104「ドワーフの事情」
コイツがギャスパル。
今回のウェアウルフ狩りの首謀者か。
もっとも、その名前も意義も俺の前にはあまり意味がない。
今すぐにでもこの男を地上から消してすべてを終わらせるのだから。
「おおッと。いきなり暴力とはマズいんじゃないかなぁ。君はこの森の守護神と呼ばれているエルムで間違いなよな?」
「そんなことはどうだっていいだろ。なにか勘違いしているようだが、おまえはこの場で俺にボコボコにされて泣きべそかいて森を出ていく。ただそれだけの存在に過ぎない」
「ボコボコかぁ。おれはボコボコにするのは好きなんだが、されるのはちょっとなぁ」
ギャスパルは丈夫そうなこん棒で地面をグリグリやりながら、ゆっくりと白の神殿の正面階段を下りて来る。
「ずいぶんと気に入ってるみたいだな、その棒っきれ」
「ああ、これ? コイツは、実に便利でね。特におれのいうことを聞かないワガママな坊ちゃん嬢ちゃんをしつけるのには、特に、イイ!」
威嚇かどうかは知らないがギャスパルは構えたこん棒をフルスイングして足元の階段に叩きつける。
凄い音が鳴って石くれが飛び散った。
まあ、人間相手ならその脅しは通用するだろうが――。
シロクマである俺に効くはずがないじゃんか!
俺はすたすたとすぐそばに立っている朽ちかけた石塔に歩み寄ると抱きついた。
「ふんぬぬう」
両腕に全力を込めて両足を突っ張り気張った。
みしみしみし
異様な音が鳴り響いてひと抱えもある石塔は粉々に砕け散った。
振り向いて手のひらを曲げながら挑発のコイコイをする。
「君の力自慢には参ったよ。いいものを見せてもらったお返しをせにゃあならないな」
ギャスパルが口笛を吹き鳴らすと、正面階段からふたつの影が俺のよく知る人物を両脇から抱えながら下りて来る。
「クマキチさまぁ……」
そこには弱々しく微笑むリリティナの姿があった。
「おまえ……ッ!」
「ちょーっと待った。落ち着いて話し合おうじゃないか、クマキチぃ。いいかあ。おれたちは言葉が通じる。ってことは交渉の余地は互いにあるはずだが。ここまではいいか?」
怒りをこらえながら俺は自分の心臓に手を当てすうはあと深呼吸をする。
「そうそう、リラーックス。リラックスだぁあ、クマキチ。おれたちはいがみ合うだけの存在ではない。そのような存在ではつまらない。だろ?」
片眉を上げていかめしい顔をコミカルに見せようとするギャスパルの横っ面を思いっきり引っ叩けばさぞや気分がいいだろう。
いいだろうが、この状況じゃあこらえるしかないだろーがっ。
「ひひひ、おしまいだなぁ? あ? このエルム野郎。俺らに逆らったのがそもそもの間違いってやつよ!」
「ああんっ」
赤毛の男がいやらしい目つきでリリティナの三つ編みを引いたとき、目の前が真っ白になった。
グッと両拳を握り締める。
怒りでなにもかもがわからなくなってしまいそうだ。
苦しい。
自分の中の獣を抑え込むのがこんなにも苦しいだなんて。
「ギャスパル……」
俺の異様な雰囲気を感じ取ったのか、ギャスパルはすぐさま階段をたったか上ると手にしたこん棒を赤毛の鼻先に突きつけた。
「レックス。次に余計なことをすれば、おまえの鼻を叩き潰す。いいな」
「ひっ。そ、そんなっ」
ギャスパルは素早くこん棒を頭上に振り上げる。
わずかに先端がかすっていたのか、赤毛の鼻先から真っ赤な血がドッと噴き出した。
「手を放すな。おまえはおれの言葉をまともに聞けんクソ以下なのか?」
「は、はひいいいっ!」
「やかましい。それじゃあ、クマキチ。狭いところだが上がってくれ。我が家のリビングというわけにはいかないがな」
俺は怒りをこらえながら囚われのリリティナの背をジッと見つめ、階段を上ってゆく。
飛び掛かるタイミングを必死に探る。
が、さすがに海千山千の賞金稼ぎだ。
ギャスパルはいつでも子分を犠牲にしてリリティナに危害を加えることができる絶妙な立ち位置で移動を続けている。
無理はできない。
俺が第一に望むのは敵の完全撃破ではない。
リリティナをはじめとした我が家族の安全だ。
異様なまでの喉のひりつきに、俺はギャスパルに対して今まで戦った敵には感じたことのなかった異様さに消耗していた。
その任務を必ずまっとうすると胸に誓って出陣したのはなんだったのか――。
ロムレス歴一一五一年、夏。
ロムレス王国の王位継承権を争ってオクタヴィア王女率いる国軍とギディオン王太子率いる大諸侯連合軍の双方一〇〇万を超える軍勢が国内の各地で激戦を繰り広げていた。
ヴィオレットの父であるアンドリュー伯は、諸侯の中で唯一、王女派として開戦直後から旗幟を鮮明にしていたが、圧倒的に兵力が少ないロムレス国軍は苦戦を強いられていた。
まだ幼く、なんら経験のないヴィオレットはバルテルミー家の貴重な旗頭のひとつであったが、さすがに実践に出されることはなく、後方で平坦任務を請け負っていた。
(この戦いが、バルテルミー家の、いや、国の歴史そのものを左右するのだ)
すぐれたふたりの姉に比べてなんら誇るものがない――。
そう思い込んでいたヴィオレットはなによりも証を必要としていた。
「後方の陣地とはいえ、ここには一〇万の兵がいる。これだけの数を遊ばせておくなど、戦略上ありえないっ」
むふーッと鼻息荒くヴィオレットは毎夜毎夜ベッドの中で、自分が勇ましく兵団を率いて前線で苦戦する姉たちを助ける夢を見続けていた。
(ここで私がぱぱっと白馬に乗って姉上たちを格好よく助けてあげるんだっ)
悲しいことにそれらは現実となった。
余計なことをしないようにと、姉たちが見張りの意味を込めてつけておいた軍監が季節外れの夏風邪にかかったのだ。
(ときは来た。今こそ、私が、私の、ヴィオレット・ド・バルテルミーの名を歴史に轟かすときがきたのだっ!)
そして、運命の瞬間がやって来る。
前線から食料補給の命令が通達されたのだ。
ヴィオレットは喜び勇んで自ら一軍を指揮して任に当たったが、これは王太子軍の陽動であり、隙を衝かれた補給基地は騎兵によって壊滅した。
これにより退却を余儀なくされた王女率いる国軍は、敵の追撃によって目に余る被害を被ったのであった。
実戦経験のないヴィオレットが総大将。
しかも運が悪いことに、最初の激突で幕僚のほとんどを討ち取られたヴィオレットは陣を立て直すことなど不可能であった。
姉たちは、このときばかりは親身になってヴィオレットを慰めたが、彼女にとってそれは徹底的に無能を責められるよりも苦しいことであった。
結果だけを見れば王女派の国軍は勝利を手にするのであるが、この一戦のトラウマはヴィオレットにおける人生をほぼ決定づけた。
――おまえに騎士の資格はない。
――いいや。
――おまえの存在に意味はない。
漂泊の騎士を名乗っていてもなんのことはない。
ヴィオレットには帰る場所などどこにもなかったのだ。
「――聞いているの、ヴィオレット?」
意識がわずかに飛んでいたのであろうか。
気づけば目の前には心配そうに自分の肩を揺するルルティナの姿があった。
ゴワゴワとした固い獣の毛と独特の臭気が輪郭を強めてゆく。
(そうだ。ここは森で、私たちは)
ヴィオレットは、とりあえず落ち着いて話をするためにバリスの猟犬であるパーシェルに背負われ森の中を移動していた。
「怪我、大丈夫?」
「ん、ああ。問題ない」
バリスの塗った膏薬がよく効いたのか血は止まっていたが、鈍い痛みは消えることなくズキズキと腹を刺すように響く。
「無理はしねぇことで。あっしの薬は効きはじめに痛みが消えやすが、そのうちぶり返しやす。せいぜい、身体を動かさねぇことで」
「……とはいっても、降りかかる火の粉は払わねばならない」
うつ伏せになったまま強がって手のひらを開いたり閉じたりする。
まったく力が入らないのだ。
(だめ、泣きそう)
クマキチに散々騎士であることの意味を吹聴しておいて、この体たらくはどうだとヴィオレットは唇を強く噛む。
おまけに、未だ敵か味方か判明はしていないが、剽悍なドワーフの戦士がそばにいることで安堵している自分のなんにでも縋りつくような甘さが心底情けなかった。
「それで、バリスさん。私たちにお話ってなんでしょうか?」
ルルティナが予想以上に力強い声を出したことにヴィオレットは内心驚いていた。
「時間が惜しいんで単刀直入に聞きやす。ウェアウルフのお嬢さん。森の中で、白の女王を祀ってある神殿への入り口を教えていただきてぇんで」
「なぜ、ドワーフのあなたがそれを? いえ、ご先祖さまの伝説自体は有名なものですから、誰が知っていてもおかしくはないのですが」
「ご先祖さまでございやすか」
バリスがかすかに笑みを唇に浮かべると、ルルティナがムッとした顔をした。
「なにがおかしいのですか! 私たちウェアウルフの英雄カジムントさまの偉業を馬鹿にすることは許しませんよ!」
「いいや、気を悪くしたら許していただきてぇ。なにせ、こっちは三〇年ぶりにこの森に足を踏み入れるんで。記憶があやふやなのをお嬢さんの話で保管してぇんで」
「? なにをいっているのですか。それではあなたがまるで伝説の当事者みたいじゃないですか。そもそも、白の女王の伝説ははるか、むかーし昔の……」
「お嬢さん。そのお話はお父上に聞いたんでやすか?」
「そうですよ! 私の亡き父はベルベーラ族の族長でした」
「なら、そのお話をもっと年配の親族からは聞いたことがありやすか?」
「え、ええ? いいえ、ないです。あ、でも、一度お祖父さまにお聞きしたとき、すごく困ったような顔をされていましたけど」
「その話、それほど古い話じゃねぇんで」
「え、え? どどど、どういうことですか?」
ルルティナがうろたえて目を白黒させた。
「聞いても楽しい話じゃございやせんが、あっしも腹を割って話さにゃお嬢さん方も得心がいかねぇでやしょう……」
バリスが彫りの深い顔を歪めて苦笑のようなものを漏らす。
「特に珍しくもねぇ、よくある話で。人嫌いの若造は猟だけにゃ自信があって、仲間内でつまらねぇ賭けをした。そいつがまたくだらねぇ。森の奥に住むバケモノを仕留められりゃ、仲間内で幅が利かせられるって。若造の狩人は確かに腕はよかったが、たったひとつ欠点がありやした。ことさら女にゃ弱いってトコで。おまけにバケモノとされてたのは、滅法美人な精霊だったんで。さらにおかしなことに、どこをどう間違ったか、若造はその精霊に惚れられちまった。若造はガキの頃から誰にも好かれず、どうにもこうにも、その女のことが信じられなくて、ついには逃げ出しちまった。今思えば、若造は、その女が顔を歪めて死んだオフクロみたく自分を怒鳴りつける日が来るかもしれないことが耐え切れなかったんでやしょうよ。
若造に逃げられた精霊の女はおかしくなっちまいやして。ついにはこの森の地主であったウェアウルフの族長は、昔から森に住んでたエルフと協力して、そのなんの罪もない女を封じようとしやした。よせばいいのに若造はのこのこと戻って来て、女を助けるためにウェアウルフの一族とやり合ってかなりの人数を傷つけた。若造は森に出入りを禁じられ、幸か不幸か、ウェアウルフの一族が没落したことを聞いて、遠方の国から戻って来たって寸法で……」
「待ってください! それじゃああなたがその伝説の狩人――じゃあ、私のご先祖さまの功績はどういうことなのですか?」
「夢を壊すのはどうにも気が進みやせんが、白の女王と呼ばれるアレとやり合えたのはあのエルフの女魔術師だけで」
「でも、お父さまは白の女王を封じたのはカジムントさまであったと――」
「真実は口先でいくらでも変えることができるもんで」
「だとしても、その話、本当はいつのことだったのでしょうか」
「そうでやすね。かれこれ三〇年ほど前になりやすか。あっしもずいぶんと年を取りやした。あの世に行く前に、どうにも、一度なりとも詫びを入れにゃあ死んでも死にきれねえと思いやしてね」
ルルティナとバリスの間に細かい質疑応答が続いたのち――。
特に疑う余地がないということもあって、ルルティナは白の女王を封じた神殿までの行き方をバリスに教えた。
――誰にでも人生に後悔のひとつやふたつはある。
相棒の猟犬と風のように去っていったバリスの姿を見送ったあと、ヴィオレットは底のない喪失感に襲われた。
あのように武骨そのものとしか見えない男ですら、過去に恋い焦がれた女のことで冷え切ったはずの血を熱く燃えたぎらせることができるのだ。
「ん、んしょ。ヴィオレット。ほら、ちゃんと奥までゆかないと。そこでは敵に気づかれるかもしれないわ」
ルルティナに肩を抱かれながら、古木の木の洞に隠れた。
やけに寒さがきつくなったように思える。
(少し休んだら、ほかのみんなを探しに行こう)
体力はかなり消耗していたが気力はまだ残っていた。
「静かに」
耳元でルルティナがささやく。
ウェアウルフであるルルティナの聴覚にヴィオレットは遠く及ばない。
しばらくすると、ヴィオレットの耳にも届く大きさの足音が近づいて来た。
飛び出して行って斬り合うか――。
判断がつかない。
この状況。
ひとりきりであるならば、どうにでもなれと自棄になって斬り込んでゆくこともできただろうが、そばにいるやけにあたたかいルルティナの存在がそれを押しとどめた。
ふたりはいつの間にか寄り添って抱き合っていた。
「行ったみたい」
ルルティナが犬耳をぴくぴく動かしてつぶやく。
満足な受け答えもできない。
自分で思った以上に疲弊しているようであった。
(血が流れ過ぎたのだろうか?)
ふと気づくとルルティナがジッと自分を見つめている。
ハッと気づいて頬に手をやると濡れていた。
声を上げることもできず目をつむるとルルティナが覆いかぶさって来る。
ヴィオレットはルルティナに抱きつくと、唇を強く噛んだまま静かなゆらぎに自分の身を委ねた。




