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プロローグ 物語はある夜に

 ミーティアが星と月の光を受けて咲く花、アステリシアの花の存在を知ったのは、この別荘にわずかな使用人たちと共に引っ越してきてしばらく経ってからのことであった。


 ミーティアは生まれつきからだが弱い。ささやかな寒暖差でもひどく苦しみ、少し激しく動いただけで咳き込み倒れてしまうのだ。視力だって生まれつき少しだけ弱い。


 五歳まで生きられたら奇跡だと言われた。

 五歳になったら、十歳まで。

 十歳になったら、十五歳まで。


 そして、今は十四歳の春を迎えている。両親からは愛情を受けて育てられたが、だんだん彼らの目から輝きが失われていくのを、彼女は感じていた。弱いからだの代わりに、聡い少女に育ったのである。

 大きな規模の貿易商を営み、日々あれやこれやで忙しい両親の邪魔にならないために、ミーティアは彼らと離れて暮らすことを望んだ。言い出した時は、母は泣き崩れ、父は彼女を震える手で抱きしめたが、彼女の心は変わらなかった。


(お父さまとお母さまは、自覚していないだけできっとわたしに疲れているのだわ)


 そして、王都から離れた澄んだ空気の森の中に建っていた古屋敷を、両親は買い取りミーティアに与えた。週に一回、食べ物など生活品が運ばれてくる以外客人はいない。使用人たちはミーティアと特に仲の良い者たちが選ばれたが、基本的にはミーティアは一階の自室のベッドの上で本を読んだり、外の景色を窓から眺めて一日を終える。


 アステリシアの花は、この深い森に伝わる伝承があると知った父が、物語の本を贈ったことで知ったのだ。

 

 夜の光を受けて輝くアステリシアの花。

 かつて森に小さな国があった証拠の廃墟の城。

 そんな国を守っていた、今はいない花の魔法使いたち。

 ──大きなツノを持つ、国を滅ぼした不死の怪物。


 ミーティアは本を読むことが好きであった。この弱い体でも、広い世界に羽ばたけていける気がしたからだ。けれど、この物語はどんな物語とも違っていた。この屋敷が建つ森の話──とてもとても、存在が近いからだろう。

 もしかしたら、花は今も森のどこかで咲いているかもしれない。お城の跡が森の奥にあるかもしれない。魔法使いたちの墓があるかもしれない。不死の怪物が眠っているかもしれない。そう思うと、ミーティアの心はどきどきと高鳴った。高鳴る胸は、小さな痛みに繋がるのだが。それでも彼女は、せめてアステリシアの花だけでも見てみたいと思った。


「もう、お嬢様ったら。それはおとぎ話の中のお話でしょう?」


 ……使用人たちの誰一人とも、真に受けてはくれなかった。



 ──だから、ミーティアは次の満月の夜、ちょっとした冒険をしてしまおうと考えたのだ。こんな気持ちは彼女にとって初めてであった。此度の満月はとても明るいと王都の星詠みたちが言っていたことを彼女は噂好きの使用人との会話で知っていた。あまり上手く見えない目も、そんな月の下ならば、きっと光る花を探すこともできるだろうと。


「もし見つけられたなら、それは神さまからわたしへの贈り物だわ。すてき」


 そう呟いて、ミーティアは機を待った。誰にも内緒で。そして、その日が来た。その日の夕食は、胃に優しいもろこしとミルクのスープとやわらかな白いパンだった。皿に注がれたスープはまるで満月のようで、ミーティアは今夜はほんの少し、それでも両親が聞いたら卒倒するような悪いことをすることに、うずうずする気持ちを抑えることに必死だった。

 令嬢でありながら質素な食事しか受け付けない体でも、今夜の彼女は冒険者になるのだ。



 深い夜が来た。

 ミーティアはこっそりと自室を抜け出し、倉庫からランプを取り出してろうそくを入れて灯りを点した。屋敷の扉を見て「あっ」と小さな声を上げる。しっかりと鍵がかかっていた。開けて出て行ってしまったら、もしかしたら誰かが見つけた時に怪しまれるかもしれない。

 彼女はほんの少し考え込み、自室の窓から出て行くことにした。ベッドの羽毛布団には枕でふくらみを演出し、そっと外への出口を開ける。そよそよと春の風が舞い込みカーテンを揺らした。


「大丈夫。朝になるまで帰らないなんてことはないわ」


 自分に言い聞かせるようにそう呟き、ランプを片手に窓枠に足をかけた。この部屋の位置が一階でよかったとミーティアは思った。すとんと普段ベッドの上にいてばかりのため履き慣れない革靴で地面を踏みしめる。──が、またも彼女は少し考え込み、そして革靴を脱いで部屋へ置き、窓を閉めた。裸となった足を草の感触がくすぐる。


「……ふふっ」


 初めての感覚に、ミーティアは跳ね回って喜びたくなった。その気持ちをそっと押さえ込み、彼女は森へ一歩踏み出す。

 夜の森の木の幹は黒く、飲み込まれそうなほど深い色をしていた。木漏れ日のように月光が木々の隙間からこぼれている。それに照らされたミーティアの淡い金色の髪も、月の色のようだった。

 短いろうそくのランプの心許ない灯りで足元を照らし、時に木に手をついて、彼女は前へ進む。正直、当てのない旅路であった。けれど、光っているならば見つけだせるだろうという、他人の心の機微には聡いくせに世界への知識の足りない少女の、楽観的で夢見がちな旅は終わらなかった。足に感じる土の感触も、手に感じる木々のざらついた感触も、さわさわと葉を揺らす風の音も、全てがミーティアにとって初めてのことであった。ここに木の実の練り込まれたパンや、ハーブと果物のシロップがあればもっとすてきな冒険になったのに。と、彼女は今まで読んできた物語の主人公の少女たちに思いを馳せ、ゆっくりゆっくり歩いて行く。


 ……しかし、黒い木々の迷路はなかなか晴れなかった。ミーティアの細い足は徐々に疲れを訴えてくる。はくはくと荒い息が彼女の口からもれる。ふと、後ろを振り返る。真っ暗だった。道しるべも何も無く、見回しても闇の中。不安のまま見上げれば月がミーティアを見つめていた。見つめるだけだ。何もしてはくれない。


「どうしよう……」


 そう、ミーティアは道に迷ってしまった。……それを認めないよう、彼女はふるふると首を横に振った。けれど唇からは困り果てたひとりごとが落ちる。どこを見ても、光る花なんて見つからないのだ。おとぎ話の中の話でしょう? とからかうように笑った使用人の声を彼女は思い出していた。そして、本気で夜の光で光る花があって、それを自分への神さまからの贈り物だと信じていた自分のことも。──今では、それがぐらぐらとミーティアの頭を揺らし、そして下に落ちて後悔という名のぬかるみとなって彼女の疲れた足にまとわりついていた。


「……ばかだったかもしれないわ。わたし」


 すると、最悪なことが起きてしまった。ふっと音を立てて、ランプの中のろうそくが燃え落ちてしまったのだ。


「あ……! そんな、待って……!」


 ろうそくの死は待ってくれなかった。ただでさえ頼りない灯りは消え失せ、あたりは月光だけが頼りの暗闇となる。目の悪いミーティアには月の光も遠くにじんで見える。──否、にじんでいたのは目が悪いせいだけではなかった。ミーティアの目には涙の厚い膜がふくらんでいた。

 ミーティアはその場に座り込んでしまった。ネグリジェの裾が土に触れようが彼女にとってはもうどうでもよかった。不安、恐怖、疲れ……闇。それら全てが少女の心に重くのしかかっていく。


「うう……」


 ミーティアが嗚咽をもらしかけた時だった。


「お前。そこで、何をしているんだ」


 いつの間にか、ミーティアを見下ろす者がいた。足音すらしない歩き方に、ミーティアはびくりと身を震わせ、そして声の主を見上げた。

 年頃はミーティアと同じくらいだろうか。掠れたアルトの声は、少年のものであった。襤褸のような古びた黒い服を身にまとっている。ミーティアを見下ろしているため影になっているが、それでも爛々と輝く金色の瞳が、ミーティアの瞳とかち合った。髪の色はこのそこら中の闇をすくい上げたような黒。

 そして何よりも、ミーティアの目を引くものを彼は持っていた。月光に照らされて、うっすらと白く輝く──ツノ。側頭部に戴いている一対のそれは、獣のもののようでも、冠のようでもあった。


(きれい)


 ミーティアはしばし、少年を見つめていた。ぽろりと溜まっていた涙がこぼれ、視界が先ほどよりも良くなる。視線こそ冷たかったが、美しい夜色の少年だった。


「お、お花を……」

「花?」

「そう……お花を探していたの。夜に星と月の光を受けて光る花……アステリシアの花……」

「……」

「でも、見つからなくて……わたし、迷ってしまったの」


 ミーティアの言葉に、少年はふんと鼻を鳴らす。


「当たり前だ。夜の森なんて、人間が入って良い場所じゃない」

「……あなたは、人間ではないの?」

「人間じゃない」

「そう……そう、よね。そのツノ……」

「見るな」

「あ……」

「……明るいところまで送ってやるから、来い」

「待って……ちがうの。あなたのツノ、月の光に照らされて、とてもきれいよ」

「……は?」


 そして、その次に少年は困惑したような、ともすれば威嚇するような低い声を出した。しかしミーティアは続ける。


「アステリシアの花って、あなたのことなの……?」


 ミーティアはゆっくりと立ち上がり、少年のツノにそっと手を伸ばした。触れるまであと少し……といったところで、少年は少女の細く白い手首をばしりと音を立てて掴んだ。


「触るな」

「あっ……ごめんなさい」

「それに僕はアステリシアの花じゃない。馬鹿なことを言うな」

「で、も……本当にきれいだと思ったのよ、わたし」

「あの花と一緒にするな。綺麗じゃない」

「……じゃあ、きれいなものが見たいわ。その口ぶり……アステリシアの花は本当にあるのね?」

「……」

「おねがい。連れていって。わたし、このままじゃ帰れないわ、帰りたくない」


 自身の手首を離そうとした少年の手を、ミーティアはもう片方の手で触れて包む。少年はその金色の目を見開き、口を開く。


「どうしてお前に教えなければならないんだ」

「わたしね、この森の開けたところの屋敷に住んでるの。生まれたときからいつもベッドの上で読書ばかり。それも楽しいけれど……でも、さっきまでいつもよりずうっと楽しかったわ。土も木もあたたかくて、風も優しくて。……本で見たアステリシアの花を信じて、満月の日まで待ってたの。もしも本当にあるならば、見たいの。この夜の一番きれいな思い出がほしい」

「よく喋るな。お前」

「お前じゃなくて、ミーティア。ミーティアって言うのよ、森の妖精さん」

「は?」

「……妖精さんじゃないの?」

「はあ……」


 少年は小首をかしげるミーティアを見てため息を吐いた。そして、もう一度ぐっと彼女の手首を握る手に力を込めた。


「い、いたいわ……もっとやさしくしてちょうだい」

「うるさい。来い」

「連れていってくれるの?」

「今夜だけだ」

「まあ……! 本当にあるのね、アステリシアの花……!」

「うるさい。それと、それは置いていけ」

「なあに? ……これ?」


 彼が指さしたのは火の消えたランプであった。少年は苦々しげに言う。


「鉄は嫌いなんだ」


 それを聞いたミーティアは、よく見えない視界の、淡い青色の瞳を細めた。地面にランプを置きながら、微笑む。


「あなた、本当に妖精さんみたいよ」



 まるで、そこだけが別世界のようであった。

 森の奥、黒い木たちのない開けた場所、そこにそれらはあった。五つの花弁を持つ白とも薄青色ともつかない複雑な色合いの花畑が、星と月の光に照らされて、ぼんやりと淡い光を放っている。しかもふしぎなことに、少年と彼に手首を掴まれたミーティアが花畑に足を踏み入れると、歩いたところが道のように強く光るのだ。ミーティアは息をするのを一瞬忘れ、そしてわあ……と、息と共に声をもらした。


「すごいわ……きれい、とってもきれいね……」


 少年は何も言わなかった。ただそっとミーティアから手を離すのみであった。ミーティアがふわりとネグリジェをふくらませて座り込むのを見ても、彼は立ったままだ。そんな少年に、ミーティアは話しかける。


「ね。少しだけ摘んでもいいかしら」

「勝手にしろ。満月の夜にしか光らないし、水に活けてもすぐにしおれる。持って帰っても無駄だ」

「そうじゃないの。ねえ、あなた……ちょっと座って待っていてくれる? 上手くできるかわからないけれど、やってみたいことがあるの」

「……何」

「ないしょ」


 ミーティアはぷつりぷつりと光る五芒星の形をした花を摘んでいき、より合わせていく。その近くで存外素直にあぐらをかいた少年は、彼女の手元を見て、わけがわからないとでも言いたげに視線をそらした。


「……できた。本で読んだだけだったけれど、うまくいくものね。ふふっ」


 先ほどまで震えて泣いていたとは思えないほど弾んだ声がして、少年は少女の方を面倒くさそうに見た。すると、ふわりと、彼の頭に軽いものが被せられた。それは──アステリシアの花でできた冠であった。花冠は、摘まれても輝いていた。


「お前……」

「お礼。とってもよく似合っているわ、妖精の王子さま」

「……」

「わたしをここまで連れてきてくれてありがとう。ふしぎなひと」


 そこまで言い、ミーティアは花畑を見渡し、そして空を見上げる。抱きしめるように胸に手を当て、目を閉じる。


「世界って、とってもきれいなのね……」


 それは、彼女の心から出た言葉であった。狭い世界しか知らない少女が、初めて見た奇跡の光景。輝く花畑が風に揺れる。花たちは流星のようには散らず、ふたりを優しく取り囲んでいた。

 少年はそんなミーティアをじっと見ていた。そして何かを言おうとして、また目をそらす。花冠が白いツノに当たり落ちそうになるのを──彼はそっと頭の上に戻した。まるで、彼女の心を受け入れるように。


「……ルカ」

「え……?」

「僕、ルカ。名前」

「……! ルカ、ルカ……すてきな名前ね……」


 ミーティアがそっと少年──ルカの手を自身の手で包み込む。やわらかなものにしか触れてこなかった柔く弱い細い指先で、ルカの手を撫でる。ルカの顔を覗き込むようにして、ミーティアは笑った。


「ルカ、わたしたち……おともだちになれるかしら」

「友達……」

「ええ。きっと、運命の星女神さまがわたしたちをここに導いてくれたのよ」

「夢見がち」

「……だめ? おともだちはいや?」


 ルカは覗き込んでくるミーティアをそっと見つめる。今度は目をそらさなかった。ミーティアの瞳の中には星がまたたいていた。まるで、この空のように。ルカは彼女から目を離せなかったのだ。そして、絞り出すようなか細い声で、ミーティアに言葉を紡ぐ。


「いやなんて、言ってないだろ」


 少女はそれを聞くと、ぱっと立ち上がる。つられて少年も、よろけながら立ち上がった。ミーティアはルカの両手を握ったまま、くるり、くるりとステップを踏んだ。


「ふふっ。うふふ」

「お、おい。……ミーティア……!」

「あ、やっと名前を呼んでくれたわ……! ……うれしい、ルカ。わたしたち、出会えてよかった。そう思わない?」

「……夢見がち」

「ふふっ、ええ、夢見がちなの、わたし。ねえ、もっと名前を呼んで? 踊りましょう?」

「……ミ、ミーティア……」

「はあい。ふふ」


 光り輝く花畑で、少女と少年はくるくると踊る。星に、月に、花に照らされて、ふたりは顔を見合わせた。嬉しそうに笑うミーティアと、困ったように眉をひそめるルカ。


 まるで世界にふたりしかいないような、そんな永遠のような時間だった。



 屋敷に帰るまで、ミーティアはルカの手をずっと握っていた。窓を開けて部屋に戻れば、ルカは踵を返し森の奥へ向かうところであった。


「ルカ、ルカ! また会いましょう。今度は、お菓子を持って行くわ!」

「……ミーティア」


 ミーティアの言葉に、ルカは振り返る。まるで先ほどのミーティアのように、胸に手を当て、そして……彼はゆっくりと頷いた。ミーティアが手を振れば、彼は走って闇の中へ消えていった。


 もうすぐ、朝になる。徐々に白んでいく空を見ながら、ミーティアはカーテンを閉めず、ベッドの中で、美しい世界のことを想って眠りについた。

 彼女にとっては、この夜見たすべてのできごとが、運命からのすてきな贈り物だったのだ。

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