第90話 動き続ける標的
毎日20時投稿
カナの作業場の中央。
三つの小球が、静かに空中へ浮かんでいた。
わずかに揺れながらも、落ちない。
崩れない。
エンは息を整えたまま、視線を動かさない。
長く続く沈黙のあと――。
「……できました」
ゆっくりと球を下ろす。
床に触れた瞬間、肩から力が抜けた。
偶然ではない。
三つ同時の浮遊を、安定して維持できた。
「うん」
カナが短く頷く。
「今のは完全に安定してた」
ノアも腕を組んだまま言う。
「もう三つでも、落ちる感じがしなかったです」
エンは小さく笑った。
二つ目を安定させたあと、三つ目は思ったより早かった。
やることは同じだったからだ。
球を一つずつ見るのではない。
全体の位置関係を保つ。
流れとして維持する。
それが分かった瞬間、三つ目は自然に収まった。
「じゃあ次」
カナが言った。
「止まって浮かし続けるのは終わり」
エンが顔を上げる。
「動かすよ」
三つの小球が再び浮かぶ。
今度は、そのまま位置をずらす。
一つを前へ。
一つを横へ。
一つを後ろへ。
途端に難易度が跳ね上がった。
維持するだけならよかった。
動かすと、互いの距離が変わる。
わずかなズレが干渉になる。
球がぶつかりそうになり、慌てて軌道を変える。
「……忙しいな、これ」
思わず声が漏れる。
「戦闘は止まりません」
ノアが言う。
「浮かせるだけじゃ意味ないです」
その通りだった。
実戦では敵が動く。
自分も動く。
球も動かなければならない。
エンたちは、ギルド裏の広場へと場所を変えた。
エンは呼吸を整える。
三つの球を同時に動かす。
追わない。
無理に止めない。
位置関係を崩さない。
少しずつ、動きが滑らかになっていく。
その時、ノアが短槍を構えた。
「次は、これで突きます」
「え?」
「当てます」
エンが目を瞬かせる。
ノアは淡々と続けた。
「動いてる方が、練習になりますよ」
カナが笑う。
「いいね。それ」
エンは苦笑した。
「球が当たらないように逃がせってことですか?」
「はい」
ノアは頷く。
「私は当てます」
三つの小球が浮かび上がる。
エンがゆっくりと動かし始める。
次の瞬間。
ノアが踏み込んだ。
槍が一直線に伸びる。
エンは反射的に球をずらす。
槍先が空を切る。
「さすがですね」
「当てさせません」
エンも笑う。
二度目。
三度目。
ノアの突きは正確だった。
だが、球はわずかに軌道を変えて逃げる。
止まらない。
落ちない。
動き続ける。
やがて、ノアの槍先が球をかすめた。
小さな金属音が響く。
「……今の」
エンが驚く。
「当たりました。私の勝ちです」
ノアは淡々と言った。
だが、ほんの少しだけ口元が緩んでいた。
それからは繰り返しだった。
エンは当てられないように動かし続ける。
ノアはそこに当てる。
互いに手加減はない。
球の動きが速くなる。
ノアの踏み込みも速くなる。
広場の中央で、金属音が何度も響いた。
やがてエンが球を下ろし、その場に座り込む。
「……疲れました」
額から汗が落ちる。
だが表情は悪くない。
今までの修行とは違う。
実戦に近い感覚があった。
ノアも槍を下ろす。
「いいですね」
短く言う。
「動いてる方が分かります」
カナが腕を組んで二人を見る。
「ちゃんと修行になってるね」
三人の視線が、自然に同じ場所へ向く。
空中を動き続けていた球。
止まらない流れ。
それはもう、ただの練習ではなかった。
戦いの形に、少しずつ近づいていた。
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