第9話 歪ノ宮杜ノ主
宮杜の主
噂でしかないが、宮杜で最も長く棲んでいる、もしくは最も強力な魔物。
8年前に宮杜の村を一夜にして滅ぼしたともいわれているが、その姿形を見た者はおらず、魔物討伐に秀でた埜都の剣術屋敷すら存在を確認することができなかった。
その伝説視されてきた存在が、俺の目の前にいる。
荘厳さすら感じられる純白の毛並みの山犬が、眠そうに目を細める。
頭をわずかに上げ、こちらを睥睨する。
「イーゼ……あの魔物、きっとすごく強いよ。さっきの気色悪い魔物のとは全然違う」
「あぁ。そんなに近くないはずなのに息が詰まりそうだ。あの気色悪い魔物とは比べ物にならねぇ」
「横からすまぬが、その気色悪い魔物とは吾が放った魔物のことか? 吾が気に入ってる魔物を気色悪いとは随分なことじゃのぅ」
ビルデの抗議はスルーする。
それよりも、主から視線を逸らすことができない。
震えながらも、体が勝手に動き出した。
足がゆっくりと、一歩ずつ前に動かしていく。
「イーゼ!」
リアの声も遠くでぼんやりと聞こえる。
気づけば、俺は獣と対峙していた。
主の威圧感に負けないよう、剣をギュッと握りしめる。
『卿は、何者だ?』
「……! 喋れるのか……!?」
『聞いているのは私だ。卿は何者だ? 何故私の結界の中に存在している』
低く、それでいて高慢な声が響く。
そういえば、数百年を生き、長寿で知能を備えた魔物は人の言葉を解し話せると聞いたことがあった。
しかし、実際に見るのはもちろん初めてだ。
人の姿をしていない魔物が人の言葉を話すのは、なんだか背徳的な違和感がある。
……ダメだ、雰囲気にのまれてはいけない。
ここまで来たら、もう逃げるわけにはいかないっ。
「俺はイーゼ。剣術屋敷の屋敷生だ。ここに来た理由は……お前に会いに来た」
『私に会いに来た、だと? 会ってどうすると言うのだ?』
「決まってる。お前を…………討伐する!!」
叫び声と同時に大きく踏み込み、主との距離を一気に詰める。
身のこなしには自信がある。そのまま獣の喉元まで駆け抜ける。
主はわずかに首をかしげただけで避けようとしない。あるいは、こちらの動きに反応できていないのか。
「はあああああああああぁぁぁぁぁっ!!」
好機とばかりに飛び上がり、白い体毛に覆われた喉に剣を突き立てる――――
「――――えっ?」
目の前には空が広がっていた。
体勢を崩して派手に転がってしまう。
気づけば、主の喉元は俺よりも大きく離れていた。。
(なんだよこれ……何かのトリックか!?)
間違いなく、あの直前まで俺は主との距離を詰めれていたはずだ。
なのに、距離感を間違えたとは思えないほど遠くに、主が存在している。
何かの能力だろうか。
「……くそっ!!」
再び体勢をつくって斬りこむ。
鎮座したままの胴体目がけて振り下ろすも、気づけば全く剣が届かない位置で振ってしまっている。
呆然とする俺のわき腹に巨大な尾が直撃する。
「ごほっ……!?」
「イーゼ!!」
吹き飛ばされた俺にリアが駆け寄ってくる。
口の中に鉄の味が充満する。血塊を吐き出して口を拭う。
主はあの場から一歩も動いていない。
「くそっ……なんで攻撃が当たらねぇんだ。まるで攻撃をずらされてるみてぇだ」
「……イーゼ、私達からはイーゼの攻撃が当たりそうには見えなかったよ」
「はあっ!?」
リアが言うには、彼女とビルデの位置からは俺と主の距離は全然縮まっておらず、でたらめな間合いで剣を振るっているように見えたらしい。
だが、俺には確実に主との距離を詰めていっていた。認識の上では一足一刀の間合いに入れていたはずだ。リアはすぐに違和感に気づいたが、ビルデは俺を指さして笑い転げていたらしい。
あとで必ず一発殴る。
「イーゼ、相手は宮杜の主……冷静にいかないとダメ。私もサポートするから、突出しないで」
「あぁ……ありがとうリア。頼んだぜ」
後方のビルデは何もする気が無いらしい。
主も自分から動くつもりはないようだ。
ならばと、俺とリアはすぐに走り出す。合図を出して左右に分かれる。
主がわずかに首をかしげる。
俺は直進して大きくジャンプする。剣を思い切り振り下ろす。
だが、やはり手ごたえはなく、主がバカにするように目を細める。
『人間は学ぶと言うことを知らぬようだな』
「さぁな! だが、進むことは得意だぜ!!」
その時、迂回して接近したリアが短剣で主の前足を斬りつけた。
余裕を見せていた山犬が苦悶の叫び声をあげる。
すぐに間合いを整えるも、すぐにその場から動けなくなる。
山犬が立ち上がった。
座ってる時でさえ大きく見えたというのに、立ち上がるとより巨大に映る。
傲慢な雰囲気は薄れ、眼には燃えるような怒りが満ちている。
「ほぉ、これは厄介なことになったのぅ。奴は本気で貴様らを喰らうつもりのようじゃぞ」
「……ここは私達が引き受けます。ビルデさんは先にここから逃げてください」
「はっ、何を呆けたことを言っておる。吾は貴様らよりも――――」
「……イーゼ!!」
主が立ち上がると同時に、俺は走り出していた。
上段から傷ついた足に斬りかかる。
だが、またも空振りし、主の反撃を喰らってしまう。
枯れ始めた樹もろとも倒れ伏す。
今の衝撃で肋骨が折れたかもしれない。だが、それも気にしていられない。
「イーゼ! 何してるの! 早く逃げよう! もう本部長を呼ばないと倒せないよ!!」
「だったら、ここで抑えてる役目が必要だろ!? 俺が引き受けるから、リアはリッグさん達を呼んできてくれ! ビルデは早く逃げろ!!」
「バカ……イーゼを置いて行けるわけないじゃない!!」
「んあこと言ってる場合じゃねぇだろ!! さっさとビルデを連れて逃げ――――」
「全く、そろそろ我慢の限界じゃ」
次の瞬間、主の体勢が大きく崩れた。
さっきまで後方にいた男が、獣の横っ面を殴り飛ばした。
あんぐりと口を開ける俺とリア。
そんなことを知ってか知らずか、ビルデはやはり不敵に嗤った。
「いい加減、貴様らに弱者に見られるのも飽いたわ。少し手を貸してやろう」
俺を守るように立つ男の手は、見たこともない豪炎に包まれていた。
「この人型魔界妖物の、ビルデ=ムーダーがのぅ!!」