102「逃走劇」
「で、白の伝説たぁ実際のところなんなんだ」
賞金稼ぎのギャスパルは足元の雪をこん棒でかき回しながら不機嫌そうに訊ねた。
「へぇ。それが、森に伝わる古い伝説で。土地のもんにいわせると、なんでもかんでも凍らせちまう冬の精霊のことだそうで。それで案内人のコココ族がいうにゃあ、この石碑の近くに白の女王が封印されたいわれる古い神殿があるそうなんで」
コココ族はヴァリアントの森近くに住む原住民である。
目敏いギャスパルはウェアウルフ狩りのために、このローブを深く羽織って目だけをギラつかせている案内人たちを頼りに、先行させた副官であるレックスのあとを追ってきたのであった。
「で、結論は」
「ひ。すいやせん親分。どうもウェアウルフの娘たちはこの先にある神殿の中に入っちまったみたいで」
「で、なぜおまえはここにいるんだ」
「へ、それは……」
「なんでこんな結果しか残せないんだ」
ギャスパルはこん棒を雪から引き抜くと無造作にレックスの鼻先へと突きつけた。
鉄環が幾重にも巻かれたこん棒は異様なほどに重い。
それをギャスパルは小枝を振るうようにしてレックスの顔の高さにまで引き上げたのだ。
「聞こえなかったのか? おれはなぜ二〇人ものおれの精鋭を預かっておきながら! 副官のおれがもっとも信頼しているおまえが、たかだか数人の、脅威にならぬ小娘ばかりのウェアウルフの群れを捕獲できずに、こんな醜態を晒しているのかと訊ねているんだ!」
レックスは冷たい雪に尻もちを突きながら、青くなって後ずさるのみである。
背後には、戦闘によって倒された七人もの男が冷たくなって転がっていた。
「す、すいやせん。いきなり、甲冑を着込んだ騎士が現れて……それがものすげぇつぇえ騎士で! ルルティナとかいう小娘も、ちょこまかと。あ、でも、この先の神殿に逃げ込んだ犬っころどもは責任もって、このレックスが必ず捕らえて見せます。親分は、適当なところで身体をあっためていてください!」
「騎士だぁ……?」
ギャスパルは顎に手をやって眉間にシワを寄せ頬を引き攣らせた。
彼の経験上、ウェアウルフなどの亜人を狩っていると、ときどき騎士道精神などを振りかざして邪魔をして来る頭の湯だった馬鹿が少数なりともいることを知っていた。
(今回もそのたぐいか? それにここまで使える剣の腕となると、厄介だ)
「よし、レックス。おまえは残りの男たちを連れて娘を追え」
「は、でも、手配書のルルティナは騎士といっしょに森に逃げていったんで」
「構わん。ウェアウルフってのは一族の誰かひとりを捕えれば確実に奪い返そうとおれたちの前に必ず姿を現す。ようは、生餌を必ず一匹捕まえればいいだけさ」
「へ。親分はさすがに亜人どもの生態を熟知してらっしゃる」
「あたぼうよ。おれっちのメシの種よ」
レックスはゴツい顔を精一杯ゆるめてギャスパルに媚を売った。
「それとな。これから森のそばに待機させてあるA班、B班、C班を呼び寄せる」
「て、ことは、今この森にいる人数と合わせて――」
「五十三人だ。それとコンラッドたちが戻れば六十一人になる」
「大軍勢ってやつですね」
「元々狩りってのは大人数でやるもんだ。それにおれは大人数で騒ぐのが好きだ」
ギャスパルがパンパンと手を叩いて立ち上がった。
「今回の賞金はウェアウルフすべての首を合わせりゃ二〇〇〇万ポンドルはくだらねぇ! そんときは、ここにいるおれさまのかわいーぃ部下であるおめぇらもたっぷり褒美はくれてやる。わかってるか! おれさまはケチ臭ぇことはいわねぇ! ベルベーラ族正統後継者であるルルティナを最初に捕まえたやつには、賞金の半分! あとは、誰でもいい。一番最初に娘の誰かを捕えたやつは、手配書にある賞金すべてをくれてやるっ!」
男たちはワッと歓声を上げてそれぞれの得物を打ち合わせ轟音を立てる。
この約束はある意味レックスたちにとっては懲罰的な意味も込められていた。
彼らは、ギャスパルに命じられた神殿に逃げ込んだ娘を捕えられねば、一番旨味のあるお宝争奪戦には加われないのだ。
ギャスパルは手のひらでこん棒の先端を転がしながら舌舐めずりをする。
妙なリズムで口ずさむ彼の鼻歌だけが不気味に森へと染み込んでいった。
「ん。なんとか逃げ出せたようだな」
ヴィオレットは肩を激しく上下させながら、たっぷりと積もった雪の上に座り込み呼吸を整えていた。
隣には青い顔で震えているルルティナがいる。
(第一段階は成功。あとはクマキチ殿とどうやって合流するか、だ)
「なんとか逃げ出せたじゃないでしょう! なんで、なんで私たちをかばって――」
「大きな声を出すな」
ルルティナの声で痛みがぶり返した。
ヴィオレットは腰の間に刺さった矢に手をかけて「うっ」と呻いた。
「悪い。散々、大口を叩いておいて敵を殲滅できなかった。すまない」
「そんなこと謝っている場合じゃないでしょう。ああ、こんなにも血が……」
ヴィオレットは雪の上に落ちる自分の血の雫を見つめながら、はぁと長めに息を吐き出した。
「けど、あなたの妹御はなんとか逃したぞ。あとは、我らが時間を稼ぐだけだ」
「そういう問題では――」
クマキチから分かれたのち。
ヴィオレットはギャスパル一味と交戦していたルルティナたちを見つけたのち、真っ直ぐに斬り込んで包囲網を突破し、姉妹たちを逃がすことに成功していた。
(もっとも、あの程度の敵に不覚を取るとは無念)
いくらヴィオレットが水準以上の剣の腕を持っていても二〇人もの男たちから姉妹全員を完全に守るのは不可能であった。
「ん? ルルティナが気にしているのはこの矢のことか? こ、こんなものは見た目ほど大した傷ではない。
騎士ならば、矢傷など、日常、茶飯事! だ!」
ヴィオレットは腰に浅く刺さった矢を掴むと気合を入れて無理やり引き抜いた。
ぬろっ、とした感触とともに血が噴き出して手甲を汚す。
「ああっ、ああっ」
「な?」
だが、ヴィオレットの血を見たルルティナは興奮状態に入っているのか声が聞こえていない様子だった。
「とにかく、手当てを――くうう、家にさえ戻ればお薬も包帯もあるのにぃい」
「大袈裟だな」
(痛い、痛い、痛い、痛いーっ!)
――とはいっても痛いものは痛い。
ヴィオレットは別段人よりも我慢強いうわけではない。彼女を突き動かしているのは、今現在、ルルティナが自分のことに集中しているという一点のみであった。
「なんで、こんなことを……そうよ! あなたはロムレスの騎士なのでしょう? あのニンゲンたちにあなたの身分と家格を伝えれば」
「そんなことをすればあの男たちは、私を存分に辱めた上、切り刻んで森に埋めるだろう。ルルティナ、このような場所では騎士といえど、やつらにとって私は脂の乗った肉でしかない。捕まれば調理されて食われるだけだ」
「そんな……」
「第一、私はもうやつらの仲間を何人も斬っているからな」
血が止まらない。
ヴィオレットは寒気と忍び寄る恐怖のために歯の根が徐々に合わないほどカチカチと勝手に鳴り出したことに気づき、素早く口元を手のひらで押さえつけた。
(落ち着け。今まで嫌というほど見送って来た。今度は私の番が来ただけだ)
耳を澄ませると、遠くから男たちの怒声が響き渡って来た。
かなり距離が離れているはずであるが、ヴィオレットは無意識のうちにルルティナと抱き合っていた。
しばらくすると、声は遠ざかってゆく。
人肌を得て落ち着きを取り戻せた。
ヴィオレットはそっとルルティナを抱く両腕から力をゆるめ、眉をしかめた。
「みなは逃げきれたのかな」
「おそらく。白の神殿に逃げるよう伝えたので」
「白の神殿――ああ、あのおとぎ話のか?」
「おとぎ話じゃありませんよ。白の女王を封じた神殿は森の地下にあるのです。石碑にはそのことがウェアウルフの詩に暗号として隠されていましたから」
「――その話の続きを詳しく聞かせてもらいやしょうか」
声は、頭上から降って来た。
無警戒にお喋りに興じていたのだ。
ヴィオレットが視線を上に向けるよりも早く、それは降って来た。
男は肉の締まったドワーフ族であった。
種族が違い過ぎるために正確な年齢は読み取れないが、声質や油断のない目配りから若くはないことだけハッキリわかった。
ルルティナが短剣を抜いて背後で構えている。
(この男も追手なのか?)
自然に考えればそれが正解だろう。
幸いにも目の前の男は腰に挿した手斧をそのままにしている。
このままならば、なんとか切り抜けられるとヴィオレットが計算した途端に、目の前の雪が突如として盛り上がった。
それは真っ黒な毛をした猟犬だった。
牡牛ほどの巨体に全身から満ち溢れる生命力は並大抵なものではない。ヴィオレットの背後ではルルティナがしっぽを逆立ててうーっと威嚇の唸り声を上げているが猟犬は意にも介さずその場に立っている。
(ロムレスベルガー。それも軍用改良種か……)
後方任務ではあるが、王位継承戦争に従軍したヴィオレットはこの種類の軍犬を部隊が偵察に使っていたことを、よく知っていた。
このロムレスベルガーは甲冑を着込んだ騎士すら鎧ごと噛み砕く強靭な牙と顎を持っている。
自らを鼓舞してよろよろと立ち上がる。腰のあたりに矢を受けたせいで、自分でもなんともおぼつかない足取りだ。
「ルルティナ。私がなんとか時間を稼ぐから、少しでも遠くに――」
「あなたは怪我をしているじゃないですか! それに私は誇りあるウェアウルフの名に懸けて命の恩人を捨てて逃げることなど絶対にできませんっ!」
「なにか、勘違いしておりやせんか」
「は?」
ドワーフの声はこの場にそぐわないほど落ち着いたものであった。
「く、来るなっ!」
ついつい叫んでしまう。ヴィオレットが恐怖に怯えるのも仕方ない。ドワーフは目の前に突きつけられた刃など見えてもいないようにするすると雪の上を歩いて近づてい来る。
「ひっ。やめろ! えっちなことするつもりだろ! 怪我をしてロクに動けない私たちを、思うさま嬲って卑猥な言葉を強引にいわせるつもりだろ!」
「そそそ、そんなことをされるくらいなら、私はクマキチさまのために舌を噛んで死にますからねっ」
「安心してくだせぇ。あっしはあいつが眠る森で断じて娘っ子にゃ手ェ出しやせんよ」
「は、え、は?」
戸惑うヴィオレットを無視するようにドワーフはその場に片膝を着くと、傷口に手を伸ばして来た。
そうでなくても見ず知らずの男に肌を任せるわけにはいかない。ヴィオレットは脅し半分、手にしたワールドエンドをドワーフに近づける。
刃はぶすりとドワーフの肩口に食い込んでゆく。
「やめろ!」
唸り出した猟犬を制するように叫ぶが、ドワーフはそれ以外、身じろぎひとつすることなく刃を受けたまま視線だけを合わせて来た。
「うっ」
その悪意のなさにヴィオレットはたじろいでしまう。
「あっしはドワーフのバリスと申しやす。お嬢さん。あっしはなんらおめえさんたちに悪意はござんせん。ひとつ信じていただけやせんか」
返事をするよりも早くドワーフは手を伸ばすと腰袋から布切れと貝殻を取り出し、ヴィオレットの処置をはじめた。
「失礼致しやす」
バリスはひとこと断ると、傷口回りをナイフで切り取り患部を露にした。
「ちょっと染みやすぜ」
酒瓶を取り出し患部に振りかけて来る。
「づ!」
ヴィオレットは激痛にギクリと身体を痙攣させるが、なんとかこらえた。
バリスが取り出した貝殻には茶色の臭気が強い軟膏が入っており、患部に塗るとみるみるうちに出血量が弱まる。
手慣れた手でバリスが布切れを傷口を覆うためぐるぐると巻くと、処置は終了した。
「矢はてぇして深く入ってねぇんで。ジッとしてりゃあ半月もせずに綺麗さっぱり治っちまいやすよ」
「あ、ありがとう……じゃなくて! なんで、ここまでしてくれるのだ!」
「そ、そうですよ。バリスさんは、あのニンゲンたちと同じく、私を追って森に来たのでしょう?」
「そうじゃあございやせん。あっしは事情があって便乗させてもらっただけで。土地のニンゲンでもここまでの道筋はわかりやせん。あっしも何十年ぶりにヴァリアントにめえりやした。けれど、あっしはギャスパルのようにコココ族の案内人を雇う金がねぇんで。だいたい、コココ族はあっしらドワーフを嫌っておりやすから」
「事情……?」
落ち着いてバリスの顔を注視すると、この男の顔には報奨金に目がくらんだ者特有の濁りや焦りが一切感じられなかった。
人の感情を窺いながら生きてきたヴィオレットにはバリスにそういった欲心というものがないことがわかる。
「なら――」
「いたぞ!」
「こんなところに隠れていやがったのか!」
「手間かけさせやがって!」
ヴィオレットが再度バリスに問いかけようとした瞬間、雪の斜面を下って六人の男が怒鳴りながら駆け下りて来た。
六人の男はそれぞれ薄笑いを浮かべながら手に手に得物を構えヴィオレットたちを包囲している。
「ウェアウルフの賞金首ゲットだぜ!」
「テメェがルルティナか!」
「おれたちの組が最初に見つけるたぁ運がいい!」
「半分でも五〇〇万ポンドルか!」
雪を蹴り飛ばしながら近づいてきた男たちであったが、のっそりと立っているバリスと猟犬に気づき眉を顰める。
「テメェ、コンラッドの組にいたドワーフじゃねぇか」
「どっから嗅ぎつけて来たのか知らねぇが、とっとと消えな」
「まずは、そのウェアウルフの娘と、よくわからんがおまけも味見だ」
よくわからん呼ばわりをされてヴィオレットは微妙に傷つく。
「ち、近寄るな!」
粘っこい男たちの視線を受けてヴィオレットは甲高い声で威嚇する。
が、獣欲で全身を支配された男たちにとっては、そんなヴィオレットの声もこれからはじまるであろう凌辱のエッセンスでしかないようであった。
「――みなさん方にはご迷惑をおかけしやすが、そればっかりはお断り致しやす」
バリスがキッパリと断りを入れると、今まで浮かれ調子であった男たちの気配が剣呑なものへと切り替わった。
「テメェ。おれらの獲物を独り占めしようって魂胆か?」
男たちの中で一番精悍そうな面構えの四十男が殺気を隠そうとせずににじり寄った。
「そういわけじゃございやせん。ただ、あっしはこのお嬢さん方に用事があるだけのことで……」
「そうかい。どうしても先口はおめぇがいきてぇってことかよ」
なにかを勘違いしたのか四十男の表情がゆるむ。
「そういうわけじゃありやせん。あとも先もねぇんで」
「なんだと!」
「あっしはあいつが愛したこの森で、罪もねぇお嬢さん方をつれぇ目に合わすなんてことはできねえっていってるんで」
「馬鹿が! 理屈をつけても無駄だ!」
男たちはもはや問答をする意味がないと割り切ったのか、全員が剣を振りかざしてヴィオレットたちを一気に押し包んだ。
「どうあってもわかっちゃくれぇんですかい」
ヴィオレットが覚悟を決めて前に踏み出すよりも早く、それが動いた。
バリスの連れていた猟犬。
今までピクリとも動かなかったのが嘘のように、樹木の間を風のように素早く飛び跳ね男たちの間を駆け抜けた。
速い――!
訓練を受けた軍用犬の素早さは理解していたつもりであったが、バリスが連れていたロムレスベルガーの動きは想像以上のものであった。
静止画のように男たちは剣を振りかざしたまま、瞬間、動きを止めると全員が喉笛からパッと血煙を上げてその場に倒れた。
「それまでだ、パーシェル」
バリスが名を呼ぶと、猟犬は素早く雪の上を駆けて戻って来た。
「凄い動きだ……」
感嘆の声がヴィオレットから漏れる。
けれど、バリスの目に浮かんだのは猟犬が一瞬で六人の敵を屠ったことに対する自負などではなく、どこまでも哀しげな色であった。




