七、 1985.08
凄まじく蒸し暑い教室に、中学生が二十人ほど、並んで正座している。
その中には〝おれ〟も当然のようにいるわけだが……この記憶は思い出したくなかった。
――中三、夏。
当時吹奏楽部に所属していて、この頃は中学最後のコンクールに向けてラストスパートに入る頃合いだった。
昭和の終盤、ある意味俺が一番充実していた時期の記憶である。
おれ達の目の前には男の教師が二人、椅子に座って脚を組んでいる。
体育担当の荒木、数学担当の田井中だ。荒木は学年主任、田井中は生活指導。座っているのは全員、三年生。全員、吹奏楽部。
当時の吹奏楽部は、全校生徒の一割が所属するマンモス部活だったが、その中の三年生、大会や対外イベントなどで必ず選抜される、所謂レギュラーメンバーが勢揃いしていた。
――ああ。この記憶か。
この当時、顧問の先生は教師になって二年の若い女性だった。その前の顧問が立ち上げた吹奏楽部を引き継ぐ形になり、まだ右も左も分からない状態の中、学校で一番の秀才と問題児、両極端から順に集めてきた様な集団の指揮を丸投げされた格好になってしまった。
今考えれば過酷にも程がある状況で、まだ音大を出たての教師に任せていいものではないことは理解出来るのだが、その当時の我々といえばまだ中学生、反抗期もいれば中二病もわんさかおり、相手の年齢や経験など全く意識もせず、ただ〝大人〟という馬鹿みたいに大きい枠の中にいる人間として認識していたに過ぎなかった。少なくとも〝おれ〟はそうだった。大変なのは知っていたが、だからどうしたと、大人なんだからと、別にこっちから顧問なんざ頼んじゃいねえとばかりに、ことあるごとに反発していた記憶がある。前の顧問のカリスマに一年間浸かりきった世代だったのも小さくない原因だろう。
それだけでも黒歴史といえばいえるのだが、この状況が示す事件は、もっと大事であった。
合宿中の飲酒行為。
誰が言い出したのかは覚えていない。誰かの小さな一言を聞いた部員が乗っかり、波紋の様に伝播した結果、三年生の泊まる部屋の一つで宴会が始まってしまった。正直、前の顧問の時は、彼の裁量で許されていたというのも箍を緩めてしまった要因ではある。あるが、それはただの言い訳にもならない。
結果、見回りに来た顧問に当然見つかり、踏み込まれ、号泣された。そこで初めて自分たちのやらかしたことの重大さを知るという馬鹿丸出しの最低行為であった。
翌日、合宿が終わり器材を学校に戻すと、そこで待っていたのが冒頭の状況である。
その部屋にいた人間が全員呼び出され、正座。三時間に渡る説教の末、彼らから言われたのは
「今回の件はここで留めることとする」
だった。
毎年夏休みの終わりには吹奏楽コンクールがある。そこで我々は常に好成績を収め、校長室にはトロフィーや賞状が毎回増えていた。学校としては発覚すれば、当時としてもとんでもない不祥事で、これが令和であればコンクール出場はおろか、年度末までの活動停止、最悪部活の解体処分になってもやりすぎだという人はいないだろう。
恐らくこの緩いにも程がある決定には、様々な色彩の事情が絡んだに違いない。後に発覚したのは、前の顧問の取りなし、そして吹奏楽部以外取り立てて特徴のない学校の対外的なアレコレも絡んでいたとのことだった。
いわば伝統とも言える行事への参加が許されほっとする部員達の中、尖りに尖った部員が二人、この決定に異を唱えていた。
トランペットのパートリーダーで小学校からの幼馴染である青本と、金管低音、ユーフォニアムとチューバのリーダーの〝おれ〟である。
青本はその場にはいたものの、飲酒自体はしていなかった。かといって止めるわけでもなく、ただ〝その日は偶々飲まなかった〟だけだ。風邪気味だと言っていたので、それが原因だろう。
彼はこの決定の後、コンクールには出場し、その後退部した。実質三年生は引退の時期ではあったが、三月には毎年恒例の定期演奏会がある。退部ということはつまり、その演奏会も含め、体育祭や地域の音楽祭には出ないという選択肢を選んだことになる。それは彼にとっての禊だった、ということは後に聞いた話だ。
そして〝おれ〟はと云えば。〝コンクール欠場〟を選択したのだった。
この選択をした背景としては、特に贖罪とか、禊のような意味はなかった。
ただ、全く吹奏楽部と関係のない大人の思惑に乗るのが嫌だったのだ。
やっていることが子供の癇癪そのもので、なんとも尻の座りが悪いことではある。あるが、この時の俺は、それが自分にとっての筋の通し方だったのだと、本気で思っていた。
おれの選択は物議を醸した。顧問や部活仲間、OBに至るまでが説得してきた。だが、おれがコンクールの舞台に立つことはなかった。
格好つけたつもりはない。ただ、あまりにも詰められて、逆に引っ込みがつかなくなっただけだ。部長からは「一人でかっこつけんな」と怒鳴られ、当時フルートにいた彼女には泣かれた。件の青本はおれの母親にまで連絡を入れて、なんとか出場する様に説得して欲しいと頼んだそうだ。
「チューバの三年はお前しかいねえだろ! 無責任なこと言ってんじゃねえよ!」
「二年の五木がいるだろ。あいつなら充分やれるよ」
「そういう問題じゃねえんだよ!」
「三年生みんなで出たいよ! ねえ、考え直そう?」
「……悪い、もう決めた」
やりとりだけを見れば、何やら重大な決意をした主人公みたいな発言ではあるが、その実〝もはやこれまで、引っ込みつかず〟の心境であっただけだ。正直、もう一押しで落ちるところまで行っていたのも事実である。
結果、コンクールはいわゆるダメ金ではあるが、予選金賞常連の体面を保つことは出来た。俺は裏方として同行はしていたが、喜びに沸く部活の仲間を少し羨ましく眺めていた、その景色は覚えている。
――――
やれやれ、とんだ黒歴史を見せられてしまった。自分の頬が熱いのを感じる。
そうか、俺はまだあの記憶を、何となればもう四十年も前の記憶を、恥と思っているのか。
この感覚は恐らく、理解出来る人は少ないだろう。あの時の俺は、羞恥と後悔と憤怒と傲慢と、その他様々な感情に翻弄されていた。
大筋においてマイナスでしかない記憶で、正直忘れて一向に構わない、むしろ今すぐ鈍器で頭を殴りつけてでも忘れてしまいたい過去ではある。
ではあるが、これもまた俺が辿ってきた道の一つだ。この時、折れずにクソ意地を張り続けたこと、それ自体は後の自分を形成する上でとても大事な部品だったのだと、今にすれば思う。
もしかしたらこの、今も俺の前に漂うシャボン玉はただの思い出ではなく、俺という人間を形作る要素の意味合いがあるのだろうか。
ぼんやりとそんなことを考えながら、俺はまた一つ、目の前のあぶくを指で突いた。




