始まりは地獄の中で
始まりの年と呼ばれる西暦一九〇八年。
生物の姿形が大きく変化し人々を襲うようになる魔獣化現象の発生により、国際情勢は混乱に包まれた。
その半年後、魔獣の出現に相対するように世界中で一部の少女達に原理不明の超常能力"魔法"の発露が確認される。
魔獣への対抗策、そして何より自国の戦力とするため、各国は魔法戦力の開発競争を開始。
世界の理は大きく変化した。
激動の近代史を経て、始まりの年からちょうど百年が経過した二〇〇八年。
極東の島国、日本。
神奈川第三区、沿岸市街地にて。
太陽が水平線へと姿を隠した黄昏時の曇天空は、燃え盛る街を映すように赤く染まっていた。
必死に逃げる青年、子を守ろうと抱く母親、神に祈る老人、変わらず繰り返される筈だった日常の全てが瞬く間に焼き払われ崩れ落ちる。
そんな光景を生み出した元凶は、巨大な翼を広げ炎を撒き散らしながら悠々と空を飛ぶ巨大な蜥蜴。
高い危険度を誇る竜種の魔獣だ。
そうして生み出された地獄を、青年は瓦礫の山の中に倒れ伏したまま見つめ続けていた。
爆炎に巻かれた全身の火傷、瓦礫に砕かれた両足。
呻き声を上げる事すら出来ない程の苦痛にやっとの思いで意識を保つ中、
「そんな状態でまだ生きてるとは。凄まじい生命力だな少年」
頭上から聞こえてきた、幼さを残した少女のような声。
彼は残り少ない力を振り絞るように、ゆっくりとそちらへ視線を向ける。
そこにはペストマスクとローブを纏った、あまりに場違いな出で立ちの人影。
「その有様じゃあ、心臓の鼓動でさえ苦痛だろう。楽にしてあげようか?」
それが誰かなど知らない、考える余裕もない。
けれど、その問いに対する答えだけは明確だった。
「…嫌、だ」
人影は興味深そうに「へぇ」と言うと、彼の顔を覗き混む。
マスクの奥に見えるのは愉快そうに歪んだ瞳。
「でも、君はどうあれ死ぬよ。その出血と火傷じゃ助からない。これから散々苦しんだ末に死ぬだろうね。それを踏まえてもう一度聞こう。今ここで、殺してあげようか?」
灰と熱に焼けた喉は息をするたびに激痛が走り、必死に保っていた意識にも限界が近い。
何かを喋るような気力などとうに残っておらず、けれど言葉は無意識の内に口から零れた。
「まだ…だ…も……」
今にも消えそうなか細い声、しかし確かな意思を持った返答に、
「クッ、ハハ、ハハハ。そうか、そうか!ならチャンスをあげよう。僕にとってもデータを得る良い機会だ」
人影は心底楽しそうに笑い声を上げると、ローブの中から小さな注射器を取り出し、焼けただれた彼の腕へと突き刺す。
「っ…があ…あぁぁぁっ……」
直後、血液が沸騰するかのような熱と何倍にも膨れ上がった激痛に彼の体力と気力は限界を迎え、その意識は明滅しゆっくりと暗転していった。
「さぁ、あとは君の運次第。もし万が一にでも生き残る事が出来たなら、その時はきっとまた会う事になるだろうさ」
――――――――――
ふと気が付けば、そこは電気の切れかかった薄暗い部屋。
あぁ、またあの夢だ。
そう察した瞬間、ガチャリと玄関の鍵の開かれる音がして、
「くそっ、くそっ、くそっ。あの男、私のこと馬鹿にしやがって!」
ガツガツと乱暴な足取りで隣のリビングに入ってきた一人の女。
それなりに整った面貌は怒りに歪み、リビングに散らかっている鞄を蹴り飛ばし激情を吐き捨てる。
それただ黙って虚ろに見つめていると、女はこちらに視線を向け憎々し気にギリッと歯噛みをした。
そして、
「その眼で、私を見るなっ。何の役にも立たないお荷物の癖に!アンタさえいなければ私はっ……」
そこまで叫んでから、何かを悔いるように、泣きそうな表情で言葉を詰まらせる。
「夕飯はこれで勝手に食べて」
財布から取り出した五百円硬貨をカチャリと机に置くと、女はそう言い残して隣の寝室に姿を消した。
すぐに部屋から嗚咽が漏れ聞こえてくる。
何度も何度も繰り返し見る、いつかの日常。
怒りはなかった。
憎しみもなかった。
ただ、ただ……
あぁ、だからこの夢は嫌いなんだ。
そんな事を考え、彼は今度こそ瞼を開く。
視界に映ったのは、やけに無機質な白い天井。
見覚えのない光景に戸惑いながらゆっくりと体を起こすと、そこは清潔感のある整然とした部屋だった。
今まで眠っていた真っ白なベッドの隣には、点滴のスタンドが置かれている。
病室?
現状への理解が追い付いた瞬間、その脳裏に蘇ったのはあの地獄のような光景。
崩れゆく街に響く悲鳴と嗚咽、吹き荒ぶ爆炎の熱に瓦礫の礫。鼻をつくような人の焦げる匂い。
鮮明な記憶のフラッシュバックに、込み上げてきた吐き気を押さえ付ける。
そして同時に沸き上がったのは、それでも生きているのだ、という事実への安堵感。
大きく深呼吸をして鼓動を落ち着かせた彼が、ふと感じた違和感に自身の両腕へ視線を落とすと、手首のあたりに五センチ幅くらいの薄い腕輪が巻かれていた。
素材はおそらく金属のようだが、あまり冷たさや硬さを感じない。
治療器具か何かだろうか?
それからなんとなしに、ベッド脇の棚に備え付けられたテレビへ視線を向け、
「…へっ?」
彼は思わず間抜けな声を上げた。
電源の消えたテレビ画面に薄く反射する病室、その中心に写っていたのはベッドから体を起こすショートカットの少女。
反射的に後ろを振り返るがそこには誰もいない。
この部屋にベッドは一つしかないのだから当然だ。
テレビへ向き直りペタペタと自分の顔を触ると、それに合わせて画面に映る少女も同じ動きをする。
それが何を示すのか理解が及ぶのと同時に、その額に冷や汗が浮かび上がった。
あり得ない、あり得るわけがない。
そう考えながら股ぐらに手を伸ばすも、そこに十九年を共に過ごしてきた男としての相棒は存在せず、強い異物感のあるカテーテルだけが伸びている。
恐る恐る視線を下へと向ければ、ガウンのような入院着の襟元から見える自身の胸には確かな2つの膨らみ。
その事から分かる事実はただ一つ。
画面に映る少女が間違いなく、現在の彼自身であるという事。
最後の望みを掛けて自身の頬を強くつねってみるも、無常にも走る激痛は、それが現実である事を示すだけ。
そして、
「…なんでぇっ!」
そんな叫び声が病室に響いた。
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