第5話 正常に動作しています。②
翌朝。
「おはよう、悠斗くん」
「……おはよう」
春香は笑っていた。
昨日と同じ笑顔。
昨日と同じ声。
昨日と同じ挨拶。
「春香」
「なに?」
「昨日さ」
「うん」
「俺が何考えてるか分からないって言ったよな?」
「うん」
「……あれ、どういう意味?」
春香は少し首を傾げた。
「どういう意味って?」
「いや……」
悠斗は言葉を探す。
「俺が何を考えてるか、本当に分からなかったのか?」
「うん」
「……そっか」
「うん」
春香は笑った。
「今日もいい天気だね」
「ああ」
「今日も頑張ろうね」
「…………」
悠斗は何も言わなかった。
◆
教室。
悠斗は玲奈の席へ向かった。
「玲奈」
「なに?」
「俺って、どんな人間だと思う?」
「優しい人」
「……またそれか」
「うん」
「じゃあさ」
悠斗は少し考えた。
「俺の悪いところは?」
「…………」
玲奈が止まった。
数秒。
「分からない」
「本当に?」
「うん」
「じゃあ、嫌いなところは?」
「ないよ」
「一つも?」
「うん」
「…………」
悠斗は玲奈を見つめた。
「俺、結構嫌な奴だぞ?」
「そうなんだ」
「今だって、こんな変なこと聞いてるし」
「そうだね」
「それでも?」
「うん」
「…………」
玲奈は笑った。
「悠斗は優しい人だよ」
また、それだった。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
◆
昼休み。
悠斗は美咲の隣に座った。
「美咲」
「なに?」
「今日、俺のこと嫌いになって」
「…………」
美咲が悠斗を見る。
「どうして?」
「いいから」
「分かった」
「…………」
美咲は笑った。
「悠斗のこと、嫌いになったよ」
「……」
悠斗は黙った。
「今の、嘘だろ?」
「うん」
「…………」
「嫌いになってって言われたから、そう答えただけ」
「……なんだよ、それ」
「どうしたの?」
「いや……」
悠斗は頭を掻いた。
「普通、もっと困るだろ」
「そう?」
「ああ」
「じゃあ、困ったほうがいい?」
「…………」
悠斗は顔を上げた。
「……今の」
「うん」
「今のは、俺が『困れ』って言ったら困るってことか?」
「そうだよ」
「…………」
美咲は笑っている。
まるで、何もおかしくないように。
◆
放課後。
悠斗は一人で教室に残っていた。
スマートフォンを開く。
ステータス画面。
春香。
好感度:999999。
美咲。
好感度:999999。
玲奈。
好感度:999999。
由紀。
好感度:999999。
「…………」
数字は変わらない。
いや。
変えようと思えば、変えられる。
好感度を下げることもできる。
上げることもできる。
能力は正常だ。
だったら。
「人間のほうが……」
悠斗はそこまで呟いて、口を閉じた。
「……いや」
そんなはずはない。
みんな普通に学校へ来ている。
普通に話している。
普通に笑っている。
ただ。
「ちょっと変なだけだ」
悠斗はそう自分に言い聞かせた。
◆
帰宅。
「ただいま」
「おかえりなさい」
母親が台所から顔を出した。
「今日、学校どうだった?」
「普通」
「そう」
「……母さん」
「なに?」
「俺って、どんな子供だった?」
「優しい子だったわよ」
「今は?」
「優しい子よ」
「それだけ?」
「うん」
「…………」
悠斗は母親を見る。
「俺、昔もっと悪いことしただろ」
「そうなの?」
「ほら、小さい頃にテレビ壊したとか」
「そうだったわね」
「怒らなかった?」
「怒ったよ」
「……本当に?」
「うん」
「どんなふうに?」
母親は少し考えた。
「テレビを壊したから、怒ったの」
「…………」
「それだけよ」
「……それだけ?」
「うん」
母親は笑った。
「夕飯できてるから、手を洗ってきなさい」
「…………ああ」
悠斗は洗面所へ向かった。
◆
夕食。
父親もいる。
母親もいる。
いつも通りの食卓だった。
「いただきます」
「いただきます」
箸を持つ。
味噌汁を飲む。
テレビを見る。
ニュースが流れている。
父親が言った。
「今日は暑かったな」
「そうね」
母親が答える。
「学校はどうだった?」
父親が悠斗を見る。
「普通」
「そうか」
「…………」
会話が終わった。
誰も続きを話さない。
テレビの音だけが流れている。
悠斗は箸を置いた。
「なあ」
「なに?」
母親が答える。
「俺がさ」
少し考える。
「明日から学校に行かなくなったら、どうする?」
「どうして?」
「いや、なんとなく」
「そう」
「心配しない?」
「心配するよ」
「……どんなふうに?」
「悠斗のことだから、大丈夫だと思う」
「…………」
「でも、必要なら相談してね」
「…………」
悠斗は母親を見た。
優しい。
ちゃんと心配してくれている。
言葉もおかしくない。
なのに。
何かが足りない。
「……母さん」
「なに?」
「俺のこと、本当に心配してる?」
「うん」
「本当に?」
「本当だよ」
母親は笑った。
「悠斗は大事な子だから」
「…………」
悠斗は何も言えなかった。
それ以上、聞けなかった。
◆
その夜。
ベッドに入っても眠れなかった。
「…………」
悠斗は天井を見つめる。
今日一日の会話を思い出す。
春香。
美咲。
玲奈。
母親。
父親。
誰も怒らない。
誰も困らない。
誰も本気で驚かない。
何を言っても。
こちらが望んだ答えを返してくる。
「…………」
悠斗はスマートフォンを手に取った。
ステータス画面を開く。
春香 999999。
美咲 999999。
玲奈 999999。
由紀 999999。
「……好感度」
悠斗は呟いた。
「これが高すぎるから……?」
指を動かす。
春香。
999999。
その数字を、
1まで下げる。
「…………」
決定。
反映された。
「……これなら」
悠斗は画面を見つめた。
「これなら、普通に嫌われるはずだ」
その瞬間。
スマートフォンが鳴った。
春香からメッセージが届いた。
『明日も一緒に帰ろうね』
「…………」
悠斗は画面を見つめた。
春香。
好感度:1。
「…………」
もう一度、画面を見る。
数字は。
確かに。
**1**だった。
翌朝。
「おはよう、悠斗くん」
「……おはよう、春香」
春香は笑っていた。
「今日もいい天気だね」
「ああ」
「今日も頑張ろうね」
「……うん」
悠斗は春香を見つめた。
「春香」
「なに?」
「昨日、俺が好感度を下げたの、気づいてる?」
「ううん」
「……そっか」
「どうしたの?」
「いや」
悠斗は首を振った。
「なんでもない」
「そう」
春香は笑った。
◆
教室。
悠斗は自分から玲奈に話しかけた。
「玲奈」
「なに?」
「俺さ」
少し迷ってから言う。
「昨日まで、みんなのことを数字で見てた」
「数字?」
「ああ」
「そうなんだ」
「……変だと思わない?」
「どうして?」
「普通、そんなことできないだろ」
「そうだね」
「なのに、玲奈は何とも思わないの?」
「何とも思わないよ」
「…………」
悠斗は黙った。
「玲奈」
「なに?」
「俺が変なこと言っても、怒らないんだな」
「怒ってほしい?」
「…………」
悠斗は答えられなかった。
「……いや」
「そう」
玲奈は笑った。
◆
昼休み。
美咲が弁当を広げていた。
「悠斗、食べる?」
「ああ」
おかずを受け取る。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「……美咲」
「なに?」
「俺さ」
箸を置く。
「昨日、嫌いになってって言っただろ?」
「うん」
「あれ、本当に嫌いになった?」
「ううん」
「どうして?」
「悠斗がそう言ったから」
「…………」
「でも、今は嫌いになってって言われてないから」
美咲は笑った。
「好きだよ」
「…………」
悠斗は何も言わなかった。
その言葉を聞けば。
普通なら嬉しいはずだった。
ずっと欲しかった言葉だった。
なのに。
「……嬉しくない」
「そうなんだ」
「…………」
「じゃあ、嬉しくなったほうがいい?」
「……違う」
「そう」
美咲は弁当を食べ始めた。
◆
放課後。
悠斗は一人で帰ろうとした。
「悠斗くん」
後ろから春香の声がする。
「一緒に帰ろう」
「……ごめん」
「どうして?」
「今日は一人で帰りたい」
「分かった」
「…………」
春香は笑っていた。
「じゃあ、また明日ね」
「ああ」
春香は手を振った。
「また明日」
悠斗はその場に立ったまま、春香の背中を見送った。
引き止めない。
寂しがらない。
怒らない。
ただ。
言われた通りにする。
「…………」
悠斗は歩き出した。
◆
家に帰る。
「ただいま」
「おかえりなさい」
母親が笑う。
「今日は早かったわね」
「ああ」
「学校、どうだった?」
「普通」
「そう」
母親はそれ以上、何も聞かなかった。
夕食。
父親もいる。
母親もいる。
三人で食卓を囲む。
「いただきます」
「いただきます」
「いただきます」
味噌汁。
焼き魚。
ご飯。
テレビ。
いつも通り。
「父さん」
「なんだ?」
「俺が家を出て、一人で暮らすって言ったらどうする?」
「そうか」
「……それだけ?」
「悠斗も、そういう年頃だろ」
「寂しくないの?」
「寂しいよ」
「本当に?」
「ああ」
「じゃあ、止めないの?」
「悠斗が決めたことならな」
「…………」
父親は味噌汁を飲んだ。
「冷めるぞ」
「……うん」
悠斗は箸を持った。
食事を続けた。
◆
夜。
悠斗は自分の部屋に戻った。
スマートフォンを開く。
ステータス画面。
春香 好感度:1。
美咲 好感度:999999。
玲奈 好感度:999999。
由紀 好感度:999999。
悠斗はしばらく画面を見つめた。
「…………」
春香の数字を戻す。
1。
100。
999999。
数字が変わる。
だが。
春香の態度は変わらない。
「…………」
今度は美咲。
999999。
100。
1。
また戻す。
999999。
何も変わらない。
「……意味ないじゃん」
悠斗はスマートフォンをベッドに放り投げた。
「こんなの……」
言葉が続かなかった。
数字を増やせる。
減らせる。
好きに変えられる。
それなのに。
「人間は変えられない……?」
悠斗は呟いた。
しばらく黙る。
そして。
「……最初から、そうだったのか?」
その言葉だけが、部屋に残った。
◆
翌朝。
悠斗は学校へ向かった。
校門。
桜並木。
教室。
春香。
美咲。
玲奈。
由紀。
みんな笑っている。
「おはよう」
「おはよう」
「今日もいい天気だね」
「うん」
「今日も頑張ろうね」
「うん」
昼休み。
一緒に弁当を食べる。
放課後。
一緒に帰る。
帰宅。
「ただいま」
「おかえりなさい」
夕食。
「いただきます」
「いただきます」
風呂。
歯磨き。
就寝。
翌朝。
「おはよう」
「おはよう」
また学校へ行く。
同じ会話。
同じ笑顔。
同じ一日。
何も起こらない。
誰も怒らない。
誰も泣かない。
誰も困らない。
誰も悠斗を拒絶しない。
そして。
誰も悠斗を、本当に見ていない。
◆
ある日の放課後。
悠斗は教室に一人で残っていた。
窓の外を見る。
夕焼け。
校庭。
帰っていく生徒たち。
「…………」
悠斗はスマートフォンを開いた。
ステータス画面。
好感度。
能力値。
人気。
幸運。
すべて、好きなように変えられる。
それでも。
何も変わらない。
「…………」
画面の端に、小さな文字が表示された。
悠斗は目を細める。
見覚えのある表示だった。
以前。
数字を弄りすぎたときに現れたもの。
あのときは。
【警告】
だった。
今は違う。
白い文字が。
静かに表示されている。
【システムメッセージ】
その下に。
もう一行。
ゲーム内の整合性を維持しています。
「…………」
悠斗は画面を見つめた。
さらに。
もう一行。
すべて正常に動作しています。
「…………」
悠斗は何も言わなかった。
スマートフォンを伏せる。
教室の外から声がした。
「悠斗くん」
春香だった。
「帰らないの?」
「……ああ」
悠斗は立ち上がる。
「今行く」
春香が笑う。
「一緒に帰ろう」
「…………」
悠斗は春香の隣に並んだ。
二人で歩く。
いつもの道。
いつもの会話。
いつもの笑顔。
いつもの日常。
何も変わらない。
――すべて正常に動作しています。
【転移者記録 No.003】
氏名:三浦悠斗
能力:UR「数字を操作する能力」
判定:適性あり
転移先:学園恋愛ゲーム世界
結果:生存
備考:数値操作によるゲーム内の整合性への影響を確認。以降、通常の生活を継続。
女神コメント
「URの能力を、最後まで自由に使っていましたね」
「好感度も、能力値も、好きなだけ増やしていました」
「……少し、使いすぎてしまったようですけれど」
「でも」
「毎日は、ちゃんと続いています」
「よかったですね」




