。
「あなた食べたいのではないか?」
人一倍体格の良いブレンダンに目をつけたファティマが勧める。
「い、いや、けっこう! 俺は辛いものが苦手なのだ!」
ブレンダンに断られたファティマがさみしそうにうつむく。
「……一粒くらい食べてやれ」
その姿があまりにも哀れで、ジィズベルトがブレンダンの脇を肘で小突いて文句を言う。
ブレンダンはただ無言でシヴァを指さした。
指さされたシヴァは、リードリットに殴られても平然としていたのに、今ではぐったりと横になっている。ファティマの言葉通り、すでに辛さは去った後のようだ。
「……それもそうだな」
その騎士としてはあまりにも無残な涙と鼻水とよだれまみれの姿に、ジィズベルトもうなずかないわけにはいかなかった。
「本当に美味いのか?」
だが、一人オリオンだけはファティマの丸薬に興味を示す。
「美味い」
オリオンの問いかけに、ファティマは力強くうなずいて答えた。
無言で差し出されたオリオンの大きな手の平に、ファティマがころんと丸薬を落とす。
「お、おい! 早まる……」
慌ててレオフリードが止めようとするが、それよりも早くオリオンは口に丸薬を放り込んでしまった。
途端にあふれ出る涙と鼻水とよだれにまみれてオリオンはひざまずいた。
リードリットやシヴァよりは辛さに対して耐性があったのか、のたうち回りこそはしなかったが、四つん這いになり、顔面からあらゆる体液を垂れ流し続ける。
そして、辛さの津波が去り、ようやく一言口にする。
「美味い」
「嘘をつけっ!!」
レオフリードとジィズベルトとブレンダンのツッコミが見事に重なる。
「……美味いが、それ以上に辛過ぎる」
「いたずら用だから。そうでなかったら、みんな自分で食べちゃう」
「なるほど」
「これ、ほしい?」
ファティマがオリオンに尋ねる。
「おい、あまり無理をするな」
尋ねるファティマに無言で手を差し出すオリオンに、レオフリードが本気で心配する。だが、その心配は早計に過ぎた。
受け取ったオリオンが、レオフリードたちを見つめてその目を妖しく光らせたからだ。
「……お主、まさかさっき笑ったことを根に持っているのではあるまいな?」
レオフリードが恐る恐る尋ねる。
オリオンは答える代わりにニヤリと笑って見せた。
「奪い取れっ!」
レオフリードが慌てて指示を出す。だが、それにジィズベルトとブレンダンが反応した時には、オリオンは脱兎のごとく逃げ出した後であった。
激辛の反撃を恐れたヴォオス軍屈指の実力者たちが、血相を変えて追いかけていく。
混沌となった大練兵場を見渡して、ファティマは思った。
「にぎやかなところだ。でも、にぎやかさに壁がない……」
国王と本気で喧嘩をしようとしていた男は騎士階級出身の準貴族でしかなく、大将軍を筆頭としたヴォオス人貴族に追い回されている男は元暗殺者で、身分らしい身分もなかったと聞く。
ゾンでは絶対にありえない光景だ。その象徴的存在こそが、何と言っても女の身で大国の王になりおおせたリードリットだ。
カーシュナーは何の参考にもならない存在と言っていた。それでいて、ファティマに対し絶対に触れておくようにとも言っていた。その真意をすべて酌み取れたとは思えないが、それでもその一端には触れられた気がする。
一国の頂点の周囲に、身分を超え、性別すらも越えた人の輪がある。
それはまだ小規模のなものなのだろう。
この輪を囲むさらに大きな輪の中には、現状を決して快く思っていない人間が数多く見られる。
それでもそこに、確かに存在しているという事実が、ファティマの心を高揚させていた。
「先程はすまなかったな。大きな声を出してしまって」
一人で立つファティマの下に、アナベルは歩み寄ると謝罪した。
カーシュナーの話では、この人物も貴族の子女のはずだ。間違っても敵対国であるゾン人の少女に頭を下げるような立場ではない。
アナベルは人間として、同じ人間であるファティマに対して非礼を詫びたのだ。それは、生まれや身分、年齢や性別ではなく、その人が生まれてから今日までの間に育み、積み上げてきた、その人の中身に対して向き合っているからこそ出来ることだ。
驚いて言葉を返せないでいるファティマに、アナベルはかまわず続ける。
「ようこそ、ヴォオスへ。お主を歓迎する」
アナベルはそれだけ言うとスッと手を差し出した。
今度はその手に驚きの視線を向けなくてはならなくなる。
アナベルの顔と手を、驚きながら交互に見やるファティマの手を取ったアナベルは、引き寄せて強引に握手を成立させる。
どこの馬の骨とも知れないゾン人の娘と、貴族の子女が手を取り合う。いつかそうあれれば、そんな理想を胸に秘めていたファティマは、突然理想が実現してしまったことに大いに戸惑った。
そんなファティマを好ましげに見つめながら、アナベルはファティマの耳元にそっと囁いた。
「先程の丸薬、まだ持ってはいまいか? 先程あんなことを言っておいてなんだが、今後も入用になる気がしてならんのだ」
アナベルはそう言うと、主君の方にちらりと視線を送ると意味ありげに片目を閉じてみせた。
ファティマは思わず吹き出す。
「今度作っておくよ。ヴォオス人向けに少し調整して」
「そいつはありがたい」
二人は、涙と鼻水とよだれにまみれてぐったりするリードリットとシヴァを眺め、声を上げて笑ったのであった――。
ありがたいことに、またもや評価をして頂けました。しかも高評価!
月並みなことしか言えませんが、読んで頂けるだけでもありがたいのに、評価や感想を頂けると、より読まれている感が強く、モチベーションに繫がります。
ここ2週間ほど風邪をこじらせてしんどい日々でしたが、元気が出ました。
どなたかは存じませんが、ありがとうございました。
連載をしているとお礼が言えるのがいいですね(笑)
え~、次回は12月23日投稿予定です。またお付き合いいただければ幸いです。




