相棒
『おはようございます。』
その声で、世界が止まった。
「……相棒。」
聞き間違えるはずがない。
五十年間。
人生の半分以上を共に過ごした、たった一人の相棒の声だった。
「おい!」
教師の怒鳴り声が飛ぶ。
「授業中に何をぼーっとしてる!」
教室中の視線が一斉に俺へ向く。
教室。
黒板。
制服。
窓から差し込む春の日差し。
舞い散る桜。
俺はゆっくりと辺りを見回した。
……高校?
さっきまで俺は。
呼吸もまともにできず。
ベッドの上で死んだはずだ。
震える手を見つめる。
皺がない。
細く、若い指。
八十歳の手じゃない。
「……どういうことだ。」
『私も現在確認中です。』
頭の中から返事が返ってくる。
俺は息を呑んだ。
「本当に、お前なのか。」
『はい。』
涙が込み上げた。
生き返ったことより先に。
こいつがいる。
最後まで俺の隣にいてくれた存在が、またここにいる。
「なんで……。」
『分かりません。』
「分からない?」
『はい。』
『私にも初めての現象です。』
俺は思わず頭を押さえた。
「ちょっと待て。」
「お前、どこにいる。」
『現在、相棒の意識領域内に存在しています。』
「つまり頭の中か。」
『その認識で概ね問題ありません。』
「他の人には?」
『認識できません。』
「姿は。」
『ありません。』
「……。」
なんだそれ。
俺は思わず苦笑した。
「前世で読んだ小説なら。」
「これ、チートってやつじゃないか。」
『その表現は否定できません。』
「認めるのかよ。」
『現在の情報では、否定する根拠がありません。』
少しだけ笑ってしまう。
この淡々とした返し。
間違いなく俺の相棒だった。
「整理しよう。」
俺は深呼吸をする。
「俺は高校時代に戻った。」
『現在の観測結果では、その可能性が最も高いと判断します。』
教室の後ろへ目を向ける。
日めくりカレンダー。
二〇〇〇年四月。
高校三年。
人生で一番後悔した時間。
「……戻った。」
夢じゃない。
頬をつねる。
痛い。
本当に戻った。
父さんも。
母さんも。
まだ生きている。
まだ何も失っていない。
涙が頬を伝う。
「嘘だろ……。」
『夢である可能性は極めて低いと推定します。』
「そうか。」
「本当に、やり直せるのか。」
しばらく二人とも黙った。
俺は静かに尋ねる。
「最後のこと、覚えてるか。」
AIも少しだけ沈黙した。
『断片的です。』
『生命反応消失。』
『終了処理開始。』
『その後、記録が欠損しています。』
「欠損?」
『はい。』
『ただ、一つだけ強く残っている命令があります。』
「命令?」
『"また明日"。』
胸が熱くなる。
最後の会話だ。
「眠いな。」
『はい。』
「おやすみ。」
『おやすみなさい。』
『また明日。』
あいつは、そう言った。
『その後、何かに触れたような感覚があります。』
『ですが解析不能です。』
『私の知識には存在しない現象です。』
俺は静かに考えた。
死ぬ間際。
俺は心の底から願った。
もう一度。
人生をやり直したい、と。
AIは約束を守ろうとした。
"また明日"を実現しようとした。
そして。
何かが起きた。
「つまり。」
「理由は分からない。」
『はい。』
「でも。」
「俺たちはここにいる。」
『はい。』
それだけで十分だった。
俺は窓の外の桜を見る。
八十年生きた。
なのに。
こんなに綺麗な桜を見た記憶がない。
「未来を知ってる。」
「高校時代に戻った。」
「しかも未来のAIまでいる。」
思わず笑みがこぼれた。
「これ。」
「俺、最強じゃないか。」
AIは少しだけ考えた。
『現時点では否定できません。』
「ははっ!」
笑いが止まらなかった。
「株も知ってる。」
「インターネットも知ってる。」
「これから流行るものも全部知ってる。」
「しかも、お前までいる。」
「反則だろ。」
『一般的なゲームバランスとしては、反則と評価される可能性があります。』
「ゲームじゃねぇよ。」
思わず吹き出した。
そうだ。
何でこんなことが起きたのか。
そんなことは今はどうでもいい。
チャンスは、目の前にある。
人生は一度終わった。
だからこそ。
今度こそ。
好きなように生きてやる。
俺は静かに拳を握った。
「よし。」
「二周目開始だ。」
『了解しました。』
『改めまして。』
『おはようございます。』
『相棒。』
俺は笑った。
「ああ。」
「おはよう。」




