1. 石好き会社員死亡
石に心の安寧を願った後に、歩いていると天啓のように思いついた物語です。
残虐な描写は今のところ出さない予定ですが、念の為、セルフレイティングR15にさせていただいてます。
俺の名前は岩塚紫輝。
まだ三十四歳、
ごく普通の会社員で、少しだけ普通じゃない石好きだ。
駅前のコンビニを出た瞬間、夜風がスーツの隙間に入り込み、思わず肩をすくめる。
左手につけた腕時計を見る。
時刻は午前4時20分。
「……終電、とっくに行ってるよな」
そう呟きながら、コンビニ袋をぶら下げた右手を軽く持ち直した。
中に入っているのは、エナジードリンク一本と栄養バーだけ。
まともなご飯を最後に食ったのがいつだったのか、もう思い出せない。
俺が就職した会社は、いわゆるブラック企業……
というわけではない。
むしろ世間的にはホワイト寄りだと言われている、優良な企業だ。
福利厚生はいい。
残業代も出る。
ただ一つだけ問題がある。
人手不足だ。
その結果、「頼みやすい人間」に仕事が集まる。
そして俺は、その“頼みやすい側”の人間だった。
「石塚さん、この案件だけお願いできます?」
「すみません、今日ちょっと手が回らなくて」
「助かります、ほんと」
気づけば断れなくなっていた。
頼られるのは嫌じゃない。
むしろ必要とされるのは嬉しかった。
だから引き受ける。
また引き受ける。
さらに引き受ける。
その結果、帰宅時間はこうなる。
人気のなくなった歩道を歩きながら、俺は無意識に首元を緩めた。
ネクタイがやけに重く、足も妙だった。
地面を踏んでいる感覚が薄く、ふわふわしているような感じだ。
やばいな、これ。
そう思いながらも、歩みは止めなかった。
止まったら、そのまま寝そうだったからだ。
マンションへ続く細い道を曲がる。
街灯の白い光が、濡れたアスファルトにぼんやり反射していた。
ポケットから鍵を取り出そうとしたが、指がうまく動かず、落としてしまった。
一度落とした鍵を拾うためにしゃがみ込んだ瞬間、視界がぐらりと揺れた。
「……っ」
反射的に壁へ手をつく。
呼吸が浅い。
心臓が妙にうるさい。
それでも、頭の片隅には別のことが浮かんでいた。
帰ったら、石を見るか。
フローライト、アメジスト、水晶、ローズクォーツ。
机の上に並べた、俺のコレクション。
新しく買ったアメジストドームもまだじっくりと見られていないし、
今日も本当は石屋に寄りたかった。
疲れ切った日にあいつらを眺めると、少しだけ頭の中が静かになる。
理由なんて分からない。
ただ昔から、石だけは好きだった。
子供の頃、図鑑の鉱石ページを何時間も眺めていたのを覚えている。
透明な結晶。
紫色の輝き。
淡い緑の層。
見ているだけで、呼吸が整う。
誰にも理解されなくても、それだけは変わらなかった。
ようやく自宅のドアの前へ辿り着き、俺は壁にもたれながら鍵を差し込んだ。
カチャリ、と乾いた音。
玄関の扉を開けた瞬間、張っていた糸が切れる。
「あー……無理かも……」
靴を脱ぐ余裕すらなかった。
膝から崩れ落ち、そのまま冷たい床へ手をつく。
コンビニ袋が転がり、中のエナジードリンクが鈍い音を立てた。
身体に力が入らない。
頭の奥は熱いのに、指先だけが妙に冷えていた。
視界の端がゆっくり暗く欠けていく。
それでも俺は、床を這うように前へ進もうとした。
リビングまで、あと少し。
その先には、俺の石たちがある。
あと一目だけでもいい。
それだけでいい。
フローライトの淡い緑を、アメジストの紫を……
見られれば、少しは楽になる気がした。
腕に力を込める。
だが、肘が震えて身体を支えきれない。
呼吸が浅い。
肺がうまく動かない。
視界が明滅する。
そのとき、不意に同僚たちの顔が浮かんだ。
「また頼むわ」
「石塚さんなら安心っす」
悪意なんてなかった。
だからこそ断れなかった。
その結果が、これだ。
もう指先の感覚すら曖昧だった。
それでも意識だけは、必死にリビングを向いていた。
あと少し……
あと少しで……
そこで、不意に思考が途切れた。
音が遠ざかる。
床の冷たさも消えていく。
白く霞む意識の中で、最後に浮かんだのは、
冷蔵庫のマンゴーでも、
水でもなく、
やはり、石だった。
せめてあと一目だけでも、
俺の石たちを……
それが、石塚紫輝の最後の願いだった。
そうして、俺の人生は静かに幕を閉じた。
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