もう、幸せ♡
午前のスケジュールが終わり、前の席の誠ノ介が皮肉っぽい笑みを浮かべながらこちらを向いて訊く。
「お前、ロングんとき、寝てなかったろ? なんだったんだよ? ホントの理由は」
俺はもう一つ前に座っている四宮に聞かれないようにするため、質問に筆談で答える。
『こないだのスペランでのイベのとき見かけた娘が四宮だったんだよ』
誠ノ介はノートに書かれた文を見て顔を上げた。
隣の良太も驚いたように言った。
「ま、マジかよ?」
俺は一つ頷いてシャープペンを走らせる。
『これがゲームとか小説なら、間違いなくフラグ立ってんだけどなwww』
俺が自嘲気味に微笑むと、良太が机を寄せて俺のノートに消せるボールペンとやらで走り書きする。
『まあ、そりゃあたしかに言えてんな。で? どうすんだ?』
『どうするって、なにをだよ?』
俺が訊くと、今度は誠ノ介が筆を滑らせる。
『そんなもん、話しかけたりしなきゃなんも始まんねえだろ?』
それはたしかにその通りかもしれない。
けれど、軽々しく話しかけたりして、また傷ついたりするなんてことだけは絶対に避けたい。
だからこそ、そんなことはできない。
『無理に決まってんだろ!』
俺の必死の抗議に、華麗な切り返しを見せる二人。
それはもう見事なカウンターだった。
『でも、お前はあの娘のことが好きなんだろ? 最近ずっと言ってたじゃん』
良太の問いに俺は頷く。
そこで誠ノ介がかれの援護に回った。
『あの娘はあいつらとは違うかもしんねえだろ。オタクだからとかいう偏見はないかもしんないじゃん? それにさ、お前がその気になりゃ、その辺の女がほっときゃしねえって』
『いや、いきなり話しかけたりしたら、馴れ馴れしいヤツだってどん引かれて終わりだろ』
――そもそも、その気ってどの気だよ!
俺は内心で毒づいて、ため息混じりに四宮の席の方に視線を向けてみた。
するとなんと、磨きぬかれた黒真珠のような彼女の瞳があろうことかこちらを向いている。
しかも、眉間に皺を寄せている。
さすがの俺でもゾッとした。
確実に不機嫌なパターン。
そうでなければおかしい。
そのとき唐突に教室の後方のドアが開けられ、オタク五人衆唯一のアブレ組である一騎少年が悠然とオタク丸出しな発言とともに登場した。
椅子を抱えて教室にはいってくるなり、彼はこう宣った。
「マジでありえねえ! この学校、ミカみたいな娘はいねえし、凛風みたいな娘さえもいないなんてガチで終わってるわー」
――いやいやいやいや、お前のその考えがありえねえわ! 現実にそんな娘いねえよ!
ミカというのはもちろん、ボカロのキャラクター。
それから凛風というのが、ラノベが原作になっていて、爆発的なヒットを記録し、アニメ化されてより一層の人気を獲得した〝サウンドラグーン〟というタイトルの作品のヒロインにして俺のスマホの壁紙になっている少女、龍音寺凛花のことだ。
「そんなんいるわきゃねえだろ!」
と、良太が冷静かつ鋭いツッコミをいれる。
それは至極最もな話。
二次元のキャラは二次元であるからこそ成り立っているのであって、現実世界に――フィギュアならまだしも完全な人として存在できるだけの――そのクオリティを保てるはずはない。
最早それは二次元が二次元であってこその賜物なのだ。
「そりゃあそうなんだけどよお~」
と、げんなりしつつも言いながら、机に突っ伏して眠りこけていた佑斗を問答無用に叩き起すと、彼はガバッと勢いよく上体を上げた。
「ゴールデンウィークの予定のことなんだけどさ、五月のアタマに新しくオープンする大型の専門ショップがあるんだ。だからそこ行こうぜ?」
一騎の提案に誠ノ介がい気味に言う。
「いや、今度こそドルイベだろ? こないだもその前もアニメ系攻めたんだから。な?」
佑斗がそれに同意する。
「俺もそれにさんせー」
続いて良太があくまで客観的な意見を述べる。
それに伴って一騎のテンションがみるみる下がっていく。
「まあ、バランスとか考えた場合、それがいいかもしんねえな。・・・・・・で? 蒼の意見は?」
「・・・・・・ってかさ、ゴールデンウィークは一週間近くあんだからさ。前半にドルイベ行って後半でアニメ系でもゲーム系でも行っちまえばいいんじゃねえか? 別に無理してどっちかに絞る必要もねえじゃん」
俺の言葉に一騎がそれまでの不満そうな表情を一変させる。
「それイイ! マジ最高! さすがは蒼ちゃん! やっぱ天才! もう、愛してる!」
俺の髪をわしゃわしゃとかき混ぜるようにして撫でている彼の脇腹を一発殴って差し上げる。
すると一騎は大袈裟に呻き声を上げながらも、
「もう、幸せ♡」
などという意味不明極まりないことを口走る。
これだから真正ドMのいじめてクンは困る。
俺たちのグループは誠ノ介も含めてドMが二人、ノーマルなのが二人。
そして最大の謎なのが、なぜか俺がドSという括りになっていること。
「で? ドルイベはどこ行くつもりなんだ?」
俺が二人に訊ねると、誠ノ介が暫く考えた後に言う。
「たしか、来月の四日あたりにグループがいくつも集まるやつがあるんだけどな・・・・・・」
「ああ、全国横断アイドルライブ祭? それだったらたしかに五月の三日と四日がこっちの方でやるはずだったな」
と、佑斗が言った。
「そうそう、それだ!」
途端に誠ノ介のテンションが高くなった。そのとき、一騎が怪訝そうな声で耳打ちした。
「ところで蒼? ・・・・・・あの娘いったいなんなん? さっきからずっとこっちガン見してんだけど・・・・・・?」
俺はそれに気付かないフリをしていたけれど、あれからも変わらず四宮があのときと同じ表情で、ただひたすらにこちらの様子を傍観していたのだ。
きっとあれだ。
彼女はこんなことを思いながら見ているはずさ。
『うっわ~・・・・・・。マジありえないんですけど~。ガチオタじゃん! キモオタじゃん! マジでダサいんですけど~。アイドルの話とか、アニメの話とかあんなに熱く語り合っちゃってるし・・・・・・。終わってるわ~。マジ笑えねえ~。終わってるよ~。ないわ~』
とか、とにかくそんな感じなはずだ。
あの表情は絶対そうだ。
それ以外は考えられない。
俺の考えとシンクロするように一騎が言った。
「まあ、いいようには思ってねえのはたぶん間違いねえだろうな。・・・・・・あの表情だもん」
彼はそう言いながら、深夜帯に放送されている通販番組の外人顔負けのお手上げのポーズを見せる。
と、ほぼ同時に聞き馴染みのない声が飛んできた。
「あ、あのっ! ちょ・・・・・・ちょっといいかな?」
声のした方を振り返るとそこには、顔を真っ赤にした身長が一四〇センチ中ほどの背丈の女子が立っている。
はっきり言うと、彼女は俺の好みではなかった。
もう一度言おう。
俺の好みではなかった、それだけのことだ。
それだけのことで、決して彼女の風貌が悪いというわけではない。
むしろいい方だと思う。
ただ単純に俺が求めているタイプの見た目ではなかっただけ。
鳶色の長い髪、丸みを帯びた輪郭、ほんの僅かに目尻が上向いた丸い双眸。
小さめの鼻に、桜色をした水分を多く含んでいそうな光沢のある潤った厚めの唇。
――この娘の名前はたしか・・・・・・。
「えっと・・・・・・多田さん、だったっけ?」
「あ、いや・・・・・・」
彼女は俯きながら呟いた。
この反応はどうやらハズレらしい。
「違うっつーの。牧田さんだって、ね?」
良太が自信満々に言うと、彼女は首を振って否定する。
「なに言っちゃってんだよ? 脇田だろ?」
と、誠ノ介。
またも彼女は、ふるふると首を振って否定する。
その表情には既に哀しみの色合いが浮かび始めている。
これではまるで、一種のイジメか拷問だ。
「和田さんだよね? 絶対そうでしょ?」
佑斗がこれまでで一番の自信を込めて訊ねるが、結果は惨敗。
怒涛の四連続不正解に、彼女はとうとう泣き出す寸前の状態になってしまっている。
「お前ら、わざと言ってんの? それってこの娘にかなり失礼じゃんか。忘れたのかよ? 鷲田風花ちゃん・・・・・・。だよね?」
紛れもない一騎の声。
それに伴って今まさに泣き出す寸前だった女子生徒の表情が一変し、明るくなる。
そして彼女は千切れんばかりに幾度となく首を縦に振っている。
鷲田風花、という名前には俺にもいたく聞き覚えがある。
その名前の人物はたしか、俺たちが結成していたバンド〝DO5(ドゥーファイブ/ディープなオタク五人衆の略)〟の最後のステージとなってしまったあの日、他校からライブの観覧にきていたうちの一人だったはずだ。
握手やサインをやたら求められ、更にかなりの長時間話し込んでいたものだから、忘れようにも忘れられないのだが、目の前に立っている少女の風貌があの当時とは全く異なってしまっているものだから気が付かなかったし、自己紹介の終盤は記憶に残っていない。
あの頃はどちらかと言うと、今の俺たち寄りの地味な雰囲気だった。
黒髪の三つ編みツインテールに、牛乳瓶の底のように分厚い丸メガネをかけていて、化粧っけもなく、頬にそばかすが・・・・・・。
という具合にかなりおとなしい印象の女の子だったんだ。
それがここまで変貌してしまうという事実に、正直なところ面食らった。
――高校デビューってスゲー・・・・・・。
「よかったら五人のサイン・・・・・・この色紙に、お願いできないかな? 日付いりで・・・・・・」
鷲田はそう言うと、サイン色紙を五枚と、当時それぞれにイメージカラーとして設定されていた――俺が紫、良太が青、誠ノ介は赤、一騎は黄色で、佑斗が黒、という――五色のマジックペンをバラバラと取り出して破顔した。
俺たちが翌日までにサインをすることを約束すると、彼女は満足げな表情を浮かべながら自分の席へとスキップで戻っていた。
俺はこのとき生まれて初めて嬉しくてスキップをしている人間を目の当たりにした。