*** 9 トン単位 ***
その後、光輝たち一行は、東北がんセンターに移動して重篤患者を治癒させた。
光輝と崇龍上人が命を救った重篤ガン患者の数は既に二百名に達している。
それから光輝たちは一旦の帰宅を許されたが、その間に国立がんセンターからの要請で、日本全国の重篤患者がそれぞれの地域の基幹病院に集結していた。
その後は日本中を訪れて、まずそれら重篤患者の命を救うと同時に、医師団に治療体制を用意する時間を作ってやる仕事が待っている。
仙台から帰った光輝は駅で奈緒に出迎えられた。
奈緒は百人が出迎える駅のホームで光輝に抱きついてキスしてくれる。
有頂天になった光輝はひかりちゃんにもキスをしたが、嬉しいことにひかりちゃんも「ばぶう」と言って笑ってくれた。
その足で光輝たちはまず瑞祥研究所に行き、龍一所長に礼を言った。
「手厚い御用意をして頂いた上に、奈緒にお小遣いまでいただきまして……
本当にどうもありがとうございました」
「ご厚意に甘えて本当に頂いたお小遣いを全部使ってしまいました。
どうもすみません…… せめて私が使った分だけでも……」
「あー、ぜ~んぜんかまわないんだよそんなこと」
龍一所長はいつものとおり気の抜けた声で言う。
「で、でも…… あまりにもおカネがかかっちゃって……」
「あーのさー、今回の全国行脚でたしかに一千万円ばっかしかかったけどさぁ」
「いっ、一千万円っ!」
光輝の月収はその四倍に達しようとしているのに、相変わらずこの男はその辺りが少し小心者というかみみっちい。
「でも、五人のお弟子さんたちが喜んでくれたんでしょお……」
「は、はい、それはもう……」
「だからみんな奈緒ちゃんのこと、と~っても大事にしてくれたんでしょお……」
「は、はい。まるで女王様扱いでした……」
「だから奈緒ちゃんも三尊くんに惚れ直して、だから三尊くんも有頂天になって……
それで張り切って全国で座禅組みまくったんでしょぉ~」
「は、はい」「は、はい」
「それで全国の死にかけたガン患者さんの命をもう二百人分も救っちゃったんじゃない。
それって一人アタマたったの五万円だよぉ~ 格安のお命だよぉ~」
相変わらずこの男は少々不謹慎でもある。
「それからね……」
所長は少し改まった口調で言う。
「キミと崇龍さんは、僕の大切な大切な親戚である真二郎さんの命を救ってくれたんだ。
これには僕だけじゃあなくって瑞祥一族全員が感激してるんだ。
その三尊くんたちを粗末に扱ったりしたら、僕が一族の全員から怒られるんだ。
だから当然のことなんだよ」
「は、はい。そ、それにしても龍一所長。さ、さすがですね」
龍一所長はちらりと所長秘書の桂華を見て、光輝たちに向き直った。
「それにさ、三尊くんがそう言ってくれたおかげで、僕も奥さんにちょっと惚れ直してもらっちゃったみたい……」
そう言うと所長はまたにんまりと笑った。
光輝と奈緒が桂華を見ると、確かに桂華は光輝たちを見もせず、大切なダンナ様を見つめて頬を赤くしていた……
ちょっとうっふんな状態になっているようにも見える。
光輝たちが慌てて辞去しようとすると、所長がのんびりと言った。
「ああ、そうそう。
あの研究所の前のイタリアンの店だけど、研究所の子会社にしたから」
「えっ、ええ~っ!」
「オーナーシェフはそのまま子会社の社長さんで月給制になって、だから研究所の職員と警備員さんと、ついでにお世話になってる警察分署のおまわりさんたちや機動隊のひとたちも、ランチもディナーもお酒以外はみんな百円にしといたから」
「えっ、ええええええ~っ!」
「さらについでにあの隣のおいしい中華料理屋もおなじにしといたから。
みんな喜んでたよぉ~」
「あ、あの~…… そ、そんなに使っちゃって、おカネ大丈夫ですか?」
「ぜ~んぜん平気さ。
もし足りなくなったらまた御隠居様や大統領さんや法王様におねだりするから」
「………………」
その足で光輝たちは食事を取るためにイタリアンの店に行った。
すぐにオーナーシェフとその奥さんが飛んで来る。
「もう三尊様にはなんとお礼を申しあげていいのか……」奥さんは涙ぐんでいる。
「ほんとによかったですねー。でもシェフはそれでよかったんですか?」
「はい。この店を作るときの借金は、今まで返済してきた分を含めてすべて肩代りしてくださいました。
そして我々夫婦はこれからは充分なお給料を頂けることになりました。
それに仕入れのおカネは全部研究所持ちだということで、採算は全く考えずに美味しくて栄養のあるもの出すことだけを考えてくれと言われました」
「で、でもみんな来ちゃうんでお忙しくってタイヘンかも……」
「必要なら何人弟子を取っても構わないとも仰ってくださってます」
「い、一般のお客さんはどうされるんですか?」
「はい、研究所のスタッフの方々や警備員さんや警察署の方々は、IDを見せて頂ければランチもディナーも百円ですが、一般の方々は通常料金です」
「そ、そうですか」
「しかもその百円と一般の方々から頂くお代金は、すべて私どものボーナスしていただけるそうで……」
「そっ、そそそ、そうですか……」
「まったくもって三尊様のおかげです。
本当にどうもありがとうございました……」
シェフとその奥さんは深々と頭を下げた。
その日の料理は途轍もなくおいしかった。
レストランはスタッフや警察官たちで満員で、みんな光輝たちに親しげに丁寧に挨拶してくれた。
帰り途、光輝は奈緒に言った。
「それにしても所長って、なにからなにまですっごいよねぇ……」
「ええ、ああいうお方こそ、本当に一族の当主にふさわしいお方なんでしょうねぇ」
「うん……」
後日、アメリカ合衆国とバチカンの共同出資基金から、研究所と瑞巌寺に当座の資金と言ってそれぞれ百億円ずつが振り込まれて来た。
龍一所長はそれを光輝たちに伝えると、「ほらね」と言ってまたにんまりと微笑んだ。
その後、光輝が久しぶりに瑞祥研究所に行くと、珍しく受付に麗子さんが座っている。
「お久しぶりです麗子さん」
「お久しぶり光輝くん」
「研究所の皆さんのあのイタリアンや中華料理のお店の評判はいかがですか?
なんだか最近ますます美味しくなって来たような気がして……」
麗子さんは顔をしかめて傍らのモニター画面を指差した。
画面には、「現在の総体重増加分、123.5キロ」とあった。
「な、なんですかこれ?」
「あのイタリアンと中華のお店のランチやディナーが百円になってからの研究所の職員の体重増加分の合計よ」
「!!!」
「各人が自分の体重増加分を入力すると、こうして総合計が表示されるの」
「へ、へぇ~」
光輝はつい麗子さんの顔をまじまじと見てしまった。
そういえばややふくよかになっているような気もする。
「こらっ! 見るなっ!」
「す、すいませんっ!」
麗子さんは光輝を睨みつけたが、その目は笑っていた。
「お隣の警察分署のひとたちの合計はトン単位らしいわよ……」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
光輝と崇龍さんは別々に全国行脚を開始した。
国立がんセンターの佐藤本部長が、各地のがんセンターの医師を組織して緊急重篤患者対応部隊を作り、全国の都道府県の基幹病院に集められた余命三カ月以下と見られる重篤患者たちを治癒させに回り始めたのだ。
この移動には須藤警察庁警護部長の指示のもと、全国の警察署が共同で警護にあたった。
奈緒とひかりちゃんはお留守番である。
五人のお弟子さんのうち二人が交代で三尊家に泊まり込み、後の二人は昼に通い、残る一人が休暇を取る体制になった。
幸いにも客用に使える部屋は全部で六つもある。
最初に三尊邸に招かれた五人は周りを見回してはため息をついていた。
たしかに普通の人が見たら驚くような家である。
エレベーターは住めそうなぐらい広くて豪華だ。
天井高は四メートルもあって、まるで吹き抜けである。
床の厚さも一メートルを超えるらしい。
どおりで外見は六階建てぐらいの大きな建物なのに、中身はたったの三軒のおうちだ。
彼女たちにあてがわれた小部屋ですら十二畳もある。
お風呂場なんか三十畳だ。彼女たちのアパートより遥かに広い。
全員で入れるジャクジーやサウナまであった。
冷蔵庫は巨大なものが三つもあって、中には超高級肉を含む高級食材がたくさん詰まっている。
お天気のいい日には屋上の庭園でお散歩すら出来た。
その庭園の広さがそれぞれのおうちの広さと同じだと考えると慄然とする。
普通ならば嫉妬されても当然の環境であった。
だがしかし、彼女たちはみな瑞巌寺の僧侶たちの弟子でもある。
毎日光輝を遠くに見ながら座禅を組んで来たのである。
瑞巌寺の高僧様たちが、彼女たちが近寄れもしない僧正様や大僧正様たちが、どれだけ生き仏の三尊様を大事に思っているかはよく知っている。
いつも三尊様に平伏しているのだ。
彼女たちの尊敬するお師匠様たちも、彼女たちに、「どうか奥方様のお世話をよろしく頼む。なにか困ったことがあればなんでも言ってくれ」と言って頭を下げてくださった。
そんなことは五人とも初めてだった。
しかもどうやらお師匠様は、自分の弟子が奥方様のお世話係に選ばれたのがご自慢であるご様子である。
それには彼女たちも実に喜んで誇りに思った。
しかも自宅には瑞祥所長さんに、つまりは三尊様に頂いたも同然のお小遣いで買わせて頂いたステキな靴やバッグやお洋服が山のようにあるのだ。
どれももったいなくてまだ使ってもいない。
自室で身につけて、鏡を見てうっとりしているだけだ。
あれは清貧な彼女たちにとって、夢のような体験であった。
しかも当の奥方様は、実にお優しくてステキな方なのだ。
さすがは生き仏さまがお選びになったお方である。
故に彼女たちは、もう一生奥方様の侍女になってもかまわないと思っていた……
ときおり厳空が奈緒に連絡してきて、「ウチの弟子たちはお役に立っているでしょうか。御不満があれば御遠慮なく仰ってください」と遠慮がちに聞いてくる。
そのたびに奈緒も、「皆さん素晴らしい方々です。もう毎日とってもとっても楽しくてお世話になっています」と心から答える。
厳空権大僧正はほっと安心して、それを自分の部下や弟子でもあるそれぞれの師匠に伝えて褒める。
よろこんだお師匠様達はそのたびに自分の弟子たちに、「実によくやってくれている。ありがとう」と言ってくださる。
なにしろあの厳めしい権大僧正様からお褒めのお言葉を賜ったのだ。
彼女たちの奥方様への忠誠心はますます高まった。
ただ、たったのひとつだけ困ったことは……
奥方様はご友人の瑞祥麗子様とともに、若い彼女たちを豪華なランジェリーショップに連れて行っては、ものすごく胸が突き出して見えるブラとか、信じられないほどエッチなショーツを大量に買ってくださるのだ……
ガーターベルトと模様のついたストッキングまで買って下さった。
とっても嬉しそうな奥方様のお顔を見ると、それらを身につけなければならないのだ。
その姿を鏡で見るたびに、純情な彼女たちの顔から火が噴き出した……
また、奥方様と麗子様は、月に一回屋上の庭園でガーデンパーティーを開かれる。
そして、そのたびにステキな独身の僧侶さんたちをたくさんお招きになって、彼女たちに引き合わせるのだ。
もちろんそのときはいつもの修行衣ではなく、奥方様達が買って下さったお洋服を着なければならない。
そのスカートの短いことと言ったら……
いつもすそを下に引っ張っているのでおへそが見えて、かえってエッチな姿になってしまうのだ。
風でも吹いてあのショーツを見られでもしたら、恥ずかしくて死んでしまうかもしれない。
後ろから見られでもしたら、パンツをはき忘れていると思われてしまうだろう。
それが彼女たちの唯一の悩みであった……
(つづく)




