124「シロクマ拉致」
オランジェーヌの魔術によって年齢を変化させられたロビオラさんとリコッタは完全に混乱して魔術が上手く使えない状態になってしまった。
頼みの綱であったヨーゼフは追いかけだした途端、不幸にも石に蹴躓いて目を回して座り込んでしまった。
「待って、待ちなさい! クマキチさまを開放しなさいっ」
現在の俺は正体を現した魔女オランジェーヌに拘束の身の上である。
魔術によって空をばびゅーんと飛行しているが、背後からは凄まじい勢いでルルティナたちがかろうじてついてきているだけだ。
「もう、しつこいなー」
俊足のウェアウルフを除けばわずかなパールランド騎兵が追いすがっているだけだ。
頑張れー!
まるで他人ごとであるが力を込めようとするとビリビリ痺れが来るのでどうにも逃げ出すことができずにいる。
不覚だ。
「しょうがないなー」
そういうとオランジェーヌは軽やかに地面に降り立ち、むにゃむにゃと魔術を詠唱しはじめる。
ほどなくしてオランジェーヌが右手を突き出すと、真っ黒な土の塊で形成されたモニュメントが線上に次々と生え立った。
おそらくなんらかの魔術的要素が施されたそのモニュメントは俺には判別できぬ飾り文字で彩られ金色に輝いている。
「ちょっとストップ。それ以上追って来るならお姉さんも黙っていられないよっ。こっから先に入って来るととんでもないことになっちゃうからねっ。忠告したよーっ」
「な、なにっ?」
パールランド騎士たちはよほどオランジェーヌの魔術で散々っぱら痛めつけられた経験があるのか、ギョッとして馬を急停止させた。
「クマキチさまを連れ去って、いったいなにを企んでいるのですか。沼地の魔女よ!」
肩で息をしているルルティナが目を血走らせて問うた。
そうそう、俺もそいつを聞きたかったところだ。
「えー、いいじゃん! 教えてあげないよっ、じゃんっ!」
アカン、ルルティナさんの背後にメラメラと燃え立つ不動明王の幻影が見える。
「そんなふざけたことがまかり通ると思いますかッ」
「許さない」
「あ、ちょっと待って!」
ふたりに比べていくらか落ち着きを取り戻していたアスティアが制止するが、頭に血が上ったルルティナとアルティナは止まらない。
ぴょーんとモニュメント飛び越えてオランジェーヌに躍りかかろうとする――。
だが、ふたりはラインを超えた瞬間、ぼふっと真っ白な煙に包まれた。
とってもとっても嫌な予感だーっ。
「え、マジ?」
その場のときが止まったような気がした。
ルルティナとアルティナはライムグリーンが鮮やかなカエルに変化すると、モニュメントの上に乗っかって悲しげにケロケロと鳴き出したのだ。
オランジェーヌは楽しげにほほほと高笑いをすると勝ち誇った表情でいった。
「これでお姉さんが本気だってことがわかったかしら? 追うのは無駄だからこれでサヨナラってことよ。じゃーねー」
モニュメント同士が共鳴するように異様な音を響かせ唸っている。
俺にできるのは、もはや異常な速度で走るオランジェーヌから転げ落ちないように腐心することだけだった。
理解のできぬ展開が続いている。
俺は攫われた。
か弱き乙女のようにだ。
このヴァリアント最強を誇るシロクマが。
落ちたもんだよ、まったく。
「ねーえ、クマキチ。黙ってないでお姉さんとお話ししようよ」
俺を連れ去った沼地の魔女は、森の奥深くに小さな小屋を構えていた。
沼地の二つ名を持つほどだからさぞジメジメした場所に住んでいるかと思いきや。
この森は雪も積もらず冬とはいえヴァリアントと違って中々に快適だ。
オランジェーヌが日常的に使用していると思われる住処はこざっぱりした手入れの行き届いたもので、想像してたような陰鬱さはどこにもなく、むしろ陽の気を備えていた。
「なにが目的なんだ?」
「あ、お茶しようよ。クマキチはジャムさんたっぷり塗ったクッキーとはちみつさんのとどっちが好みかな?」
「……はちみつ。じゃなくてだな。そもそも質問を質問で返すなぁ!」
「怒鳴んないでよう。お姉さんはクマキチと仲よくしたいだけだよう」
オランジェーヌは自分の耳を両手で塞ぐと目をつぶってかぶりを振った。
ぬう、カワイイ。
じゃなくてだな。
今現在、この俺は小屋の庭に設えた木製のテーブルの上で魔女に見張られていた。
この状況では簡単に逃げられそうもない。
いや、ここはひとつじっくり腰を据えて本来の目的を果たしたほうが効率的ではないのだろうか?
「わかった。アンタが俺を攫ったこともルルティナたちをカエルにしたこともまずは許そう。だから、ひとつだけ話をする前にお願いしたことがあるのだが、いいか?」
「いいよー。お姉さん、クマキチのお話聞いたげる」
「俺は呪いでこんな姿にされてしまったのだ。元に戻せるか?」
「うん。ていうか、もう呪いはとっくに解いてるけどねー」
「ファッ!?」
なんじゃそりゃ!
てか、普通にファッって声が出たわ。
驚きモモンガだぜ。
「あはは。でも、今はお姉さんの魔力でクマキチをちっちゃくしてるけどネッ!」
「やめろや」
それってものすげえ嫌がらせですよ?
物語の根幹を揺るがしかねない魔術の技量に俺は驚きと怒りを覚え吠えた。
「うー怒った。怒らないって約束したでしょ」
してねーよ。
いかん、このまままじゃ魔女のペースに巻き込まれる。
油断ならない女だな。
「わかった、わかった。それじゃあ交渉だ。こっちもタダとはいわん。オランジェーヌ、君の要求を聞こうじゃないか。こちらとしては最大限ご期待に沿えるよう鋭意努力するつもりはある」
「うん。それじゃあひとつだけお願いクマキチ。私とずっと一緒にいて」
「無理」
男と女の間にはどうしても越えがたい川があるのだ。
カエルに変化したルルティナは激しく混乱していた。
クマキチを救おうと勇んで突進したはいいがなぜか視線が極端に低くなっている。
(あ、あれ? 私も、もしかしてちっちゃくなってるとか?)
すでに魔女はクマキチを虜にして遥か彼方に逃走している。
ここはひとつ、一旦戻って仲間たちと合流し善後策を練らなければ。
(それにしても、私ってこんなにぴょんぴょん軽やかに飛び跳ねたりできたっけ?)
やたらに身体が軽いのだ。
今なら天に届くまで飛んでゆけそうな予感――。
「お、おかしいわ。ちょ、ちょっと休憩」
その場に止まって深呼吸。
「わあっ!」
ふと、自分の手を見ると異様なほど明るい緑に変色しているではないか。
もしや、これも魔女がかけた呪い――。
「ああ、クマキチさま。こんな身体ではあなたに再びどのような顔をしてまみえればよいのでしょうか?」
「姉さま、姉さま」
振り返る。
そこにはイエローグリーンのなんだかどこかで見覚えのあるカエルが自分のことを姉と呼びかけている。
(うーん、これってなんだろ?)
「自分の世界に没入しているところアレなのだが、私たちはカエルにされた」
「は?」
「だから、カエル」
「え?」
「私、とシスター」
「ふ?」
「魔女の呪いでカエルに変化」
「ん?」
イエローグリーンのカエルがなぜだかイラついているように感じ取れる。
目の前のカエルはちょっとだけ首をしゃくるとついて来いというように跳ね出した。
ほどなくして、小さな池のある場所にたどり着く。
――自分の姿を映すとそこにはポップ過ぎる色調に彩られた自分の姿があった。
「え、え、え、ちょ、ちょっと、えええーっ!」
「姉さま遅すぎ」
ルルティナはがっくりと横倒しになると地面に顔をひっつけた。
ああ。
なんだか地面がひやこくて気持ちよい。
なんならこのまま寝入ってしまいそう。
けろけろ。
「ちょ、誰よ! 今、けろけろって鳴いたの?」
「紛うことなき我が姉ルルティナの声である」
「って、その声。もしかしてアルティナなのっ!」
「反応遅すぎ。これじゃあ先行きが云々パート2」
「そんなぁ……これじゃあクマキチさまのお嫁にいけなぁい」
「最初っから行けないから大丈夫」
「……」
「今はそんな戯言で時間を浪費している暇はないと思う」
「そうね。それじゃ、とりあえずみんなのところに戻って」
「姉さんはこの姿をみなにまじまじと見られて平気なの?」
「う……」
「私はいや。少なくともウェアウルフの誇りがそれを許さない」
「わ、わーたしだってねぇ、あなたにいわれなくても、ちゃんと恥という概念が」
「ともかく、このまま魔女を追尾し、クマキチさまの居所を探り当てた上で堂々と凱旋すればいい。そうでなければ、ロビオラに一歩も二歩も譲ることになる」
「くううっ。グサッと来ることばかりいう子ね、まったく。よしっ。切り替える。ううん、もう切り替えた。ここはひとつ彼女たちを出し抜いて、私たちがもっともクマキチさまに役立つ存在ということを知らしめてあげようじゃない!」
「ん、その前に」
「なによ」
「振り向かずに心を落ち着かせて聞いて欲しい」
「だーかーら。お姉ちゃん回りくどいの好きじゃないわよ」
「――まずはこの場から生きて逃げ出してからクマキチさまを救わないと」
ルルティナたちが魔女を追った先はパールランドで有数の沼沢地帯である。
鬱蒼とした森と、乾季でも豊富な水量を保った沼地と川とが混在する場所だ。
そして、そのような場所は虫や小動物が大量に生息し、よってそれらをエサとする生きものも大量に生息している。
ゆっくりと背後を振り向く。
「あ、あわわ」
丈の有る草と沼に包まれた池の周囲には、無論、カエルを好物とする蛇も存在するのが道理であった。
シャーッ、と威嚇音を鳴らして今のルルティナから見れば巨大な蛇が鎌首をもたげて自分たちを狙っていた。
「きゃああっ」
シュッと素早く大口を開き突っ込んで来た。
ルルティナは必死で飛び跳ねる。
それから無我夢中でまずはこの生存競争を生き残るために力を尽くさなければならないと、固く心に誓うのだった。




