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妹姫は護りたい!〜おひめさまの騎士道〜  作者: エカテリーネ安田
三章 学びの塔は、青く苦い春にある
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邂逅【2】





 アレスは研究室の窓辺に置かれた一人掛けのソファに腰掛け、硝子窓から中庭を見下ろしていた。


 魚の群れのように、新入生達が連れ立って歩いてく。

生徒が行き交う小さな小庭を眺めながら、アレスは”彼女”がいないか、目を凝らす。

 雪のような髪を探していると、その色とは真逆の、薔薇色が目に飛び込んできた。

くるくると巻かれたツインテールを揺らして歩く少女は、”彼女”によく似ている。

──ふと、少女がこちらを振り返った。

 若草色の瞳が塔の上のアレスを見つけると、少女の眉根がギュッと寄る。

”彼女”とよく似た顔で睨まれるのは、やはり少し堪えるな──と、アレスは自嘲した。


「何をご覧になっていらっしゃるのですかな?」


 柔らかな低い声が、アレスに問いかけた。

 研究室の奥の扉が開き、書類の束を抱えた初老の男──ヤルモ・レクネン教授が顔をのぞかせる。

彼は人好きのする笑みを浮かべながら──返事を待っているのかいないのか、資料が積み重なった場所の更にその上に、抱えた紙束を重ねていった。

紙や本で堆く築かれた山はいまにも崩れ出しそうだが、今のところ、崩れたことはない。


 レクネン教授は窓から離れた場所にある文机の椅子を引いて、よっこらせと腰を下ろした。


「……新入生を、見ていました」


「ああ、そういえば今日は学内を見学して回る日でしたな。塔内が賑やかなのは良いことです」


 レクネン教授はうんうんと頷いて、机の上に置きっぱなしだったマグを手にとって一口飲み──アレスの前に置かれているティーカップを見て眉を上げた。


「おや、先に飲んでいてもよろしかったのに」


 アレスが座っている窓辺のソファの向かいには、小さなサイドテーブルがある。

そこに置かれたティーカップは手をつけられた様子がなく、添えられたティースプーンも綺麗なままだ。

 彼は別に、レクネン教授を待っていて飲まなかったわけではない。

 この部屋──史学教授であるレクネン教授の研究室に来ると、アレスに限らず、生徒にはいつも同じ花の香りがするハーブティーを出される。

しかし──なんとも言えない独特の苦味があるので、アレスに限らず、一部──否、殆どの学生には不評のおもてなしなのだった。


「いえ、一口飲みました」


 これは、レクネン教授の部屋に呼び出された生徒の大抵が口にする台詞だった。


「そうでしたか」


 教授は気にするでもなく、自分の分を煽った。

マグをトン、と軽い音をたてて机に置くと、レクネン教授は眼鏡の奥の茜色の瞳を細めた。


「さて……提出いただいた課題を拝見いたしましたが、大変結構でございました。この国の歴史について、細かいところまでよく学んでおいでだ。流石は王太子殿下でいらっしゃる」


「ありがとうございます」


 アレスは軽く頭を下げて、しかし眼光は緊張感を保ち、相合そうごうを崩さない。


「大変恐縮ですが、僕は世辞を聞きに来たのではありません。本題をお聞かせ願えますか?」


 レクネン教授はわざとらしくまばたきした。


「世辞のつもりはなかったのですが……まぁ、そうですな。確かに殿下をお褒めするためだけにお呼びだてしたのではありません」


 眼鏡に手を添えて位置を直すと、レクネン教授は文机の上に置かれていた羊皮紙の束を手に取る。アレスが提出した課題だ。


「この課題ですが……”花の蜜が歴史に及ぼした影響について”が主題でしたが、殿下は敢えて先代の花の蜜について言及を避けていらっしゃるように見受けられました」


 アレスは否定も肯定もせず、黙した。

眼鏡のレンズに光が反射して、教授の表情が窺い知れない。

この話の流れ着く先を予想して、腹の底に力を入れる。


「国王陛下が進めておられる”花の蜜に関する新法”に影響を及ぼす事を、懸念されましたか?」


 レクネン教授の低い声が、音のしない研究室に、静かに、響く。


 やはりか、とアレスは声に出さず、心の中でつぶやいた。

 彼の言う、”新法”というのは、表向きには伏せられている。

他の人間がいる場所でできる話ではないために、わざわざこうして呼び立てた、と言う事らしい。


「教授は確か、その件については中立の立場でいらっしゃったと記憶しておりますが」


「いかにも、その通りです。私は平民出の学者の身分ですから、軽々しく賛成も反対もするべきでない。まぁ、反対したところで自分に影響力があるとは思っておりませんが」


 彼はこう言ってはいるが、御意見番ごいけんばんとして名の知れている人物だ。

国の歴史とはすなわち、法の歴史でもある。

史学を専門としているレクネンは、官吏から意見を求められる事が多い。

学問塔に引きこもらず、王城内のあちこちに顔が利く人物であるから、影響力が低いと言うよりは──むしろ、逆だ。


「先代の花の蜜は、確かに痛ましい最期でありました。ああ、いえ──正確な没年はわかってはいないのでしたが、精霊石に与えた影響を鑑みると、王城から失踪してすぐにお亡くなりになっている。まさに悲劇的です。同じ轍を踏むまいとする現国王陛下のお考えも理解できます。花の蜜が失われてしまっては、国力は大きく下がるのですから」


 レクネン教授はアレスの課題を文机に丁寧に置くと、両手の指を組んで前屈みになる。

やはり、光が邪魔をして目の色(ひょうじょう)が分からない。


「しかし、この度の──花の蜜の()()()()()()新法を敷く事は──おそらく、人と妖精の関わりの深さも変えることになりましょう。陛下が慎重に事を進めていらっしゃるのは懸命だ。では、貴方は?」


 尋ねられて、アレスは思わずごくりと唾を飲んだ。


「人は秘密を隠した場所を無意識に避ける。ご提出いただいたこの課題は、昨学年末にお伝えした通り、内容を学問塔内で公開します。あんまり露骨に話題を避けると、分かる人間には察するところがあるやも知れません」


 レクネン教授は眼鏡をずらして茜色の瞳を覗かせると、にこりと笑んだ。


「開き直って堂々と書き切ればよろしかったのです。殿下は、もう少し器用さを身に付けるべきですな。叔父君──フリートヘルム閣下を手本にされるとよろしかろう」


「ご忠告……痛み入ります」


 アレスが顔を引き締めて頭を下げると、教授は軽く頷いて腰を上げた。


「私からは以上です。そろそろ切り上げませんと、貴方も限界が近いのではありませんかな?」


 限界──と言うのは、アレスの男性への拒否反応の事だった。

 研究室という、あまり広くはない室内に男と一対一という状況は、アレスにとって負担が大きい。

普段は女性の教員である助教授も研究室にいるので支障をきたした事はあまり無いが、今日は話す内容が内容だったために、人払いがされていたのだった。


 レクネン教授の指摘通り、アレスの顔色は悪い。

話している間、時間が経つにつれて青白く血の気が失せていくのが、レクネン教授には見えていた。


 アレスは立ち上がり、深く礼をすると、足早に扉に向かって──扉の取手に手が触れたところで、後ろから教授が声をかけた。


「ああ、そうそう。最後に一つだけ」


 振り返ったアレスの顔には、じわりと汗が浮かんでいる。


「王太子殿下は、この度の”新法”──賛成されておいでか?」


 アレスの薄紫の瞳が曖昧に揺れた。

血の気が失せている唇は微かに震えていたが、それでも彼はぐっと体に力を入れて、笑みを作って見せた。


「お答えしかねます」


「結構」


 レクネン教授がどんな表情をしていたか、アレスにはよく分からなかった。

ぐらぐらと視界が回るのをどうにか堪えて、よろめきながら部屋を出る。

喉元までせり上がったものを呑み込んで抑えて、口を手で覆う。

膝が笑って、思うように歩けなかった。


──ただ男と二人きりで話をしていただけで……この様か。


 アレスは自分で自分の事が情けなかった。

こんな状態で、学問塔から卒業した後、何事もなく公務を全うできるのか……ここのところ、彼はずっと悩んでいた。

 この男性に対する拒否反応は、王太子として致命的だと彼自身分かっている。

少しずつ回復もしてきたけれど、この守られた場所──学問塔を巣立つ日まで、あまり猶予はない。


 アレスはとうとう壁に体を預けて、ずるずると崩れ落ち、座り込んでしまった。

こんな姿を誰かに見られてしまったら王太子としての威厳も何もありはしないな、と彼はひとつ。


「お前は元々、そんなに威厳があるようないかめしい顔はしてないだろ」


 彼の独り言は、突然降ってきた声に拾われた。

見知った声に、自然と、アレスの肩の力が抜ける。

俯いた顔を上げると、片角の少年が見下ろしていた。


「イスラ……どうしてここに?」


 イスラは軽く笑って肩をすくめた。


「まぁ、朝から心配してはいたんだがな、途中で出会でくわしたメルヴィにここに行けって蹴り出されたんだよ」


「では、エルフリーデは今……」


「メルヴィと一緒にいる。ほら、連れてってやるからつかまれ」


 イスラはアレスの腕を掴んだが、弱々しく振り払われる。


「いい、行かない」


 アレスは膝を抱えて顔を伏せた。

駄々をこねる子供のような態度に、イスラは苦笑する。

けれど、離れもせず──むしろ近づいて、隣にしゃがんだ。


「なんでだよ」


 隣に居座るイスラを見もしないで、アレスは唸る。


「こんな格好悪いところ、エルフリーデにだけは見せたくない。いいから放っておいてくれ」


「気持ちは分かるが──ああ、もう手遅れのようだぜ」


 イスラの鹿の耳がぴくりと動いた。

廊下を走る靴音が二人分、近づいてくる。


 聞き覚えのある話し声が耳に届いて──アレスは重い溜息を吐いた。



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