1, 猫は死んでいた
柏木小太郎は林の中で穴を掘っていた。
木の根元に膝をついて、石で土をかき分ける。
辺りに咲き乱れる曼珠沙華が、何度も視界を遮った。
九月も半ばを回ったのに、照り付ける夕陽はじりじりと小太郎の背を焼く。
「……小太郎、手伝おうか?」
あらかた穴を掘り終えた時、後ろから声がかかった。
「大丈夫。もう終わるよ」
振り向かずに答える。
うん、と小さい返事のあと、パタパタと軽い足音が駆けて行った。
小太郎はぐいと顔の汗をぬぐうと、傍らに視線を落とした。
そこには、体を伸ばした猫が寝そべっている。
薄く開いた眼は濁り、微かに開いた口からは舌が覗いていた。腹から胸にかけて、ペンキをぶちまけたような血が毛を染め上げている。血は、既に黒く固まっていた。
猫は死んでいた。
小太郎は、猫の死骸を丁寧に持ち上げると、穴の底に寝かせた。
穴を埋め終えてから、小太郎は社の方へ回った。
途中の手水舎でざっと手を洗っていると、軽快な電子音のメロディが聞こえてくる。
「もう塾か?」
声をかけると、ランドセルの中から携帯を取り出していた少年が振り返った。
「うん……でも、もう少しいる」
本村透は鳴り続けるアラームを止めると、携帯をランドセルに放り込んだ。
「また、死んでたの?」
「ああ。ブチだったよ。最近、よく見かけてたヤツ」
透は眉をハの字にした。
「やっぱり、ヌシがやってるんだ。僕が見た、すごく大きなタヌキ」
眼鏡を押し上げながら、声を潜める。
「一人であんまり林に近寄らない方がいいよ、小太郎。そのうち、人間だって襲うかも」
「バーカ、簡単に襲われるかよ」
小太郎は空中を蹴飛ばす真似をした。
「神様の使いだか何だか知らないけど、そんな危ないタヌキ、俺が絶対やっつけてやる」
小太郎と透が放課後の遊び場にしているのは、通称「タヌキ神社」と呼ばれている小さい神社だ。
何でも、神社の裏手にある雑木林にタヌキが住んでいて、神様の遣いとしてこの神社にたまに現れるらしい。
実際はタヌキどころか神主もめったにいないし、人はほとんど来ない。
けれど何故か猫や犬はたくさん集まってくる。タヌキが呼んでいるのかもしれない。
動物が好きな二人にとっては絶好の遊び場だったのだが、今年の春ごろから、とある「事件」が起こっていた。
神社に住み着いている猫や犬が、雑木林で死骸になっているのをちょくちょく見つけるようになったのだ。
死骸はたいてい、酷く血まみれになっていた。
一体何が起きているのか、不気味に感じていた時――透が「大きなタヌキを見た」と言い出した。
「ものすごく大きなタヌキが、猫の死骸の傍に居たんだ」
「タヌキ? タヌキって、猫とか犬とか襲うのか?」
「普通は襲わないよ」
透は目いっぱい両手を広げて見せた。
「でも、僕が見たタヌキは本当に大きかったんだ。赤毛で、すごい牙しててさ……きっとあのタヌキ、この林のヌシだよ」
「ヌシか……」
それで、小太郎と透は目下、神社の平穏を取り戻すため、林から大ダヌキを追っ払おうと画策しているのだった。
透は勇ましい小太郎を見て、泣きそうな顔になった。
「小太郎ってば。本当に危ないよ」
「ブチは、一昨日やっと俺の手からエサを食べたんだ」
小太郎は口を曲げた。
「ブチだけじゃない。シロだって、タマだって、お前も可愛がってたじゃんか」
「そうだけど……」
透が何か言おうとしたとき、またランドセルの中からメロディが流れ出した。
「僕、行くね。小太郎は?」
「俺、もう少し残ってく」
「もう遅いよ? おかあさんが……」
ランドセルを背負いながらしゃべっていた透は、はっとして言葉を切った。こちらをおずおずと窺ってくる。
小太郎はニヤッと笑って見せた。
「僕……トイレに行ってくる」
社の裏へ駆けていく透を見送っていると、十八時を知らせる鐘の音が聞こえてきた。
気が付けば、夕日もだいぶ傾いている。
小太郎の母親は、八月の初め、車に撥ねられた。
それから一ヶ月以上、一度も目覚めずに病院で眠っている。




