ヴァイデ村の四人家族【4】
「この村を出ようと思う」
村長がシェルツ家を訪ねて来た次の日の朝。
使い込まれた丸太のテーブルを四人で囲い、朝食に手をつける前に、スヴェンは家族に切り出した。
ほかほかと湯気が立つジャガイモのスープを口に運ぼうとしていたエルフリーデは、突然の言葉に固まってしまい、スプーンに掬われたスープがぽたぽたとテーブルにこぼれてしまった。
「そ、そんな、この家はどうするんですか?」
「お家は持って行けないから、もちろん置いて行くわよ。落ち着いたら戻ってこれるかもしれないし、無理そうなら人づてに売っても良いし」
マイラは落ち着いた口調で答えて、テーブルを布巾で拭う。
きっと大丈夫。自分に言い聞かせるように彼女は呟いて、気丈に微笑む。その目には小さくも、強い決意の火が灯っていた。
「大丈夫よ。あなたのことは、私が守ってみせるわ」
「お、ママにカッコいいところを持っていかれちゃ叶わないな。じゃぁ俺は、ママごとお前達を守ろう」
山仕事でがっちりと鍛え上げられた腕に力瘤を作って見せて、スヴェンは豪快に笑った。
エルフリーデは愕然としてメルヴィと目を見合わせる。
親の間で決めてしまった事なら子供は何も言えないが、どう考えても自分のせいだということがエルフリーデには分かっていて。でも、でも、と何度も短く口を開いては、何も言えなくて結局口を噤んだ。
「いつ出発するの?」
メルヴィが不安そうにスヴェンに尋ねる。
彼はコーヒーを一気に飲み干して、手彫りの白樺のマグをテーブルに置く。
木と木が合わさる硬い音が響いた。
「……この後だ」
「この後!?」
あんまり急な出立で、メルヴィは口をあんぐりとさせた。
エルフリーデも言葉が出てこず、パクパクと口を開閉させる。
「早く食べないと置いて行っちゃうわよ」
冗談交じりにマイラが急かすと、姉妹は慌ててパンをちぎり、スープを掻き込む。
両手でお椀を持ち上げてスプーンも使わずに、んぐんぐとスープを飲み干すと、メルヴィは一息ついて、それから不満そうに両親を一瞥した。
「そんなに急かされても、今聞いたばっかりなんだから用意なんてなーんにもしてないんだよ?」
「あなた達が昨晩ぐっすりおねんねしている間に荷物をまとめておいたわ」
目を見張るほどの手際の良さに、エルフリーデとメルヴィは揃って目を白黒させるしかない。
何か文句を言おうにも、メルヴィは何も言えなかった。全てエルフリーデのためなのだと、分かっていた。
村に住む歳が近い友達を思い浮かべて、メルヴィはぎゅっと唇を噛んだ後、眉尻を下げて、最後に一つだけ尋ねた。
「クヌートは持っていける?」
クヌートはメルヴィのお気に入りの白い熊のぬいぐるみだ。
去年のメルヴィの誕生日のお祝いに、記憶を失う前のエルフリーデ──”フリーダ”が、初めてのお裁縫としてメルヴィに作ってくれて、それ以来、毎晩一緒に眠っている。
ところどころ縫い目が不揃いだが、ピンクのリボンが首元に巻かれ、手触りもふわふわで、メルヴィの大事な宝物だ。──もちろんエルフリーデは知らないことだったので、小さく首を傾げる。
「クヌートって何ですか?」
「……メルヴィの、一番だいじな宝物なの」
寂しげに答えて笑うメルヴィの頭を、マイラは優しく撫でた。
メルヴィは気丈な子だ。記憶を無くした姉と、しっかり向き合って受け入れている。
少しの悲しみと誇らしさがないまぜになった気持ちを、マイラは髪を梳く指先に込めた。
「お利口にできるなら、もちろん持っていっていいわよ」
メルヴィはパァっと顔を綻ばせて、それからお利口さをアピールすべく、テーブルの上のお皿を家族の分もテキパキと片付けて、持てる分だけ流し桶に持って行った。
マイラはクスクスと笑って、お手伝いを始めた末娘の背中を見送った。
「今日は天気が良いから、思ったより早く隣町を抜けられそうだな」
スヴェンは既に朝食を食べ終わっており、席を立つと窓の外を伺った。
昨日から冬にしては珍しく、雲が晴れて青空が広がっている。
積もった雪が溶けるほどではないため、白い雪が陽光に反射して眩しい。
小高い山の上も、冬の間はいつも雲が山頂にかかっているというのに、今日はゴツゴツした山頂の雪冠がよく見えている。
「昨日、今日とあたたかくなりそうね」
メルヴィが運んだ食器を洗うため、マイラは腕まくりをして井戸へ向かう。
それを手伝おうと、エルフリーデも後を追って席を立つと、母の隣を歩く。
「あったかいのはうれしいです」
あんまり寒くて昨日は森の中で凍ってしまうかと思ったし、洗い物も少しは楽になるのかもしれない。
頑張るぞ、と、マイラの真似をして腕まくりする。
水を張った桶に手を入れると、思った倍は冷たくて、やっぱり冷たい! とエルフリーデは悲鳴を上げた。
◆ ◆ ◆
「……閣下、ドレヴァンツ閣下! ……フリートヘルム・ドレヴァンツ精霊塔主閣下!」
馬車の中、上等なダマスク織の張り地のソファに寝転ぶその姿は、閣下と呼ばれるのに相応しいと言えるものではなかったが、彼に苦言を呈することができる者はこの中には居なかった。
馬車に揺られているのは二人の中年の官吏と青年が一人。
官吏達の目の前ですやすやと寝息を立てる青年は、名をフリートヘルム・ドレヴァンツという。
昨晩、急に思い立ったように徴税に同行すると申し入れてきたこの──呑気に他部署の馬車でぐうすか寝入る端正な顔立ちの青年は、精霊塔という、この国の要とも言える、精霊に纏わる政の一切を取り仕切る機関の長である。
官吏を育成する学問塔に十一歳で入学すると、通常七年かかるその過程を三年で卒業した。
それだけでも驚愕に値するというのに、十八の成人の歳になると同時に最年少で実力至上主義の精霊塔の主に任じられ、その後四年間その座に座り続けている。
恐らくこの先も、塔主として君臨し続けるであろう彼は──稀代の天才と恐れられている。
そんな彼の安眠を、他部署──財務塔の一官吏が妨害して良いものか……否、触らぬ神に祟りなし、である。
目的地に着くまでは、「着くまで起こさないでください」という命に従い、道中はどうにか見て見ぬ振りをしていた。
しかし、遂には目的地に着いてしまったため、安らかな寝顔を苦い顔で睨みながら、ジャンケンで負けてしまった方の官吏──イスモは、眠れる天才の肩を叩くのだった。
「閣下、まもなくヴァイデ村……いえ、もう村境を越えましたので到着してますね。してるんです。起きてください!」
ぴくり、と睫が震えるが、目を開くには至らない。
まったく憎らしいほど綺麗な顔だと、起こす役を押し付けられたイスモはため息を吐く。
塔に籠もっているためか肌の色は透けるように白く、黒く艶やかな短く切り揃えた髪に、影が落ちるほど長い睫。薄く、形の良い唇。眠っていても絵になるが、起きてくれなければ困るので、一周回って腹立たしい。
「おい、マルコ、カーテンを開けてくれ。今日は冬にしては珍しく晴れている。これだけ眩しければ閣下も起きてくださるだろう」
やれやれ、と、呆れたように首を振りながらイスモが声をかけると、マルコと呼ばれた同僚は苦笑した。
ソファと揃いの生地が使われた上質なカーテンに手を掛け、陽光が反射する窓の外の銀世界に目を細める。
「そういえば、山を抜けるまでは曇っていたが、ヴァイデ村についてからは一気に晴れたな」
こうも違うとは珍しい、と、マルコは短く揃えた口髭をなぞった。
三人を乗せた馬車は精霊の力を借りた特注品だ。
動力に精霊の力が宿った精霊石を嵌め込めば、馬は空を駆け、ひと蹴りで地を行くよりも倍は早く進める貴重な乗り物である。
通常の徴税でこんな大層な物は使われないが、精霊塔の主人の出向とあらば、相応しい乗り物を駆り出さねばならなかった。
おかげで普段よりもずっと早く王城に戻れそうではあったが、早さがある分、天候の境目が妙にはっきりしているように見えて──マルコは首を傾げた。
「この村にだけ春が訪れたかのような……」
その言葉に、今の今まで頑固に眠っていたフリートヘルムはパチリと目を開き、唐突に体を起こす。
起こそうとして身を寄せていたイスモは、ぶつかりそうになって慌てて仰反り、強かに天井に頭を打ちつけた。
イスモに謝るどころか、彼が天井に頭をぶつけたことすら気付いていない様子で、フリートヘルムはカーテンの向こうの景色に目を凝らす。
睡眠のために外していたモノクルを胸ポケットから取り出し、左目に掛ける。
その度が入っていない眼鏡で何が見えるのか──彼以外は誰も知らないが、いつも勿体ぶって掛けているので、不思議な仕掛けがしてあることだけは確かだった。
「なるほど、なるほど。この気温差は、少々厄介なことになるかもしれません」
参りましたね、と独言て、フリートヘルムは晴れた空を睨んだ。




