ここに立つと、なに話していいかわからなくなるんだよね・・・・・・
Cutiesが主催するファン感謝祭なるイベントが開かれることもあって、かなりテンションが高かった。
なにせ前回のイベントで一つの念願が叶ったのだから、今の自分にはもうなにも怖いものなんてない。
これできっと四宮との距離も以前とは比べ物にならないくらいに縮まったに違いない。
これがイベント会場に到着する前――正確にはライブ終わりの握手会で彼女のレーンに立つ前――までの心境だったけれど、いざ本人を目の前にするとうまく言葉がでてこない。
今まさに握手会の最中で、四宮が目の前にいて数秒間お互いに黙ってしまっているという状況。
その沈黙が重くのしかかる。
「ここに立つと、なに話していいかわからなくなるんだよね・・・・・・」
やっとの思いで口にした言葉がこんなもの。
いくら緊張しているからといってもあまりにひどい気がする。
すると彼女が口を開いた。
「だったら握手とか会話なんてしなくていいから、チェキだけ引いてけばいいじゃん」
それはこれまでに聞いたことのないほどに冷徹な色を帯びた声だった。
どうしてそこまで素っ気ない言われ方をされなきゃいけないのだろうか。
こっちは会話をするだけで途方もないプレッシャーに押しつぶされそうになるというのに。
俺がなにか燗に障ることでも言っただろうか。
そんなことはないはずだ。
なにを話していいかわからなくなる、と言っただけで別に、話をしたくない、なんて言ったわけではないのに、そこまで冷たくあしらわれる理由なんてないはず。
もし、あるとするならば彼女が俺のことを嫌っているから、会話のネタがみつからないなら話をする理由もない、ということくらい。
そう言えばここ最近、と言うかほんの数日前に物凄く冷たい視線を受けた気がする。
きっと嫌われているんだ。
それもそうかもしれない。
こんなに地味で冴えないオタクな男にいい印象を受けるはずがないじゃないか。
でも、だからといってなにもこんな場所で、このタイミングでそんな風な態度をとる必要なんてないはずなのに、嫌いならはっきりと教室ででも言ってくれたらよかったのに。
正直言ってこれ以上ないくらいにショックだった。
「そんな態度ならもういいよ・・・・・・」
時間はまだ充分すぎるほどに余っていたけれど、それ以上会話を交わすような気分になんてなれるはずもなく、そのままプライベートチェキがはいった箱から一枚抜き取って、彼女のレーンを離れた。
その様子を隣で見ていたらしい誠ノ介が会場内の物販コーナーで声をかけてきた。
「どうしたんだよ? お前らしくねえぞ? なんかあったんか?」
どうやら会話の詳しい内容までは聞き取れていないらしい。
そんな彼にことの顛末を聞かせたとき、運営スタッフ唯一の女性が会話にはいってきた。
「どんなことがあったにせよ、嫌われてるなんてことはないんじゃないかな? あの娘、ちょっと不器用なところがあるからさあ・・・・・・。どこかのだれかさんに似てね・・・・・・?」
どこかのだれか、というのは間違いなく俺のことだ。
たしかに似ているところが多い気がするけれど、もし嫌われていなかったとしたならどうしてあんな言われ方をしなければいけなかったのかが、さっぱりわからない。
「まあ、普段から気になってることとかを、気負いせずになんてことない言葉をかけてみたらいいんじゃない?」
スタッフの女性はそう言ってにこりと柔らかく微笑んだ。
誠ノ介は、彼女の言葉に感心したようにしきりに頷いている。
そうかもしれない。
なんてことない一言で、意外にも会話が弾むかもしれないというのには物凄く納得がいく。
「気になってることって言ったら、服の襟口が広くて肩が見えすぎてることくらいですかね・・・・・・?」
すると彼女は吹き出し笑い一つと共に頷いて言う。
「まあ、それでもいいんじゃないかな? セクシーさが売りなんだからきっとあんな服装なんだろうけど、そんな風な会話の流れになったら思いっきりトボけたりして笑い話になる可能性だってあるしねえ」
きっかけをもらえたことに感謝しながらまた握手のレーンを進んでいった。
四宮のレーン、二度目の挑戦。
どこか不機嫌そうな表情で立っている、そんな彼女を目の前に俺は覚悟を決めて口を開いた。
「いつも思うんだけど、ちょっと肩出しすぎなんじゃないかな?」
そう言うと彼女は口許に微かな笑みを刻んだ。
けれど返ってきた言葉は全く予想もしていない言葉だった。
「推しメンの娘にそんなこと言うならわかるけど、私のこと推してないんだから関係ないでしょ?」
彼女の言葉に、自分の耳を疑った。
思った通りにことが運ばないことはこれまでに何度となく経験してきたけれど、それはどれも友人や家族といった間柄における人間関係でだ。
あろうことか――少なくとも今、この場では――アイドルであるはずの、ずっと口にしてはいないながらも推していた彼女からそんなことを言われてしまった俺は完全にタガが外れてしまった。
ここでこのまま放置していたらきっとこの先、彼女にとって辛い状況が生まれたとき、自分の発言によって自分自身を苦しい立場に置いてしまうことにだってなりかねない。
そんなことになって傷付いてほしくなんかない。
そのためにも、たとえ完全に嫌われてしまったとしても、今思っていること言うべきことは言っておいた方がいい、そんな考えが一瞬のうちに浮かんだ。
どうせ嫌われているならこれ以上嫌われてしまったところで失うものなんてないさ。
「あんたはアイドルだろ? だったら推しだとか推しじゃないだとかそんなことは関係ないだろうが。だれの推しであろうがファンはファンだろうが。推してるかどうかで、そうやって人によって態度を変えるんなら、そんな中途半端な覚悟ならアイドル辞めちまえよ」
――今度こそ終わった・・・・・・。完全に・・・・・・。
俺はそれだけ言って、呆然とする彼女のレーンから離れてしまった。
帰りの電車の中で、ずっとCutiesの曲を聴きながら四宮の言葉を頭の中で繰り返していた。
推しじゃないと思われていたなんて想像さえしていなかった。
とっくに気付かれているものと思っていたからあえて言うまでもないと思っていた。
実際、ほかのメンバーは俺が四宮を推しているということにかなり早い段階で気付いていたから彼女もそうだろうと勝手に思い込んでいた。
真っ向から否定されるのはやっぱり結構なダメージを受けることだった。
俺はアイドルとして初めて出会ったときの五人の歌声を聴きながら、どうしても流れる涙を止めることができずに、人目なんてはばからずに泣いた。
きっともう、あの場所へ行ってもうまく会話を交わすだけの自身がもてない。
ちょっと会話が交わせていただけで、このままいけばなんて勘違いして、実際には彼女との距離を一切埋めることさえ叶わずに、告白すらできないまま全てが終わった気がした。