154「旅の酒場」
「おーい、大丈夫か」
うわっ。安易な気持ちで覗き込んだ俺が馬鹿だったのか。男の顔面はフラメンコのダンサーが集中的に踊りまくったかのように、ズタズタに踏み潰されていた。
「うっわ……」
恐る恐る続いて覗き込んだクローディアが低い声で嫌そうにつぶやく。
「おきゃあっ」
ササコマはなぜかツボに入ったかのように笑いが止まらないご様子だ。
いいのか。
とりあえずクローディアの顔を見つめた。
彼女は無言のままゆっくりとうなずく。
「とりあえずゆきましょう。ほかにお店も見当たらないことですし」
なんというかクソ度胸があるというか、自ら火中に突っ込んでゆくスタイルというか。
「わたしたちは急いで出て来たのでロクな地図も持っておりません。地元の情報は少しでも欲しいところです」
確かに、酒場には多少の喧嘩やもめごとはつきものだ。
ここで尻込みしていてもなにもはじまらないだろう。
嫌な予感しかしないが。
意を決してスイングドアの前で四つん這いになり中の様子を窺った。
「あの、わたしがいうのはなんなんですが。もう少し堂々としたらどうですか?」
「とりあえずは状況を探ってからだな」
この際クローディアは無視して意識を中に集中する。
そこには予想通り凶悪な人相の男の一団と対峙するド派手な女性が仁王立ちしていた。
「今、季節冬ですよね」
クローディアが俺に訊ねたのは無理もない。
褐色の肌をした美女は上着こそふわふわな毛皮のコートを羽織っていたが全裸だった。
訂正する。
正しくは全裸じゃない。
ボン、キュッ、ボンという擬音がふさわしいグラマーなボディをしたお姉さんはマイクロビキニを着用していた。
黒のビキニと黒のブーツはよく似合うがとても寒そうだ。
申し訳程度に腰布をひらひらさせているがあれには防寒の意味はないだろな。
俺のような毛皮があれば大丈夫なのに、と人ごとであるが心配してしまう。
「彼女、ダークエルフですね」
ふぅん? 確かにクローディアがいう通りお姉さんの耳はヨーゼフやロビオラさんと同じくエルフ族によく見られる長い特徴的なやつだ。
ピンと立った長耳にティアドロップのイヤリングがセクシーだ。
肌も健康的な小麦色だぜ陽気だなヒャッハー。
「どこを見ているんですか」
「いででっ。普通に見てただけだろがっ」
いきなり背後からクローディが耳を引っ張って来た。
シロクマのかわいい丸耳を引っ張るのは動物虐待なんだぞ。
「まったく油断も隙もない」
この娘はなにを怒っているのだろうか。
そんなふうに俺たちがほのぼのしているとダークエルフのお姉さんが吠えた。
「はんっ。じゃあ、ハッキリいってあげるよっ。あたしはね! アンタたちみたいによってたかって弱い者いじめをするやつらが大嫌いなのさっ!」
視線を店内に転じると、床には楽器を抱えたまだ若い楽師のような恰好をした優男が腰を落としたまま力なく笑っている。
ダークエルフのお姉さんと優男の前には八人の屈強な男が立っていた。
「どうやらあの男性をかばっているみたいですね」
「だな」
クローディアのいうとおりダークエルフのお姉さんはいかにも腕力のなさそうな男が一方的にボコボコにされるのを我慢できず割って入ったみたいだ。
酒場には村の男と思われる客が幾人もいたがいざこざを恐れて、肩をすくめて成り行きを見守っているだけだった。
お姉さんはそんな村の男衆の態度も気に入らないらしく、大きな瞳を三角にして腹の底から怒っているらしい。
「おい、ローザよう。おめぇがこのあたりにゃ珍しい踊り子だからって、モノには限度ってものがあるんだぜ」
「俺らがマンドラン一家だってことを知らねぇのか!」
「テメェにはネッドの兄貴がご執心だからこっちも気を遣ってやったのに、とんだ勘違いだ!」
「その優男はテメェの情夫かよ!」
「だったらこっちも兄貴に遠慮せずにテメェをぶっちめるってもんよ!」
「この全員でおまえの身体を楽しんでやらぁな!」
男たちはいきり立って怒号を発するがローザと呼ばれたお姉さんはまるで野良犬が吠えた程度にしか感じないのか、フンと鼻を鳴らしてぴくぴくとこめかみを痙攣させていた。
ブチ切れる一歩手前だ。
こりゃあ相当に気が強い女だな。
「あ、あの、お嬢さん。僕なら全然大丈夫ですから。早く店を出たほうがいいんじゃないかな」
「はぁ? あんたが歌と曲を馬鹿にされたからあたしは腹が立ってるの。こう見えてもね、いいものと悪いものの区別くらいはつくんだからね。あんたは楽器はヘボでも歌はいいじゃないか。この阿呆どもはあたしまで歌のイロハを知らない素人扱いしたんだ。たとえあんたが半殺しにされてもあたしは我慢ならないね」
そういうとローザは優男の胸倉を掴んでポイと放り出した。彼女は女性にしては背が高く一八〇近いから力もあるだろうがそれにしても優男は情けないな。
「コイツはもうあたしの喧嘩さ。死にたいやつからかかって来な!」
惚れ惚れするような啖呵だった。
クローディアがひゅうと口笛を吹く。
同時に男たちがローザへと一斉に飛びかかっていった。
実際、ローザの腕前は相当なものだった。
狭い店内を踊るように動きながら、屈強な男を次々にノックアウトしてゆく。
ローザの長い脚から繰り出される蹴りは次々に男たちに決まって、テーブルは吹っ飛び酒瓶は舞って店内は酒精と絶叫で満ちた。
「ナメやがってこのアマ!」
瞬く間に三人ほどのされた男たちは血が頭に上ったのかついに白刃を次々と抜いた。
「クマキチ……」
クローディアにいわれんでもわかっている。
「ふん。負けそうになったからって女相手に剣を抜くのかい」
ローザは強がっているが表情がわずかに硬くなっていた。
蹴り飛ばされた男たちも頭を振ってそれぞれナイフを引き抜き、ジリジリとローザを壁際まで追い詰めてゆく。
これ以上は見過ごせないな。
「そこまでだ。もう終わりにしときな」
スイングドアを蹴り飛ばしてぬっと現れた俺の姿にローザを含めた店内の人々の視線が集まった。
おっと、この酒場の戸口は低くてかがまにゃ入れんな。
とかくシロクマの身体は難儀なことが多い。
ゆっくりとした動作でようやく店内に入れた俺はグッと伸びをした。
「だ、誰だ! テメェは?」
「シロクマ? エルムの亜人か!」
ゆっくりと中に入ると刃を持っていた男たちがローザから離れて俺に向き直った。
「誰だっていいだろう。それよりもここは酒場だろう。喧嘩もいいが、このへんで一杯やって手打ちにしておけば互いに血を見なくて済むんじゃないか?」
「う、うるせえやいっ。ここを誰の縄張りだと思っていやがるんだっ」
「クマの一匹や二匹怖がってクマ鍋が食えるかよっ」
「俺たちマンドラン一家と知っての差し出口か」
男たちの吠え声は威勢はいいが次第に尻つぼみになってゆく。
俺からしても森で戦って来た賞金稼ぎや魔獣と比べると田舎の地回りなどは貫禄が違いすぎていて、どうにも緊張感に欠けてしまうのだ。
「いってぇどんな了見で邪魔をするっていうんだ!」
「か弱い女をよってたかってイジメる野郎を見ちゃあ、黙ってみてられねぇのがガキのときからの性分でね!」
腹の底から性根を据えて吠えた。
俺の声を聞き慣れているクローディアでさえ耳をふさぐほどの音量だ。
酒場の窓枠がビリビリと震えて男たちから戦意が消えてゆくのがわかった。
それでも黙って尻尾を巻けないのがこういった男たちの悲しい性なのだろう。
ひとりがワッと叫ぶと長剣を構えて突っ込んで来た。
連鎖反応的に残りの男たちも手にした凶器を振り上げ俺に向かって来る。
その意気やよし――。
手加減なしに葬ってやろう。
特に考えることもなく腕を振った。
ボッ、と。
大気を割る音が響く。
向かって来た男たちを一斉に薙ぎ払った。
ひと振りで三人ほどの男が毬のように吹っ飛んだ。
壁の板を突き破って男たちは頭から突き刺さったまま微動だにしない。
「まだやるか?」
聞いただけなのに、男が滅茶苦茶に刃を突いて来た。
手のひらでやんわり包んで力を込める。
青龍刀のような幅広の太刀の刃はポキリと無造作に折れた。
こんな数打ちの太刀はシロクマにとって飴細工のようなものだ。
「えい」
モグラ叩きをするように男の頭を頭上からポンと軽く押さえつける。
男の身体は床板を突き破って一気に胸の部分までめり込んだ。
「やるじゃない!」
ローザが目をキラキラさせて俺のほうを向いた。
同時に彼女の背後にナイフを投げようと振りかぶった男の姿が見えた。
危ない――!
俺が乗り出すよりも早く明後日の方向からナイフを構えた男の腕に小さなものがぶつけられた。
コロンと床に転がったものは白い石に目が刻まれたサイコロだった。
「おっと、レディにそいつはチョイと粋じゃねぇな」
ギリギリでローザを白刃から救った男は椅子に腰かけたまま酒を呷っていた。
大きなテンガロンハットを被っている。
まるで西部劇を思わせるような登場の仕方だった。
男はまだ二十代だろう。燃えるような赤毛に碧の瞳が印象的だった。白いシャツに焦げ茶のベストを着ており、ところどころ綻びはあるが男の姿には妙にマッチしていた。
お洒落な顎髭と切れ長の目が特徴的なイケメンだ。
「ジョシュア! テメェは親分のとこであれだけ遊んでおいて義理ってもんを知らねぇのかよ。女も酒も都合してたっぷり遊ばせてやっただろうが」
サイコロで手のひらを打たれた男が痛みに頬を引き攣らせて怒鳴っている。
「なーにが遊ばせてやっただ。マンドランの賭場はイカサマだらけじゃねぇか。騙されンのが悪いのはこちとら玄人だから承知の上だが、無理やりに素人衆を引っ張り込んでケツの毛抜くような真似ばかりしやがって。オレぁどっちかっていやぁ、そのシロクマの兄さんにつくぜ」
「ふざけんな!」
「ぶっ殺す!」
残った四人が俺とローザを無視してジョシュアという男に向かってゆく。
「面白れぇ三下どもが。オレを殺れるってんなら殺ってもらおうじゃねぇか」
ジョシュアはニヤリと白い歯を見せて、腰に下げたナイフを両手でひと息に抜いた。
二刀流だ。
鉈のように身の厚いナイフをジョシュアはすれ違う男たちへと素早く叩きつけた。
眼にもとまらぬ早業とはこのことだ。
凄い。
実際、俺はロムレスの騎士たちと幾度も戦っているがこのジョシュアの剣法は無造作でありながら実に的確だった。
喉笛を斬られた男が左右に倒れると後方で剣を構えていたふたりの男がたじろいだ。
「どうしたよ。ぶっ殺すんじゃなかったのか。あん?」
身を低くするとジョシュアは転がるようにして男たちの前に飛び込み、二本のナイフを素早く走らせた。
ひとりは腰を、もうひとりは太腿を斬られて横倒しに吹っ飛んだ。
「と、まあこんな感じだ。ダークエルフの姉ちゃん。勝者にご褒美のキスは?」
ジョシュアはニヤニヤ笑いながらローザと呼ばれていたダークエルフのお姉さんに歩み寄ってゆく。
が、顔を近づけようとした瞬間、ジョシュアは勢いよく頬を叩かれた。
「いってえなぁ。なぁにすんだよ」
「なにをいっちゃってんのさ! あんたは端っからいざこざの様子を見てたくせに最後になってノコノコと顔突っ込んでいい気になってんじゃないよ! それにあんたは一時はマンドランの一味に世話になってたんだろ。こーの風見鶏野郎。あたしはそういうどっちつかずの野郎が大嫌いでね!」
「コイツはたいした礼だぜ」
だがジョシュアは殴られた頬をさすりながらも気分を害していないようだった。
むしろニヤニヤ笑いを浮かべながら実に楽しそうですらある。
「あ、あの、エルムの方と博打打ちの親分さん。どうも、危ないところを助けていただき感謝しております、はい」
「あんたもこんな野郎に礼なんていってんじゃないよ! ちったぁ怒りなさいよね!」
「痛いっ」
ローザはジョシュアにぺこぺこ頭を下げていた優男のケツを蹴っ飛ばした。
ううむ、とりあえず彼女たちの関係性がよくわからないが――。
倒れた悪党たちは村人たちが運び出してしまったし、危機は去ったってとこかな?
腕を組んで三人のやり取りを見ていると、ローザがキラッと目を輝かせてズンズンとこっちに詰め寄って来る。
うっわ、頼むから俺をぶたないでおくれよ。
精神的に来るからさ。
「ねえっ、あたしは踊り子のローザ。危ないところを助けてくれてありがとうねっ。エルムのお兄さんの威勢のいい啖呵、聞いてるだけでクラクラしちまったよ! 名前を教えてもらえないかいっ」
て、近い近い近い。
ローザは俺の胸元に許可さえあれば今すぐにでも顔を埋めようとしそうな勢いで迫って来た。
ムチムチッとしたたわわなお胸がギュウと押しつけられてドギマギしちゃうぜ。
深い深い谷間に自然と目が行くと、それがわかったローザは「してやったり」とばかりに妖艶な笑みで俺の心を惑わして来た。
ぬううっ、正義と至誠の戦士であるクマキチさまはこれしきでは負けんぞおおおっ。
「この方はエルムの戦士クマキチです。さあ、名乗りました。離れて離れて」
「うわっ」
「きゃ、な、なによっ」
ほとんど隠密のように気配を消していたクローディアが突如として現れ、俺とローザの間に割って入った。
なんだろう、ほんの少しだけ若い娘との触れ合いが名残惜しい気がしてならないぜ。
「なーによ、あんたは。いきなり出てきて、あたしとクマキチの仲を裂こうってつもりなの?」
「いやいやいや、あまり笑わせないでください。いきなり会ったばかりの殿方に臆面もなく迫るだなんて。はしたないことのこの上ありませんわ。お里が知れますわよ」
「ぐぬぬっ」
クローディアが上品そうな口調でそういうとローザは歯ぎしりしながら、先ほど無法者たちと対峙していたときよりも凄い表情で睨んでいる。
カミサマ、これは一体どのような状況なのでしょうか。シロクマは、ただ誠実かつ真実一路を旨として生きてきたのに。
「あんたはクマキチのなんなのさっ!」
「妻です。そしてこれは子」
「妻? そして子!」
ローザは耳をぴこぴこ動かして目を丸くする。
「ええと、コイツがいうことは九割方嘘っこなので真面目に取らないでください」
クローディアを引き寄せてしゃがむと俺は耳打ちした。
「あんっ。そんな人前で大胆な」
「いや、ふざけない。真面目なお話」
「はぁい」
ぬうう。今のは誰が聞いても実のある返事ではないが、ここでコヤツのいうがままに流されるとロクなことがないのはルルティナたちとの初対面のときで経験済みだ。
「あのなー。イチイチ小さな嘘重ねてどうなるよ。そういう性格はそのうち身を亡ぼすぞ」
「だから、このような境遇に陥ってしまったのですね、わたし。しくしく」
「だからなー」
「冗談ですよ」
「ったく。とりあえず俺たちが夫婦だなんてデッカイ嘘は今後ともつかないこと。ここは俺が適当に取り繕っておくから」
「このほうが面白いのに……」
とりあえず無視しよう。
反応してもクローディアがよろこぶだけだ。
「この娘はとあるお貴族に使えるメイドで赤ン坊は主人のひと粒種。俺はこの子を護衛して王都まで送っているクマキチってケチなシロクマだ」
「そっか。こっちもカッカして悪かったわね。じゃあ改めてあいさつさせてもらうよ。あたしは諸国を旅する踊り子のローザ。この村には、ここ数日世話になっていて主に酒場で路銀を稼がせてもらっていたの。よろしくね、ええと……」
「クローディアです。彼は主のササコマさまです」
「へぇ。ずいぶんとカワイイ坊やじゃない」
ローザはクローディアからササコマを受け取ると抱きながら上手にあやす。
おい、俺のときは散々警戒してたのにこの差はなんなんだろうか。
もしかして、俺ってば心が狭いのか?
「オレはジョシュア。さすらいの博打打ちだ。レディたち、ひとり寝が恋しくなったらいつでも呼んでくれ。無論、料金は無料だ。むぐっ」
格好よくクローディアの肩に手を置いたジョシュアであったが、ローザに鼻っ柱をぎゅっと摘まれた。
おう、とってもコミカルな顔で俺にとっては好印象だぞ。
「あーはいはい、あんたはお呼びじゃないのよ。このトンチキ。いきなり出会ったばっかの女の子口説いてるんじゃないわよ」
「はん。おまえさんにはいわれたくないがね」
「なんですって! あー、こんな馬鹿ホントにどうでもいいわ。そうそう、あんたも名前くらい名乗って礼をいいなさいよね。あたしはともかく、クマキチがいなかったらマジでヤバかったんだから」
ローザがそういって優男の背中を突く。
けれど、争いの発端となった男は呆けたままクローディアの顔をジッと見つめ瞬きひとつしない。
あ、ありぃ?
なんだこの状況。
「まさか……そんな」
我に返った優男は俺たち一同の視線を集めていることに気づくと手にしたリュートを落とし激しく狼狽した。
――それから不意にクローディアの前に片膝を突くと彼女の手を力強く握った。
「あ、あああ、あのその、なんというお美しい方なのですか。お名前はっ!」
「あらあらあら、どういたしましょう」
手を握られたクローディアは右手で自分の頬を覆いながらもの凄くニタニタしたいやらしい笑みを浮かべ酷く挑発的な流し目を俺に投げかけるのだった。




