オーネット・コールマン
琥珀の花 5 オーネット・コールマン
エリックと別れ、食堂を出たアルバートとセロニアスの前に、一台のジープが向かってきた。天蓋のない簡素なジープで、乗り心地は最悪だ。舗装路だというのに乗員の尻が跳ねているのがわかるくらいだ。
乗員は二人。見知った顔だ。セシルとオーネットだ。アルバートとセロニアスの上官にあたり、同じ爆撃機の操縦士と副操縦士である。
向こうもこちらに気づいたようで、おお!と表情を変え、スピードを落とし、彼らの前で停車した。
敬礼。
「おー、お前ら調子はどうよ?」
オーネットが飄々とした様子で言った。ええまあそこそこ。嘘つけコノヤロゥ!そこそこって意味わかんねえぞバカヤロゥ!いや、そんな事言われても………うるせえコノヤロゥ!ええー!
オーネットと会話する者にとっては、曖昧な質問と曖昧な返答のやり取りはいつものことだ。特に、中身のある会話がしたいわけでもない。ただ会話という状況を楽しみたい男なのだ。
しばらく意味のない会話が続けられた後、アルバートが口を開いた。
「ところで中尉?大尉と一緒にどこかへ行く予定でも?」
「ん?ああ、ああ、そうだった。飯をな、食いに来たのよ」
「噂の食堂の味を確かめてみたくてね」
セシルがジープからよっと声を出し、下りながら言った。
「食堂ですか。しかし士官は専用の食堂があるはずでは………?」
「あれなー」オーネットが言った。「いや、なんつうか士官用のあれな?お前ら下士官や一般兵の食堂と比べると自由度が足りねえのよ。たしかにあれだ、普通に美味いよ?いいもの食ってるさ。普通の軍隊並さ。当然だわな。でもな?ココ、普通の軍隊じゃねえだろ?それでよ、士官用の食堂のメニューより下士官と一般兵用の食堂のほうがメニューが多いときてる。きっとな、味の方もそっちの食堂のほうがうめえと思うのよ!何しろ普通じゃない軍隊だからな!通常の価値の逆転現象が起きていても不思議じゃあねえよな?そんなわけでな、大尉を誘ってオメエらが毎日ご愛顧している食堂にはせ参じたってぇわけよ」
オーネットはチッチッと時折舌を打ちながらまくし立てるように喋った。彼の癖だ。行儀がいいとは言えないが、特に不快さは感じられない。彼の人柄によるものだろう。
オーネットは面倒見がよく人情深い人物として、仲間に好かれている。階級の上下にかかわらず、すぐに打ち解け、頼られ憧れすら抱かれる彼の経歴は異色だ。
民間人パイロット、タクシー運転手、整備工、義勇兵組織での伝令係、探偵、用心棒、冒険家、作家………どこまでが本当でどこまでが嘘なのかわからないほどに彼の口から出る過去に従事した職業は多種多様である。若干胡散臭い面もある男だが、大抵のことはそつなくこなし、侠気にあふれる人物であることは間違いなく、それ故に彼は多くの仲間に慕われ、頼りにされ、一目置かれる存在であるのだ。
◆
俺の名前はオーネット。姓はコールマン。探偵だ。嘘だ。いや、本当だったこともある。だがしかし今はそんなことはどうでもいいことだ。ちなみに作家だったこともある。俺の人生はその時に上梓した自伝に詳しい………冒険家としての華々しい活躍から、場末のバーの用心棒、はたまた近所の自動車の整備工として餬口をしのいだ時もある。………あの頃は大変だった………。
いや、そんなこと今はどうでもいい。ついつい本題に入る前に別の話をしてしまいそうになるのが俺の悪い癖だ。
今は爆撃機の副操縦士だ。ちなみに操縦士のセシル・テイラー大尉は以前俺が務めていた遊覧飛行専門の航空会社の同僚だ。俺をその会社に引き入れてくれた恩人でもある。
探偵に作家に冒険家と、国内だけでなく世界各地をふらふらとしていた俺に、地に足の着いた仕事を紹介してくれたのがテイラー大尉だったわけだ。いや、空を飛んでいるんだから地に足は着いていないか。まあそこはどうでもいい。
今、俺はテイラー大尉と一緒にジープに乗っている。目的地は下士官と一般兵用の食堂だ。
俺は中尉だから、基地には士官専用の食堂ってのがある。上級士官にあたっては個人の部屋で食事を摂る者もいる。そして、階級が上がるごとに食事のグレードが上がるってのがまあ普通だ。しかし、この基地の特異さ故か、奴らの食堂ときたら常軌を逸した発展の仕方と自由度を持っている。一般メニューからコース料理まで!しかも給仕係も食堂が直々に雇っているとのことだ。
もう既に、この食堂は軍の一施設ではなくなっている。その人件費も、材料費も光熱費も全て賄えるほどに発展している。
そんな奴らの食堂に対して、俺たち士官専用の食堂ときたらつまらないものだ。日替わりのメニューはローテーションがすぐに読めるくらいには少ないし、何より食堂に活気がない。淡々と食事を作りそれを摂取するといった塩梅なのだ。
パッションがない!俺が人生に求めるもの。パッションが感じられないのだ。
まあそんなことは当たり前で、この基地には時たま大本営から視察が来る都合上、せめて案内の範疇に当たる施設については〈ごくごく普通の〉軍隊のそれでなければならない。〈特別任務〉がバレたら大変だしな………それ故に、普通ってのは仕方が無いんだが………。
とはいっても、この特異な軍隊に所属している身としては、何故ゆえに士官だからといって〈ごくごく普通な〉食堂での食事ライフを過ごさねばならないんだ!?否!そんな必要はない!
という訳で、俺はテイラー大尉を誘ってジープに飛び乗って奴らの噂の食堂にでも繰り出そうと画策したってぇわけだ。ついてこれてるか?うん?OK!話を続けよう。
テイラー大尉を誘ったのはーーーまあ世話になっている大尉にもあの食堂の食事を味あわせてやりたいと思ったからでもあるんだが(といっても未だ俺は奴らの食堂の味を知らないがね!きっとうまい!そうに違いない!多分な!)結局のところ、話し相手が欲しかったのだ。テイラー大尉は俺の元同僚でもあるし、戦争が終われば多分また同じ会社で働くことになるだろうし。しかも当時から俺の話を迷惑がらずに聞いてくれる数少ない温厚な人柄の男だ。ナイスガイだ!妻子持ちだ!それも当然って感じだな。
早速、ジープに飛び乗ってテイラー大尉を迎えに行く。舗装路なのにガタガタ揺れやがる・サスペンションが機能していないんじゃないかこの車?ケツが痛てえよコノヤロゥ!整備兵、仕事してねえだろこれバカヤロゥ!
とか言いつつ大尉の部屋まで超特急。昼休みのはずだ。ノックする。コンコン!テイラー大尉?
「テイラー大尉!オーネット中尉であります!昼食に行きませんか?」
「昼食?ああもうそんな時間か行こう行こう。今日のメニューは何だったかな?」
「メニューなんて気にしなくていいですよ!好きなものが食えます!下士官と一般兵用のあの食堂に行きましょう!」
「うん?いやいや士官用のがあるじゃないか別にそれでも………」
「いやいや!たまにはいいじゃないですか!きっとうまいもんが食えますよ!」
なんだかいつも以上にぼぅっとしているテイラー大尉をまくし立てて助手席に座らせる。がくんとシフトを一速に。ゆっくりとアクセルを開け、クラッチを繋ぐ。さすがに大尉が乗っている以上はスマートでスムーズな運転を心がける。これでもタクシードライバーだったこともあるんだ。こんなオンボロぐるまでもコップの水をこぼさない程のスペシャルな運転テクニックを発揮するぜ!いや、さすがにそれは無理だ。しかし心がけるに越したことはない。
「お客様一名今日も安全運転で参りまーす。目的地までの間、暇つぶしに私めの冒険譚でもお聞きください」
ははっと笑う大尉に俺はいつものおしゃべりを始めた。
あれは俺が探偵で作家で冒険家だった頃の話だ。
………
それは、戦間期の頃の話だ。当時俺は水上機レースのレーサーをやっていた。まあそこそこ金も入ってたわけだが、やれ機体の開発費やら維持費やらと間引きもひどくなり、結局やめてしまった。まあ俺が辞めてからすぐに大会自体もなくなったのだから、引き際としては良いタイミングだったのかもしれない。
レーサーを辞めてプーさんになった俺はとりあえず探偵と作家と冒険家になることにした。とりあえず、名乗るだけで良い職業なのでそれにした。とはいえ、探偵業を始めるには事務所がなければならない。許可?まあそんなのは国によっても違うし大した問題ではないだろう?
まあそんなわけで、事務所兼住居にちょうどいい物件はないものかと街の不動産屋をうろついていると、一人の老紳士が話しかけてきた。
「君?」不意に声をかけられた。「いい仕事があるんだが少し話を聞いてくれないか?なに、ちょっとした調べ物さ。さほど難しいというわけでもない。昼食はまだかね?おごろう。さああの店に行こう。あそこの腸詰は絶品なんだ………」
老紳士は一方的にまくし立て、半ば強引に俺を食堂へ引っ張っていった。まあ怪しさ全開で警戒すべき状況ではあったのだがいかんせん俺の腹の虫もぐうとなって食物を欲していた。
(ま、話を聞くだけならいいわな、タダ飯も食えるし)
そう思いながら老紳士と食事を取りながら仕事についての話をした。
「仕事というのはだね、ある森の調査をして欲しいんだ。そこの植物などを調べて欲しいんだ」
老紳士おすすめの腸詰を頬張りながら俺は聞いていた。うんたしかにうまい。絶品だ。バジルとスパイスが効いている。肉汁も最高だ!
老紳士はなおも仕事について話し続けた。目的地周辺からその森に至るまでのちょっとしたレポートと植生分布の調査。植物の事なんて天で門外漢ですが俺?
「なに植物の調査といっても簡単だ。この図版を見てくれ」そう言って老紳士は丁寧にスケッチされ彩色された植物の細密画を取り出した。「この図版にある植物があるかどうか調べてくれればいいんだ。とりあえず前金でこれだけ。」
老紳士が提示した金額はかなりの量だった。「経費も込みだよ」と老紳士は笑いながら言ったがそれでも十分に高額な報酬だ。
しかし、怪しすぎる。老紳士の見た目から推測するにかなりの金持ちであることは容易に推測できる。これだけの金額などさほど痛くもないだろう。ただ、スケッチに描かれた植物の有無を調べるだけでこの金額というのは………羽振りがよすぎる。
俺は訝しがった。騙されているのか?まだ俺に行っていない危険な要素があるのか?色々と頭の中を疑問が駆け巡ったが………。
ーーー結局、受けることにした。
まあ色々疑問はあったが提示された金額は魅力的であったし、これは俺がなろうと思っている探偵の初めての仕事としてもなかなかに面白いんじゃあないか?と思ったからだ。しかも、冒険家としてもなかなかにいい冒険になるんじゃないかという期待と、そこで起こった体験を書き綴れば作家にだってなれるんじゃないか?………一挙三得だ!
まあそんな理由で俺はこの仕事を受けることにしたのだ。
色々と老紳士と仕事について細かい話をした後、俺は最後にひとつ質問した。
「なああんた?なんで俺を選んだんだい?」
老紳士は眉を少し上げて少し微笑みながら答えた。
「一目見て、君がベラム共和国の人間に違いないと思ったからだよ。あの森は君の国にあるのだからね」
一目見て………そんなに分かるような身体的特徴はベラム人にはないはずなのだが………変な爺さんだ。少し気味が悪いが、まあそれもわかった上で受けた仕事だ。俺には見えていない何かが見えているんだろう。世の中には不思議なことがたくさんあるものだ。俺の短い人生の中でもそういうものには少なからず遭っている。
ま、なんとかなるだろ。そう思いながら俺は食事と仕事の話を終え、老紳士と別れた。
別れ際、老紳士が言った。
「あ、そうそう、くれぐれも調査は昼間にやっておくれよ。夜は駄目だ。危険だからね。あと武器は持ち込まないほうがいかも知れないな。いろいろ面倒になるかもしれないからね。」
まあ、言われなくともそのつもりだけどなあ?夜は獣が出そうだし。武器か………まあ別にハンティングをするわけでもないからそれもいらねえしな。
それに………老人の忠告ってのはよく聞いておくべきだと言うしな。
………
「………とまあそんな訳で、俺は高射砲の森に行くことになったんですよ。まあそれまでの道のりも大変で大変で………戦間期っつっても色々いわくつきの場所でしたしねえ………」
とテイラー大尉に話していると、食堂が見えてきた。食堂の入り口に見覚えのある顔がいる。男が二人。ーーーアルバートとセロニアスじゃねえか。
「おお!おお!」
俺は思わず声を出して奴らの前にジープを止めた。
◆
オーネットはセロニアスとアルバートとひとしきりほぼ一方的にしゃべり尽くした後、オーネットの話の長さにもちっとも苛立ちを感じていないセシルと一緒に食堂に入っていった。
食堂にいた兵たちがびっくりして敬礼する。一瞬食堂が静寂に包まれる。いやいや敬礼はいい。プライベートということでな。楽にしてくれたまえ。
食堂に再び活気が溢れ、いつもどおりの喧騒が戻ってきた。その声を聞きながらアルバートとセロニアスは腹ごなしを兼ねて少し遠回りの散歩でもしながらバラックに戻ることにした。