25【番外編】婚約指輪
「ママー、ごはんだよぉー、おちてー!」
リュカの可愛い声を聞いて飛び起きる。
「わっ! リュカ、ごめんね! すぐ朝ごはん作るわ!」
声がひどく掠れている。寝坊したと思ってガバッと起きたら、アナスタシアがファラース領にいたころの部屋よりかなり広く豪華な部屋におり、一瞬混乱する。
そうだった。昨日帝都へ来て、夜はカイルの部屋に呼ばれそこで一晩過ごしたのだった、と思い出し慌てて自分の格好を見る。
良かった。ちゃんと服を着てきた。
身体もサッパリと綺麗な状態で、ホッとする。
リュカは昨日一日でアンドリューにしっかり懐いて、アンドリューは夜の寝かしつけまで「ぜひ、お任せを!」と張り切っていた。
心配でリュカが寝入った頃に一度こっそり覗きにいったが、初めての宮殿に大興奮で疲れ切っていたこともあり、リュカはぐっすりだった。
今朝の様子を見ても、夜中に泣いて起きてしまうこともなかったようだ。
ただひとつ。リュカのベッドの側で、絵本を片手に帯剣し、リュカの安眠は誰にも邪魔させないといった鋭い目つきで控えているアンドリューが非常に怖かった。
アナスタシアは昨夜、カイルと初めて痛くもなく、苦しくもない、拘束もない甘い一夜を過ごした。
周りを見渡すとカイルは部屋におらず、リュカがベッドの上に上がり込んでアナスタシアを起こしていた。
寝室の扉は開いており、向こうの部屋からは食事の良い匂いがしてくる。
そして、女官が遠慮がちに入ってきて「昼食の用意はあちらの部屋にしてあります。リュカ皇子とお二人でごゆっくりどうぞ」と声をかけて、部屋の隅にそっと控えた。
「えっ、昼食!?」
外を見るとかなり日が高かった。
昼になっても起きてこないアナスタシアに焦れて、リュカが女官に案内されてカイルの部屋まで起こしにきたようだった。
どれだけ寝坊をしてしまったのかと頭を抱えた。
リュカは朝からカイルと中庭を散策したりアンドリューについて、騎士団を見学したりと楽しく過ごしていたらしい。
カイルは普通に朝起きてリュカの相手をしていたらしいが朝方までアナスタシアと抱き合っていたのに、いつ寝たのだろうか。
同じことをアンドリューに対しても思う。
アンドリューも昨夜ずっとリュカに付いていたはずだったが、彼もちゃんと寝たのだろうか。
「ママー、はやくたべたいよぉ!」
「そうね、温かいうちにいただきましょう」
アナスタシアは深く考えるのは不毛だと思い、すぐに用意された料理を食べることにした。
「おいちーねー」
「本当、とっても美味しいわね」
アナスタシアの料理とは比べ物にならない。これからは毎日美味しい栄養たっぷりの料理が食べられる。
リュカは苦手な野菜もパクパク食べていた。
「ねぇー、ママ? いつおうちにかえりゅの?」
「えっ……」
リュカの質問にアナスタシアは固まった。
――わかっていない気はしていたけども……
ファラース領でお世話になった人たちには、挨拶をしてから帝都へ発ったが、リュカはしきりに「バイバイ、さようなら」ではなく「いってくりゅねー」とニコニコ手を振っていた。
ちょっとした旅行気分なんだろう。
帰らないと言ったらどう反応するのか少しハラハラとしながらリュカに話す。
「あのね、リュカ。これからはこの宮殿で暮らすのよ。もう前のおうちには戻らないのよ」
「え、しょーなのー?」
意外にもケロッとした返事が返ってきた。
「そうよ」
「わかったぁ! じゃあ、きょうはアニーちゃんとたんけんしゅる!」
「アニーちゃん?」
リュカがテトテトと歩いて部屋の隅に控えていた女官の手を取った。
「アニーちゃんだよぉ!」
「アニー……ちゃん?」
失礼だと思いながらも戸惑いを見せてしまった。
「女官長をしております。アニー・ハーヴェイと申します。アナスタシア様、どうぞよろしくお願いいたします」
どう見ても五十代くらいに見えるベテラン女官はリュカと手を繋いだまま、ポッと頬を染めながら挨拶をした。
「よ、よろしく。アニー」
リュカはアンドリューの次にまた一人堕としたようだった。
「しょうだ!」
リュカが何かを思い出したかのように、ズボンのポケットに手を入れてゴソゴソと何かを取り出した。
「ん? どうしたのリュカ?」
アナスタシアが屈んでリュカの手を覗き込む。
「こりぇ、ぼくがりんぐぼーいなんだって!」
リュカが小箱を持ってアナスタシアに渡した。
小箱を開けると金のアームに碧色の大きな宝石のついた指輪がキラキラと光っていた。
「た、高そう……」
つい口に出してしまい、手で口元を押さえてチラリとアニーを見る。
アニーは聞いていませんよという表情で横を向く。
「しゅごい、ちれい!! ねえ、ママ! ちゅけて!!」
アナスタシアはすぐに小箱を閉じる。
「ちゅけないの?」
「うん……」
リュカは首を傾げた。
◇
その日の夕方、リュカと食事をするアナスタシアの下にカイルがやってきた。
そして、アナスタシアの指を見て口にする。
「指輪、気に入らなかった?」
「ううん」
アナスタシアは首を振る。
「じゃあ、ちゃんとこの指に嵌めておいてよ。私の婚約者であると皆に牽制しておかないと」
アナスタシアの左手の薬指を指して言う。カイルのわかりやすい独占欲にアナスタシアの頬が熱くなる。
「だって、カイルに着けてもらわないと、意味ないから……」
アナスタシアが顔を赤くしながら、指輪の入った小箱を差し出して素っ気なく言うと、カイルは目を見張る。
「可愛すぎだろ」
小さく呟くと、すぐにアナスタシアの手をぐんと引っ張り、頭を押さえて口づける。
「っ!!」
リュカの目の前だ。
アナスタシアはハラハラとしてカイルの胸を強く叩いて逃げようとした。
が、いくら叩いてもびくともせず、ガッチリと頭を押さえられていて逃げられない。
「んっ……」
深いものではないにしろ、母親なのに子どもの前で口づけをしていると思うと辱めを受けている気がしてだんだんと泣けてくる。
涙目でカイルを睨みつけると、カイルは恍惚とした笑みを浮かべる。
十数秒口付けて、ようやく離れたが、我が子の前での口づけはかなり長く感じた。
そしてカイルは優美な所作で跪いてアナスタシアの左手を取って薬指に口づける。
リュカの反応が心配でアナスタシアが慌ててリュカを見ると、アニーがリュカの目元を手で隠しており、アナスタシアと目を合わせてからそっと外した。
できるベテラン女官は事態を察して、リュカに親のラブシーンを見せないようにしてくれていた。
アニーに助けられ、アナスタシアはホッと息を吐く。
リュカは何が起こったのか分からずキョロキョロとした。
そして、跪いて母の左手の薬指に指輪を嵌める父を見つけて真ん丸の瞳をキラキラさせている。
「アナスタシア、私と結婚してくれ」
美形の皇帝のプロポーズは完璧で様になる。
リュカは絵本で見たシーンを思い出したのかワクワクした様子だった。
アナスタシアは子どもの目の前で無理矢理に口づけられて、本当は断ってやりたいほど憤慨していた。
だが、リュカのワクワクとした視線を感じると、断るという言葉は出せなかった。
「は、はい……。よろしくお願いします」
リュカが嬉しそうに「わーっ!」と声を上げ、カイルは目を細めて微笑んだ。
アナスタシアはリュカに指輪を渡されたときに、大人しく嵌めておけばよかったと盛大に後悔した。
用意していた番外編も投稿できたのでこちらで完結にさせていただきます。
評価いただけると嬉しいです。
ムーン版はもう少し番外編があるので、またいつかそれも改稿してこちらに投稿できたらいいなと思います。
拙い文章でしたがお読みいただきありがとうございました。




