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105「白の女王」

 神殿の内部は広々として冷たかった。


 遥か彼方には石造りの祭壇のようなものがあり、その背後にオベリスクが立っている。


 おそらくはあれが白の女王を封じたというモニュメントなのだろう。


 朽ちかけた神殿の天井は吹き抜けであり大空洞全体に生えたヒカリゴケが淡く明滅しているので、思った以上に明るかった。


 リリティナは泣きそうな表情でふたりの男に両脇を抱えられていた。


 ギャスパルは倒れている石柱の塊に腰かけると悠然と口笛を吹いている。


 その背後には神殿の中で待機していた男たちが五人ほど扇状に広がり、俺の存在を警戒していた。


 これでギャスパル一味の底はついた、というところか。


「なあ、クマキチ。そういう物騒な顔つきはやめようじゃないか。おれたちは話し合える。交渉によってお互いがもっとも得をする妥協点を見出そうじゃないか」


「リリティナを放せ。それから黙って森から出てゆき、今後二度と俺たちに近づかないというなら、命だけは助けてやる」


「なーんで、それほどまでにあのウェアウルフの娘をかばう必要がある。よし。おれも男だ。なにが得でなにが損かは、よく心得ている。おれたちがやることを黙認してもらえるのであれば、賞金の半分をアンタにやろうじゃないか?」


「親分――そりゃあないですぜ!」


 リリティナの腕をつかんでいた赤毛の男が泣き喚く。

 けれどギャスパルはただのひと睨みで黙らせた。


「断る。金がどうこうって問題じゃない」


「――なぜだ? おれが以前会ったエルムはロムレス金貨の力をよっく知っていた。アンタも金さえあれば、こんな不便な森に引っ込んでいることはない。半額でも一〇〇〇万ポンドルだ。先の戦争でからっけつになったロムレス貴族からこの森の何倍もの広さの土地をわずかな金で買い叩くことは不可能じゃない。亜人娘なんぞ奴隷商から何ダースもまとめて新しいものが飼える? 知ってるか? 今現在の女奴隷の相場はガタ落ちだ。以前は一万ポンドルで売っていた女が一〇〇〇でも買い手がつかねぇほど余ってる」


「そういう問題じゃないんだ」


「違う、クマキチ。アンタは自分に嘘をついている。あと、数か月もすれば春が来る。繁殖期だ。そうなればエルムは自分を抑えることができない。ルルティナのような小娘とここにいるリリティナだけじゃアンタはいずれ正気を保てなくなる」


「……」


 妙だな。

 コイツ、なぜいまさらこんな話をし出すんだ。

 意図が読めない。


 ――そう思って再び周囲の状況を探るべく視線を巡らせたとき、モニュメントの後方でもぞもぞやってる不思議な野郎どもを発見した。


「なにをやっているんですかっ。精霊が眠る墓所を荒らして、不敬な!」


 リリティナも男たちの行動に気づいて叫ぶ。


「悪いな。おれが冒険者になったのは、普通じゃ見られないものをこの目で誰よりも多く確かめたかったからだ。それにまだまだ人生を楽しみたい。そのためには、是が非でも金が必要だ。いや、それだけじゃない。根本的におれは負けることが嫌いなんだよ」


 どこに潜んでいたのだろうか。


 顔中に不思議な入れ墨を入れた三人の男たちが巨大な木槌でモニュメントをガンガンぶっ叩いている。


 なんか、マズくないか?


 俺の中にある野生センサーが今現在の状況のヤバさを脳天に直で伝えて来る。


「さあ、この墓所に封じられたものが吉と出るか、凶と出るか。おれとおまえの運比べだ。クマキチよ」


 ギャスパルがいうが早いか――。


 みしみし


 と巨大な石塔に亀裂が入って、やがて音を立てて崩れ落ちた。


「なんという愚かなことを」


 リリティナの声がやけに大きく聞こえる。


 彼女の腕を確保していた男たちがうろたえるのがわかった。


 ほぼ同時に耳をつんざくようなハウリングが石塔の瓦礫から木霊した。


 キーンという甲高い音が世界を支配する。


 モニュメントを破壊した三人の入れ墨男たちが慌ててその場を離れてゆく。


 実に奇怪で生理的嫌悪感を催す音だ。

 苦しみはそれほど続かなかった。

 ハウリングが一瞬にして止まった。

 いきなり訪れた無音の世界に全員がとまどう。


 俺を含むこの場すべての人間がジッと息を潜めて次のアクションを待つ。


 ゾワッと背中の毛が逆立つ。


「来るぞ――!」


 いうが早いか砕け落ちた瓦礫の中から物凄い突風が巻き起こった。


 吹雪だ。


 先ほどまで外部とは違って生暖かさすらあった空気が一瞬で凍てついた。


 吹きつけて来る冷気で前が見えない。

 クソ、このままじゃカチコチンの氷ノ介だ。


「どけっ!」


 俺は隙を衝いてリリティナを確保していた男をどつくと前に出た。


「クマキチさま……」


 ゆら、と白い影が宙に浮かんでいる。


 若い女性のカタチをした存在がこの場にいるすべての人間を拒絶する冷気を放出しながら荒れ狂っていた。


 コイツが白の女王か。


 真っ白な肌は艶やかであり顔貌は整っているが触れてみたいとは絶対に思えない。


 どこまでも異質。


 素早くリリティナを小脇に抱え込んで身体を斜めにし、巻き起こる突風から守った。


 白の女王は目元からとめどなく涙を流しながらも口元には微笑が張りついている。


「逃げ、ましょう。これはこの世にあってはならぬ存在です」


 リリティナのいいたいことはわかるが、相手があまりに規格外過ぎる。


 俺の毛皮は少々の寒気ではびくともしない堅牢さを誇るが、白の女王の前では素肌を晒しているかのように骨という骨が軋みはじめていた。


 白の女王が片手を上げると神殿内に突風が巻き起こった。


 俺は右腕で顔をガードしながら、モニュメントを破壊していた入れ墨の男たちが一瞬で凍りつくのを見て全身の毛がそそり立った。


 木槌を振り上げたまま男たちは真っ白に凍結していた。


「コココ族のやつらがッ」



 赤毛の男が悲鳴を上げると同時に入れ墨の男たちは固い破裂音とともにシャーベット状になって粉々に砕け散る。


 キラキラと氷の結晶が虚空に舞って雪のようにゆっくりと床へと落ちてゆく。


 ギャスパルはなにがおかしいのか身体をくの字に折って笑い声を上げていた。


 この野郎。


 とんでもねぇ怪物の封印を解いちまってこれからどうするんだよっ。


「冗談じゃねぇ!」

「やってられっかよ!」

「命あっての物種だ!」


 戦意を喪失したギャスパルの部下たちが武器を放り投げて逃げ出した。


 にたり、と白の女王の口元が吊り上がる。


 が、その背中へと白の女王が放った巨大な氷柱が狙い違わず突き立った。


「お、お、あえ……?」


 奇妙な呻き声を上げながら男たちは氷柱によって床へと縫い留められている。


 箱にピンで留められた昆虫のようだ。


 男たちの背から胸元を貫いた氷柱の矢は瞬く間に真っ赤に染まった。


「ひ、ひひぃ……」


 脇をすり抜けて逃げようとした部下のひとりをギャスパルがこん棒で打ち据えた。


 頭の鉢を割られた男は吹っ飛んで石の床に突っ伏した。


「誰が逃げていいっていったんだ?」


 ギャスパルに威圧された部下のうちふたりが破れかぶれで立ち向かってゆく。


 けれど、白の女王に近づくことはかなわない。

 冷気の風で凍らせられその場で粉微塵になった。


 こうなったらギャスパルの意図なんかどうだっていい。


 とにもかくにも白の女王を撃破して生きてこの神殿を出なければ。


 覚悟が定まれば気持ちも落ち着いた。

 チラと視線を走らす。


 ギャスパルは柱に寄りかかったままこん棒を下ろして完全に観戦モードである。


 逃げる気も自らが白の女王と戦う気もないようだ。

 俺ひとりでやるしかないな。

 両足をスッと開いて大きく息を吸い込む。


「うしっ」


 パンパンと手のひらで両頬を叩き気合を入れ直すと神殿中央部に躍り出た。


 白の女王と対峙する。

 醒めた色のない瞳が俺を見つめている。

 身体を反らして咆哮を放った。


 いきなり白の女王の右手が上がったかと思うと吹雪が吹きつけてきた。


「だああっ」


 身体の中心部に溶鉱炉のイメージ。


 俺は全身に通っている血を沸騰させながら振りかぶった右拳を叩きつけた。


 が、拳は固い感触とともに弾き返された。

 くるりと宙で回転して後方に下がる。

 瞬間的に白の女王は前面にバリアを張ったのだ。


 地上から三メートルくらいの高さに浮いている白の女王。


 彼女の前面には円形状の膜が張り巡らされていた。

 打撃を遮るため咄嗟に形成した氷のバリアだ。

 んむむ。殴った部分がむず痒いぞ。


「ぐああっ、凍った」


 俺は拳に張りついた氷をパリパリ剥がしながら白の女王を凝視する。


 厄介だな。


 とにかく俺は遠距離攻撃の手段がないので近づいての物理攻撃がメインだ。


 どうすればいいんだと攻めあぐねていると、白の女王はサッと右手を水平に伸ばして宙に幾つもの氷の球を作り出した。


 瞬間的に走り出す。

 野生の本能というやつだ。


 思った通り白の女王は宙に浮かべた氷の球を俺に向かって撃ち出して来た。


 駆けながらギリギリでかわす。


 ボーリングの玉程度の大きさであるが一発一発に相当な威力があるのか――。


 氷の球が撃ち込まれた床は凄まじい音を響かせて凹んでゆく。


 俺は顔に降りかかる細かな氷のシャーベットに顔をしかめながらとにかく走った。


 動きを止めてしまえば狙い撃ちにされる。


 俺は白の女王の周りをぐるぐると回りながら反撃の機会を窺った。


 徐々にスピードを上げてゆく。

 白の女王は和服に似たよう袖のある着物を着ている。


 時折、素早く腕を動かして射出の方向を修正しているようであるが俺の動きが勝った。


 今だ!


 さすがの彼女も連続で氷の球を作るのは間に合わなくなったのか。


 空に浮かんだ残弾はゼロだ。

 そして彼女の作った氷のバリアは前にしかない。


 上手く右側に回り込んだ。

 地を蹴って跳んだ。

 しならせた右腕を素早く叩き込む。


 が、白の女王は俺の攻撃を先読みしていたのか、視線は前を見つめたまま右腕を伸ばして腕をガッチリと掴んだ。


 ぐああ。


 女性とは思えない握力だ。


「や、やばっ」


 瞬く間に掴まれた俺の右腕が真っ白に凍結してゆく。


 瞬間的に右腕の感覚がなくなり、心臓が鷲掴みにされたようにギュッと縮まる。


 やられてたまるか。


 苦し紛れに俺は身体をよじると彼女の二の腕にがぶちょと思い切り咬みついた。


 これにはさしもの白の女王もびっくりしたのか驚いて腕を放してくれた。


 右足から着地して息を大きく吐き出す。


 宙にいる白の女王の右腕から勢いよく血が滴っているのがわかった。


 はじめて彼女の表情から微笑みが消えた。


 白の女王は忌々しそうに俺を見下ろすと、今度は無傷な左手で天井を指差した。


 ここは広大な地下の大空洞だ。


 視線を上げると明滅していた苔が覆っていた天井が真っ白な霜に覆われはじめる。


 やがて白の女王の秘術で真っ白に凍った天井には無数のつららが続々と育っていった。


「マジかよ」


 彼女の戦法が読めた。


「リリティナ、もっと遠くに離れてろ!」


 俺が叫ぶとと同時に天井に育ったつららが意志を持ったかのように次々と落下し出した。


 神殿内は朽ちかけており、天井壁のほとんどが崩れ落ちている。


 当然のことながら、俺は落ち来る無数のつららを必死こいてよけ続ける破目となった。


 天然の航空爆撃だ。


 人間ほどもある巨大なつららは吹き抜けの部分を駆け抜けてあちこちに突き刺さる。


 ジグザグに駆けながら頭上からの攻撃をかわし続ける。


「げ」


 が、それを見逃す白の女王ではなかった。


 彼女は両手を差し伸ばすようにして俺に向かって無数の氷の矢を撃って来た。


 傘くらいの太さと大きさであるが、これほどの近距離ではさすがによけにくい。


 二、三本モロに腹に食らって俺はたたらを踏んだ。

 があっ、さすがにコイツは効くぜ。

 キリキリと内臓が軋む。


 俺は落ちている大きめの瓦礫の破片を掴み上げると盾にして攻撃を防いだ。


 盾は前面で氷の矢を防ぐよりも斜めに傾けたほうが弾きやすい。


 ジリジリとすり足で距離を詰めながら反撃に出る。


「やっ」


 手にしていた瓦礫の盾をフリスビーのようにして投げつけた。


 俺の剛力で放り投げられた瓦礫の盾は彼女の頬をかすめて飛んで行く。


 投げつけ攻撃をかわして油断したのか白の女王は俺を蔑んでニッと笑みを浮かべる。


 ほぼ同時に、後方の柱にぶつかって弾けた瓦礫の散弾が彼女の無防備な背面を襲った。


 ここだ。

 氷のバリアは前面にしかない。


 俺は大きく跳躍すると背面からの打撃で薄くなった氷の膜を左ジャブで打ち砕いた。


 で、右だ!


 防備が解けた白の女王の腹筋を思うさま打ち抜いた。


 ただの人間であれば俺の抜き手は背中まで刺し貫いていただろうが、やはり彼女は人間ではなかった。


 後方に吹っ飛んで壁面に身体を打ちつけると、たいして時間もかけずによろよろと起き上がった。


 手ごたえはある。


 この世界に転生して騎士やモンスターとは戦ったが精霊相手はさすがにはじめてだ。


 必殺の物理が効かなかったらどうしようかと思ったが。


 とりあえずやれなくもないぜ。



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