第六話 お出かけ水族館 その三
ワニ人間とメイナが立っているのは、北館寄りの広場、芝生の上だった。二人とも黙っている。
口論をワニ人間に吹っかけたら、ヒントを聞き出せるかもしれない。メイナがいるからだめか。もっといえば、この二人も正しい距離感で物が見えているかはわからなかった。
どうにか考えなければ。
攻撃自体は大したことがない。ガードもできる。ちゃんと視認できないのが一番の困りごとだ。
前にも姿の消える敵と戦ったことがあった。あのときは、相手が消える前の位置を覚え、移動する前に攻撃を加えた。
今回のキライーヤも似ているけれど。違うのは、基準になる向こうのそもそもの位置がわからない。現在見えている相手は私の歩幅で約一〇歩だが、それが正しいとは限らなかった。記憶するにしても、何を対象にすればいいのだ。
基準――ふと、ひらめいた。試してみたいことがある。
自分の左側、北館のほうへと走る。ワニ人間達がいるところとは別のところだ。建物の手前で何かにぶつかった。自分からだし、プリンセスタの身体だからダメージはない。
目にはまったく見えない。奥にはクリーム色をした北館の建物が見えている。つまり、目視できない透明な壁が自分の前に張られているのだ。こいつはざらざらとしてひんやり冷たい。この感触はコンクリートじゃないか。北館の側壁らしい。
建物との距離もゆがんでいる。キライーヤだけでなく、御法山さんやワニ人間達、その他に視界に入っているもの全部の距離が疑わしいということか。
ところが、どれも背丈や寸法には変化がないように見える。御法山さんの身長だって戦いの前と同じ気がした。物体同士の間だけがおかしい。仕組みは当たり前ながら不明だ。唯一、星の力が関与していることは確実だったが。
見えない壁を背にして立つ。そして、正面で両腕を組みガードの姿勢を取った。背後からの攻撃は防げるだろう。北館の建物ごと破壊されなければ。
キライーヤは正面、一五歩ほど先の位置にいる。相手が右のこぶしを振りかざしてきた。両腕に打撃を感じる。彼によるパンチだ。
だとしたら。すかさず左足でハイキックを入れた。一五歩ほど向こうではキライーヤがあごを真上にして後ずさりしている。効いている。感触があった。
深追いはしない。私は再び壁を背にする。キライーヤが近づいてきた。その距離はほんの数歩のところだ。普段ならば、足を踏み出してパンチをすれば当たる。しかし、あえてガードをした。
事実、相手はくるりと後ろを向き、いったん逆の方向へと歩いて私から離れていった。
ここで焦ってはいけない。じっと相手の攻撃を待つ。
キライーヤがまた私のほうを見た。私とは何歩というよりも一〇メートルぐらいか。突然、相手が右足でキックを放ってきた。
ガードで受ける。大事なのはこの一瞬。見逃さなかった。両手でキライーヤの足をつかんだ。
ワニ人間が叫んだ。
「あっ、またこのパターンじゃねえか‼」
キライーヤは右足を上げたままだ。私につかまれているからな。相手が左手でパンチを放ってきた。この一撃は防げない。私の頬にヒットし、後ろの壁がひび割れてめり込んだ。
メイナがしゃべる。
「データ分析の結果が出ている。脚をつかまれた場合の反撃プログラムが成功した」
だが、既に方法は見つけている。勝算はあった。
引き続き、壁を背にしたままでガード。キライーヤは先程よりも少し近く六、七メートル先だ。相手が右足を蹴り上げる。ガードをしているのでダメージはない。
もう一度。一瞬を見逃さない。連続でパンチを浴びせる。
やはり効いている。実際に目にすると不思議な光景だ。距離感が変わっているせいでキライーヤに直接パンチが命中しているようには見えない。なのに、向こうは左右にふらついている。透明な糸で操られているか、念動力で遠隔攻撃されているかのようだ。
相手は背中から倒れ込んだ。
「……フラレテ……デートデ……ソンナノ……ドンナキモチデ……ミレバイイノヨ」
左手で横ピースをする。
「チカキラりんっ」
両手の指先をダイヤの形に。
「ステラ・ブリリアント・シャワー‼」
キライーヤがベビーピンクの光に呑み込まれていく。
後に残されたのは、二〇代半ばぐらいの女性だった。髪はモカブラウン、お団子にまとめた毛先が少し広がっているカチモリだ。アイスブルーのティアードワンピースにエメラルドグリーンをしたライトウェイトスカーフを着用し、シルバーのパンプス風サンダルを履いていた。バッグは翡翠色のミニハンドバッグ。両耳にはシルバーのフリンジイヤリングを付けている。
このコーディネートの感じは――デートだろうか。
「水族館デートでフラれたからって。一人で楽しみましたってポジティブアピールで、もっといい彼氏を見つけてやるわ‼」
お姉さんは連絡通路を歩いて南館のほうへと行ってしまった。
メイナが話す。
「悪い星の力の調整は充分でないか」
彼女とワニ人間とが去った。
北館建物の壁のひび割れと、私の服装とが戻っていく。
御法山さんのほうへと向かう。彼女の胸元の光はなくなっていた。
「どうだった? プリンセスタの戦いは」
「どうって――大変そうだなというのが感想です」
「実際、大変だし面倒だからね」
御法山さんは連絡通路のほうに目をやった。
「先程の怪物、キライーヤにされた人ですが。『日本の海』水槽を何かぶつぶつ言いながら見ていた人です」
「そうだっけ。よく覚えてるね」
「思い詰めた感じでちょっと怖かったので」
私達も連絡通路から再び南館へと入った。戦いの前、ウミガメの水槽を見るつもりでいたのだ。
途中、『日本の海』水槽のところで御法山さんが説明してくれた。
「あの人は、ここの解説を見ながらつぶやいていました」
その解説にはこのように記されていた。
シイラ(学名:Coryphaena hippurus)
アジ目シイラ科。全長五〇センチ程度。熱帯から温帯域にかけて生息。日本近海でも見られる。
肉食性でイワシなどの小魚、甲殻類やイカを食べる。
関西地方では食用にされる。雌雄の結びつきが強く、片方を捕らえるともう一方がずっと追ってくることもある。
この習性から高知県では夫婦和合の象徴として、塩干し品が結納に使われてきた。
私がしゃべった。
「この魚を見て、やりきれない気持ちになったのかな」
解説は文章だけ、自分も御法山さんもどんな魚かはわからなかった。そこでスマホで検索し、出てきた画像を見ながら水槽の中を探した。
銀色っぽい魚で、尾びれの先端が黄色、頭は丸っこく、下のあごが上よりも少し長く飛び出している。この水槽の中には一〇匹以上いた。
お姉さんが嫉妬したのかもしれないシイラの姿をばっちりたしかめ、私達はウミガメ水槽のほうへと向かった。
タイミングよく、ウミガメ水槽では餌やりをやっていた。天井に近い水面から、魚が落ちてくる。飼育員が水槽の上から投げ入れているのだろう。餌に気づいたカメはすっと近づき、ぱくっとくわえる。
昔話じゃないけれど、餌のときもゆったりした動きだ。他のカメにとられることも多々ある。
そして、食べ方が汚い。口が大きくないのか、丸呑みでなく頭だけやお腹だけをくわえるせいで、細かな身や魚の血が水中に広がる。これはキャメルンのほうがまだきれいだな――って、なんでかキャメルンと比較してしまう。自分にとって、人間以外で一番身近な生物だからなのかもしれない。
北と南の館内ともに一通りの見学が済んだ。この後は出口手前のミュージアムショップに立ち寄る予定だ。時刻は一五時前、閉館まではまだ余裕がある。
御法山さんにたずねる。
「この後どうする? お土産を買うつもりだけど。もう一回ちゃんと見たいところはない?」
リーフレットをながめながら、彼女は回答した。
「……一四時半からのイベントが気になります」
「いいよ。行こうっか」
私達は北館へと引き返した。目的はシロイルカのプールだ。たぶん、御法山さんのお気に入りじゃないかとひそかに思っている。
一四時半からは、シロイルカの公開トレーニングが開催される。日々の体調管理のため、お腹を見せたりプールの浅瀬に上陸してじっとしたりする訓練がされているが、その様子を来場者が見学できるのだ。
イベントの最初、飼育員のお姉さんがそのように解説した。
シロイルカが、浅瀬に立った飼育員のところへと泳いでくる。水面から頭を出してキイキイと甲高く大声で鳴いた。赤ちゃんの泣いているような、カモメが海辺で鳴くような、どちらかといえば騒がしい声だ。
飼育員が手で合図をすると、シロイルカはくるりと逆さ向きにお腹を見せた。お腹も真っ白ですべすべだった。それから、横向きになって右の胸びれを水面から出しつつ、小刻みに揺らす。始まったばかりだが、バイバイしているみたいだ。
再びイルカが水面から頭を出す。開いた口に飼育員が右手を入れ、軽くなでるようにしている。キイキイとシロイルカが鳴く。うれしいらしい。
飼育員のお姉さんがしゃべる。
「このシロイルカはとっても器用です」
合図に応じて、シロイルカが一瞬潜った。頭を出すと、ぶるんぶるんと回転させながら口より水を噴射する。芝生とかの水やり器みたいだ。それを三回ほど繰り返す。来場者が歓声を上げている。
御法山さんがうっとりとつぶやいた。
「ずいぶんと賢いんですね」
さらに、シロイルカは頭だけを水面から出し、おでこのこぶをぷるぷると震わせ泳いでいく。飼育員さんが説明する。
「シロイルカのこのこぶは、形が似ていることからメロンと呼ばれています」
飼育員からバケツに入った魚を口元に投げてもらっている。シロイルカはまたキイキイと鳴いた。
その後も、シロイルカは水面から尾びれを出し左右に振って泳いだり、飼育員の投げたバスケットボールをくわえてキャッチしたりするのを披露した。すごいのがボール一個を口にくわえつつ、もう一個は鼻先で二個いっぺんに飼育員まで持ってきたことだ。
公開トレーニングの時間は二〇分ほど。私達――特に御法山さんは夢中だった。
お出かけ最後は出口手前のミュージアムショップへ。すぐに御法山さんは一台の陳列棚をじっと見つめた。納得だ。そこには、シロイルカのぬいぐるみがサイズ別に三段置かれていた。
一番上の段は約五〇センチのLサイズだ。値札を見る。五〇〇〇円以上する。サイズとクオリティを考慮したら、当然の価格だともいえたが。中段のMサイズは三〇センチほど、約四〇〇〇円だった。
御法山さんにたずねた。
「気になるの?」
せっかく二人で来たのだし、記念に何かお揃いで買いたいなと思っていた。
しばらく彼女は悩んでいたが、なんとLサイズを手に取った。自分も同じものを、としたかったのだが、金額が金額だけに迷う。
ぬいぐるみを抱きかかえながら、御法山さんが質問する。
「どちらにするか、ですか」
「うーん」
迷った末、私はMサイズにした。どちらもシロイルカにはちがいないし、サイズ以外に差はなかった。親子のようなものだ。これだってお揃いだろう。
ちなみに下段には、シロイルカのマスコットキーホルダーが何体もトレイに入れられて並んでいた。
それぞれで会計を済ませて、水族館をあとにした。
御法山さんの意外な一面を見ることができた。私達の仲もだいぶ深まった気がする。
帰りの電車に乗り込む。やがて御法山さんの降車する駅に到着した。ぬいぐるみの入った大きな水族館の袋を手にした彼女がホームを歩いていく後ろ姿を、窓から見送った。




