【#1】人間には①
あれ?
なんで、こんなに、震えているんだろう?
なにもかもが、ぼくの思い通りだったはずなのに。
なんで?
なんでこんなことに、なったんだ?
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8時間前───。
「ガント!」
ガントと呼ばれた少年は、突如降りかかった雷鳴のような声に叩き起こされた。びくりと身体を動かし、寝床から起き上がる。ぴくぴくと、頭の触角が動いている。
実を話すと、彼は、いや、彼も、彼の前で叱咤しているこの女性───ガントの母親も、人間ではなかった。
人間達に隠れて暮らしている黒い虫、ゴキブリだったのである。しかしゴキブリ本来の見た目のまま描写してしまうとアレなので、ここでは擬人化して進めることにする。触角は頭から、翅は背中から生えているけれども。
「いつまで寝てるの! 早く起きなさい!」
「ん……でもまだ……」
「今日、何の日か忘れちゃったの!?」
そこまできて、ガントの脳はようやく覚醒した。
「あっ……」
思い出した。今日はあの、「食料調達予備班」の実践研修の日だ。だからといって早く起きる必要は別に無かったのだが、早く行けば熱意を見せられる。さらに、それはガント自身がとても楽しみにしていた日でもあったし、ガントだけでなく集落全体にとって重要な日でもあった。
「食料調達予備班」を語るには、まず「食料調達班」について知らせておく必要がある。「食料調達班」とは、簡単に言うと集落全体のために食料を集めてくる部隊のことである。集落の住民たち───集落といっても、人間の活動する建物全体に点在する住処を一つの集落にまとめると、その住民の数は軽く1000を越える───は、自らの力で食料を生産することができない。よって外から調達してくるしかないのだが、わけあって「食料調達班」以外は外に出られないようになっている。
その理由として大きかったのが、「人間」の存在だ。人間はガント達ゴキブリよりもずっと大きく、力も強い。その上なぜかゴキブリのことを異様なまでに嫌悪しているときた。よって人間に出会ってしまったゴキブリがたどる未来は、死で確定してしまう。そんな人間達がウヨウヨいる中で、命をかけて食料調達をしに行く彼らは、最高の名誉を贈られているともいえるのだ。
そしてガントは幼い頃からこれに憧れていた。いつか「食料調達班」になって、集落の人々を支えたいと本気で思っていた。家族も応援してくれた。ただ一人、祖父を除いて。
ガントの祖父は何を隠そう元食料調達班だった。だから当然、祖父もガントの夢を応援してくれると思ったのだが……
───ならん。
『え?』
───食料調達班に、なっては、ならん。
『なんで?』
───とにかく、なっては、ならんのじゃ。
『なんでなっちゃダメなの? みんなのためになれるし、みんなからほめられるのに……』
───いいか、ガント。
───人間に会ったら終わりなんじゃ。
───絶対に、勝てん。
───絶対に。
───だから、なっては、ならん。
普段から穏やかで母親から注意されるほどガントを甘やかしていた祖父であったが、この時だけは、やけに力強い口調で否定された。その目もはっきりと覚えている。怒るというよりかは、諭すような、苦痛に耐えるような、そんな目だった。当時のガントは、そんな祖父が少しだけ嫌いになった。
しかし祖父は3年前に老衰であの世へ旅立ち、ガントからもそんな祖父の言葉など忘れ、ただの「優しかったおじいちゃん」として記憶に定着していた。
そして合格率5%以下ともいわれる試験に合格し、そこからさらに過酷な訓練を耐え抜いた15歳の少年少女78人の中に彼は残っていた。「食料調達予備班」という名前のもと、彼らは食料調達班への道を一歩ずつ歩み始めることになった。
「……そうだった!」
ガントは声を上げると、母親のすぐ横を通り過ぎたかと思うと、まず寝間着から班指定の制服に着替え、洗面台へ駆け込んで歯を磨き、ついでに触角も整えて、玄関へと向かった。
「ちょっとガント! ご飯は?」
「いらない! 行ってきます!」
「あ、ちょっと!」
ガントは焦りと興奮が1:1で混ざり合った感情を抱きながら、母親の方を見もせずに家を出て行った。
それを見送った母親は、ふう、と息をついた。
「まったくもう……」
そういった彼女だが、口角はやや上がっていた。
ちなみに、ガントが母親の顔をもう少しよく見て、もう少しよく話しておけば良かったと後悔するのは、もう少し先のことである。
そして、およそ6時間後、ガントの住処付近で。
「それでは、出発する! 研修生の諸君、今回は我等食料調達班がどのようにして集落の支えとなる食料を確保していくのかを、しっかりと目に焼き付けてほしい!」
「「「はいっ!!」」」
体つきの良い中年の大人の声に続いて、「研修生」達の返事が響き渡った。声が空気を震わせ、余韻を残した。
そして、指導役である食料調達班の大人5人と、ガントを含む食料調達予備班78人は、隊列を崩すことなく歩み始めた。
ガント達の住む住処付近には、見送りに来ている大人達も何人かいた。だがガントの親族は誰一人としていない。しかしガントはそれを嘆きも怒りもしなかった。何日もいなくなるわけじゃないし。人間に殺されてしまうかもしれないから我が子の顔を一目見ようという親も中にはいるのかもしれないが、今は夜だ。人間の建物に、夜に人間が現れることはめったにない。だから大抵の親は心配することなく眠りについているはずだ。
そんなことを考えながら前進していると。
「なあ、ガント」
唐突に前の少年が振り返った。高身長、端正な顔立ちで、女子からの人気も高いその少年の名前は、ジグといった。
「どうしたの?」
「これ、ただ食料調達見てるだけじゃおもんなくね?」
「……つまり?」
すると、ジグがにいっと笑った。
「出ねーかなーって」
「えっと……つまりそれって……」
言ったものの、大体予想はついていた。
「人間だよ、ニ・ン・ゲ・ン」
予想通りだった。
食料調達予備班に入る前の訓練で出会い、そこでわかったのだが、ジグは顔もいいし、女子によくモテる。そのせいかは知らないが、彼はやけに格好つけたがりな性格をしていた。女子の前であってもなくても、「自分が劣っている」ということを嫌い、そして余裕を見せたがっていた。その性格の賜物か、実際に、訓練では、彼は食料調達予備班の78人の中では一番優秀な成績を収めている。
そしてなぜか、彼はいつも謎の「木の棒」を持ち歩いていた。「俺の武器だ」と言ってきかなかったのだが、訓練で、彼が持っているのは「爪楊枝」という人間の道具なのだと、同じ実習生から教わった。確か眼鏡をかけてた女の子だったと思う。それでも彼は、これは俺が見つけた武器だ、と言って聞かなかったが。
「人間が現れて、みんなを襲う。そこで俺が一撃をお見舞いして、人間をぶち倒す……そんなことしてえな」
「そうだね」
ガントが言った時。
「ええっ、人間!?」
今度はガントのすぐ後ろから、甲高い声が刺さった。ガントは反射的に振り向いていた。長い触覚が特徴の少女と目が合った。
「お、ルリ。お前もやっぱそう思うか?」
先に反応したのはジグだった。それを受けたルリは、慌てて首を振った。
「違うよ! ジグくん、今、人間に会いたいって言った?」
「ああそうだが……どした?」
するとルリは、顔を手で覆うようにして、黙り込んだ。それを見たまま二人は歩いていたが、やがて口を開いた。
「……いや……ジグくんって、勇気あるんだね。わたしだったら、人間に会ったらどうしようって、いつも思ってるよ」
「うん。ぼくもそうだ」
ガントは言った。食料調達班になりたいといってもこれは事実だったし、だからこそ、見栄でもああいったことを言えるようなジグを、少々うざったいとは思いながらも、心の中では尊敬していた。
「いやいや2人とも……俺を見習えよ!」
口ではそう言いながらも、ジグの顔は赤くなっていた。暗い中でも、そう見えた。
この時はまだ、余裕があった。
あんなことになるなんて、思ってもなかったから。




