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1 戦場にて

「こんなところに何故、フラベリオス王国の王女がいる」

「何故って……」


 逆に聞きたい。

 何故こんな田舎にリュートリム帝国の皇帝がいるのか。




 我が子がいれば他にはもう何もいらない。



 手持ちの宝石を全て手放し、質素な服に身を包み、この三年間は子どもを育て、生きていくことだけに必死だった。

 ここでは王女としての責務はなく、自分を縛り付ける枷もない。

 その代わり、お金を稼いで我が子を養っていかなければならなかった。

 そしてやっと見つけたこの場所だった。

 愛する我が子と働きやすい職場のあるこの場所に、穏やかな幸せがあると思っていた。


 なのに何故、この国の皇帝カイルはアナスタシアの目の前に再び現れ、こんなにも心を乱してくるのだろうか。



     ◇



 三年前。


 戦争を好む軍事国家であるフラベリオス王国は、西の隣国リュートリム帝国に国境にある領土を巡って戦争を仕掛けた。


 フラベリオスはここ何年も、東へ向けて戦争を続け小国を次々と侵略し属国を増やし、力を付けてきていたため慢心していた。

 フラベリオス王国第六王女のアナスタシア・ヘラー・フラベリオスは望んでもいないのに勝手に『戦乙女』として此度の戦の大将に担ぎ上げられた。



「殿下! 来てください!」

「コーディー! どうしたの?」


 護衛騎士のコーディーに呼ばれて、馬に乗ったまま高台へ向かった。


 コーディーはアナスタシア専属の護衛というわけではない。

 平民の割には顔の整った、やたら所作の美しい騎士コーディーは、どこかの貴族の紹介で三年前に宮廷入りし、兄姉たちからも気に入られていたにも関わらず、わざわざ王宮内で立場の弱いアナスタシアの此度の戦の護衛役を買って出てくれた。


「これは……」


 コーディーの隣で戦場を見渡して、背筋に寒気が走った。


 カン、カン、と鉄の剣がぶつかり合う音がうるさく響き、風に乗って錆臭い血の匂いを感じる。

 小国との戦争にはアナスタシアも幾度となく参加させられてきたから、戦場自体は慣れていた。今さら血が流れることに恐怖を感じることはない。


 好戦的で血の気の多いフラベリオスの王族は、男も女も関係なく幼い頃から剣を持たされ、戦場で活躍できるよう、それに倣った教育が施される。

 王位継承も男系や長子など関係なく、現王が相応しいと指名したものが王太子となるのだ。


 争うことで強くなる。父王の口癖だった。


 父王の血を引き継いだフラベリオスの王子と王女は手柄に貪欲で、常に争い、足の引っ張り合いをしている。そして十人兄弟の末子であるアナスタシアは他の異母兄姉と違い母親の身分が低く、王女であるにも関わらず、王宮内で兄や姉から余計な力をつけないようにとずっと虐げられて過ごしていた。


 兄姉たちの息のかかった者たちはみな、虐げられているアナスタシアを蔑むような扱いをしてきた。

 食事が運んでもらえない日もあったし、一つ上の姉カロリーナに稽古と称して複数人で虐待されたこともあった。

 食事のない日に憐れむような顔をして、硬いパンや冷めたスープを持ってきてくれる者もいたが、みな兄姉たちの使いで、出されたパンは腐っており、スープには虫が入っていた。

 にやにやと嘲笑うような顔をするその者をきつく睨みつけながらアナスタシアは腐ったパンを食べ、虫を避けてスープを飲んだ。運んできた者たちはギョッと驚いていたが、アナスタシアはその程度で動揺する娘ではなかった。


 コーディーも同じようにパンとスープを持ってきたので、この騎士も他の者たちと同じかと思った。

 だが、コーディーが与えてくれたパンは柔らかくて驚いた。スープも冷めていたが虫は入っていなかった。コーディーは兄姉たちの目を盗んでたびたびアナスタシアのことを助けてくれたのだ。

 カロリーナに稽古と称して虐待されたあと、コーディーはアナスタシアの怪我の手当てをしてくれた。


 もちろん、やられっぱなしのアナスタシアではないので、敵わないながらに、攻撃してくる他の者には目もくれず、カロリーナだけを集中狙いで反撃する。そのときはカロリーナもそれなりに負傷していた。

 コーディーはアナスタシアだけではなくカロリーナの手当てもしており、誰か一人の味方になるというわけではない。だが、アナスタシアを兄姉たちと平等に扱ってくれて、コーディーのことだけは信用できるような気がした。



「さらに向こうからも兵が迫ってきているようです……」


 コーディーの指さす方向を見ると武装した敵兵たちが進軍していた。


 ――圧倒的だ。兵力が違いすぎる。こんなの負け戦じゃない……。


 この戦争も兄姉たちにとってはアナスタシアを虐げる手段の一つに過ぎなかった。

 父王が西の領土を望んだとき、兄や姉は賛同したが、戦の大将だけはアナスタシアに押しつけた。

 勝ち目のない戦など末の妹が行けば良い。そういうことだ。


 敵の軍はジリジリとフラベリオス軍の前衛を押して、アナスタシアのいる本陣まで迫っていた。

 援軍などの望みもない。


「──退けっ! 撤退だ! 撤退せよ!」


 軍を指揮する参謀は他にいるが、この時ばかりは司令官の指示も仰がず、アナスタシアは兜を外して、声を張り上げた。

 燃えるような赤髪がふわふわと風に靡く。

 アナスタシアはヘーゼルの瞳を閉じて、負け戦に駆り出された兵たちには心の中で謝罪をした。


 無駄に兵を失うわけにはいかない。父王には諦めてもらおう。

 退却していく自軍の兵を見て息を吐く。


「っ!?」


 何の前触れもなく馬が不自然に動き、バシンッと強い音がし、身体がぐらりと揺れた。手に持っていた兜を地面に落としてしまったが、代わりにしっかりと手綱を握りしめる。アナスタシアの乗っていた馬が前足を高くあげて、強くいなないた。


「殿下!!」


 コーディーが慌てたように声を上げる。


「えっ!!? ちょっと!!」


 馬は猛スピードで敵陣営に向かって走り出す。

 何が起きたのかと後ろを振り返ると、ニヤリと笑う鞭を手に持つ味方兵士。

 あれは確かカロリーナが懇意にしていた兵士だった。アナスタシアの乗る馬に興奮剤でも打ったのだろう。


 ――やられた……!


 兄や姉からは幾度となく命を脅かされてきた。

 毒を盛られたこともあるし、暗殺者を送り込まれたこともある。

 父王の指示する教育はそういったことから身を守ることも含まれていたため、今日まで生き延びることができた。だが──


 ――むり……! 暴れ馬の対処法までは聞いてない!



 敵陣営を疾走する馬に振り落とされないよう必死にしがみつく。

 すごい速さで駆け抜けるため、敵兵も自然と道を開け、アナスタシアが駆けた後には砂埃が舞う。



「おい! こっちだ!」


 隣から低く響く声が聞こえた。

 甲冑に身を包まれた男がアナスタシアの乗る暴れ馬と並走しながらこちらに手を伸ばしている。

 敵陣営にいる兵士などどう考えても敵だ。

 どんなに危険でもその手を取るわけにはいかないのだが。


「早くしろ! 死にたいのか!」

「っ!」


 死にたくなんてない。

 そう言うからには、敵のその手を取っても死ななくて済むのだろうか。

 今、冷静な判断をしている余裕はない。

 アナスタシアは一か八かその手を取って、男の馬へ飛び乗った。


 男の支えもあって、上手いこと飛び乗ることができた。

 男はアナスタシアを前に乗せ、しばらく駆けてから馬を止めた。



「さすがの身体能力だな」

「ありがとう……ございます……」


 このままフラベリオス陣営まで送り届けてくれて、紳士的にさようならをしてくれはしないものかと、ありえない期待を込めて男を見る。


 だが、兜を外した男を見てアナスタシアは固まった。


「敵軍の大将がみすみすこっちの手に堕ちてきてくれるとはな。()()()のアナスタシア姫」

「っ……! リュートリム皇帝……!」


 やはりあの手を取ってはいけなかった。

 対面したのは初めてだが、一瞬でこの男が誰なのかわかった。

 金髪碧眼の男らしいとも美しいともいえる美丈夫。姿絵で見た通りの一見優しそうに見える美貌の青年だが、実物はそんな生ぬるいものではない。

 少し垂れ目な優しそうな目元をしているのに意志の強そうな眉、海のような瞳は、アナスタシアの心の奥まで見通している。そんな気さえしてしまう。

 この男は危険だと全身が粟立つ。ぞくりとして、冷や汗が背中をつたう感覚がする。

 温和で優しげな顔をしているが、この男は絶対優しくなんてない。


 全身から放たれるオーラもすごい。

 これが大国、リュートリム帝国の皇帝。


 甘やかな仮面の下には凶悪な何かが隠れている。アナスタシアの本能が警笛を鳴らした。


 父王はなんて男に喧嘩を売ったのだ。

 この先に、生きる道など残っているとは思えない。


 アナスタシアが咄嗟に剣を鞘から抜こうと柄に手をかけると、その手を大きな手が包み込む。

 強く押さえつけられている感じはしないが、力を込めても振り解けない。



「っ!」

「抵抗するな」


 耳元で低く艶のある声で言われて、背筋に戦慄が走った。


 ――死んでたまるか!


 アナスタシアは男をキッと強く睨んで、反対の手で、アナスタシア特製で作られた甲冑の隠しポケットからナイフを取り出し、男の首を狙う。


「おっと!」


 男は咄嗟に後ろにのけぞりそれを躱す。

 男の頬に赤い線が入っただけで、男の首を切ることは叶わなかった。


「いいな」


 男が頬に垂れていく血を手の甲で拭って、ニヤリと笑う。

 アナスタシアはひゅっ……と息を呑む。

 獰猛な獣が獲物を見つけたような視線に変わり、アナスタシアは全身の血が凍るような寒気を感じ身震いした。


 ――何がいいって言うの?


 すぐさま、手を叩かれて、ナイフが地面に落ちていく。

 両手を掴まれ拘束される。

 馬から降ろされ、両手を後ろで縛られた。


「離せっ!」

「簡単に解放なんてするわけないだろう。捕らえておけ!」


 アナスタシアは呆気なく敵軍に捕らえられてしまった。


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