6, 金色の瞳
林の中、遊歩道を外れたマミの黒い背中は泳ぐように木々の間をすり抜けていく。
(アイツ、無茶苦茶速い……!)
見失わないよう必死に追いかけていると、不意にマミが足を止めた。
息を切らせながら追いつくと、マミは無言で前方を示す。
視線をやった小太郎は息をのんだ。
木々が生い茂る林の奥に、太った男がこちらに背を向けて立っている。
息を殺して見つめていると、男はあたりを一度見まわし、足早に遊歩道の方へ去っていった。
男が立っていたところには鞄が置き去りになっている。
「追わなきゃ……」
「鞄を置いていったということは、戻ってくるってことだ。それより、こっちが先」
マミは男が去ったのを確認し、鞄の傍に駆け寄ると、しゃがみこんだ。
小太郎も慌てて後ろから覗き込む。
草むらには、血で汚れたタオルが敷かれていた。
その上には猫が横たわっている。今まで見てきた動物と同じく、胸から腹にかけて血まみれでぐっしょりと濡れていた。
違うのは、毛並みを濡らす血が、たった今こぼれ出したばかりの鮮やかな色をしていることだけだ。
辺りには血で汚れたティッシュが転がっている。
「あの野郎っ……!」
「待て」
怒りに震える小太郎をよそに、マミは猫へ更に顔を近づけた。
「……まだ、生きてる」
「え!?」
マミの言葉を証明するかのように、猫の尻尾がぱたんと動いた。
小太郎も慌てて膝をつく。
「ど、どうしようマミ、医者に連れてくか!?」
「傷が深い。動かすのは危ないし、それに……」
マミは血で汚れたティッシュを持ち上げると、匂いを嗅いだ。
眉を顰めると、傍に転がっていた男の鞄を遠慮なく開く。
「お、おい!?」
ふわり、と消毒液の匂いがした。
中をざっと確かめたマミが頷く。
「あの人……、この猫を手当てしてたんだ」
「は?」
「――君たち、何してるの?」
声にギクリとして振り返る。
いつの間にか戻ってきていた男が、薬局のマークが入った袋をぶら下げ、きょとんとこちらを見ていた。
「……ははあ、なるほど。つまり君たちは、僕を動物を殺して回ってる不審者だと思いこんでいたと」
太った男は頭を掻いて苦笑した。
鈴木という名のその男は、近所の大学生らしい。
「少年探偵団か。勇ましいね」
「か……勝手に鞄開けちゃって、ごめんなさい」
「まあ、見た目が胡散臭い部類に入ることは自覚してるよ。何なら学生証見せようか」
鈴木は怒りもせずに、肉のついた顎を撫でた。
「僕は、大学の研究でこの林に住んでる動物の生態を調べてるんだ。だから、夏の初めごろからよくこの林をウロウロしていたんだけど、さっきたまたまその猫を見つけてね」
三人はその場に腰を下ろして話していた。
猫は応急手当をされ、マミの膝の上で目を閉じている。
包帯を巻かれた腹が、規則正しく上下していた。
「まさか、この林でそんな事件が起こってたなんてなあ。酷いことする奴がいるもんだ、可哀想に」
鈴木は、まるで自分が切り付けられたかのように怒りながら言った。根っからの動物好きらしい。
「しかし、いくら二人いるとはいえ、そんな危険な奴を子供が追いかけまわすのは危ないよ。相手は刃物を持ってるんだ」
「……ごめんなさい」
マミが黙って猫を撫で続けているので、仕方なく小太郎が頭を下げる。
「いいかい、そういう時は子供たちだけで何とかしようとしないで、警察や大人に話をするんだ。僕も、この子を病院に連れて行ったら、近くの交番に行ってお巡りさんに話しておくから」
鈴木は目を剥いて言った。おそらく、精一杯迫力たっぷりに言っているつもりなのだろう。
が、たっぷりと肉のついた顔は厳めしいというより愛嬌があるため、当人が思っているほどの迫力は発揮できていない。
「あ」
マミが小さく声を上げた。振り向くと、膝の上で猫が身じろぎして目を開けていた。
弱々しく鳴き声を上げる猫に、マミが顔を寄せる。
まるで、猫と話をしているように見えた。
「良かった、目を覚ましたか」
鈴木はほっとした声を上げると、立ち上がった。
「急いで病院に連れて行かなきゃ……マミちゃん?」
マミから猫を受け取ろうと近づいた鈴木が、当惑したような声を上げた。
マミは呆然と猫を見つめていた。
いつもの無表情とは違う、張り詰めたような鋭い緊張感をはらんだ瞳には、何も映ってはいない。
「……マミ?」
小太郎がおずおずと肩を叩くと、マミははっとして小太郎を振り返った。
「……え!?」
こちらを見たマミの瞳に小太郎はぎょっとした。
瞬きして、慌てて見直す。
マミの瞳はいつものように大きく黒々としていた。
(今、一瞬、金色に見えたような……)
「小太郎、鈴木さんがこの猫を病院に連れて行くの、手伝ってあげてくれ。ここからなら、林の反対側に抜けた方が近いだろう」
「えっ」
「私は、神社に戻って透に経緯を説明してくる」
マミはさっと立ち上がると、うろたえる小太郎に猫を渡した。
「今日はもう遅い。病院に行って、そのまま解散にしよう」
「へっ」
「ではまた明日」
マミはさっと駆け出して行ってしまった。
小太郎はぽかんとその後ろ姿を見送った。
「な、何だ? アイツ……」
腕の中で、猫が苦しげに唸って、小太郎は我に返った。
「ああ、また血が出てきた……小太郎君、とにかく急いで病院に行こう!」
鈴木があたふたと鞄を持ち上げる。
「は、はい」
鈴木の後ろについて歩きながら、小太郎はちらりと後ろを振り返った。
(あいつ……何、焦ってたんだ?)




