新人たちの模擬戦
会議によって決定された女性の新兵採用はその日の内に実施され、さらにヴォオス全土で男女問わない新兵募集が大々的に行われた。
従来であれば募集などいう迂遠な手段を取っていられるような状況ではないのだが、募集に際しあえて女性を主として募集し、男にはあまり期待していない体で行ったところ、徴用予定であった兵数以上の募集が集まった。
新兵募集の布告に際し、赤玲騎士団員が同行し、集まった民衆の、特に男たちを眺め、次いで鼻で笑ったことが大きく影響したことは言うまでもない。
これによって赤玲騎士団員が町を去った後も、赤玲騎士団員に大いに刺激された女性たちが奮い立ち、対して国から見放されたようにすら見える男たちを冷たく眺めたことで、男たちも奮い立たないわけにはいかなくなったからだ。
カーシュナーの思惑通りに踊らされたヴォオスの民衆たちであったが、その根底には隣国すべてを敵に回す可能性と、それに対する恐れがあった。加えてヴォオス人には他国の侵略に対してそれまでの確執を捨て、一致団結するという特徴がある。
近い将来予想される大侵攻に対し、民衆の中にもそれ相応の危機感はあったのである。
新兵募集から一週間後、シヴァの企画により(シヴァの場合画策と言った方がより正しい)、募集した新兵に対し、模擬戦及び模範試合を行うことになったのだ。
リードリットは<六聖血>の中でももっとも色濃く神々の力の残滓を残した建国王ウィレアム一世の直系の女子だ。一般女性とはそもそも人間としての規格が違う。そこに加えて周囲に対する反発から自身の武芸を徹底的に磨いた。
憧れるにはあまりにも高みにあり過ぎる。
一般女性の集まりに過ぎない新兵たちが目標にするには、その頂はあまりにも高すぎて、せっかく踏み出した歩みを止めさせてしまうほどに――。
シヴァは模擬戦でまず現実を突きつけ、模範試合で心を折り、憧れだけでここまで来てしまった者たちをふるい落すという名目で今回の企画の了承を取りつけたのだ。
もっとも、真意は他にあり、それを知るのはリードリットのみであった。
ヴォオスは四本ある大陸隊商路の全てが走り交差する地である。そのため、地方ではあまり見られないが、王都ベルフィストにはかなりの数の異国人が住んでいる。すでに何世代にもわたり王都で暮らし、生まれも育ちもヴォオスで、故郷の地を一度も踏むことなくヴォオスの土に還る者の方が多いくらいだ。
もちろん入団志願者の中にもかなりの数の異国人の姿が見られる。
リードリットの目にとまったのも、そんな異国人の少女だった。褐色の肌と顔立ちから、おそらくゾン人だろう。見たところせいぜい十五、六といったところだ。
自分でも何故この少女に目を止めたのかわからないが、なんとなくそのまま観察を続けた。
「陛下、何ボケっと突っ立てんすか?」
そんなリードリットに失礼極まりない態度でシヴァが話しかけてくる。
反射的に繰り出されたリードリットの右拳を、シヴァが慌てて回避する。
「いけね。うっかり右側から近づいちまった」
出てもいない額の汗を拭う真似をしながら、シヴァが見当違いの反省をする。無礼を働いたという認識はないようだ。
ここでやり合っては後のお楽しみが台無しになると思い、これ以上シヴァと絡むのをやめたリードリットが視線を戻した時には、まるで始めから存在していなかったかのように少女の姿は消えていた。
小首をひねるリードリットをいぶかしく思いながら、シヴァが本来の要件を切り出す。
「陛下。せっかく思ったより早く時間が取れたんすから、模擬戦前に連中に何か一言声を掛けてやってくださいよ」
「なんだ、最後に出て行って驚かせるという計画ではなかったのか?」
「俺も最初はそのつもりだったんですけどね。思った以上に気合入った姉ちゃんたち多いんで、ただお祭り騒ぎにするより、もう一歩踏み込んだ本気度の高いもんにしてもいいかなと思いましてね」
「うむ。良い考えだ。始めに剣を取るという意味を理解させるためにも、その方が良いかもしれんな」
「じゃあ、連中にはっぱかけてやってください。こいつばっかりは宰相殿や大将軍閣下にも出来ない事ですからねえ」
そう言ってシヴァは例によってベルトの眼帯で覆われていない方の目をぱちりと閉じて去って行った。
時々思うが、シヴァは実は片目だけ閉じることが出来ないから、それを隠すために最初から片目を覆っているのではないか思いつつその背中を見送る。
国王になり、その思考はずいぶんと大人になったが、時折馬鹿なことを考えるのは天然故であった。
「注目!」
模擬戦が行われる練兵場は、かつて終わらない冬の影響でふさぎがちだった王都の民のために、当時宰相であったクロクスが大規模な観覧が可能となるように改造した練兵場だった。
仮設で組まれた観覧席であったが、クロクスの予想以上に好評を博したため、取り壊すのではなく本格的に整備され、一種の闘技場のような造りになっていた。
その設備の中でもっとも重要な観覧席のすぐ下にある小さな舞台に立ったアナベルが、不安と興奮で落ち着きなくざわつく入団希望者たちに声を張り上げた。
一瞬の静寂の後、黄色い大歓声が爆発する。
今や<完全なる騎士>レオフリードに匹敵する女性人気を獲得したアナベルの出現に、入団希望者たちは興奮しきっていた。
「アナベル、騒ぎをでかくしてどうすんだよ!」
舞台袖に引っ込んでいるシヴァが文句を言う。
「いや、あの、す、すまない。そういうつもりではなかったのだが……」
「陛下より目立つなよ~」
慌てるアナベルに、シヴァが面白がって追い打ちをかける。
だが、それ以上シヴァはアナベルをからかうことは出来なかった。リードリットの鉄拳が飛んできたからだ。さすがにカーシュナーのようにもろに喰らったりはしないが、かわすことに集中しなければとてもではないがかわしきれるような拳ではない。
シヴァがゴロゴロと転がりながらかわしている隙に、リードリットはもったいつけるような真似はせず、さらっと舞台に上がった。
風になびく紅玉の糸かと見紛う色艶を放つ赤髪の持ち主が、どこの誰だかわからない人間は、ヴォオスには一人もいない。
アナベルに対して上がった歓声とは種類の異なる大歓声が、再度練兵場を揺らす。
集まった女性だけでなく、リードリットの来場を知らなかった模擬戦の運営に携わる治安兵たちまでリードリットの名を連呼している。
しばらくの間大歓声に愛想良く応えていたリードリットであったが、集団心理がそうさせてしまっているのか、これはどうも治まりそうにないと見切りをつけると、腰に下げた愛用の長剣をわずかに鞘走らせ、半身ほど抜いたところで鞘に落とした。
大歓声とは比べ物にならないはずのその音は、歓呼する人々に届き、自然と躁状態から脱して静まっていく。
この時集まった者たちは、本当の意味で誰の前にいるのかを理解した。
王者の威に触れ、真の王とは何たるかを思い知ったのだ。
「皆、よく集まってくれた。ふれを出してまだ一週間。それ以前から志願してくれた者たちも大勢この場にいるだろうが、女性兵士の募集に思いのほか応募が殺到している。お主らの仲間はこれからさらに増えるが、今回はここに集まった者たちで模擬戦を行う」
リードリットの言葉が始まると、その言葉を聞き漏らすまいと、全員が息を殺して耳を傾けている、数瞬前までの喧騒がうそのような静けさだ。
「何の訓練もなく、いきなり模擬戦など理不尽極まりないことと思っているであろう。事実これは理不尽だ。だがな、戦いとは常に理不尽の押し付けから始まるものなのだ。抗議したからといって聞き入れられるものではない。その理不尽を跳ねのけることが出来た者だけが勝者となるのが戦いの世界だ」
脅すでもなく淡々と語られるリードリットの言葉に、集まった者たちがごくりと唾を飲む。
「この中に剣を取ったことのある者などおそらくいまい。だからこそ、戦いを前にしたとき本性が顔を出す。もし自分が、いざ戦いを前にしたとき、臆病風に吹かれ、逃げ出したくなったらどうしよう。そんな不安を覚えている者もいるかもしれない」
リードリットの言葉に、唇を噛み、青ざめる者が相当数いた。
「臆病は悪ではない。臆病な心が招く卑劣な行いこそが悪なのだ。臆病であることを知るのは大切だ。新兵は豪胆であろうとする者ほど、たいがいは初陣で死ぬ。ヴォオスに限らずどこの国も、戦い、勝つ兵士が必要なのだ。勇んで早死にする馬鹿に用はない」
そこでリードリットは人の悪い笑みを浮かべた。放たれる王者の威と相まって、集まった者たちの気を丸呑みにする。
リードリットにつられて笑おうとした者たちも、顔の筋肉が麻痺したかのように動かないことに気がつき、慌てて顔に手をやる。
その姿を見たリードリットは、人の悪い笑みをさらに深め、場の空気を戦場の悪意に染め上げていく。
たった二人に千人近い人数が気圧され、呼吸を乱していく。中には過呼吸寸前の者もおり、さりげなく近づいた赤玲騎士団員が落ち着かせてやる。
「強さも弱さも、すべてが勝つための武器になる。教えられるのを待つな。己のために学べ。強くなる奴は全員自分で強くなろうとした奴だけだ。ここに自ら集ったお前たちには、強くなれる可能性がある。まずは戦ってみろ。そして己を知れ。そこからでしか人は前には進めない。男でも踏み込むことが容易ではない世界に、女の身で足を踏み込んだのだ。前だけを見て進め!」
リードリットはそう言うとさっと身をひるがえした。
極度の緊張から解放された人々は、リードリットの期待を感じ取り、鬨の声を上げるかのように歓声を上げた。
その声を背中で心地良く聞きながら、リードリットは自分だけが座ることを許された国王専用の観覧席に腰を下ろす。本来であれば暗殺の可能性を考慮し、周囲からは確認出来ない位置に設けられているその席も、今回は敢えて練兵場のどこにいてもリードリットの姿が確認出来る位置に移動されている。その意味が分からない者は一人もいない。訓練用の木剣を手にした参加者たちは、皆一様に奮い立ったのであった。
模擬戦は一対一、二対二、三対三、五対五、十対十の小集団での戦闘形式で行われた。戦いの組み合わせは無作為。模擬戦の判定員を兼ねた兵士たちが次々と指名し、そこここで模擬戦が始まる。千対千の騎兵戦が行えるほどの大練兵場がにわかに活気づき、それまで一度もなかった甲高い歓声に満たされた。
大陸屈指の先進国であるヴォオスではあるが、さすがに女性が剣の訓練を受けることはない。東の大国ミクニなどは武術が盛んなこともあり、例外的に女性も武術を学ぶが、それ以外の国では皆無であった。
当然この場に集った彼女たちも、訓練どころか本物の剣を手にしたことすらない。
中には剣の持ち方すらわからない者もあり、見かねた兵士たちが剣の持ち方と構え方を教え、数だけは十分そろっている防具に押し込むと、戦いの中に送り出していく。不安はもちろんあるだろう。だが、それでも自ら兵士に志願して来た彼女たちは、わからないなりに一歩踏み出し、戦いに身を投じて行った。
一対一はまだいいが、それ以上になると連携が必要になってくる。連携を取ることに意識が行き過ぎてしまい、かえって動きがぎこちなくなってしまい敗れる者。いち早く声出しを行い、何とか連携と呼べるよなものを編み出し勝利を手にする者。そのすべてを貪欲に見つめて学ぶ者。全員が先程リードリットから言われた言葉の意味を実感していた。
何度か模擬戦を繰り返すと、素人なりに戦うことに慣れてくる。慣れてくると戦いにより深く入り込むことが出来るようになる。まぐれや偶然に左右され、あっさりと決着がついていた初めのころとは違い、拮抗する戦いも生まれてくる。
熱くなり過ぎてしまい、思い通りに振るえない剣を放り出し、相手の髪の毛に掴み掛かり取っ組み合いに発展する。まるで場末の酌婦が男を取り合って取っ組み合いを行うような状況がそこら中で展開されるようになると、リードリットは腹を抱えて笑った。
あいかわらず大声でもないのによく通るその声は、泥だらけになって転げ回る者たちの耳にも届いた。その笑いが自分たちの未熟振りを笑っているのだとわかると、転げまわっていた者たちは気まり悪げに立ち上がると周囲の人の輪に引っ込んでいった。即座に何事もなかったかのように次の者が指名され、模擬戦が続けられる。誰もが息も絶え絶えとなり、まともに立っている者が一割を切ったところで、リードリットは模擬戦の終了を告げた。
防具を予備まで用意し、しっかりと守りを固めさせてから行ったことと、根本的に攻撃力が低いおかげで骨折などの重傷を負う者は一人も出なかった。ただ、全身を打ち身だらけにし、立つ力もなく座り込む者たちの顔は、どの顔も突きつけられた己の弱さと向き合い、悔しさに歪んでいる。
それでいい。リードリットは小さくうなずく。
弱さを知ることで、強くなることの本当の意味を知ることが出来る。それだけでも模擬戦を行った意義はあったと言える。
もっとも、今はまだ興奮状態だから動けているが、この中の何人が明日の朝ベッドから置き上げれるだろうかと、リードリットは少し意地の悪いことを考え密かに笑った。
模擬戦の終了とともに、大練兵場に食欲をそそるいい香りが漂ってくる。兵士の入場口であるはずの場所から全員の食事を乗せた荷車が次々と入って来たからだ。
それまでは苦痛と疲労から漏れ出る呻きに満たされていた大練兵場が、腹の虫の大合唱に取って代わられる。鳴き出して止まらないお腹を抱えて赤面する彼女たちであったが、その状況をリードリットが笑い飛ばしたことで、全員がつられて笑い出す。互いにボロボロの身体を支え合いながら、自然と人の輪が出来上がって行く。リードリットも観覧席から立ち上がると練兵場に降り、ちゃっかりその輪に混じって行った。
自分の存在が周りの人間の重荷になることを、リードリットは知っていた。何と言ってもリードリットは国王なのだから。だが、それでもリードリットは人の輪に加わった。一つのことを一時でも共有することの大切さを、終わらない冬の真っ白な景色の中であの男が見せてくれたからだ。
リードリットは相手の恐縮など無視して積極的に話しかけた。戦ってみた感想や、戦いそのもに対する考え方の変化など、今体験したばかりのことを尋ねて回った。
温かい食事と共に交わされるには少々殺伐とした話題ではあるが、全員に共通する話題は全体に一体感を生み出した。
遠慮がちだった者たちも共に食事を囲む兵士たちに疑問に思ったことを尋ね、その答えに隣の者と新たに意見交換を行う。中にはこいつにだけは負けたくないと言える相手を見出し、早く本格的な訓練に入りたいと言い出す者もいた。
リードリットが積極的に行動したことで、出来たばかりの人の輪が、さらに活性化する。
その様子を満足気に眺めたリードリットは、皆と同じ食事を、実に美味そうに頬張ったのであった――。
◆
食事が終わるといよいよ模範試合の始まりとなる。
それまでがら空きだった観客席に、軍関係者や貴族たちの姿が見られるようになってくる。
忙しいはずのゴドフリートやライドバッハ、ミヒュールとエルフェニウス、片腕片脚のアペンドール伯爵の姿まである。
そして、練兵場の中には、赤玲騎士団の幹部たちと、大将軍レオフリード、オリオン、ジィズベルト、ブレンダン、が集まっている。
あまりに豪華な顔ぶれに、模擬戦を終えた者たちが驚きに目を剥く。
観客席に座るライドバッハのとなりに、カーシュナーの兄であるセインデルトが腰を下ろす。
「お主はここではなく、下だろう?」
皮肉気に唇の端を持ち上げながら、ライドバッハがセインデルトをからかう。
「勘弁してくださいよ。こっちは今やすっかり建築家です。こういうことは下にいる方々にお任せしますよ」
セインデルトは肩をすくめるとニヤリと笑った。
ライドバッハに遠慮して離れた席に座っていた貴婦人たちが、セインデルトの存在に気がつき色めき立つ。
セインデルトはつい最近までミデンブルク城塞修復のために、工兵の統率と修繕工事の指揮、監督として詰めていた。だが、王都拡張計画が正式に決定したことで、今度はその全体指揮及び設計、監督として王都に移動していた。
本人は自分は建築家だとうそぶいているが、その身体が戦士となるべく生まれついたことは一目瞭然だった。実に見事な均整の取れた体格をしている。恵まれた素質を磨き抜かなければこんな肉体にはならない。
もっとも、建築家であることは事実であり、その能力と実績を考慮すれば、セインデルトはヴォオス一の建築家と言っても過言ではなかった。
「それにしても珍しいな。お主がこんなところに出向いてくるとは思わなんだぞ」
「弟にですねえ、ちょっと面倒を見てほしい子がいると頼まれましてね。貸を作っておこうと思ったまでですよ」
口ではそんなことを言いつつ、カーシュナーに頼られて本当は嬉しいのだろうなと思ったライドバッハであったが、口にするのはさすがに避けた。それはセインデルトとの仲を考慮したからではなく、別の折に逆襲されてはかなわないというある種の紳士協定から生まれた沈黙であった。
「どの娘がそうなのだ?」
代わりにライドバッハは当たり障りのない質問をする。もっともカーシュナーがわざわざセインデルトに面倒を見てほしいと頼むほどの少女に、純粋に興味もあった。
「あの子です」
そう言ってセインデルトが指差した少女は、リードリットが目を止めた少女であった。
模擬戦でもあっという間に勝利を収めており、他の模擬戦参加者に疲労の色が見えるのに対し、まるで今来たばかりのように涼しげに立っている。
「そうと知っていたらもっと早めに来たのだがな。惜しいことをした」
少女の戦いぶりを見逃したライドバッハが残念そうに眉をしかめる。
「いや、見られると思いますよ。おそらく赤玲騎士団の幹部たちは、模擬戦で優秀だった者たちの壁となるために来ているはずですからね」
「なるほど。では前座試合にも楽しみが出来たわけだ」
「前座とはひどい言いようですね」
セインデルトが苦笑いする。
「他の模範試合はくじ引きらしいが、最終試合はあの二人だからな。正直いい歳をして尻の皮がむずむずするほど興奮しているからな」
「そこと比較しては酷というものですよ。ライドバッハ卿」
「うむ。確かにな。しっかりと頭を切り替えて見させてもらう。でなければ楽しめんからな」
ライドバッハの言葉にセインデルトも大きくうなずいた。
「やはり目についたのはその五人か」
アナベルが判定員を務めた赤玲騎士団員の意見をまとめる。
「その五人と言っても、内二人は実力的に大きな開きがあります。実質はあの二人でしょう」
赤玲騎士団幹部のロッテが、二人の内の一人である雲を衝くような大女の方に視線を向ける。
この場には団長のアナベルの他に、四人の幹部が集まっている。
先程厳しい採点を下したロッテに、スザンナ、ユリア、フランシスカの三人を加えた四人が赤玲騎士団の千騎長となる。
かつては五人だった千騎長も、<フールメント会戦>の際に一人失われ、現在はこの四人が実質的な赤玲騎士団の運営を行っている。
団長であるアナベルは国王であるリードリットの腹心として、単なる一騎士団の団長ではなく、国の重臣の一人としてリードリットの補佐に当たっている。最終的な決定権はもちろんアナベルにあるが、先の内乱を経験したことで、幹部だけでなく団全体の意識が大きく変化し、ただ忠実に命令に従うのではなく、自ら考え行動出来るようになったおかげで、アナベルは安心して団の指揮を任せていた。
「でも、千人近く人が集まったのに、実力的に抜きん出ているのがルオ・リシタ人とゾン人の二人というのはなんだか悔しいですね」
幹部の中では最年少になるユリアが、大袈裟に肩を落としてみせる。
「あの二人というか、ルオ・リシタ人に関しては、もともと個々の実力では大陸一と言われているのだ。小集団での模擬戦で実力が発揮されるのは当然だろう。しかも、ルオ・リシタ人だから強いのではない。彼女は戦士になるべく生まれついたのだ。この結果はむしろ当然だろう」
四人の幹部の中で唯一貴族階級に属するフランシスカが、ルオ・リシタ人を認めることで同国人であるヴォオス人を擁護する。
「私としては、陛下の嬉しそうな御尊顔を拝見出来ただけで、あの娘に感謝だな。陛下はカーシュナー卿がイヴァン殿を麾下に加えられた際、ひどく羨ましがっておられたからな。念願のルオ・リシタ人の女戦士が麾下に加わったことを、きっとカーシュナー卿に自慢したいに違いない」
アナベルがリードリットの腹心だとすれば、そのアナベルの腹心的存在であるスザンナが、嬉しそうに観覧席に戻ったリードリットを見つめながら言う。普段は寡黙なスザンナの笑みに、アナベルも大きくうなずいた。
「育て甲斐のありそうな娘だ。立派な騎士に育て上げなくてはな」
アナベルの言葉に、四人も大きくうなずく。素材は抜群だ。これほどの逸材を育てそこないでもしたら、リードリットはひどく落胆するだろう。そんなことにだけはするわけにはいかなかった。
「よし。予定にはなかったが、ルオ・リシタ人の娘とゾン人の娘を立ち合わせてみよう。どうせなら今回集まった者の中で誰が一番か、はっきりさせるのも一興だろう。ちょっとシヴァ卿に掛け合ってくる」
「勝手にやっちゃってもいいんじゃないですか?」
シヴァを探すアナベルに、ユリアが軽く提案する。
「あの人なら大喜びして賛成しそうだもんな」
ユリアの提案にロッテがうなずく。
「二人とも、あまりあの方に毒されてはいかんぞ。軍組織は秩序が第一だ。わかりきったことでも確認は取らねばならん。緊急時に独自の判断が出来ないようでは困るが、平時と緊急時の別ははっきりつけなくてはいかんぞ」
アナベルは二人をたしなめるとシヴァの下に向かった。
注意されてしまったユリアとロッテは互いに小さく舌を出して肩をすくめる。
そんな二人を反省が足りないとフランシスカが頭髪をグシャグシャにするのを、スザンナがやさしく微笑んで見守っていた。
「いいんじゃね。面白そうだし」
というシヴァの一言で、模範試合前に、最後の模擬戦として、ルオ・リシタ人とゾン人の一対一の一戦が行われることになった。
人目を引くルオ・リシタ人の試合ということで、観客席に集まった軍関係者や貴族たちも注目する。
対して女性としては比較的大柄な部類に入るゾン人は、相対するルオ・リシタ人があまりに見事な体格をしているため見劣りしてしまい、まったく注目を集めていなかった。
両者が広い大練兵場の中央に立つと、二人をぐるりと囲んだ赤玲騎士団員たちが歓声を上げてはやし立てた。それにつられて観客席に座る者たちも歓声を送り二人を鼓舞する。
「おやおや、いきなり注目されているではないか」
ライドバッハがいたずらな笑みを浮かべてセインデルトに話を振る。
「相手が注目されているだけですよ。でも、こうやって大勢の人たちが見守る中に自然と立てるということ自体、あの子が持っている証拠です。ただ、あの子の強さは地味ですからねえ。上手く伝わるかは疑問ですがね」
セインデルトはそう応えると肩をすくめた。
「両者とも名乗りを上げよ!」
判定員を務める事になったフランシスカの声が、大練兵場に響き渡る。
「わ、私の名前は……」
「声が小さい! やり直し!」
ルオ・リシタ人の女性が名乗りを上げようとしたが、緊張のあまり声が出ない。そんなルオ・リシタ人をフランシスカは容赦なく叱りつける。
「わ、私の名前は、マルファです!」
その巨体には不似合いなほど可愛らしい声が練兵場に響くと、一拍置いて大爆笑が練兵場を満たした。
真っ赤になってうつむくマルファであったが、ちらりと上げた視線にフランシスカが力強くうなずいてくれたことで、何とか顔を上げて対戦相手を見る。
「我が名はファティマ! 祖国から奴隷制度を撤廃するために来た!」
声量そのものはさして大きくはないが、その言葉はこの場に集た全員に届いた。そのあまりの大言壮語に失笑が漏れかけた時、
「よくぞ申した。その言葉に恥じない戦いをして見せよ」
というリードリットの言葉で、失笑は大きな拍手に変わった。観客席の何人かは、笑わなくて良かったとあからさまに胸をなでおろした顔をしている。
それがどれほど大言壮語であっても、ファティマの言葉はけして笑っていい言葉ではなかったからだ。
だが、その中の何人かは、ニヤリと笑みを浮かべていた。
注目していたライドバッハはもとより、隣に座るセインデルトはやれやれとばかりに苦笑し、ミヒュールとエルフェニウスも珍しくどこかいたずらな笑みを浮かべている。
ニヤリと笑うゴドフリートの隣でアペンドール伯爵が、「天晴れ、天晴れ!」と、人目も気にせず膝を叩いて豪快に笑っている。
練兵場ではレオフリードがさわやかに笑い、ジィズベルトとブレンダンは、まるで戦に挑む前のような猛々しい笑みを浮かべている。
一見不機嫌そうに黙り込んでいるようにしか見えないオリオンも、わずかに口角を上げていた。その隣ではいつの間にか姿を現したリタが、不敵に微笑んでいる。
将軍職にあるにもかかわらず、派手に指笛を吹き鳴らして盛り上げているのはシヴァだった。ただ、顔は笑っているが、片方だけ露わになっている目は笑っていない。その気持ちがどれだけ強いものかを見極めようと厳しく光っている。
ただ全員に共通して言えることは、その言葉を分不相応な大言壮語として観客席から失笑を買いかけたファティマの言葉を、本気で信じたということだ。
さらに注目度の上がった二人の戦いを前に、場内の興奮が高まって行く。
それと同時にマルファの緊張も、いやがうえにも高まって行く。
人目を引いてしまうことには慣れているが、注目されるのは生まれて初めての経験だ。ましてやその数は数千人である。マルファは心臓が耳のすぐ近くに移動したのではないかと思うくらい、脈打つ己の鼓動に聴覚だけでなく、思考まで占領されていた。
何も考えられなくなってただ突っ立ていると、恐ろしいほどの力でグイッと頭を引き寄せられた。
「緊張してんじゃねえよ!」
小言と同時にこめかみを拳でぐりぐりとやられ、マルファは悲鳴を上げた。
「いいか、よく聞け。あいつは必ずお前さんの足元を攻めてくる。攻め気にはやって防御をおろそかにするなよ。素早さは向こうが上だ。大振りは避けて細かく横薙ぎを繰り返せ。懐に入れるな」
耳元でのささやきから解放されたマルファは、身体を起こすと自分と目線の合う片目に出会った。
「シヴァ将軍。どちらかへの肩入れはおやめください!」
判定員のフランシスカに注意され、シヴァはすごすごと人垣に逃げ込んでいく。
周囲から笑いが起こるが、マルファには笑うような余裕はなかった。顔はにやけていたが、自分を見るシヴァの瞳は、驚くほど鋭かった。何故自分に助言をしてくれたのかはわからないが、言葉が本気であったことだけは確かだ。おかげで緊張もほぐれた。マルファは木剣の腹で軽く額を叩くと気合を入れ直した。
「両者前へ、始めっ!」
フランシスカが言葉と同時に片腕を振り上げる。合図と同時にマルファとファティマは飛び出した。
距離が詰まるとマルファは構えた木剣を大上段に構えた。これまでの模擬戦はすべて大上段から打ち下ろされる一撃で決まっており、その動きは反射からごく自然に出たものであった。
だが、直後にシヴァの助言がよみがえる。マルファは慌てて構えを中段に戻すと、振りの小さい胴薙ぎを繰り出した。
間合いで劣るファティマは突進の勢いを殺し、ぎりぎりでマルファの横薙ぎの一撃をかわし、再度踏み込もうとした。だが、小振りで繰り出されるマルファの連続斬りに後退を余儀なくされる。
一見マルファが一方的に押しているように見えるが、素人故の単調さが攻撃に出る。
ファティマは一定間隔で繰り出されるマルファの横薙ぎの攻撃を早々に見切ると、マルファの剣先を叩き落とし、直後に木剣を踏みつけて攻撃を封じる。それと同時に木剣を足場に一気にマルファとの間合いを詰めた。
誰もが勝負あったと思った次の瞬間。マルファはまだファティマの体重が残る木剣を無理やり振り上げ、乗っていたファティマを弾き飛ばし、喉元に迫っていたファティマの攻撃をなんとかかわして見せたのである。
あまりにも荒過ぎるその行動はとても褒められたものではないが、その膂力は見事の一言に尽き、場内は大歓声に包まれる。
飛ばされたファティマはマルファの力に逆らわずに飛び、木剣をきれいに抱き込み受け身を取って立ち上がった。まったく力みがなく、ごく自然に行われたため人の目を引くことはなかったが、それは戦士の身ごなしであり、完全に身についているからこその目立たなさでもあった。
ファティマは再び間合いを詰めると、マルファの横薙ぎの一撃に合わせて滑り込み、木剣の下をかいくぐるとマルファの向う脛をしたたかに打ち据えた。
防具の上からではあるが、もともと肉の薄い部分である。マルファは痛みのあまり思わずファティマを追い払うように。無造作に木剣を振ってしまった。
ファティマはその隙だらけの攻撃を、マルファの背後に回り込むようにかわすと、慌てて振り向いたマルファの目を狙って木剣を繰り出した。
咄嗟に左手に構えていた盾で顔を庇ったマルファだったが、盾を顔に近づけたことによって生じた死角に入られてしまい、ファティマの次の動きを見失ってしまう。
慌てて盾を下げ、ファティマを探そうとしたところに、横合いから再びファティマが飛び込んで来たため、下げた盾を慌ててもう一度上げる。
だが、ファティマの狙いはマルファの首でもなければ頭部でもなく、左腋の下だった。
マルファはまったく予期していない軌道へ流れていくファティマの身体を、なんの反応も出来ず、ただ見送ることしか出来なかった。
すれ違い様、ファティマが手にした木剣が、自分の腋の下をスッと抜けていく感覚だけが残る。
その攻撃が何だったのかわからないマルファは、ファティマの動きに合わせてぐるぐると踊らされながらもなんとかついていき、間合いの差を利用して一気に大上段からの一撃を振り下ろした。
だが直後に、
「そこまでっ!」
というフランシスカの一声で模擬戦の幕は落とされた。
最後に放ったマルファの一撃は紙一重でかわされ、逆にファティマの木剣は大振り後のマルファの首筋にしっかりと当てられている。
これが真剣であれば――。
マルファは自分よりもはるかに小さいファティマの目を見る。直後にマルファは目を逸らす。そこには正面から見つめ続けることを許さない、厳しさと覚悟があった。
「……まいりました」
マルファがため息のような声で呟くと、ファティマも木剣を引き、マルファに対して丁寧に礼を返した。
二人は改めて始めに立った場所に戻ると礼をし、下がった。
見ごたえとしてはまだまだではあるが、緊張感のある一戦に、集まった観客たちは惜しみない拍手を送った。
マルファは引き下がるとシヴァの下へと向かい、深々と頭を下げる。
「せっかく足元の攻撃を教えてもらったのに、ぜんぜん対応出来ませんでした。すいませんでした!」
「そうだな。足元に入られて以降は慌てちまったからな。この辺は経験を積まねえとどうにもならねえさ。それまではしっかりと言いつけ守って冷静にやれていたと思うぜ。まあ、腋の下を斬られ、その後さらに首を斬られで、結局二回死んじまったけどな。どっちも太い血管があるから大量出血でお陀仏だ。お前さんはもっと腰を落として戦うことを覚えねえと駄目だな」
「はい!」
シヴァの助言にマルファは元気よく返事を返した。
「実際にやってみてどうだった。あっちの嬢ちゃんの印象は?」
「……強かったです。力があるとか、技が切れるとか、そんな感じの差じゃなくて、強くなろうっていう気持ちの強さみたいなものが全然違いました。正直怖いです」
マルファの意外な感想に、周囲にいた赤玲騎士団員が改めてファティマを見つめる。
鬼気迫るといった感じではないが、戦いの後の興奮も、勝利に対する喜びも全く見せないファティマの姿には、確かにいわく言い難い凄味のようなものが漂っていた。
「ったく、あの野郎。とんでもねえ嬢ちゃんを送り込んできやがったな」
シヴァの独り言が聞こえてしまったマルファが怪訝そうな視線を向けると、シヴァは大きな手でマルファの頭をぽんぽんとたたいてごまかし、リードリットの下へ向かった。
その動きを視界の隅に止めたのだろう。リードリットは片手でシヴァを制すると、ファティマに話しかけた。
「お主、体力的にどうだ? もう一戦いけそうか?」
「いけます」
リードリットの問いかけに、ファティマは短く応えてうなずく。
「アナベル、相手をしてやれ!」
その一言で場内が一気に騒めいた。
アナベルの実力は元々女性としては飛び抜けて高く、ヴォオス軍の千騎長と互角に渡り合うほどだった。だが、内乱を経験し、リードリットと共にさらなる高みを目指して修練を積んだことで、ヴォオス軍の千騎長を総なめにするほどにその実力を上げている。アナベルは現在、<六聖血>の一人でもあるリードリットを除けば、間違いなくヴォオス最強の女騎士と言えた。
「陛下! アナベル様が相手をするまでもありません! 私で十分です!」
そう言うと、怖い顔をしたロッテが一歩前に進み出た。
「ロッテ、何を勘違いしている? アナベルとの対戦は、この者に対する褒美だぞ。早とちりしおって、恥ずかしい奴だな、お前は」
呆れ返ったリードリットの若干ひどい一言で、ロッテは首まで真っ赤になって踏み出した一歩を十歩ほど後退させた。スザンナがすかさず後頭部を張り倒す。赤玲騎士団員は同情しつつもクスクス笑いを堪えることが出来なかった。
「恥ずかしいやちゅだな、お前は」
敢えて舌っ足らずな口調でユリアがロッテをからかい、からかわれたロッテが一瞬でブチ切れる。
「騒がしいぞ、お前ら! そんなにやりたければやらせてやる。二人ともさっさと中央に出ろ。ファティマといったな。お主はその間休んでおれ」
もともとロッテもユリアも模範試合に出場することになっていた。本来はくじ引きで試合の組み合わせを決めることになっていたのだが、剣術の大会のような決まりごとの厳しい試合ではない。せっかく当人同士がやる気になっているのであれば、水を差す必要はなかった。
「わかってんのかい、ユリア。あたしの方が圧倒的に勝ち越してるんだぜ!」
「もちろんわかってるよ。前にやった百戦組手が六十九対三十一だったことも、ロッテが恥ずかしいやちゅってことも、よ~くわかっているよ」
「ぶっ飛ばすっ!!」
ユリアの挑発に乗ったロッテが、開始の合図も待たずに飛び込んでいく。
「あっ! 馬鹿っ! もう、始めっ!」
苛立ったフランシスカの声が、遅れて開始の合図を告げた時、ロッテとユリアは練兵場中央で激突していた。
重い金属同士がぶつかり合う音が響き渡る。
模擬戦では木剣を使用していたが、模範試合は刃を潰した剣が使用されている。防具を身に付けてはいるが、当たり所が悪ければ死に直結する。試合の緊張感は先程までの模擬戦の比ではない。
かつての赤玲騎士団の戦い方は、卑怯卑劣を嫌悪し、勝利以上に名誉を重んじる正攻法であった。だが、カーシュナーが示した目的のために己の名誉を捨て、ひたすら結果を求めてまい進するその姿は、赤玲騎士団が持っていたそれまでの戦いの概念そのものを変えてしまった。
アナベルは頭を抱えたが、筋力的にどうしても男の騎士に劣る赤玲騎士団員たちは、体力差を補うため、それぞれが独自の奥の手を持つようになった。その一つが飛び道具だ。
ユリアは盾を持たず、片手に構えた剣で回避を優先に立ち回る。そして、攻撃の合間に手甲に仕込んだくないを投げつけ、戦いを自分優位に導いていく。
さすがに本物のくないを用いるわけにはいかないので訓練用の先の丸い木製のくないを使用しているが、これが急所に当たればそれで試合は終了、ユリアの勝利となるため、受けるロッテも気が抜けない。
対するロッテは片手剣に小型盾という赤玲騎士団の標準装備であるが、盾には特殊加工がされており、単なる守りのため装備ではなく、相手の剣を捕らえてへし折ることが出来る武器破壊の盾であった。
激しく打ち合ったかと思えば互いに足を飛ばし合い、一瞬たりとも攻撃の手をゆるめない。盾を持たないユリアは、状況次第では裏拳まで放っていく。
ロッテもユリアの剣をへし折ろうと積極的にユリアの一撃を剣で受けていくが、頭に血がのぼっている分攻め気が勝ってしまい、ユリアの余裕を奪うには至っていなかった。
これまでのヴォオス剣術とは明らかに違う二人の戦いは、どちらかというと東の大国ミクニに伝わる武術に近いものであった。
多様化された戦いの戦術が、それまでなかったまったく新しい戦いの光景を生み出す。
ヴォオス軍騎士の多くが現在の赤玲騎士団の戦い方に対して否定的ではあるが、ユリアとロッテの戦いそのものを否定出来る者はいなかった。
戦いはきれいごとではない。模範試合だからと言って、実戦を想定しない型を披露することを求められているわけでもない。この場で求められているのは、ただ戦い、勝つことだ。そして二人の戦いからは、どん欲なまでの強さに対する渇望が伝わってくる。
観客席に陣取る騎士たちは、全員頭の中でユリアとロッテ、双方と戦った場合を想像し、自分であればどう戦うか思考を巡らせながら見ている。
結果は全員二人に対して勝利を収めるが、その過程で『楽勝』を想像出来た者はいない。そして、現実に戦ったら、その結果が想像通りにはいかないことを、彼らは経験で知っていた。
戦いの推移を予測しづらい二人の戦いに、見守る人々はいつしか歓声を送ることを忘れ、固唾を飲んで見入っていた。
手甲から最後のくないを引き抜いたユリアは、惜しげもなく投げつけると、投げたくないを追い越しそうなほど鋭い踏み込みを見せた。
その速さに息をひそめて見入っていた人々の間からどよめきが生まれる。
だが、頭部目掛けて放たれたくないを、ロッテが兜を使って小さな首振り一つで受け流してみせると、どよめきは歓声に呑み込まれてしまった。
くないとの連続攻撃を冷静に捌かれ、奥の手を使い果たしてしまったユリアは、ここを勝負どころと決めたのだろう。踏み込む足にさらに力を込めて超接近戦へと持ち込んだ。
そのユリアの選択を読み切っていたロッテは、恐ろしい速度で繰り出される連続攻撃を、守りに徹することで次々と防いでみせる。
攻めも攻めたり十連撃。息つく間などもちろんない。完全な無呼吸状態による圧巻の攻めは、それを上回る鉄壁の防御によって完封されてしまう。
その攻防のあまりの見事さに、軍関係者の間からは、唸るような呻きが漏れる。
そこに加えて、ユリアの最後の一撃が、残る力の全てを振り絞った、最後にして最速の攻撃であったにもかかわらず、ロッテが盾の特殊機構を使い、最後の最後でついに捕らえることに成功すると、呻きはついに驚愕の叫びへと変わった。
ロッテは瞬時に盾を捻り、ユリアの剣をへし折りにかかる。
ユリアも最後まで抵抗を試みるも、てこの原理を利用して加えられる力には抗いきれなかった。
剣が折れる寸前、ロッテはユリアの手から剣をもぎ取ることに成功した。
会心の笑みが口元に広がりかけた直後、ロッテの笑みは凍りついた。
ユリアは剣をもぎ取られたのではなく、ロッテの構えた盾を下げさせるために、勝ち目のない力比べを続けていたに過ぎなかったのだ。
無手になったはずのユリアの手にはくないが握られており、その切っ先がわずかに下がった盾の防御を抜け、ぴたりとロッテの左目を狙い、寸止めされていた。
「そこまでっ!」
フランシスカの判定が下り、ユリアが勝利をもぎ取る。
この結果に対してロッテが治まらず、二人の戦いがさらに続くことを警戒したフランシスカが、判定の直後に二人の間に割って入った。
だがそれは、無用な心配であった。敗れたロッテは潔く剣を下ろす。
「くないは手甲に納まっているだけって勝手に思い込んでたわ~。くぅ~、悔しい!」
ロッテは悔しそうに天を仰ぐと、自分の失態を嘆いた。
ユリアは手甲のくないを確かに投げ切った。だが、手甲に仕込まれたものとは別に、もう一本だけ胸元に隠し持っていたのだ。
正規の剣術の試合であれば、仕込み武器などもっての他であり、それによって得られた勝利など認められはしない。これが剣術の試合であれば、ユリアは反則負けになっていた。
だが、如何に勝つかを求められた模範試合においては、よほど卑劣な行為でなければ問題はない。
ユリアは挑発も含め、最後の最後にロッテの虚を衝くために戦いの流れを操っていたのだ。
最後の一撃がロッテの盾に取られたのも、もちろん狙ってのことだ。だが、その一撃は最初から取らせるために放たれたものではなく、正真正銘渾身の一撃であった。そうでなければロッテも勝利を確信したりはしなかっただろう。
ただ一手。最後の一手を持っていたか、いなかったかが勝敗を分けたのだ。
「二人とも見事であった!」
リードリットの称賛の声に促され、観戦したすべての人々が惜しみない拍手を二人に送った。
「どうせならこのままフランシスカとスザンナで試合を行ってしまえ! 入団希望者たちは先輩の戦いをしっかり目に焼きつけておけ!」
リードリットの気まぐれから、赤玲騎士団の残り二人の幹部の模範試合が続いて行われることになり、勝利を収めたユリアが判定員を務めることになった。
ユリアとロッテの激闘を受け、期待が膨れ上がる中、フランシスカとスザンナの試合が始まる。
どちらもこれまでヴォオス軍で行われた試合とはかけ離れた光景を、立ち合う前から見せつけた。
フランシスカは右手に剣、左手には盾を持たず、代わりに肩から腕にかけて鉄鎖が巻きつけられている。
対するスザンナは右手に短槍を構え、左腕には篭手というには肉厚で大型な特殊な防具を装備している。短槍は片手でも扱うことが出来るので、基本盾を構えるものだが、そうなると攻撃がどうしても突き主体となるため単調になりやすい。特殊な篭手を装備した左手も短槍に添えていることから、長槍同様の使い回しを想定しているのかもしれない。
両者共に剣技には定評があり、特にスザンナは真っ向勝負でもヴォオス軍の千騎長に一歩も引けをとらないだけの実力がある。
正攻法でも十分な実力があるにもかかわらず、短槍を主武器にこの模範試合に臨んだスザンナに、ヴォオス軍関係者たちは伸び悩みから来る迷走を疑った。
だが、いざ開始の合図とともに両者が踏み込むと、つまらない疑念は早々に消し飛ばされてしまった。
スザンナは剣よりも間合いの長い短槍の利点を生かし、まず突きを放っていく。相手の出方を窺うための牽制と思い眺めていた観客たちは、スザンナの突きの恐ろしい速さに度肝を抜かれた。
二度の連続突きがほぼ同時に繰り出されているように見えるほどその槍捌きは速く、間合いだけでなく体格でも劣るフランシスカは、一瞬で防戦一方に追いやられてしまう。
出鼻を挫かれ防御に徹して反撃の糸口を探していたフランシスカは、足元を薙ぎ払ってきた一撃を飛んでかわすと、左腕に巻きつけていた鉄鎖を、スザンナの頭部目掛けて投げつけるようにして放った。
短槍よりも鉄鎖の方がはるかに間合いに優れる。だが、直線的に放たれたフランシスカの一撃は、スザンナを慌てさせるには至らず、最小限の動きで見切られてしまった。
飛んでしまったため、空中で思うように身動きが出来ないフランシスカにとどめを刺すべく、スザンナは一歩踏み込んだ。だが、直後に大きく身をよじることになる。
フランシスカがわずかに手首を振ったようにしか見えない動きから、かわされた鉄鎖が大蛇のごとくうねり、スザンナの右目に襲い掛かったからだ。
共に技術を磨き合い、互いの戦術の特性を知り尽くしていたからこそかわせたが、今の攻撃を初見で受けていたら、間違いなく顔面の骨を砕かれ、右目も潰されていたに違いない。
その場面をうっかり自分で置き換えてしまった軍関係者たちが身震いする。
フランシスカが伸びきった鉄鎖を引く。何気なく行っているが、これも一歩間違えれば己を打ちすえかねない。鉄鎖を生き物のように扱うだけの技量があって始めて可能なのだ。
一旦仕切り直しと誰もが思った時、スザンナがフランシスカの腕に巻き戻されていく鉄鎖目掛けて短槍を投げつける。
その槍先を、うねる鉄鎖に当てるなど至難の業だ。そんなことはスザンナもわかっている。投じられた槍の穂先は、鉄鎖とはまったく別の場所に向かって飛んでいく。スザンナが狙いを定めたのは、短槍と鉄鎖の特徴そのものだった。
地面に叩きつけるように投げられた短槍は、その穂先を深々と地面に突き立てた。当然鉄鎖にはかすりもしない。だが、突き立った短槍は、その柄の部分を空中で大きく揺らす。
短槍の柄はそのまま鉄鎖の側面を打ち、打たれた鎖は慣性の流れを変えられたため、瞬時に短槍に巻き付いた。
戻るはずの鎖が不意に固定されてしまったことで、フランシスカの動きも止まる。
それは一瞬の出来事であったが、二人の間で勝敗を決するには十分な時間だった。
まるで鎖につながれたような状態になってしまったフランシスカの喉元に、スザンナの剣がつきつけられる。投げることも想定されている短槍を持つ以上、剣も装備しているのだ。
時間こそ短かったが、二人の戦いはヴォオス軍関係者に少なからぬ衝撃を与えた。それは二人だけの功績ではない。先に競ったユリアとロッテの戦いありきの衝撃だった。
かつてはリードリットのわがままを満足させるための騎士団ごっごと見下されていた赤玲騎士団であったが、今やヴォオス最先端の戦闘技術を有する集団へと変貌を遂げていた。
四人の戦いを見守ていた入団希望者たちは、何とも言いようのない深いため息をつくことしか出来なかった。
ファティマに敗れ意気消沈していたマルファも、自身の落ち込みも忘れ、四人の戦いにのめり込んでいた。
体格ではるかに自分に劣るスザンナたちの強さに、改めて戦いの奥深さを痛感する。
無意識にシヴァに視線を向けると、もろ手を挙げて拍手と歓声を送っている。先程と違い片方しか見えていない目は笑っていた。
あれだけの戦いを、楽しんで眺めていたのだ。
マルファはこの人はいったいどれほど強いのだろうかと思った。
場内の興奮が冷めやらない中、リードリットがアナベルに視線を向けた。
その意を汲み取ったアナベルが、剣と盾を手に練兵場の中央へと進み出る。
それを見たファティマも、マルファとの対戦の際には手にしていなかった小型盾と剣を手に、中央へと進み出る。
刃がないとはいえ剣を持つ手には微塵の迷いも見られない。その物腰からは真剣を手にしての戦いに慣れていることがうかがい知れた。
ファティマの落ち着きぶりに、アナベルは小さく微笑んだ。
判定員を務めることになったスザンナが開始を告げると、ファティマは欠片も臆せず突進する。
マルファとの試合では格の違いを見せつけたファティマであったが、試合を眺める人々の目には、内容を楽しみたいという期待はあっても、戦いの結果に期待する色はなかった。
それは内乱を経た後、アナベルがその実力を飛躍的に向上させたからだ。
アナベルは、リードリットが破天荒な分、仕える自分は主の恥とならないよう、模範的な騎士であろうと努めてきた。その考えがアナベルの中に、騎士とはこうあるべきという小さな型を作り出し、その型に自分をはめこんでしまったが故に、騎士としての成長もそこで止まってしまっていた。
だが、カーシュナーとシヴァの影響を受け(受け過ぎたという意見も多いが)、強さに対する考え方の根本が変化したアナベルは、それまでの殻を破り、技量はもとより体格も一回り大きくなっていた。もともとヴォオス人の成人男性の平均よりも頭一つ分身長が高かったアナベルは、その立ち姿だけでも並の騎士など及びもつかない程の風格となり、その実力はヴォオス軍の千騎長を総なめにするほどまでに高まっている。
リードリットの腹心としての務めが主であるため、ヴォオス軍における明確な身分は定められていないが、今では実質将軍格の実力者と認識されている。
突進するファティマに対し、アナベルは練兵場の中央に位置を移すとどっしりと身構え、ファティマを待ち受ける。
まるでそこに山が現れたかのような不動の安定感に、並み居る騎士たちがため息を漏らす。
長年苦楽を共にしたリードリットに至っては、アナベルが誇らしくてニヤニヤ笑いが止まらなくなっている。
「さて、お手並み拝見させていただきますよ。カーシュナー卿」
アナベルが誰にも聞こえない声で呟いた直後に、ファティマの最初の一撃がアナベルに襲い掛かった。
構えていた盾をわずかに動かしただけでその一撃を弾くと、アナベルは一歩踏み込み、強烈な斬撃をみまう。
この一撃をファティマは盾では受けずに剣でからめ、剣の捌きと体捌きでもってかわしてみせる。
もし盾でまともに受けていれば、体格差から力負けし、ファティマは大きく後退させられていただろう。体格の差はそのまま攻撃の間合いの差につながる。距離を取るということは、ファティマにとっては攻め手を失うに等しい。
自分の距離を維持することに成功したファティマは、最短距離で攻撃を叩きこむために、小型盾で殴りつけていく。アナベルの剣をかわすために、ファティマ自身も剣を振ってしまっている。もしファティマが攻撃手段を剣にこだわり、払った剣を引き戻していたら、アナベルも態勢を整えていただろう。
だが、最速にこだわったことで体当たりに近い一撃をアナベルに打ち込むことに成功する。
盾の一撃に押され、アナベルが一歩後退する。防具に守られていたおかげであばらを折るようなことはなかったが、一瞬息がつまったことも事実だ。アナベルは身体が重くなるのを感じた。
ファティマが狙ったのはアナベルの肝臓だったのだ。そうとは知らないアナベルは、ファティマの一撃が予想以上に効いたことに若干面食らったが、押されると同時に自らも後方に飛び、ファティマとの間に距離を取ろうとした。
だが、ファティマはその動きに反応し、さらに間合いを詰めてアナベルに態勢を整える余裕を与えない。
ファティマの追撃を盾で受けたアナベルは、小さな突きを繰り出し、再度ファティマとの距離を取りにかかる。
踏み込む余地のない中で繰り出されたアナベルの突きは、手打ちの力のないものであった。
普通ならそれでも十分牽制になる。力のない突きと言ったが、それはあくまで十分な踏み込みから体重を乗せた一撃と比べたらの話で、当たれば肉が抉られる一撃だ。
しかし、その突きを読んでいたファティマにとっては、その弱さは十分な綻びであった。
繰り出されるアナベルの突きに対し、ファティマは自ら飛び込んでいく。もちろんそのままでは顔面に自ら風穴を開ける自殺行動でしかないが、ファティマは小型盾を下からかち上げ、アナベルの突きを上方へと逃がした、そして、そのままの勢いで肘をアナベルのみぞおちにねじ込んでいく。
その威力は相当なもので、一瞬ではあるがアナベルの両足が浮くほどの一撃であった。防具がなければアナベルはこの一撃で終わっていただろう。
だが、勝負の世界にたらればはない。アナベルがここで終わらなかったという事実だけがすべてであった。
敗れはしなかったが、アナベルの表情は苦悶に歪み、足が止まる。
こんな展開は予想していなかった観客たちは、一言もなくただ二人の戦いに見入っている。
アナベルを慕う赤玲騎士団員たちが不安な表情で見守る中、アナベルは脂汗を流しながらもニヤリと笑って見せた。
威力を重視した一撃であったため、ファティマは全力で踏み込んでいた。そのため身体は伸びきっており、追撃に移るのが一瞬だけ遅くなったからだ。
力でも体力でも劣るファティマは短期決戦を決め込み、一瞬も攻撃の手を休めることなく追撃を重ねていく。だが、一瞬の遅れから生じたわずかな隙を見逃さなかったアナベルは、ファティマが一撃繰り出すごとに態勢を整えていく。
激しく続いた攻防が動きを止めた時、アナベルの鈍かった動きが回復していたのに対し、ファティマの呼吸は大きく乱れていた。
両者に対照的な結果をもたらしたのは、明確な地力の差であった。
今度はファティマが呼吸を整えるために距離を取る。だが、アナベルはそれを許さない。
最小限の動きで距離を詰め、間合いを取りたいファティマを絶えず動かす。
一瞬も気を抜けない状況で動き続けることは、ただそれだけでファティマの体力を削っていく。優勢だったはずの状況は、一撃も受けていないにもかかわらず、今や完全に逆転していた。
これ以上状況を引き延ばしても勝機が薄れていくだけでしかないと悟ったファティマは、次の一撃にすべてを賭ける覚悟を決める。
ファティマのまとう空気の変化を敏感に感じ取ったアナベルが、真っ向から受け止めようと足を止める。
両者がその覚悟を口にしたわけではないが、見る者すべてがその覚悟を悟った。
ファティマがじりじりと間合いを詰めていく。素早さで勝るファティマとしては、最後の一撃を放つ前にアナベルを動かして隙を作りたかったが、そんな体力的な余裕もなければ、アナベルがそんな誘いに乗らないこともわかっていた。
時の流れが遅くなったのかと錯覚させるような時間が過ぎ、二人の距離がわずかに縮まる。
緊張が高まっていく中、その頂点を迎えない内に、不意にファティマが動く。それは明らかに遠いと感じられる間合いからの踏み込みだった。
ここまで見守ってきた者たちは、最後の最後で緊張に負けたかと、勝負の結末を見切った。
だが、その判断は早計に過ぎた。
跳躍そのものも見事であったが、飛んでからの伸びが尋常ではなかったのだ。
どう考えてもアナベルの構える盾に届けばいい方だと思えたその一撃は、女性特有のしなやかな身体と関節により、遠目から見てもはっきりわかるほど伸び、その切っ先がアナベルの脳天へと襲い掛かっていく。
勝負ありと判断した時点で気が抜けたのだろ。観客席から悲鳴のような驚愕の叫びが上がる。
並の相手であれば、いや、アナベルがカーシュナーとの付き合いが浅ければ、この一撃はおそらくアナベルの脳天を捕らえ、ファティマに勝利をもたらしただろう。
だが、アナベルはリードリットとカーシュナーの一騎打ちを目にした数少ない証人の一人である。肉体のしなやかさと関節の柔らかさがどれ程攻撃の間合いを伸ばすかよく知っていた。
構えた盾をスッと上げ、アナベルはファティマの一撃を受ける。
予想に反して驚くほど重い一撃に、思わず驚きとも呻きとも取れる声が漏れる。
だが、微塵の油断もなかったアナベルは、その一撃の重さに耐えきってみせた。だが、盾の方にはアナベルほどの耐久力はなかったらしく、木片を飛び散らしながら砕けてしまう。
その光景に一度は勝敗に見切りをつけた人々も、まさかの期待を再び膨らませる。
しかし、かすかに膨らみかけた期待を、アナベルは直後に潰してみせた。
盾が砕けると同時に一歩踏み込み、伸びきったファティマの身体が再び力を取り戻す前に、喉元に剣を突きつけてみせたのだ。
盾が砕けるほどの一撃を受けながら、直後に踏み込む。アナベルの女性とは思えない膂力が知れる結末であった。
結局アナベルはファティマに一撃も入れることなく勝利したことになる。
逆にファティマとしては二度有効打を打ち込んたにもかかわらず負けたことになる。
決定力の差が勝敗を分けたのだ。
「それまでっ!」
スザンナの言葉と同時にアナベルが剣を引き、力を出し尽くしたファティマの膝が折れる。
砕けた盾の残骸を放り棄てたアナベルが、さりげなくファティマの腕を取って支えた。
「高い目標を掲げたのなら、人前で膝をつくな。屈した姿を他人に見せるな。虚勢かもしれんが、虚勢すら張れない者にこの世の不条理を覆すことなど出来はしないぞ」
うなだれていた顔をハッと上げたファティマは、震える脚で、それでも背筋を伸ばして立って見せた。
アナベルを見返す瞳の強さに、アナベルは心の中で苦笑する。
(カーシュナー卿。まったく、とんでもない娘を送り込んでくれましたね)
真っ直ぐなファティマの瞳を見返しながら、アナベルはカーシュナーが持つ影響力に改めて恐れ入った。
それはファティマの強さが、カーシュナーの持つ強さによく似ていたからだ。
それはゾン人の少女が持つような強さではない。明らかにカーシュナーの思想に強い影響を受けて身につけたものだ。
両者は改めて礼をすると戦いの舞台から退いた。
アナベルが赤玲騎士団員から迎えられるのは当然だが、ファティマも入団希望者たちからぐるりと囲まれて、賞賛の言葉を浴びている。
予想していなかったのだろう。戸惑うファティマの姿に、思わずアナベルは吹き出した。
「何笑っているんですか、アナベル様! 胆が冷えましたよ!」
ロッテが口を尖らせ文句を言う。
「本気ではなかったのでしょう?」
フランシスカが尋ねる。ロッテのように文句を言わない分、その感情はもっと底の方にあるので余計に怖い。
「そうだな。様子を見るつもりではいたのだが、まさかあそこまでやれるとは思っていなかった。危うく加減したまま敗れるところであった」
そう言ってアナベルが笑う。
「笑ってる場合じゃないですよ~」
ロッテの隣で同じように口を尖らせたユリアが文句を言う。
「アナベル様の見立てはいかがですか?」
スザンナが話題を変える。
「お主はどう見た?」
「十分即戦力として通用すると思われます」
スザンナの言葉にアナベルがうなずく。
「戦ってみてわかったが、あの者、剣を取ってまだ日は浅いぞ」
「まさか!」
アナベルの言葉に大声を上げたのは、言われたスザンナではなく、ロッテとユリアだった。
「本人の素質も大きいだろうが、あの者の剣技は女性の特性を生かすことに特化している。よほど効率よく鍛えたのだろうが、戦いに迷いがなさ過ぎる。経験の浅さの表れだ。それが判断の速さにつながっているが、対応されてしまうと攻めの単調さにもつながってしまう。最後にあの一撃が来ることは読めていた。カーシュナー卿の得意技だからな」
ファティマが最後に放った全身を鞭のようにしならせて放つ一撃を思い出し、四人は一斉にうなずいた。
「そういえばあの御仁は今ゾンでしたね」
フランシスカが王都を離れたカーシュナーの目的を思い出す。
「カーシュナー卿の理想は、ゾンの攻略なくして達成することは不可能だからな」
「ゾン人の女戦士か。この大陸でもっともあり得なかった言葉だ」
ゾンでの女性の立場がどのようなものであるかを知るスザンナが、質問攻めに遭っているファティマを見つめて呟く。
「きっとつらい思いをしてここまで来たんだろうね」
ユリアが少ししんみりとなる。
「ここにいる連中は、みんな似たり寄ったりさ。陛下が行動を起こされるまでは、あたしらだってろくなもんじゃなかっただろ?」
ロッテが眉間にしわを寄せて言う。
「それを言うなら、カーシュナー卿と出会わなければ今でも変わりはないさ。すべてはあの方と出会ってから変わり始めた」
スザンナが終わらない冬の最中から、急激に変化し始めた人生を振り返りながら言う。あれからたいして時間は過ぎていないというのに、ずいぶんと昔のように感じられる。それは、あれから過ごす日々に、同じような日が一日たりともなかったからだろう。
スザンナの気持ちを酌み取った他の三人も、遠い記憶を思い出すような目になる。
「私たちは急激に実力を上げることに成功したが、どうやらまだまだ強くなれそうだぞ」
アナベルがファティマを見つめながら言う。
見つめられている当のファテマは、マルファの質問に答えているようで、ついには実演まで交えて説明を始めていた。疲れ切っているだろうに、人の良いことだと、アナベルは思わず苦笑を漏らした。
「あの者の剣術、早速赤玲騎士団に導入する。その上であの者を徹底的に鍛え上げて、カーシュナー卿にお返ししてやろう」
「えっ! どういうことですか?」
アナベルの言葉がピンと来なかったユリアが尋ねる。
「カーシュナー卿は我らにあの者の育成をゆだねてくださったのだ。何でも一人で背負い込む癖のあるあの御仁に頼られたのだ。手は抜けんぞ」
ニヤリと笑って告げられた言葉に、ユリアは一瞬驚きの表情を浮かべたが、即座にニヤリと笑って返した。他の三人もカーシュナーのために自分たちに出来ることがあるとわかり、一気に高揚する。
これを言うとリードリットは怒り狂うだろうが、カーシュナーはリードリットの恩人である。カーシュナーと出会わなければ、リードリットは今も一人、武人としての高みを目指し、周囲との軋轢の中で怒りと苛立ちに焼かれ、その精神は赤黒く焦げついていただろう。
国王となり、民衆から慕われる今のリードリットがあるのは、カーシュナーの影響でリードリットが大きく変わったからだ。
赤玲騎士団員は全員カーシュナーに深い恩義を感じている。彼女たち自身カーシュナーの背中を見て変わったのだ。
どんな些細なことでも、大き過ぎる恩を一欠けらでも返せるのならば、どんな労も厭いはしない。
借りばかりが増え続けるアナベルたちが高揚するのも、無理のない話なのである。
「もっとも、それはひとまず置いておこう」
さっそく訓練計画を練り出した四人を、アナベルがさえぎる。
「ここからが本番だ。これを見ずして強さを語ることは出来ん」
アナベルの視線の先で、練兵場中央にブレンダン、ジィズベルト、オリオン、レオフリード、シヴァが集まって行く。そこに特別観覧席から飛び降りたリードリットが加わる。
四人の中に高揚感は変わらず存在している。だが、突如湧き上がった恐怖に似た緊張と興奮が、高揚感を抑えつけ、意識を練兵場の中央へと釘付けにする。
模範試合と呼ぶにはあまりにも豪華過ぎる顔ぶれが、実際に集まり対峙したことで、スザンナたちを掴んだ感覚が、この場に集ったすべての人々に伝播していく。
広い大練兵場を静けさが満たし、直後に興奮を爆発させた大歓声が、静寂を粉々に砕いて大気を震わせたのであった――。
次回は12月16日投稿予定です。




